求める物は違う
キアラがラシードの側に侍ったのは、マクベスが討たれた後、最後の戦いにおいてだけだ。
本来なら最後の魔力なしとして第一王位継承権を有したマクベスに従うべきだったのに、カイザーと離れたくなかったキアラは、愚かにも彼らに従わず、恋人であったカイザーの側に侍り続けた。
その決断をしたキアラとカイザーにラシードが向けた視線はとても冷たくて、言葉では語らないものの軽蔑されていると実感したものだ。
しかしながら、現在のラシードがキアラに向ける視線に蔑みの色はない。
そのことが余計にキアラを罪の意識へと落として行く。
恋情を優先するなど愚かな行いだったと今なら分かるが何もかもが遅すぎた。
失った命はどんなに手を尽くしても取り戻せないのだ。
ラシードはキアラとカイザーの取った行動を快く思っていなかったが、最後に国を守るため、魔力なしとしてラシードと組むことを許してくれた。
その戦いでキアラは第一王子であるマクベスを死なせた罪の意識から、必死になってラシードを魔法による攻撃から守りぬいた。
ラシードに尽くしてもマクベスの死を償える訳ではないが、キアラはマクベスの死に責任を感じていたので、身を挺して敵陣に乗り込みラシードの盾となった。
それでラシードの信頼を得てしまったのは誤算だ。ラシードの信頼は自分のような人間が向けられるものではないと、キアラは更に深く罪の意識に苛まれる。
マクベス亡き後ラシードがいなければ、ヴァルヴェギアは滅びの一途を辿っていただろう。それが分かっていたからこそ、カイザーもキアラがラシードにつくことを許したのだ。
噂ではラシードの王位継承順位がカイザーより低いため、魔力なしを手放したとされているが、それは違う。
王位に近いか遠いかで、カイザーがキアラを手放すかどうかを決める筈がない。
今は違うかも知れないが、あの時はカイザーに愛されていたはずだと、キアラは自分自身に言い聞かせている。
「それであの……ラシード様。わたしに何か御用でしょうか?」
「西の国境にフィスローズの残党が集まっている。小競り合いが起きそうなのでな。念のために行くのだが、お前にも同行してもらいたい。詳細は執務室で話そう」
力を失ったヴァルヴェギアの隙を突くように、進攻しようと目論む国は多い。しかし退けた隣国のフィスローズが、再び戦いを仕掛けようとしてるのは何故なのだろうか。
長く続いた戦いでヴァルヴェギアも大きな打撃を受けたが、フィスローズはヴァルヴェギア以上の損害を受けている。
ヴァルヴェギアは国力を保つためにフィスローズを吸収はしなかったが、重い賠償をフィスローズは負うことになっていた。
そのせいで重い税をかけられる国民の生活はさらに余裕がなくなるだろう。互いに復興にも力を入れなければならない時期に、フィスローズは何を考えているのか。キアラでさえ眉を寄せる行為だ。
もしフィスローズが玉砕覚悟で攻めてくるとしても、大きな後ろ盾となるカラガンダ王国が手を貸してくれる。それをヴァルヴェギアを狙う国々に知らしめるため、カイザーの婚姻が早められようとしているのも事実だ。
迎えるカラガンダの王女を怒らせない為に、カイザーはキアラだけではなく、先ほど睦み合っていた貴族娘との関係も早々に清算させなければならない。
未来の王になるカイザーにも話が行っているだろう。なのにカイザーはいったい何をやっているのか。
キアラはつい先日偶然にも目撃してしまった光景に嫉妬と、閉じない傷の痛みを覚えそっと胸に手を当てた。
詳細について話すというラシードについて歩くが、一度騒ぎ出した心が落ち着くことはない。
気取られないようゆっくりと呼吸を繰り返し、カイザーを心から追い出そうと努める。
もとから身分も立場も異なり、将来を誓い合えるような相手ではなかったと必死に言い聞かせていると、不意にラシードが立ち止まって振り返り、じっとキアラを見つめた。
「あの……ラシード様?」
カイザーと同じ色の瞳で見つめられると、追い出しかけた感情が再び舞い戻ってきてしまう。心を隠そうと必死なキアラに対し、ラシードは構うことなく言い放った。
「カイザーのことを憂いているのだろうが、我々王族に自由恋愛など許されないのだ。お前には酷かも知れないが、こればかりは仕方がないとあきらめるしかない」
今のキアラには辛い言葉だが、元気のないキアラを案じてラシードなりに慰めてくれようとしているのだろうか。
冷たい印象が強かったが、けして嫌味を言う人ではなく、勝利をおさめ敵を追い払うことができた時には、キアラを認めるように深く頷いてくれた。
護衛として与えてくれた騎士もラシードの腹心であったし、好き嫌いの感情で嫌味を言ったりする人ではないのだ。
キアラの心に気付いてそっとしておく配慮をしないのは、彼なりの慰め方なのだろう。
ラシード自身も国の安定のために、会話もしたことがない公爵家のご令嬢と婚約したばかりだ。王侯貴族の結婚に自由がないのも、キアラとカイザーが恋人同士だったのは異例だったというのも十分に分かっている。
ただキアラは、これまで知らなかった現実を突きつけられたばかりで、考えがまとまらず心のやり場が無くなっているだけだった。
「ラシード様」
「何だ?」
「魔力なしと交わると魔力が無くなるというのは本当なのでしょうか?」
キアラの問いにラシードは驚いたようで目を見開いた。
その後に幾度か瞬かせると、やがて口を大きく開けて笑い出す。
ラシードの大笑いは長く続いて、腹を抱えると体をくの字に曲げ、最後には目尻に滲んだ涙を拭うほどだ。
「いや、悪い。カイザーがそのような迷信を信じていたのかと思うとな」
キアラの問いは、カイザーとの恋人関係が如何様であったかを告白するようなものだ。
聞いたキアラ自身はそれに気付けなくて眉を顰め、首を僅かに傾けるだけだったが、ラシードはキアラの純粋な様を悟って更に悪いと謝罪した。
「それが事実であれば、私はとっくの昔にお前を手籠めにしているぞ」
「事実なら、ラシード様は魔力を失うことになります」
魔力を失うことは、魔力なしになるということだ。それでは全ての生活に不便をきたす。
自分の生活すら人の手を借りなければならない無力な存在として、王族であっても後ろ指さされて笑われるだろう。
魔力なしであるキアラは、あらゆる蔑みを身を持って経験しているのだ。
そんな屈辱を王子であるラシードが許容できるのかと、無礼ながらも紫の瞳に力を入れて見上げた。
「なんだ、疑うのか?」
ラシードは心外とばかりに眉を寄せてみせるが、形ばかりで怒っている様子はない。
「私の魔力など、あるというだけで魔法が使える訳でもない。だからこそ戦う術として己の腕を磨いたのだ。しかし腕に自信があろうと、魔法による攻撃は防御魔法をかけてもらうか、女のお前を楯にしなければ防ぐことができないのが現実だ。ならばいっそのこと魔力なしなら魔法の攻撃から身を守れるというもの。それで戦場での能力が上がるなら、普段の生活で多少の不便があろうと、私は喜んで魔力がない身を選ぶ」
魔力がないのは致命的な欠陥だ。
キアラは生活の全てを自らの労力で行わなければならない。
誰もがするように無意識で扉を開く行為も自らの手を使って開かなければならないし、湯を沸かすのも火を熾すことから始めなければならない。水道の水は使えないし、井戸の水をくむにしても釣瓶は重い。特に何事も不便になる従軍生活では、少しでも楽になればと願うのが普通ではないのだろうか。
けれどラシードはそうは思わないらしい。
確かに彼が考えるように魔力がなければ、魔法による攻撃を恐れずに敵陣に踏み込むことができる。
その良い例がマクベスを殺した敵国の魔力なしだ。
魔力がないというだけで存在を隠す手助けをする。魔法の恩恵を受けられなくなるが、魔法使い相手に不安なく戦いを仕掛けられるのは便利だ。
戦場に生きることを厭わないラシードらしい考えといえばそうなのかもしれない。
「キアラ」
「はい」
呼ばれていつの間にか俯いていた顔をあげた。
「お前は魔力なしだが、それは私がどれほど望んでも得られない力だ。悲観する必要など何一つないのだと心得ろ」
人はそれぞれに求める物が違う。
選択可能でも魔力なしという生き方を選択する人間はまずいないだろうが、ラシードは生きていく過程で魔力のないことの有益性を理解しているのだ。
悲観するなとラシードは慰めてくれるが、生きる場所の選択すらできないキアラは、素直に同意することができなかった。
それでも魔力なしになりたいというラシードの言葉は本心だ。
キアラは心に重く鎮座する石を消化しきれないままではあるが、深く頷くと、「はい」と声に出して返事をした。




