過去3
3学期に入ると、間近に迫るセンター試験とそれに続く2次試験という姿の見えないプレッシャーの中、皆、日常をよそおっているけれど、どこか緊張感の漂う非日常な日々が続く。
私はというと、2学期と同じく見失った立ち位置はそのままに、読書を受験勉強に変えただけだった。テストの結果だとか勉強の進み具合だとか、さして仲の良くない人たちと腹の探り合いのような話をせずにすんでそこはよかったのかもしれない。そう思えるようになったのは、少しは後ろ向きな自分に見切りをつけられつつあるのかもしれない。
瞳子はスポーツ推薦が決まり一足先に受験を終えていたので、時々愚痴を聞いてもらったり息抜きに付き合ってもらいながらなんとかセンター試験を乗り越え、後は2次試験に向けがんばるだけとなった。
自由登校になったある日の登校日、塾に向かう途中に忘れ物に気付き慌てて引き返してきた下駄箱で不意に声をかけられた。
「津川さんも今日登校してたの?」
モコモコと巻かれたマフラーに顔を埋めた武田くん。長めの前髪も相変わらずでマフラーと前髪に挟まれた黒ぶちフレームの眼鏡がかなり主張して見える。眼鏡のレンズも曇り気味でちょっと怪しい人に見えるかも、と思ったのは言わずにおこう。
「うん、塾で使うテキスト忘れちゃって取りに来たんだ。武田くんも今日登校してたの?全然見かけなかったな」
「俺は県外受験希望者の注意事項説明あったからそれ聞いて、図書館にこもってたんだよね。一回帰ってまた塾に行くのだるいしさー」
「武田くんは県外希望なんだ」
「そうだね、第一志望は東京だね。津川さんは地元?」
彼がずばっと東京という具体的な情報を伝えてくれることを以外に思った。一線を引いている彼だからなんとなくはぐらかされるのかと思っていた。前髪と曇った眼鏡とマフラーに阻まれて表情がよく見ない。
「そうだよ。行きたいなって思ったところがちょうど地元にあったから。武田くんは、東京かあ。東京はたくさん人がいるから深海魚仲間見つかるといいね」
お互い志望校に合格したら、卒業してから会うことはなくなるのだな、彼は新しい出会いの中でこんな風に誰かと話すようになるのかな、と思った瞬間、胸がチクりと痛んだ。
「ははっ、ちょっと前なのに既に懐かしいよね。まだ覚えててくれたんだ。うん、広い海に出たら見つかるかもね」
そう言ってマフラーをちょっと引き下げ武田くんは、笑った。
「津川さん、忘れ物取りに来たんだよね? 慌ててたみたいだったけど時間大丈夫なの?って、話しかけた俺が言うのもなんだけどさ」
3学期になると委員会活動も終わり、席も離れてしまい2人で話すことは少なくなってしまったので、久しぶりに武田くんとこうして話せたことが嬉しくて、今の自分の状況をすっかり忘れていた。
「あっそうだった、急がなきゃいけなかったんだ。武田くんもこれから塾だよね?」
「うん、センターも終わってもうヒトヤマだからね。家にいてもなんか落ち着かないし集中できないし、塾に行ってるほうがまだはかどるような気がするし」
そう言って、わざと大きめのため息をついた。
「お互いに頑張ろうね。また、卒業式でね」
返事のかわりに手をひらひらとふって校門へ向かう武田くんの後ろ姿を見えなくなるまで見つめた。振り返らずに校門をでた武田くんに、もしかしたら振り返ってくれるかもとどこかで願っていたことに気づく。でも振り向いてくれていたら、私はどうしただろう?
聞きたいこと、話したいことはまだまだ沢山あったのに、彼を目の前にするとうまく言葉にできない。それにもっとゆっくり話せる時間があればいいのに……とも思う、もどかしいような寂しいようなこの気持ちはなんだろう。
間近に迫る受験に没頭することを名目にして、この気持ちの正体を深く考えることはやめておくことにした。
そして迎えた卒業式当日。式は滞りなくおわり、あちこちで別れを惜しむ声が聞こえる。
ひとしきり別れをおしんだ後一息ついて窓辺に向かうと、何人かの男子と校門に向かう武田くんの姿を見つけた。まだ受験の続く人もいるので全体のお別れ会はなく、用事の終わった人から帰宅している。そもそもカリスマ幹事井上君自身がそうだったので開催を仕切ってる場合ではなかったいうものあったのだけど。
いつかと同じに振り返ってくれないかなと期待していた自分にまた気づく。
そして、最後に話できなかったなという後悔と共に、強烈に高校生活の終わりと明日からよほどの偶然がなければ会わなくなるという実感が押し寄せる。
卒業式だから一緒に写真とろうよ
連絡先交換しよう。
用、なくても連絡していい?
返信、すぐには返ってこなさそうだけど、くれると嬉しいな。
お休みに帰って来た時会える?
まだたくさん話がしたいな。合戦の話でもドン引きなんてしないよ。武田くんが楽しいならいくらでも聞けると思うよ。
武田くんの考えてること、楽しいと思うこともっと知りたい。
私には一線を引かないで欲しい。
あの時みたいに笑って欲しい。
また、水族館に行こう。
今度は深海コーナー以外も一緒に見ようよ。
何かがカチリと音立てて、ぼんやりとしていたそれの輪郭が鮮明になる
……どうして気づくのが今なんだろう
好きなんだ
私、武田くんが好きなんだ
もっと早く気づいたら良かった
バレンタインもあったじゃん
ダメ元でも、呼び出しとかせめてチョコ渡すとかがんばれたかも。
今だってまだまだ話したいこと沢山あったよ。連絡先も勇気だして聞けたかも
好きなんだって気づいた日からもう会えないなんて、そんなのないよ
そこからもう一歩も動けなくて立ちすくんだまま、いつの間にか、たまっていた想いがこぼれていくように、涙になって次から次へと溢れ続ける。
「おーい、美耶~。いたいた、帰ろう~って、どうしたの!?」
瞳子のびっくりした声がした。けれど私は、武田くんの後ろ姿が消えていった校門をまだ見ていた。
私の遅すぎる初恋は実ることなく花を咲かせる前に、春の訪れの風に静かに静かに流されていった。