辱め
暗闇の中、ふかふかの絨毯に素足が沈む。
一つだけ灯されたランプは、魔法によるものではなく、油によって灯された光だ。
油を使ったランプは魔力なしに触れても消えることがない。
舐るように肌を照らす橙色の光が、暗闇に白い肌を浮かび上がらせる。肌に触れるほど寄せられたランプが発する熱は柔肌を焦がしそうになるほどだ。
キアラは火傷を負いそうな熱さに歯を食いしばり耐えていた。
「これが魔力なし――普通と変わらないのね」
部屋の主がつまらなさそうに呟くと、艶やかな細い指を絡めたランプがゆっくりと離れて行く。
主自らがランプを寄せ、丹念に調べた魔力なしの体から目的の物は欠片も見つからなかった。
美しい部屋の主がキアラを部屋に招き入れた時に滾らせていた嫉妬の炎も、青い瞳から完全に消えてくれた。
比較的温暖な季節とはいえ、室内でも夜は冷える。
足元は分厚い絨毯が敷かれているが、裸にされたキアラの肌は寒さと羞恥に震え泡立っていた。
このような辱めを受けるのは初めてではない。しかし幾度となく経験しても、権力者の戯れに慣れることはなかった。
ふと、興味を失ったはずの青い瞳に再び光が宿る。
今度は嫉妬ではなく興味の光で、橙色のランプが好奇心に満ちたその瞳を煌めかせた。
綺麗に整えられた爪に守られる指先が、キアラのむき出しにされた乳房に伸びる。
彼女も同じものを持っているのに、同性であっても女の乳房に興味を持つ者は少なくない。
男のような性的な意味ではなく、大きさや形、そして寒さにつんと尖った薄桃色の突起へと戯れに触れてしまいたくなるようだ。
そうして羞恥に顔を歪める様を観察するのが貴族の常であるのか。目の前の高貴で美しい娘も、過去の彼女たちと変わらない衝動に駆られたのだろう。
それを傍らで見守っている侍女の一人が止めた。
「パフェラデル様、魔力なしに触れては、大切な御身を守る術が失われてしまいます」
「ああ、そうだったわね」
見分するのに夢中になって忘れるところだったようだ。
つい手を伸ばした部屋の主だったが、侍女の忠告で今にも肌に触れようとした手を引いたのは、了解なく裸体に触れるのを諫められたからではなく自分のためだ。
この世界の人間、特に高貴な人々は己の身を守るため、魔法をかけた守りの護符や宝石などを身に着けている。彼らの周りに魔力なしなどいないので忘れがちだが、魔力なしに触れただけでも守りの効力は瞬時に失われてしまうのだ。
時には守りの術が解けるのを構わず触れてくる者もいるが、黙って成り行きに任せていれば、酷いことをされずに解放してもらえることを経験で学んでいるので、キアラは何をされても黙って従うまでだ。
よくあることではあるが、戯れの相手がラシードの婚約者であることにキアラは落胆していた。
二人の結びつきが国益のためだとしても、魔力なしを同じ人として扱ってくれるラシードの妻が、何処にでもいる貴族娘であると知り、キアラはとても残念に感じたのだ。
同時にラシードの婚約者に期待していた自分自身にも落胆し、キアラは感情を押し殺して時が過ぎるのを待った。
「女が戦場に立つなんて憐れね」
心から同情などしていないだろう。
偽りの憐れみを口にするパフェラデルの視線は、キアラの体中に残された傷跡を興味深そうに眺めていた。
小さな引っ掻き傷一つで大騒ぎする大貴族の娘は、腹部を貫通した弓矢の痕、肩に残る火傷や切り傷など、一つ一つを数えるように眺め、満足気に表情を緩めていく。
「顔には傷がないのに、体はずいぶんと汚いのね。あら、あなた。お尻の尾骶骨のところに痣まである。蝙蝠みたいな痣よ。いやだわ、こんな奇妙な痣があるなんて気味悪いわ」
楽しそうにくすくすと笑ったパフェラデルは正面に立つと、キアラの目の前にランプを近付けた。
「魔力なしに触れるような馬鹿はいないだろうけど、ラシード様に情けを乞うようなことをしたら承知しないわ」
彼女は己の婚約者であるラシードとキアラが、肉体関係になることを危惧しており、今回の呼び出しはその証拠がキアラの体に残っていないかを確認するためのもの。
利害関係で結ばれる人でも、嫉妬の心は持っているらしい。
嫉妬の理由がラシードを想ってのことか、己の誇りに対してかは定かではないが、この嫉妬が愛のない結婚において救いになるだろうかと、キアラは現実逃避するかにぼんやりと考える。
どちらにしろパフェラデルは、キアラがラシードを誑かして男女の関係になることを許さない。もしそんなことになったら殺されてしまうだろう。微笑むパフェラデルの碧眼はとても冷たくキアラを射貫いていた。
戦場で高ぶった感情を沈めるのに女を抱く男がいるのは知っているが、幸運にもキアラはその相手に選ばれた過去は一度もない。
すぐ側にいたカイザーでさえ求めたことは一度もなかったのだ。
魔力なしと交われば、魔力を失うという馬鹿げた噂があるせいだろうか。
その馬鹿げた噂は、少なからずキアラの助けになっている。
キアラの体に沢山の傷跡はあっても、情事の痕など探しても出てくるはずがない。
「もうお前に用はないわ、出て行きなさい」
深夜に呼びつけられ、裸にされて見分されておしまい。
身勝手な貴族の娘は、目的を達成した途端に時間を思い出したのだろう。可愛らしい口元を手で隠して欠伸をしたパフェラデルの様子に、キアラは解放されると分かって肩の力を抜く。
キアラは眠っていたところを公爵家の人間に起こされ、パフェラデルの部屋へと連れてこられたのだ。
テントが並ぶ闇の中で、偶然目に止めたロルフが異議をとなえたが、ラシードの側近であるロルフであっても、公爵令嬢の呼び出しを妨害できる訳ではない。
そのままついて来たロルフにパフェラデルは、「夫になる方に同行する女を調べるだけです」と、愛らしく微笑んで見せ、キアラだけを部屋に入れ扉を閉ざした。
こういった呼び出しは魔力なしの存在を珍しがる貴人によくあることだ。
キアラを呼んで魔力なしとはどういうものかを体験したい……その程度は可愛いもので、相手が女性の場合は、こうして裸に剥かれるのも珍しくはなかった。
本当に魔法が効かないのかと、試しに小さく傷を負わされ血を滴らせた経験もある。
大抵は気付いたカイザーが止めてくれたが、彼はもうキアラの恋人ではない遠い存在だ。何処であっても自分の身は自分で守らなければ生きてはいけない。
今回は裸にされただけで触られもしなかった。
服を脱がされても周りは女性ばかり。何でもないことだと自分自身に言い聞かせ、ランプの熱でひりつく肌の痛みに耐えながら床に落ちた服を拾った。
「何をしているの、さっさと行きなさい」
ランプの油が燃える臭いが鼻につくと、パフェラデルは美しい顔をしかめた。すると慌てた彼女の侍女が、床に残った服と靴を拾ってキアラに押し付ける。
「さっさと出て」
怯えた様子でキアラを追い出す侍女は魔力なしに触れてしまっていた。
公爵家の娘に仕える程だから、彼女も守護の魔法を纏っているだろうに、解かれてしまうより主の機嫌を損ねる方が恐ろしいらしい。
キアラは服を抱えた状態で裸のまま追い出されが、間の悪いことに追い出された先でラシードと出くわしてしまった。
「キアラ、お前……」
驚きに満ちた瞳がキアラを見下ろしていた。
ラシードを呼んで来たロルフも同様に驚いた様子だったが、キアラが裸だと認識して視線を逸らす。
「そんな姿で何をしている?」
ラシードは見開いた目を細めると、眉間に皺を寄せ、鋭い視線でキアラを見下ろした。
詰問に等しい声色にキアラは身を硬くする。
丸裸で服を抱えて出てきたのだ、男に弄ばれたとでも思ったのだろうが、キアラが出てきたのはパフェラデルの部屋だ。そんなことが起きる訳がない。
キアラは羞恥で真っ赤になって俯くと、ラシードの問いを無視して、裸足のまま二人の横を走り抜けた。