嫌われたくない
セオドリクはキアラを奪い取りたい衝動に駆られたが、自分にはなんの権利もないと分かっていたので感情を抑えつける。
平静を取り戻すために息を吐き出し、長い睫毛を一つ瞬かせてから膝をつくと、手を伸ばしてキアラの頬に触れた。
「怪我はない?」
「打ち身はありますけど大丈夫です」
セオドリクの変化に気付いたのか、キアラは戸惑いながらも大丈夫と頷く。それでも心配でたまらない。
なにしろか弱い娘が荒れ狂う濁流に呑まれたのだ。
自分でも意識しない間にエルフの姿に戻って自然に助けを願ったが、エルフであってもそれがどの程度の効力をもたらしてくれたのか定かではない。
「診察してもいいかな?」
「わたしに魔法は効きませんよ?」
「エルフが魔法ばかりに頼らないって教えたよね。医者ではないけど、ある程度のことなら対処できるよ」
「覚えていますが、本当に大丈夫なので。しいて言えば熱がありましたが、もう下がったみたいです」
キアラの頬に触れていた手を額にあてがってみたが、確かに熱はない。衣服も乾いたものを着ているので対処の仕方が良かったのだろうが、服が渇くまでに何があったのかを考えると、力が及ばなかった我が身に対して腸が煮えくり返りそうだった。
薄汚い感情を表面に出しては何もいいことはない。
噴出しそうになるものを呑み込んで、セオドリクは意識して笑顔を作り、キアラのためにできることを探す。
「キアラ、お腹が空いてるよね?」
「ロルフ様が果物を取って来てくれたので大丈夫です」
携帯食を取り出したが断られて、何もかもがロルフに劣っていると指摘されたような気持になりとても悲しくなる。
護衛騎士としてキアラの側にいて、一緒に川に落ちて、濁流でも手を離さず役目を果たした。
対してセオドリクは、キアラが死なないように自然に助けを求めただけで、自分では何一つしていない。
悔しさに拳を握るセオドリクに、目の前にいながら視界から追い出していたロルフが口を開いた。
「君はまさか……セオドリク?」
「……そうだけど」
違うと言ってやりたかったが、こんなことで嘘を吐いてもしょうがない。
ぶっきらぼうに答えて横目で睨むと、ロルフは頬を染めて視線を逸らした。
相手は男だが色香で陥落してやろうかとの思いが過る。が、気持ち悪いので止めておいた。それに、無理矢理引き離した男女は余計に盛り上がると聞いたような気がしたのを思い出したのだ。
「君はエルフだったのか?」
「そうだよ。騎士団長に雇われて手を貸した。君たちの軍は勝利したよ。ハウンゼル殿、その様子だと怪我なんてしてないでしょう。歩けるならさっさと森を出よう」
「君はエルフだったのか……」
「だからそうだって言ってるじゃないか。これまでは姿を偽っていたけど、これからは意味がないから姿は変えないからね」
姿を偽る魔法はエルフであるセオドリクにとって簡単なものだが、偽る理由がなくなったのだし、キアラに触れたら消えてしまうのだから意味がない。
「あなたに見惚れられても気持ち悪いだけだから、見惚れてないでさっさと立ちなよ。キアラ、みんなのところに戻るからおいで」
病み上がりのキアラを抱いて運ぼうと手を伸ばしたら、ロルフがキアラを抱きしめたまま立ち上がって呟く。
「なんて危険なんだ……」
「危険なのはハウンゼル殿でしょう。さぁ、キアラを僕に渡して」
「いや、彼女は私が背負っていく」
「はぁ!? 意味わかんないし!」
「私は彼女の護衛騎士だ」
「そんなの知ってるよ!」
言い合いをする二人をキアラが目を丸くして見守っていたが、もめにもめた末、セオドリクはキアラを取り戻すことに失敗した。
濁流に落ちて体力を失っているキアラは恐縮しながらロルフの背に負われる。
「どうして僕じゃ駄目なの。キアラは僕の友達じゃないか」
「だってセオドリクさん、わたしが触れてると姿を変えられないですし」
泣きそうになって問えば、キアラは頬を染めて申し訳なさそうに答えた。
「僕はこの姿で貫くことにしたんだからいいんだよ」
「でも、こんなに綺麗な人に背負われているのを見られると……色んな意味で嫉妬をされそうで」
魔力なしというだけで、酷い目に合わされてきたキアラに言われたらぐうの音も出ない。
「正直に言うと、セオドリクさんがそのままの姿で道を歩くと混乱を招くと思いますよ?」
「確かにその通りだな」
キアラを背負ったロルフが同意して頷く。
同性であるが、ロルフは未だにセオドリクと視線を合わせようとしない。
美しすぎる美貌は武器にもなるが、障害にもなるとセオドリクが気付くのはもう少しだけ先の話だ。
セオドリクは密着した二人に腹が立ってならない。
どうにかして引き離せないかと思ったが、あまりしつこくすると嫌われそうで、仕方なく大人しくすることにした。
セオドリクは身に付けている魔法が解けても気にすることなく、ロルフに背負われたキアラが着ている衣服の裾をそっと掴む。
「本当は僕が背負いたかったんだ」
悔しくて呟いたが、キアラは声を拾って「ありがとうございます」と礼を言ってくれた。
そのせいでセオドリクは胸が痛む。
自分は感謝の言葉なんて貰える立場ではないのだ。
友達とか言いながら、セオドリクはキアラを友達なんて思っていない。
キアラがロルフ共々落ちた瞬間、濁流に呑まれた時から、心に住み着いていたものが友情ではなく男女の愛情に変わっていた。
それを告白したらキアラはどうするだろう。
ユリンを好きだと騒いでいたのになんの冗談だと笑うだろうか。馬鹿にするなと怒るだろうか。心変わりばかりしているセオドリクを責めるだろうか。
どうか嫌いにだけはなって欲しくない。
キアラに嫌われたらどうなるか分からない――と、暗い靄がセオドリクの心にかかり始めた。




