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欲望のカボチャ村と古都の荒くれ観光協会  作者: 源健司
ワールドスポーツフェスティバル葦原京
124/125

密林の果てに

深い森の獣道を男女が北へ向かって歩いていた。男が羽織っていた鶯色の法被を脱いで、優しく女の肩にかけた。男はその場に屈みこんで、女におぶさるように即したが、女は大丈夫だと言ってまた、歩き始めた。空の満月の光の欠片も差し込まない樹海の中、戦場で警官から奪った懐中電灯の光を頼りに、ただ一本、真っ直ぐに北へ続く道を歩いた。


数時間前、那智の春道の遺体に、魂が抜けたようにしがみ付いた碧小夜の肩を、犬若が優しく抱いた。感情の無い表情の碧小夜とは違って、彼は涙を流していた。幼馴染の死を前にして、この数年間、己の身に降りかかった不幸を境にして、自らを置いた立場と行ってきた行動全てが、まるでごっこ遊びだったように思われ、その行きすぎた遊びの末に道を踏み外し、大切な人を犠牲にしてしまった。

こうして碧小夜と共に歩く一歩一歩が、生きる事がいかに幸せかを噛みしめるように思われた。

そのうち、碧小夜の足取りがおぼつかなくなってきた。歩き始めてだいぶ経つ。




あの部屋にいた全員が破れかぶれになったように、目前の敵とぶつかり合っていたその時、支え合うかのように寄り添った三つの身体に覆い被さってきた影があった。

桃龍だった。

彼女はその長く美しい氷柱のような指で、犬若の涙を拭い、碧小夜の頭を、生肌をさらけ出した胸に包み込んだ。


「お前たちはすぐに大奥のほうに行きなさい。階段があるから、しめ縄を潜って降りなさい。辿り着いた部屋を抜けると外に出る。その北へ続く道をひたすら進みなさい。長い道のりになるけれど、いずれ辿り着く、聖高天原(せんとたかまがはら)に。安心して、この世に実態を持つ場所だから。辿り付けば、すぐにわかるはず。心に安らぎを得ることが出来るから」


 碧小夜が春道の右手を握った。犬若が左手を握った。そして唄った、あの唄を。


 南瓜の種を撒きましょう

 黄色い花が咲くころに

 櫓を囲んで踊りましょう

 高天の宮の宮様の

 喜ぶ顔が見てみたい

 雨雨降れ降れたんと降れ

 早く実になれ夢南瓜


  碧小夜の頬を一筋の涙がつたって落ちた。ふたりは立ち上がると、男たちが肉体をぶつけ合う中を切り抜けて、回廊を更に奥へと向かう。

ふたりが駆け抜ける背中を見送り、桃龍はひとつ、ふうーっと息を吐くと声高らかに、降参を宣言した。




「少し休もう」


 犬若はそうって大きな木の幹に、彼女を支えて腰を下ろさせた。梟の低い鳴き声が聞こえる。


「腹、減っただろう。ごめんな。何も持ってないんだ」


 犬若の言葉に碧小夜は微笑み返しながら、首を振った。


「私が死ねばよかったのに」


 碧小夜がぽつりと言った。


「何をふざけた事を」


「だってそうでしょ。私はあの春くんを見て、綺麗だと思ったのよ。どう考えたって、おかしいでしょ?人の痛みが分らないのよ、私は」


「あの特異な村で育ったんだ。何かの感受性が欠落したって、おかしくないさ。俺だって、観光協会に入った時、高山さんが幸村さんの為に皆の恨みを買って出たり、子供一人の為に謹慎している有沢さんが理解できなかったさ。フフシル事件の時、春道だって、お前を救い出す為に、平気で仲間を売ったじゃないか」


「そうじゃない。私は、私の場合は大切な人の苦しみに、惹かれて行くの。さっきだって、私はワンちゃんの背中におぶさりたかった。なぜかって、あなたは一晩中戦って、身も心もずたずたでしょ?そんなボロボロのあなたが、私をおぶって息絶え絶えになりながら山道を歩く。そんな今にも死にそうな呼吸を聞いていると、私は落ち着くの。何か、お腹の中のものが、足の付け根に向かって流れ落ちて渦を巻くのよ。そんな自分が生きていていいはずがない。春くんじゃなくて、私が死ぬべきだった」


「それは違う!お前さえいれば、たとえ死んだのが俺だったとしても、春道は救われた。そして、俺はお前がいるからこうしてこの道を歩いていられるんだ。お前が満足するなら、いくらでも苦しんでやるさ。お前の為に死ねるなら、本望だ。春道だって、そう思っていたからこそ、あんなに幸せそうな顔で死んでいったんだ」


 ふたりは暫く黙ったまま、体を休めた。少し眠った後、また、歩き出す。


 夜が明けて、辺りが白い霞を帯びて来た。


 それからも休み休み、ゆっくりと歩を進めた。


 犬若の心は明るかった。毎年、秋になれば大方毎日、調子が悪かった。しかし、この日は春道が死んだ悲しみはもやもやと心に留まるにせよ、積極的に体を前へ前へと進める元気があった。


 小川の辺で水を飲んで休みながら、色々な話をした。とりわけ観光協会会館にも頻繁に出入りしていた大山大和の馬鹿話などは、碧小夜をほのかに喜ばせた。

 幸村朱鷺の勝負パンツを雑巾代わりにして、ブレーンバスターを喰らっていたこと。有沢獅子のワラビ餅を勝手に喰って、裏庭の隅で絞められ、半泣きになっていたこと。電気の配線をしていた屋根から、庭の植え込みに転落して獏爺が激怒したこと。近所の子供から影で、便所タコジジイと呼ばれていたこと。冗談で犬若が色目を使って誘惑したら、まるで生娘のように恥じらったこと。


 碧小夜は犬若が語る話に聞き入って笑っていた。


彼女は本当に、大山という男のことが好きなようだ。それは決して、胸をときめかせるような淡い恋心と言った意味ではないのは明白だ。失礼な言い方をすれば、可愛いらしい珍獣に対するそれに近い。あるいは、友情という言葉がふさわしいのかもしれない。決して、長い時を過ごしたわけではないが、全く違った世界で、心の底は本人にしかわからないのだが、端から見れば自由気まま、翼を思うがままにはためかせ、恥じらいも無く愛を叫び、人の内面に気兼ねなく土足のまま踏み込んで行き、それでも笑って許されるあの男に、彼女は尊敬に近い念すら抱いていた。彼といる時に感じた安心感は、桃龍の母胎にいた記憶を蘇らせてくれたことに、気が付いた。


それでいて、不思議と、嫉妬心が沸かないのが、大山の人徳であろう。むしろ、彼女が興味を示すほどに、犬若もまるで、自分の息子を自慢するかのように、彼の事を語った。


夜が暮れないうちにまた、歩き出した。道はどんどん険しさを増す。だが、ふたりがその道を進んで行けたのは、細いながらもそこにちゃんと道が出来ていたからだ。轍が平行に走っている。荷台か台車か、何か車輪のついたものがそう遠くない過去に、何度も往復しているようだ。こんな山奥の秘境のような場所に、しかも一日歩いてもどこにも辿り着け着けないような場所に、誰が何を運んでいるのか。


犬若はそのことを考えないようにした。疲れるからだ。体は必死に前に進める分、頭のエネルギーを消費したくなかった。

 だからこそ、言える。何も考えずに、本心だけと直接的に、ずんずんの前に進む体に合わせて。

 犬若が屈んだ。碧小夜は少し躊躇ったが、今度はそのさほど大きくない彼に背に身を預けた。


「軽いな」


「うそよ」


「想像してたより、軽かった」


「失礼ね」


 碧小夜は照れたように、ふふっと笑った。


 犬若は少し、時間を溜めて口を開いた。


「あのな。俺は羨ましかったんだ。お前も春道も、俺とは違うから」


「うん」


「やっぱり、わかってたのかよ」


「やっぱり、その事を気にしてたんだね。でもね、ワンちゃんが、違うんじゃない。ワンちゃんが普通なのよ。そして私たちが変なのよ」


「普通がどっちだかわからないや。観光協会だって、どいつもこいつも普通じゃないからな」


「ふふっ、確かに」


「でも、たとえ俺が普通だったとしても、お前と春道が普通じゃなかったら、俺はお前たちの間には入り込めないから。だから、お前の氏子になると決まった時、本当にそれでいいのか、悩んだよ。俺はお前の幸せが何なのか、何をすればお前を満足させてやれるのか、見当がつかなかった。俺はお前の誓約なんて受けたくなかった。下界に住む多くの若い男女のように愛し合えればそれでよかった。願わくば、お前も俺だけを愛してくれれば。どこに住みたい、何がしたいなんてどうでもよかった。ただただお前と、俺の理想とする幸せの感情に満たされた生活があればそれでよかった。でも、それはお前の理想とする幸せとは違う。だから俺はお前を幸せにする自信がなかった。お前と理想の価値観が近い、春道のほうがお前を幸せにできると思った。それでもおいそれと、春道にお前を渡すことなんてできなかった。ならば、俺はお前の求める男になろうと決めた。お前が俺の血を見たいのなら、喜んで手首を切ってやろう。爪を剥がしたいというなら、手足の二十枚、全てくれてやろう。苦しむ姿を見たいのなら、縄で首を巻いて天井からぶら下がってやろう。馬鹿だろう?そんな事を考えてたら観光協会に捕まって抜かれちまったんだぜ。笑っちまったし、でも、それで踏ん切りもついた。これで春道にお前を託せると」


「違うよ。理想が合っても、それでつり合いが取れるとは限らない。母が言ってた。同じ者は惹かれ合わないと。磁石とおんなじだって。S極とS極は離れ合い、N極と惹かれ合うんだよ。私は春くんも好きだったけど、惹かれ合わなかった」


「少なくとも、春道は惹かれていたと思うぜ」


 碧小夜は首を横に振った。


「それは、ハル君もわかっていたよ」


 犬若は春道の最後の顔を思い出した。彼は満足そうに、微笑んでいた。今まで出来なかったかったことが出来たかのように。得意げな子供のように、微笑んでいた。

 そのままふたりは春道のいつもの無邪気な笑顔を想い浮かべた。溢れる涙を堪えようともせず、枯れ果てるまで哭こうと決め、またあの唄をうたった。


 やがて、辺りが闇に包まれた。


散々に哭いて、犬若は自分の体の重心が下に落ちて行くように重く感じてきた。

そろそろ、適当に今夜の寝床を探そうと思った時だった。木々の隙間に小さな橙色の光が見える。


「碧小夜!」


 犬若の背中に顔を埋めていた碧小夜が顔を上げた。


「辿り着いたみたいだ」


「これ」


 碧小夜が地面を指さした。割れて腐った南瓜が落ちている。


「何で、こんなところに南瓜が?」


 犬若は碧小夜を下ろすと屈みこんで、匂いを嗅いだ。甘い腐臭がするだけで、これが夢南瓜なのか、はたまた平凡なそこいらの南瓜なのか、判然としない。

 犬若は南瓜をまた、地面に捨てると、光に向かって歩き出した。碧小夜もついて歩く。


道幅が少しずつ広くる。視界に入る光がひとつ、またひとつと増えてゆくと、やがて人の話し声や、生活の雑音が聞こえてきた。


 道の果てるところに、何か見慣れた鳥居のようなゲートが見えた。そうしてゲートをくぐると、ぱっと目の前が明るくなり、黒々とした山々に囲まれた村が現れた。大きな四角い池の水面が揺らめいていて、その大部分は山肌に当たっている。池の中にいくつもの桟橋があって、木船が数隻、浮かんでいた。ゲートから真っ直ぐ進んだ池の辺から木造の細く頼りない橋が渡されている。そこを渡って進むと池に浮かぶように存在するくすんだ色の古い家々が密集して、要塞のようになっていた。家々からランタンがぶら下がり、橙色に明るく照らしている。


 二人は橋の袂まできて立ち止まった。両脇に松明が燃やされ、池の水を明々と染めている。その混沌とした村の中に幾人かの人影が見えた。


 「お・・・、おうい!!」


 不意に、背後から声を掛けられ、ふたりは吃驚して振り返った。振り返って、また吃驚した。ひとりの老人が、両脇に南瓜を抱えて呆然と立っている。心なしか、数か月前に会った頃より、ふくよかに見えた。


「ああ、獏爺」


 碧小夜がその胸に飛び込むと、獏爺は抱えていた南瓜を地面に落とし、彼女をしっかり抱きしめた。


 その声を聞いてか、村から人々がぞろぞろと橋を渡ってきた。


「犬若じゃねえか!」夢でも見ているかのように叫んだのは西院熊二郎だった。


「碧小夜様・・・、よう来たな、よう来たな」と泣いているのか、笑っているのかよくわからない表情をしてるのが、馬方藤十郎だった。他にも、観光協会に男性機能を奪われた男どもや、いつの間にか村からいなくなった懐かしい面々、それに年嵩を重ねた、幼少の頃に聖女無天村の高天の宮で見た記憶のある宮女が何人も集まってきた。


「よう来た、よう来た」


 獏爺が、目線を投げかけ、こっちにおいで言うように頷くと、犬若もふらりふたりと抱き合うふたりに歩み寄り、それを鶴見込むかのよう、覆いかぶさった。

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