真実は君
好きな者同士が愛を語ることは許される。
キアラはセオドリクが発したその言葉に怒りが込み上げ、「馬鹿ッ!」と怒鳴って鉄格子の向こうに手を突っ込むと、何度も何度も「馬鹿」と繰り返し罵りセオドリクの胸を容赦なく叩いた。
「馬鹿です、馬鹿ですセオドリクさんは大馬鹿です。どうしてわたしのためにこんなことしたんですか!」
初めは忘れて新しい恋をしろと言っていたくせに、どうして今になってこんなことをしたのか。
キアラはカイザーのことをあきらめたし、心には他の人がいる。それなのにどうして心にいる本人がこんなことをしてくれるのか。
すべてはキアラのためを思ってのことだと分かっている。セオドリクは自分を悪者にしてキアラの恋を成就させようとしてくれたと分かっている。けれどその恋はもう終わっているのだ。キアラはこのことについてきちんと話す機会が得られなかったことを、想いを告げるつもりを持たなかったことを心の底から後悔した。
「アデリナ様は既成事実があったと認識してるんです。アデリナ様からしたら強姦されたのと同じなんですよ。これは駄目、絶対に駄目なことです!」
夫と思った相手が実は違ったと知った時の衝撃は如何程か。それが自分のせいで引き起こされた。キアラは恐ろしさと怒りでセオドリクを叩き、セオドリクは困ったように眉を下げて暴挙を受け入れていた。
「強姦が人間の汚い欲だって、いけないことだって知ってるよ。でも本当はしてないし、王太子妃もやってないって分かってるはずなんだけど」
「だけどアデリナ様はカイザー様だと信じて、行為があったことを認める謝罪をしているんです。アデリナ様の中では事実になっているんですよ!?」
「僕の気持ちを汲んで共犯者になってくれてるのかな?」
「そんなことあるわけないじゃないですか。泣いて怯えて、とても混乱した様子で……」
とても大変なことをしているのに、セオドリクの態度があまりにもあっけらかんとしているせいで涙が出て来た。
セオドリクはなかったと言うが、アデリナの中ではあったことになっているのだ。
どうしたらいい、どうしたら償える。いったいどうしたら――混乱するキアラは鉄格子越しにセオドリクの胸元を掴んで泣き崩れてしまった。
崩れ落ちるキアラに導かれるように、服を掴まれたセオドリクも床に膝をつく。そうして涙を零すキアラの頬を両手で包み込んで顔を上げさせた。
「僕は愛し合うもの同士が愛を語れるようにしただけだ。王太子妃はキアラを誘拐させる原因を作ったのに、何の償いもしてないから丁度いいと思った。それに性交渉がなかったことは王太子妃が知ってるし、信じるか信じないかは王太子の度量だと思う。もちろん僕も今回のことに対しての報いを受けるよ」
「報いって何ですか。王太子妃と関係を持っていないなんて言っても信じてくれませんよ」
「それが目的だから信じてもらえなくていいんだよ」
「わたしは嫌です。でもそれが本当ならカイザー様とアデリナ様にちゃんと説明して謝罪するべきです。わたしが原因なんですよね。このままなんて絶対に嫌です!」
セオドリクの言葉を信じて二人の間に何もなかったのだとしても、アデリナの中ではあったことになっている。アデリナの気持ちも、妻が男と不貞を働いた証拠を目の当たりにしたカイザーの心中も察することすらできない。キアラはセオドリクと一緒に謝罪して償うつもりがあるが、大切なことを分かってくれない人を前にして言葉が上手く紡げなかった。
涙でぐちゃぐちゃになったキアラの頬を包んでいた手が頭に伸びて、小さな子を宥めるように撫でられる。
「キアラ、君のせいじゃないよ。僕はね、自分を犠牲にして愛する人を手放した王太子を馬鹿にしていたけど、そういう愛し方もあるって学ばされたんだ。僕が今回したことはエルフ族の名を汚す行為でもある。それだけのことをしても僕は真実に君を愛していることを証明してみたかった」
セオドリクはキアラを抱き寄せると頤を取って唇を奪った。
一瞬の、ほんの少しの出来事。
キアラは驚きで息を止め、閉じられた瞼を縁取る長い銀色の睫毛を視界いっぱいにおさめた。一瞬が過ぎて唇が離れても、驚きに見開いた瞳はそのままだ。
「愛してるよ。僕の真実は君だ」
セオドリクは微笑んで、瑠璃色の瞳から大粒の涙を流していた。
「僕はここを去る。二度と姿を見せない。これが君を幸せにするって決めた僕にできる最大のことだ。王太子だって自分を犠牲にしたんだ。僕も君を幸せにするためならこんなこと平気」
泣きながら想いを告げるセオドリクに、キアラは驚き過ぎて言葉が出ない。
真実の愛って何だろう。セオドリクは恋に恋をして浮かれている青年で、失恋して何十年も落ち込んでいるようなエルフだ。一つ前の恋を終えてから一年も過ぎてないのに、真実と告白されたキアラは大いに戸惑い、けれど嫌な予感がして腕を伸ばしてしっかりとセオドリクの腕を掴む。
「どうしてだろうね、ごめんね。泣かせるつもりじゃなかったんだ」
セオドリク自身は大粒の涙を流しながら、苦く笑ってキアラの涙を拭うと、最後には光がちりばめられた満面の笑顔を向けてくれた。
「僕の愛しい大切なキアラ、どうか幸せになってね」
ふっと温もりが消え、残されたのは煌めく霧のような不確かな残骸。
それすらもあっという間に失われ、最後には冷たい床に滲むセオドリクが零した涙の痕だけが存在の証拠として滲んでいた。




