たった一つのもの 〜メイブロッサムに込められた思い〜
ざまぁは少なめです
「君にね、世界中でたった一人しか使えない魔法を教えてあげるね。君に教えたらもう僕には使えない。でもね、それでもいいんだ。君が笑ってくれるなら」
あの日少年は、彼女に生れて初めて、たった一つのものを与えてくれた。彼女は初めて幸せを感じた。そして彼は彼女にとって、たった一人の愛する人になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マクラウド侯爵家には三人の子供がいた。リリアナとジュリア姉妹に末っ子ゴードンである。
両親は最初の子で体の弱い姉と、跡取りの末っ子長男を溺愛していた。だからといって真ん中の娘を嫌っていたわけではなかったのだが、彼女はとにかく地味で大人しく自己主張をあまりしかったので、両親からはあまり関心を持たれなかった。
だから妹は両親からは注意を全くはらってもらえず、妹はいつも何にでも貧乏くじを引かされていた。
侯爵家とはいえ、何でもかんでも手に入れられる訳では無い。そんな時、三つある物は姉弟で一つずつ、二つある物は姉と弟。一つしか無いものは姉に与えられていた。それを皆当然の事のように思っていた。
しかし、その事に対して最初におかしいと思うようになったのは末っ子の弟だった。
一番上の姉は病弱でほとんど家の外へは出られない。二歳下の姉はいたって元気な健康体だったが、自分は外へ行けないのに妹だけ出かけるのはずるいと泣き叫ぶので、両親は姉を可哀想に思い、下の娘も外へ出さなかった。
しかし跡取り息子まで家に閉じ込めておくわけにはいかなかった。貴族の子弟は六年制の学園に入らなければならないのに、それまでに社交性を身に付けておかないと大変な事になるからだ。
末っ子ゴードンは外の世界に出て、多くの人と触れ合ううちに、自分の親の子供への接し方が普通じゃないという事に気が付いた。
両親も上の姉もみんな無意識に下の姉に依存している。幼い娘に我慢をさせ、それを当然だと思っている。
ゴードンには尊敬している人物がいた。ある日ゴードンは、三歳年上のその先輩に、彼の一つ年上の二番目の姉の事を相談した。普通は家の恥になるような事は、他人に話してはいけない。特に足の引っ張り合いが好きな貴族の家の者には。しかし、その先輩は最上位の貴族のご子息だったので、全くライバルにはなりえなかったので、彼は躊躇しなかった。
年少騎士団の修練場で、ゴードンから話を聞いた先輩は眉を顰めた。
「それって、暴力はふるってはいないが、精神的な虐待だよね。
病弱な子供を無理矢理元気な子供に合わさせるのはいけないけれど、その逆だって駄目だよね。
まだ理解の出来ていない子供に、その先の勉強を進めるのはいけないけれど、反対にもっと知りたい、もっと勉強したがっている子供に、我慢させるのもいけないよね?
人間は一人一人違うのだから、その子に合った接し方をしないと。
君の二番目の姉君、いつか耐えられなくなるよ、きっと」
何か変。でも具体的に何が変なのかよくわかっていなかったのだが、先輩の話でゴードンはようやくスッキリとした気がした。
普通の貴族は出来のいい方を大切にして、悪い方を切り捨てるのに、うちはその逆だから違和感があったんだと。
もちろん、弱い者を切り捨てる方が正しいといってる訳じゃない。しかし、より良い方へ向かわせるのではなく、我が子を悪い方へ向かわせるのっておかしくないか?
土竜じゃあるまいし、人間も植物のようにお日様の方、明るい方へ顔を向けようとするのが自然じゃないのか?しかも、下の姉と息子である自分とでも待遇が違うし、対応が矛盾している。
「こう言っては失礼だが、君が理詰めで説明してもご両親には理解してもらえそうにないね。だから、外圧を与えて否応なしに、有無を言わせぬ方法をとらねば解決しないだろうね」
と先輩は言った。
そしてそれから間もなくして、マクラウド侯爵家に変化が訪れた。
サットン公爵家から招待状が届いたのだ。子供達の親睦を深めるためのガーデンパーティーを開くので、学園入学前のお子様はなるべく参加して欲しいと。
マクラウド侯爵夫妻は困った。姉のリリアナは参加したいと言ったが、参加させる訳にはいかなかった。何故なら彼女はマナーが全くなっていなかったからだ。
侯爵家なので、子供達には幼い頃から家庭教師をつけていた。しかし、病弱だったリリアナは下の妹や弟と比べて遅れ気味になり、元々怠け者なので、更にやる気をなくして、学習もマナーも一向に進歩しなかったのだ。
リリアナを行かせないとなると、今までならジュリアも行かせず、ゴードンだけとなるところだったのだが、なるべく参加するようにと言われているのに、娘二人とも不参加にするのは心象を悪くする。王弟殿下が降下された、筆頭公爵家に睨まれるのはなるべく避けたい。
ジュリアは初めてパーティードレスと靴を新調してもらった。侍女達は初めてお嬢様のお世話ができると大喜びだった。そして綺麗に仕上げられた下の娘を見て、家族も使用人達も驚いた。
愛らしくてかわいいリリアナと比べて、地味で平凡顔だと思っていたジュリアが、姉とは違うタイプの清楚系美人だったからだ。
金髪巻き毛で青い瞳の華やかな姉とは違うが、艷やかなブルネットのストレートヘアーに瑠璃色の瞳の妹は知性的に見えた。いや実際に大変優秀で、家庭教師が口々に彼女の能力の高さを褒め称えていたのに、両親がそれを気にもとめていなかっただけだが。
サットン公爵家のパーティーにおいて、ジュリアの評判はとても高いものになった。まだ十一歳だというのに完璧な立ち居振る舞い、会話の内容の教養の高さ、そしてなんと、他国語まで話せたからである。
たまたま外国からの王族のご令嬢も招かれていたのだが、皆が遠巻きにしている中、ジュリアがその子の言葉で話しかけたので、そのご令嬢は大喜びであった。
初めてのパーティー、というか初めて多くの人間がいる場所に参加して、ジュリアは段々と疲れてきた。そんな時、主催者であるサットン公爵家の跡取りであるアーヴィングから声をかけられた。
彼は国王陛下の甥で、王太子の一歳年下の従弟だった。
「中庭にも花壇があるんだが、見てみるかい? ここより珍しい花が咲いているんだが」
「本当ですか? 是非拝見させて下さい」
ジュリアの瞳がパッと輝いた。彼女は花が大好きだった。公爵家の庭園はこの国一番だと家庭教師から聞いていたので、今日の日をとても楽しみにしていたのだ。本当に素晴らしい庭園で、ジュリアはとても満足していたのだが、もっと珍しい花があるなんて!
中庭の噴水のある池の周りの花壇に、ドーナツ状に低木が植えられていた。そしてその木々にはジュリアが今まで見た事のない珍しくて美しい花々が咲いていたので、彼女は歓喜の声をあげた。
「これは山査子、メイブロッサムですね。なんてかわいいのでしょう。この国ではなかなかお花が咲かないと聞いています。うちの庭にも植えてあるのですが、まだ一度もお花が咲いた事がないのです。こんな綺麗な可愛い花なのですね。特にピンク色の花が素敵です」
「ここのメイブロッサムが花を咲かせているのには秘密があるんだよ。知りたいかい?」
「えっ? 秘密ですか? 知りたいです」
目を輝かせたジュリアの耳元でアーヴィングはこう囁いた。
「これはね、魔法で咲かせているんだよ。僕しか使えない魔法なんだ。でも君に教えてあげる。君に教えたらもうぼくには使えない。でもね、それでもいいんだ。君が笑ってくれるなら」
烏の濡羽色のような艷やかな黒髪に濃い青い瞳をした美丈夫は、とても優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジュリアの評判はあっという間に社交界に広まり、彼女はあちらこちらのお茶会に招待されるようになった。
そしてそれがとうとう王宮にまで届き、王太子の婚約者にという話まで出てきた。高位貴族の中に、王太子に釣り合う年頃の令嬢がたまたま少なかったからだ。
王子との縁談が持ち上がった事に、マクラウド侯爵夫妻は舞い上がった。しかし、王家に王子は一人しかいないのだから、王太子様は私のものねと姉のリリアナが言い出したのには、さすがに侯爵夫妻は困惑した。それは叶わないといくら説得しても納得しない娘に、さすがに彼らもうんざりした。
ジュリアはそんな姉にこう言った。本当に王太子に会いたかったら、王太子妃になりたかったら、マナーと一般常識を学べと。いくら泣き喚こうが、こればかりはどうにもならないと。
ジュリアは王太子の婚約者になんかなりたくなかった。だから、姉が婚約者に選ばれてくれたら、その方が良かった。だから、家庭教師と一緒に姉に協力をした。
しかし、その甲斐もなく、ジュリアが王太子の婚約者に選ばれてしまった。婚約者になりたくないと生まれて初めて彼女が強く主張したにもかかわらず。
ジュリアより三歳年上の王太子のジャニスは、金髪碧眼の見目麗しい王子だったが、勉強も武道も苦手な軟弱な優男だった。だからしっかり者で我慢強く、頭の良いジュリアが選ばれたのだった。
ジュリアは自宅の屋敷からようく外へ出られるようになったのに、今度は毎日のようにお妃教育のために宮殿に通わなくてはいけなくなった。
十三歳になって学園に入学してからも、友人達と語り合う時間もなく、宮殿へ向かわなくてはいけなくなったのである。
そしてジュリアは自宅でゆっくりする時間がほとんどないくらい忙しいというのに、王太子は反対にせっせとマクラウド侯爵家へ通っていた。
ジュリアの姉リリアナが庇護欲そそる演技で王太子に取り入ったのだ。王妃でなくても愛妾でよいので、ジャニス様の側でお心をお支えしたいと。王子はそんな姉をけなげでいじらしいと思ってしまったのだ。
さすがに両親も育て方を間違えたと反省するも時は既に遅し。王太子殿下を追い出す訳にも苦言を言う訳にもいかず・・・
妹が厳しい妃教育を受ける中、二つ年上の姉は学園に通う事もせず、自宅学習をするわけでもなく、ただ、身を飾る事、王子に甘える事だけに気を使った。
王太子は社交場では妹を婚約者としてエスコートをするのだが、お茶会において側に置くのは姉だった。婚約者の病弱な姉を大切にするのは当然だと。
妃教育により感情を表す事を許されない妹は、どんなに辛くても悲しくても、顔に出せず、当然声にも出せない。そんなジュリアに弟のゴードン以外で唯一彼女の心に寄り添ってくれたのは、公爵家令息のアーヴィングだった。
彼は、ゴードンから相談を受けてから、ずっとジュリアの事を不憫に思っていた。だから彼女を外へ出してやろうとあの日のガーデンパーティーに招待したのだ。
ところが、それが却って彼女の世界を狭めてしまう結果になった事に、アーヴィングは心苦しく思っていた。
アーヴィングはゴードンを通じて手紙をジュリアへ届けた。公爵家に咲く花と共に。少しでも彼女を慰めようと。
それに対してジュリアもまた、返事の手紙と共に世界でも稀にしか咲かない美しい花々を、弟を通して贈った。そう、彼女は珍しい花を咲かす事が出来たのだ。世界中でたった一人しか使えない、美しい花を咲かせる魔法を使えたから。
彼女は世界でただ一人愛する人に、世界でただ一つだけの花を贈り続けた。
そしてマクラウド家の姉妹と王太子との歪な関係が数年続いたある日、学園を卒業したジャニス王太子が、母親である王妃から譲られた、赤い宝石のついた首飾りを婚約者の姉に贈った。
そしてジャニス王太子の十八歳の誕生日パーティーの会場に、その首飾りを身に着けたリリアナが登場した時、両陛下と宰相、側近、三大公爵家、そして婚約者であるジュリアは驚愕した。
何故ならその赤い宝石のついた首飾りは、将来の王妃が身に着けるべきものであったからである。
事の重大さを認識している者達はすぐさま、全く事態を把握していない二人を引きずって、別室へと移動した。
「貴方は何故その首飾りを婚約者ではなく、その姉へ贈ったのですか?」
と言う王妃に対して、ジャニスは躊躇うこともなくこう答えた。
「母上は貴方にとって唯一の女性へ贈りなさい、とおっしゃいました。だからリリアナに贈りました」
彼は決まっているだろう、とでも言いたげだったが、両陛下は頭を抱えた。
「唯一の女性と言えば、それはいずれ王妃となる女性、つまりジュリア嬢に決まっているだろう!」
「何をおっしゃいますか、父上!」
「陛下と呼べ、愚か者!」
「陛下、ジュリアは正妃とは言え所詮政略結婚の相手です。私の本当に愛する唯一の女性はこのリリアナだけです」
「それではジュリア嬢と婚約解消してリリアナ嬢と婚約したいという事か?」
「いいえ、そうではありません」
ジャニスが否定するとは思わなかった一同は皆意外そうな顔をした。すると愚か者の王太子はこう言った。
「リリアナは体が弱く正妃の務めをさせるのは無理です。ですから形だけはジュリアと結婚して正妃としての務めをしてもらい、リリアナには愛妾になってもらうつもりです」
「「「・・・・・」」」
馬鹿だとは思っていたが、こんなに愚かだとは思わなかった。やはりジュリアと結婚させなければこの国は保てなかったのにと皆が思った。しかし、それはもう無理な事だった。
赤い魔法石のついた首飾りは代々この国の王妃となる者が身に着ける物だ。王が唯一とする女性、つまり王妃へ贈る物であった。何故なら、王妃はこの国の結界を守る者であり、その結界を張るために要となるのがその赤い魔法石であるからだ。
首飾りは王妃から次の後継者へ渡され、その後継者によって、唯一の女性へ贈られる。たとえそれが政略結婚の相手であろうと、王にとって最も大切な唯一の女性は、国の事を一番に考え、国の為に力を合わせられる王妃でなければならないのである。
両陛下は態度と言葉でそれを息子に伝えてきた筈だったが、それが全く伝わってはいなかったのだ。公務に追われていたとはいえ、息子の教育を人任せにしてきた事を後悔した。しかし、後の祭りである。
「一つの家から正妃と愛妾を迎えるなどと、そんな恥知らずな真似が出来る訳があるまい。」
「私は平気です。私はジャニス様の唯一になれるのならば愛妾でも構いません」
リリアナが両手を組み、涙をポロポロこぼしながら儚げに訴えた。すると、王妃は冷たい視線を彼女に向けた。
「貴女はそれでもいいかもしれません。でも、ジュリアはどうなるのです? 王の唯一にもなれないのに、たった一人でこの国を守れと言うのですか? そしてその上、愛も無いのに子までもうけろというのですか? 貴女は王からの寵愛を受けるだけだというのに」
「それでは有力貴族の娘を第ニ妃に迎えて、その者に後継者を産ませれば良いではないですか。三人でシェアすれば妃の負担も減るでしょう。貴族のパワーバランスを保つにもそれがいい!」
さもいい事を思いついたかのようにジャニスがこう言うと、リリアナも頷いた。手を取り見つめ合うその二人を見て、ずっと辛抱して黙っていたジュリアがこう呟いた。
「酷い・・・私だけでなく、他の人まで自分達の欲のために利用して、縛り付けようというのですか?」
ジュリアはさすがに耐えきれなくなり、両陛下の前で跪き、王太子との婚約解消を願い出た。
姉では王妃の役目は果たせない事はわかっている。しかし、国を守る為のその首飾りを自分以外の者に渡されてしまった以上、自分では王妃としての役目は果たせない。それなのに形式上の妃でいるなんて耐えられない。自分にだって一人の人間としての矜持がある。
もしも自分の力が必要というのなら、官吏としていくらでも国のために誠心誠意働こう。
しかし愛されもせず、姉の代わりに子どもを生み、公務までこなす責任を背負わされるは死んでも嫌だ。もしそちらは敵対する勢力の娘である妃に任せるというのならそれも許せない。妻をなんだと思っているのだ。分担作業して負担を平等? ふざけるな。
今更婚約破棄になったら、キズモノになって良縁は望めないぞとジャニスは脅すように言ってきた。いつものフェミニストぶりはどうした!?
愛されもせず、実体のない王妃でいるなんて屈辱なだけだ。嫌いで尊敬の出来ない夫と一生暮らすくらいなら、独身でいる方がよっぽど幸せだ。ジュリアはそう思った。さすがに口には出さなかったが。
彼女にはたとえ結ばれなくても、唯一愛する人がいる。自分の真心だけはその人に捧げたいと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局陛下はジュリアと王太子の婚約を解消し、その場で王太子とリリアナの婚約を決定した。リリアナが首飾りを着けた瞬間、リリアナでないと、結界を守る力は発揮できないのだから。
これから彼女は妃教育に加え、結界を張るための魔法陣の組み方などを学ばなければならない。
「私には無理〜!! 絶対に出来ません!!」
「体の弱いリリアナにそんな事は無理です。そんな事をさせたらリリアナが可哀想です!」
リリアナとジャニスは叫んだが、それを自分達が選んだのだから、唯一の相手の為にお互いを助け合ってやって行け! と陛下は切り捨てた。
リリアナが首飾りを誰かに譲渡するためには、ジャニスが次の後継者を決め、その後継者が唯一の女性を見つけなければならないのだから。
そして王太子ジャニスとリリアナは、婚約してから一年後に結婚式をあげた。しかし、王宮では皆が困っていた。とにかく王太子と王太子妃の出来が悪かったからだ。
王太子は驚いた。今自分がやっている政務をまだ学生だったジュリアが、妃教育をしながらやっていた事に。
彼女がそんなに忙しい大変な思いをしていた間、自分は一体何をしていたんだ! リリアナに会いに行っていた。そこで何をしていた。何も、何もしていなかった。自分も彼女も。ただ怠惰に貴重な時間を過ごしていただけだった。
今は従兄弟の婚約者となった、かつての婚約者に対し、ジャニス王太子は初めて申し訳なく思ったのだった。
彼の唯一だと思っていたリリアナは、彼同様ただの怠け者で口先だけの女だった。せめて魔法陣の組み方だけでも覚えるようにと命じても、リリアナは出来ない、無理だと泣くばかりだ。
愚かな王太子でもわかった。このままではこの国は滅んでしまうと。王太子は自ら廃嫡を願い出た。そしてその結果、王位継承権第二位のジャニスの従弟、サットン公爵家の嫡男アーヴィングが王太子になる事に決定した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
学園を卒業した翌日、ジュリアはサットン公爵家の中庭にいた。
噴水の周りには七年前と同じように、白とピンク色のかわいい山査子〜メイブロッサム〜の花が咲いていた。
ジュリアに花を咲かせる魔法を譲ってから、公爵家の山査子の花はずっと咲かなくなっていた。しかし、二年前からまた咲き始めていた。ジュリアがアーヴィングと婚約して、頻繁に公爵家に訪れるようになったからだ。
「ずっとお聞きしたかったんです。何故あの時、世界中でたった一人しか使う事の出来ない魔法を、私に譲ってくださったのですか?」
ジュリアは烏の濡羽色のような艷やかな黒髪に、濃い青い瞳をした美丈夫の顔をじっと見つめながら尋ねた。すると、アーヴィングは中庭に面した建物の二階の窓を指差してこう言った。
「あの部屋はね、亡くなった母の部屋だったんだ。父は花の好きな母がいつでも見られるようにとここに花壇を作ったんだ。そして母の好きな山査子を植えた。
でも山査子はこの国ではなかなか葉ばかりで花も実もつけない。それで父は花を咲かす魔法の持ち主と、自分の投影魔法とを交換したんだ。
世間的には、魔法使いとしては本来の投影魔法の方が価値が高かったのだろうが、父にとっての唯一は母だったから、母が喜んでくれればそれが一番だったんだろう。
口下手だった父は山査子の花を咲かす事で、自分の気持ちを母へ伝えていたんだと思う」
「山査子の花言葉は『ただ一つの恋』、そして『希望』ですね」
「そう。母は病弱な自分を申し訳ないと思っていたから。でも、父は、母が居てくれる、それだけで良かったんだ。でも、父親は兄である国王陛下の補佐の仕事が忙しくなって、家に帰れなくなる日も多くなった。それで僕は父から魔法を譲られたんだよ。山査子の花を咲かせ続けるために」
それを聞いてジュリアは真っ青になった。そんな大切な魔法を私が譲って頂いたせいで、二年前までこの山査子は咲いていなかったのだから。
「気にしなくていいんだよ。君も知っている通り、あの時は既に母が亡くなっていて、父も僕も山査子の花を見るのが辛くなっていたんだから。
僕は君が家で両親からどんな扱いを受けていたのかをゴードンに聞いて知っていた。親から差別を受けて、君は姉を嫌っているのだと思っていた。しかし、あの時君はこう言った。『こんなに綺麗な山査子を姉に見せられないのが残念です。姉は体が弱いから外へ出られなくて可哀想なんです』
と。
なんて優しい子なんだろうと思った。その上とってもかわいい。こんな子が僕の唯一になってくれたらどんなに幸せだろうって。
君は母と同じようにキラキラ瞳を輝かせて花を見ていた。本当に花を好きなんだなってわかった。だからあの時、花が咲く事で君が辛い時の慰めになるならって、君に魔法を譲ったんだ」
「アーヴィング様・・・」
ジュリアは恋しい人の顔を見つめ、涙をこぼした。
「ありがとうございます。私は、マクラウド家の庭の山査子の木に魔法をかけ、いつもピンク色の花を咲かせていました。そしてその花を見ながら、私は貴方の事を思っていました。そしてこの花が咲いている限り『希望』はあるのだと信じてこられました。
あの日、貴方がたった一つのものを私に下さったから、私はこうして幸せになれたのです・・・・・」
山査子の花が咲き乱れる中庭で、明日王太子となる青年と、彼の唯一となった婚約者は固く抱きしめ合ったのだった。
サットン公爵家は弟が後継者となった。
そして、自ら廃嫡される事を望んだジャニスは、子爵位を得て地方の領地に向かい、そこで一からやり直す事を決め、体を鍛え、経営学を学び始めた。
そして以前より大分健康になってきた妻リリアナにも改めて教育を施そうとした。しかし怠け者の妻は屋敷を逃げ出し、実家に戻ったが、弱冠十七歳でマクラウド侯爵家を継いだ弟ゴードンに追い返された。
両親は娘を庇おうとしたが、それならこの屋敷を出て、自分達で面倒をみるようにと息子に言い渡されると、あっさりと娘を見放した。
リリアナは仕方なく夫の元への戻ろうとしたが、その帰路、乗っていた駅馬車が強盗に襲われ、その行方はわからなくなった。