ブラック議会とWSFのマッハ会長
遡ること数時間前、葦原京の西の果てにある葦原ワースポのメイン会場、「葦原京WSF陸上競技場」は、夜の開会式をスタンドから観戦しようと、朝早くから集まった群衆でひしめき合っていた。その競技場の内部、廊下に柔らかな絨毯が敷かれ、左右にいくつかも来賓室が設えられている。うち一室は議会の要人が使用する部屋として準備されていた。新しくも冷え澄んだ匂いのする部屋に、西京府議会曽我部議長が革張りのソファーに腰を沈めている。隣にはフーザーの喜田社長が座り、正面に猿返副議長と佐藤果花、藤田翔に警察署長の島田というスキンヘッドにちょび髭を蓄えた軍人のような風貌の男、それに木村刑事が頭を下げて立っていた。
「何とか計画通りにこの日を迎えられたな。しかし、仕事はもう少し時間の余裕を作れ、このウスノロ共めが」
そう言いながら曽我部はパイプに口を付け、煙を吐いた。「こちらにも段取りがあるのだ」
「基本的に、まったく使えん奴らでして」
猿返がへっへと笑うのを、木村刑事に睨みつけた。しかし、猿返は手を出せるもんなら出してみろ、というような顔でへらへら笑っている。
「まあしかし、幸村共を排除できたのは、上出来だったな。そこの彼が賢い決断をしてくれたのが大きかった。礼を言おう」
その時、藤田翔には、己が何か大きな間違いを犯しているという確信があった。計画は事前に佐藤果花から聞いていた。幸村を裏切る形になるのは本意ではなかったが、「観光協会が葦原京の治安を守ることは当然の使命だが、決して脅かしてはならない。今は、その観光協会の存在が争いの火種となり得る状況となっている。やり方は平和的とは言えないが、状態がこれ以上悪化する前に一旦、幸村さんらの権力を奪う。そうして新たに観光協会を本来ある慈善的団体と立て直して、改めて幸村さんらを迎え入れようではないか。その為に協力してくれ」と頭を下げられたのだ。
藤田はその説得を受け入れた。佐藤は、「まず、ワースポ期間中は彼らに行動してもらってはいけない」と言った。至る所で南瓜の取り締まりが行われ、騒ぎにまる。乱闘にも発展する。そうなれば葦原京は「得体の知れない南瓜が蔓延し、暴力が支配する街」というマイナスイメージを世界に配信することになるだろう。
都の土着民代表として、藤田はそれが己に課せられた任務だと意気込んだ。
だが、今、ここにいる輩からは、そんな志が少しも垣間見えないのである。これはおかしい。あるいは、曽我部の口調では協会の体制を立て直して、改めて幸村を迎え入れるどころか、排除したことに快哉を叫んでいる風でもある。
「さてお前たち、こんなところでご丁寧に挨拶している暇なんてあるのか?」
曽我部がパイプを灰皿に叩き付けた。「南瓜が足りてないぞ」
「しかし、今は会場の警備と街の人員配備で警察は手一杯です。聖女無天村に差し向ける人員の余裕がありません」
島田署長の言葉に、聖女無天村だと?と藤田は目を見開いた。
「馬鹿なことをほざくな」猿返が甲高い声で叫んだ。
「せっかく隣県との県境を改定して、あの村は正式に西京府の領土となったのだ。事が動けば即行動だ、即行動!これだからウスノロは!早く南瓜を根こそぎ持って来い!各国の要人が献上を待ってるんだぞ。選手村にも供給するんだ、早く行けよ、ほら!」
計画は完全なる謀略ではないか。藤田が佐藤を睨み付けた。
と、同時に部屋のドアが開き、皆が一斉に視線送った瞬間に、条件反射的に立ち上がり、土下座でもするかの如く深々と、一同頭を下げた。曽我部議長だけが、両手を大きく広げ、入室してきた白人男性を迎える。平時の冷たい彫刻のような顔を崩し、議会では見せたことのない満面の笑顔で抱擁すると、「さあさあ」と言って己の席を明け渡した。喜田社長がささっと猿渡側に移動する。
白髪に縁無し眼鏡をかけ、いかにも大物風情としたこの白人男性を、藤田はテレビやネットで見たことがあった。
「ワースポ国際組織委員会のマッハ会長です」
佐藤が藤田の耳元で囁いた。「生まれた時から住む世界が違うお方です。想像を絶する権力を持ち、誰も彼には逆らえない。ワースポが閉幕するまでは、下手な動きは見せず議会に従うのが賢明ですよ」
「基本的に貴様ら!」猿返が怒鳴った。「とっとと出ていかんか!マッハ会長に失礼だぞ!身分が違うんだから!同じ空気を吸うな!」
幸村ならどうした、と藤田は拳を握りしめながら考えた。あるいは有沢なら。
「何だ?その目は!基本的にぃ!」
佐藤が藤田の裾を掴み、飛び掛からぬよう制しながら「さあ、行きましょう」と言った。島田という男が頭を下げ、先に退出したのに続こうとした時、不意に「それと」と、不意に曽我部の声がした。「あの村の女を全員連行して来い。開会式の後の晩餐会に添えるよい花になる」
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