残留組の酩酊男
観光協会青年部会館館内は慌ただしくも物悲しい雰囲気に包まれていた。部員が何も物言わず、ひたすら黙々と鞄に私物をまとめていた。
藤田翔が佐藤派に走った。
情報を受けるやいなや、幸村は部員の会館退去を命じた。そうして荷物をまとめると、門前に並び、一同一礼、すぐさま東へ向かって駆け始めた。
「犬若は?」
幸村の問いに高山が首を振る。
「当然だな」
そう言いながらも幸村は歩幅を緩めることなく、東へひた走る。こういう事態になった時の行動は全て、決めてあった。不法に身を置ける場所。そこを議会に占拠される前に押える。
幸村に率いられた集団はなびく法被が翼を広げた鴈の群れのように見えた。上条通りをトロリーバスと平行して走った。無論、街に人はごった返していて、その群衆たちの注目の的であることは言うまでもないが、むしろ人目に付くように、我らが権威を見せつけるかのごとく、賑やかに法被をはためかせた。
やがて東谷神社に突き当たると、東京極通りを北上し、また東に折れると住宅街の坂を駆け上がる。だんだんと民家が少なくなり、そのうち道路が狭くなったかと思うと、アスファルトが途切れ、雑木林に囲まれた獣道に入った。部員は一列になって進む。ぐねぐねと曲がるカーブが何度も繰り返されると、さすがに足も疲れてきた。毎日こんな道を往復していれば、さぞかし良いトレーニングになる。
(聖女無天の野郎ども、妙に逃げ足だけは早くなるはずだ)
幸村は苦笑した。
そうしてようやく前方に柔らかな太陽の光が充満する、木々に縁どられた楕円の半円が見えた。山道の出口だ。一気にそこを潜ると、目の前に古びて痩せ細った鳥居のようなゲートが見えた。そこも躊躇なく潜り抜けると、俄然辺りが騒めき立つのがわかった。
方々から乳白色の作務衣を着た男どもが、「襲撃ーっ、襲撃ーっ!」「観光協会が攻めて来たぞ!」などと喉を潰さんばかりに叫びながら、ゲートから北に延びる大通りにわらわらと飛び出してきて、身構える。その様は猟師の集団が野犬どもの縄張りに入り込んだようだ。作務衣の数は二十人ほどで、調査した村の男人口の三分の一ほどか。
「観光協会が何用だ!」
痩せた初老の男が立ちふさがった。その背後から、袈裟姿の僧侶が数珠を片手に歩み出て来る。
「ここで葦原京の規則は通さんぞ!」
痩せた方の男、柘植重衛が息巻いた。
「供養されたくなければ立ち去れい!」
旦国寺猫の坊も数珠を大きく振り上げる。しかし、この老人たちの気迫とは裏腹に、肉弾戦が勃発すれば、瞬時に作務衣が全滅するのは明白だった。なにぶん、生きの良い若い衆は皆すでに、葦原京へ営業に出ていて、ここに残っている者は、老人か宮女の氏子にすらなれない男としての魅力も営業能力も無い、ヘボばかりである。
そんなヘボを相手に、幸村はいつになく紳士的に振る舞った。手を後ろに組み、高山以下の隊士にも同じように従わせると、頭を軽く下げながら、「大宮様にお目通りを願う。我々にも貴殿らにも時間が無い。理由を何度も説明している暇もない。大宮様の御前で全てを話す。すぐに通してくれ」
両者相見える通り脇に数件の丸太小屋が並んでいて、その丁度中間地点に小屋ひとつのドアが不意に開いた。皆が一斉に目を向ける。朦朧とした様子で出来た男は、観光協会にもお馴染みの男であった。
(那智が残ってやがったか)
高山紫紺が見下すような目つきで彼を見た。
「おい、行けや!」
柘植の言葉に猫の坊は、「何を偉そうに!」とむっとしたように舌打ちすると、踵を返して高天の宮へ向かって走って行った。
突然の観光協会の来襲に、村民たちも混乱していたが、最も訳のわからない心境でいたのは春道である。夢かと思った。あるいは、夢南瓜が見せる幻覚かとも思った。しかし、夢や幻覚ならば見ている最中は、自分が夢を見ているとか、幻覚を見ているなどと考えられるような思考は無い。これは夢でありますように、幻覚でありますように、と考えているということは、とどのつまり、目の前の光景は現実である可能性が極めて高い。
春道は南瓜で未だ酩酊している意識を覚醒すべく、しぱしぱする目を見開き、右手で左手の甲をつねった。しかし、視界は揺れ、観光協会が何人いるのかも判然としない。
夢南瓜による作用、つまり酒を呑みに呑み過ぎ、まだまだ全然酔ってませんよ、さあもう一軒!などという調子の良いことも口に出せないほど酩酊した状態に近い。あるいは明け方、路肩の植え込みに、頭から突っ込んで尚、鼾をかいている酔っ払いの状態に近い。
そんな酷い状態の春道には、ゲートのむこう、山道を下った遥か彼方まで観光協会の行列が続いているかにも思えた。あるいは途中からゴリラや象さん、森の熊さんが交じりあい、南瓜スープの炊き出しに行列を成しているのではないか。または、これはやっぱりあの夢の続きで、彼は皆、俺の舎弟。「春道さん、時は来た!いよいよ観光協会を壊滅させる時が来ましたぜ。さあ、俺たち観光協会になんでも命じて下さい。幸村朱鷺の首を取ってまいりましょう!」そう言われても、観光協会を引き連れて観光協会に殴り込むとはどういうことだ?まったく、馬鹿馬鹿しい夢だ、とも考えた。だが、先ほども申し上げた通り、夢の続きだったらいいな、と考えている以上、やっぱりこれは現実だ。目下、臨戦態勢ではないにしろ、隠しきれぬ殺気を毛穴から漏らした観光協会がそこに、確かに存在している、信じたくはないが。これはどう考えても、一刻も、否、一瞬で素面に戻らなければならない。しかし、そんな器用な真似はできようか。いやできない…、逆説!
「呑気なもんだな、那智よ。お前は頭はいいが、如何せん間が悪い。何故、こんな大事な時にこんなところでラリってやがる?」
高山が軽蔑したような口調で言った。「しかし、考えようによっては都合がよかったかもしれんな」
それには誰も反応しなかった。
やがて、北から袈裟を振り乱しながら猫の坊が戻ってきた。
「有り難くも大宮様の御目通りにかなうことと相成った」
馬鹿目!こっちが会いに来てやったのだ、とは、協会側も、誰も口にはしない。
一同は高天の宮へ向かって歩き出した。
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