煙の行く先
清水川の乱闘事件を経て、那智の春道による、悪塔子暴行事件は不問にされた。人道的に正義たる行いとは言い難いが、天空雨の丞や旦国寺猫の坊の弁解も後押しし、何よりも南極亭常夏と悪塔子が事実、観光協会の回し者であった結果論が大きかった。
しかし、春道は大宮氏子筆頭という立場を失い、碧小夜の氏子になるという望みも叶わなかった。
彼女を観光協会から奪還するという成果を上げ、今は南瓜の売買も入れ食い状態、過去の因縁からシコリのような存在だった室戸の陰松も今はもういない。なのに碧小夜は春道を受け入れなかった。
何故なのか。
犬若のいる観光協会に残る選択肢も与えたはずなのに、彼女は帰村する道を選んだ。ならば、己を選択したのだと理解して然るべきなのに、結果はそうではなかった。
自問を繰り返しながら、春道は朝から晩まで、葦原京をぶらぶらしていた。村にいると落ち着かない。他の村民からあざ笑われているような気もするし、主人に呼ばれて高天の宮へ向かう村民を見ると、大いに妬み大いに嫉んでしまう。
「それで、どうなっているんだよ、観光協会は」
石畳の通りを流れる小さな小川に面した喫煙所で、春道がそういいながら煙を吐いた。数週間前にはこんな大胆なことはできなかったが、観光協会の取締が機能しなくなって以来、街中でも堂々と南瓜の葉巻を燻らせることができるようになった。隣にいる髭もじゃの白人も、煙草紙に南瓜の乾燥葉を載せ、煙草の葉を少し混ぜると、紙の両端を抓んで筒状にした。実に器用なものだ。
「佐藤が部員を二十人ほど引き連れて協会を出た。今は東谷神社の南東にある云々寺っちゅう寺を拠点にして活動しとる。目下、キーポイントになるのは藤田翔じゃ。今は幸村派と一緒に会館におるが、活動思想は佐藤に近い。こいつが佐藤派に付けば、幸村派が会館を追い出されることになりかねん」
「そうなれば、夢南瓜売買に対する観光協会による妨害は無くなる」
「そう、観光協会による弊害はなくなる」
大山は春道から葉巻を取り上げると大きく吸い込み、入道雲のような煙を吐いた。
「結局、馬方さんや西院のおっさんがフフシルでの会合を成功に収めた結果と同じことになるってことか」
「奴らは無駄死にやったな」
「そうすると、意地でも藤田って男には幸村派に残ってもらわないといけない」
「議会が村を押さえるってか?あくまで、お前等は議会と手を組むというつもりは無いんかい?」
「自由を奪われたくはないんでね」
「ならば案外、幸村らと思惑が一致するかもしれんな」
「どういうことだ?」
「あいつらだって、お前等と議会が手を組めば手も足も出ん。しかし聖女無天村が、あくまで議会とは一線を画して独自の商売をするというなら、これまで通り、お前等を取り締まれば南瓜の流通を最小限に押しとどめることが出来る」
「おいおい、幸村と手を組めってか?馬鹿馬鹿しい。それに議会が俺たちを取り込むことは簡単じゃない。武力制圧しようにも、聖女無天村は隣県に属している。立ち退き要求もできないんだよ」
「そこなんじゃがな」
そう言って大山は黙った。
春道が「どうした?」と訊ねるも、彼は「いや、なんでもない」と言って根本まで吸い尽くした葉巻を、喫煙所の大きな灰皿へ放り込むだけだった。
「まあ、どないになっても儂はお前に最大限、協力したる。そうせんと、タダで南瓜が貰えんしな」
大山ははっはと笑って、少し色づいた街路樹が並ぶ小川の辺を、北へ向かって歩いて行った。
議会がリニアモーターカーの停車駅の誘致を隣県に譲る代わりに、県境の移動を正式に承認させたのは、その二日後の夜のことであった。つまり、葦原ワースポ開催前夜、葦原京はむんむんとしている時だ。人々のエネルギー全てがそちらに向いている間に、ひそやかに聖女無天村と観光協会青年部の運命を揺るがす議決が下された。
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