現代忍者は忍ばない
暑い夏の夜、彼から発せられた一言は、信じ難いものだった。
「俺の家系、実は『忍び』やってるんだよねー」
「………は?」
何を馬鹿なことを、と一瞬思ったが、そういえば彼の両親は謎が多い。職業を知らないどころか、働いているところを見たことすらない気がする。
「忍びって……なに、暗殺とか裏工作とかしてるの?」
「いや」
そこで、溶けかけのアイスを一口食べる彼。溶け落ちて汚れるのは私のベッドなのだから、早く食べ終わらせてほしい。
「今の時代は平和だから。暗殺や裏工作なんて物騒な依頼は来ないし、来ても受けない」
「……諜報活動は?闇に忍んで情報収集、みたいな」
「ネットという便利なものがあるのに、わざわざそんなめんどくさいことする必要ないだろ」
また一口、アイスを口に運びながら言う。忍者という存在に抱いていた、憧れにも近いイメージが、どんどん崩れ落ちていく。
「なんか、忍者っぽくない。つまんない」
「俺も思ってた」
「私、黒装束のいかにも忍びって感じの忍者が好きだったんだけど」
「知ってる」
一瞬、会話が途切れる。何となく天井を見上げると、椅子が軋む音が静かな部屋に響いた。沈黙が嫌で、頭の中で必死に話題を探す。
「そうだ、黒装束。ないの?」
「一応あるけど、着ないよ。コスプレみたいで、恥ずかしいじゃん」
「なんでよ。着てよ。んで、『拙者は本物の忍びでござる』とか言ってよ」
「絶対嫌。てか、昔の忍者もこんなの着てなかったらしいし」
その言葉に、彼の方へ振り向いた私は少し驚いて目を瞬かせる。
「そうなの?」
「だって、目立つじゃん」
「……確かに」
もっともすぎる理由だった。
また、会話が途切れる。ぐるぐると話題を探すこちらの心境など知らず、アイスを食べ終えた彼は、棒をゴミ箱に投げ込むと、私の座る椅子を引き寄せる。
「わっ、なに?」
思わず出た声を無視した彼は、真っ直ぐ目を合わせ、けれど少し恥ずかしいのか小声で言った。
「……で、忍者オタクさんは、こんな忍ばない忍者でも好きになってくれますか」
真っ直ぐすぎるその瞳に私まで恥ずかしくなって、顔を見られないように、彼にぎゅっと抱きつく。そして、耳元で小さく「はい」って言ったら、冷たい吐息と共に嬉しそうな笑い声が耳に届いた。
忍ばない忍者は、果たして忍者と呼んでいいのか。謎。