王子の死
この世界において、生きる為にはなにかにつけ魔力が必要だ。
個人によって強弱はあるものの、ほぼ全ての人間に魔力がある。
魔力がないことは極めて稀で、厄介であると同時に、ある意味とても貴重な存在だ。
ランプに明かりを灯すのも、蛇口から水を出すのも、釜戸に火を熾すのにも魔力が必要で、鍵や扉の開閉にさえ魔力が応用されていた。
そのため魔力がない人間は、生活の全てにおいて誰かの力を借りなければならない厄介者である。
そんな彼らは蔑みの意味を込め、「魔力なし」と呼ばれていた。
魔力なしは人の手を借りられなければ、原始的なやり方とされる方法をとるしかない。
それは面倒極まりなく、何事にも遅延がおこるため、魔力のない者は役立たずと蔑まれる。
しかしながら、魔力がない厄介者にも活躍の場がただ一つだけ存在した。
強弱の差はあれど、誰もが魔力を持っている中で、彼らでは決して代わりになることのできない、魔力がないからこそできる唯一の役目が存在するのだ。
魔力のない者が嫌われる原因は無力だからだけではない。
もう一つ、こちらの理由の方が嫌われる原因として大きな領域を占めていた。
魔力のない人間は、あらゆる魔法を無効化してしまう体質を持っているのだ。
魔法がかけられた便利な機能に魔力のない者が触れると、かけられている魔法は消え失せ、再び魔法のかけ直しをしなければならない。
大切な物を隠すために魔法で厳重に鍵をかけたとしても、魔力なしにかかれば、魔法によってかけられた鍵は、何の役にも立たない代物になってしまうのだ。
魔法による効果を無効にしてしまう魔力なしは世間一般には嫌われ者だが、その貴重性により、世界中の権力者が喉から手が出る程欲しいと望む存在でもある。
情勢が危うい中で、特に戦場において必要とされる素質。
世界中のほとんどの人間が魔力を持って生まれる中、触れたもの全ての魔法を無効化する能力はとても貴重なものだ。
人の命のかかった戦場において、魔法による攻撃を無効化する力は、味方にして害になることはまずない。
魔力なしは、戦場に立つ魔法使いたちにとってはとてつもなく嫌な存在である。
強い魔力を有し、攻撃と守りに特化した魔法を行使して戦うのが魔法使いであるが、そんな彼らがどれだけ懸命に努力をしようとも、魔力なしにはほんの少しも影響を与えることができないのである。
それだけではない。
必死になって繰り出した偉大な大魔法も、またたくまに無効化されてしまう。
守りも攻撃も全て無にされてしまうため、魔力なしの数によっては、魔法使いの攻撃や守りはなんの役にも立たない代物に成り下がってしまうのだ。
己の力に絶対の自信がある誇り高い魔法使い。
彼らが命をかけて術を繰り出そうと、魔力なしには一切の効力を示さない。
広範囲に苦労して難しい魔法を展開させたとしても、魔力なしが触れるだけでなかったものにしてしまう。
敵にいては厄介だが、味方にいれば役に立つ。
だからこそ稀有な魔力なしは発見されると同時に、保護という名目で国に拘束される決まりになっていた。
生きるのに不自由する魔力なしは、大人になるにつれ厄介者として扱われる。
そのため魔力なしが出た家は、国から支払われる協力金と銘打つ莫大な金を受け取り、生まれた子を差し出していた。
中には苦労すると分かっていても育てたいと願う親もいたが、国に渡せば魔力がなくても不自由なく生きられるからと説得され、時に脅しを受け、最後には必ず我が子を引き渡すことになる。
戦争が盛んな現在、魔力なしが活躍する場は主に戦場だ。
魔法による攻撃から味方を守るために、戦いの最前線に出される。
最前線に立たされる魔力なしは、敵の魔法使いが放つ攻撃を無効化し、味方の戦いを有利に導く役目を担っているのだ。
当然魔法が効かないので、味方の魔法使いによる防御魔法をかけてもらっていない。
魔力なしは無防備な状態で戦いの場に曝されるため、物理的な攻撃を受ければ命の危険を伴う。
魔力なしは貴重である為に護衛がつくが、何しろ最前線に出ると同時に、敵にとっては厄介な存在であるため、真っ先に命を狙われた。
時には貴重な魔力なしを奪おうと目論む敵も存在するが、奪われる危険に陥れば、最悪自分を守ってくれる護衛の手によって始末される場合もある。
戦いの最前線に身を置く魔力なしの寿命は短い。
生まれるのも稀であるため、ヴァルヴェギア王国に存在する魔力なしは、キアラ=シュトーレンただ一人になってしまっていた。
十年前、キアラが八歳の頃に初めて戦場に立った時、ヴァルヴェギアには全部で五人の魔力なしがいた。
それが一人、また一人と命を落とし、キアラが最後の一人となった時、戦場に立つ三人の王子らはキアラを奪い合った。
第一王子のマクベスは豊富な魔力を有した魔法使いで、第二王子ラシードは武術に長けていた。第三王子のカイザーは魔法と武術の両面に長けていたが、実力においては二人の兄には敵わない。
三人の王子の中で最初にキアラを側に置いたのは末の王子であるカイザーだった。
「マクベスは正妃腹の王太子、ラシードは母親の血筋に問題があるが優れている故、失うのは惜しい。が、カイザーは全てにおいて二人に及ばぬ。しかし不利な状況から生き残れば国益となるだろう。幼く未熟ながらも魔力なしは魔力なし。役に立つかはカイザー次第だ。」
両足を失い戦場に立てなくなった王の言葉によって、末王子のカイザーには最も役に立たない、小さな子供の魔力なしが与えられた。
最低でも優れた兄たちを生かす道具になれ。不利な状況で生き残ればカイザー自身の身となり、また国益のために使える道具となる。
王の言葉は非情であるが、王族として生まれたのなら相応の役目がある。
兄王子であるマクベスとラシードには魔力なしが二人ずつ。特に王位継承権第一位のマクベスには経験豊富な二人が振り分けられていた。
幼いカイザーも己の立ち位置を理解しており、当時最年少の魔力なしで、戦場での経験がないキアラが与えられても不満を漏らさない。
キアラはカイザーが差し伸べた手に小さな手を重ねた。
二人が初めて出会ったのはキアラが八歳で、カイザーは十二歳での初陣だった。
「初めましてキアラ、私はカイザーだ。この戦場から二人、必ず生きて戻ろう」
カイザーの言葉に深く頷いたキアラは、彼の役にたつため必死に努力を重ねた。
魔力なしに魔法による攻撃は効かないが、物理的な攻撃で命を落とすのは避けられない。
キアラは身を守るために戦いの術を学び、時には怪我を負いながら、カイザーの隣で一生懸命に生き抜いた。
全ては優しい、兄のような存在であるカイザーのためであったが、やがてキアラはカイザーに身分違いの恋をして、カイザーも同じ想をキアラに抱くようになった。
だからこそキアラは、ヴァルヴェギアでたった一人の魔力なしとなってもカイザーの側を離れなかったし、カイザーも恋人であるキアラを離そうとはしなかった。
「兄上たちのご命令であっても、私はキアラを手放しません。彼女はただの魔力なしじゃない。私にとってかけがえのない、共に生きたいと強く願う唯一の女性だ。特にマクベス兄上は魔力なしを人として扱わない。そんな兄上の側にキアラは置けません」
マクベスは魔力なしを使い捨ての駒としか思っていない。王族を守り散る存在であるのは確かだが、あまりにも非情であった。
優秀な魔力なしを失い、新たな魔力なしとして、歳を重ね経験豊富となったキアラをマクベスはカイザーから奪おうとしたが、カイザーとキアラは抱き合い、その様にマクベスは大変な不快感を示す。
「カイザーよ、お前は何処まで愚かなのだ。その一瞬で、魔法使いが施した守り全てが無効化されたぞ。魔力なしと触れ合うなど正気の沙汰ではない」
「欲しければ初めから望めばよかったのです。父上は兄上の言うことなら聞き入れたでしょう。それに私は魔力なしだからとキアラを恐れません」
「私が魔力なしを恐れているというのか。盾は盾、それ以外の何物でもない!」
幼い頃から戦場で身を寄せ励まし合って来た仲だ。そして恋人同士でもある。二人は国のために決断すべき事柄よりも己の感情を優先し、離れることを強く拒み、マクベスは愛し合う二人を酷く嫌悪した。
第二王子のラシードは、自らが女の背に隠れるのを嫌って早々に主張を撤回した。
そもそも優秀な魔力なし二人を側に置いていたにも関わらず、失ったからと残された魔力なしを己の物としようとしたのを恥じたからでもある。
ラシードは王の子であっても妾腹であったし、王妃腹のマクベスとカイザーとは立場も違うと考え、いずれは臣下に下る身と己を弁えるだけの謙虚さがあった。
本来なら己を弁えたラシードに習い、カイザーはキアラを第一王位継承者であるマクベスに差し出すべきなのだ。
しかしカイザーは恋人であり、初陣から共に成長を続けたキアラを手放せなかった。
欲しいなら何故最初から能力不足のキアラを選ばなかったのかと、同じ胎から生まれても立場が上であるマクベスに詰め寄り責めた。
そもそも魔法使いであるマクベスは魔力なしとの相性が悪い。
たった一人残った魔力なしを譲るとするなら、それはマクベスではなく、魔力があってもほんの僅かで、魔法が使えないラシードこそが譲られるべきだ。
三人の王子の中で力が弱く、将来を期待されない末王子として軽んじられたカイザーだったが、キアラを渡すことには従わず抵抗した。
マクベスはそんな二人を嫌悪し、キアラをあきらめ出陣した。
カイザーとラシードもそれぞれの敵に向かって突き進む。
結果、ヴァルヴェギア王国で最も強力な魔力を有し、王をも凌ぐ魔法使いであった第一王子マクベスは命を落とす。
西の隣国フィスローズの魔力なしに剣で背中から心臓を貫かれ、治療を施す間もない即死状態であった。
フィスローズに魔力なしは存在しないと思われていた。
けれど暗殺者として秘密裏に育てられた魔力なしが存在し、ヴァルヴェギアで最も力のある魔法使いに差し向けられた。
あの場にキアラがいたとしてもマクベスの命は救えなかっただろう。
もしかしたら最も近い位置にいる分、身代わりとして盾になれたかもしれないがその程度だ。
そもそも魔法使いと相性の悪いキアラが、マクベスのすぐ側で戦いに挑んだとは考えにくい。
また同時に、魔力なしの気配を魔力を持つ者が悟るのも困難なことであった。
これは己の弱点を完全に補えていなかったマクベス自身の失態でもある。
王はマクベスの死を嘆くも愚かさを責めた。
「カイザーを殺してでも魔力なしを奪わなかったマクベスの落ち度だ。ラシード、カイザー。お前たちが背負うものの大きさを決して忘れるな。一瞬の判断が生死を決める。王家に生まれた者として、優先すべきは何かを改めて思い出せ」
あの日、王の言葉を受けたカイザーは奥歯を噛みしめ、キアラと繋いだ手に力を込めた。