幸せなエルフ
経歴を偽っていたセオドリクを、ラシードは問題ないと判断した。
延々と続く恋愛話を鬱陶しく感じたからではない。
エルフ族が争いを好まない種族であり、人を陥れるような偽りを述べないと信じたのもあるが、エルフを味方に付ける機会があるのに棒にふるのは、多くの命を預かる身として得策ではないからだ。
キアラ自身はエルフについて詳しくないが、ラシードが良いのならそれでいいのだろうと納得し、二日後には準備を整えると、馬に跨りフィスローズと国境を交える西へと向かった。
途中の主要都市までは、ラシードの侍女であるユリンも一緒である。
セオドリクは大喜びでユリンの側に駆けて行ったが、侍女たちは馬車に乗り込んでの移動だ。
ユリンを口説くセオドリクを煩く感じたのだろう、景色を楽しむために開かれていた馬車の窓はすぐに閉められてしまう。
それでもセオドリクは、上機嫌で事情を知るキアラの側に寄ってきた。
魔法が解ける不安はどこへ行ってしまったのか、馬上からキアラに身を寄せると、嬉しそうに頬をゆるめる。
「ユリンがね、笑顔でセオドリクって呼んでくれた。僕の名前を憶えてくれたみたいだ。ユリンも僕を見てくれるようになったよ。大きな進歩だ。それにまたねって手を振ってくれたんだよ」
ラシードによるとユリンは男性に冷たいらしい。
そのせいかセオドリクも素気無くあしらわれていたようだが、今日は笑顔で対応してくれたと本当に嬉しそうで。
上機嫌できらきら眩い光を放つセオドリクは今日も幸せそうである。
「残念ながらフェルラを訪ねた時に会ったのを覚えてくれてなかったけど、この容姿は目立たないからしょうがないよね」
エルフとしての姿を知るのはキアラとラシードだけだ。
ラシードは人目のつかない場所でセオドリクの姿を確認したが、眩暈を覚えて倒れそうになったのを踏ん張り耐える。目を眇めた後、もういいからと、魔法を使って偽りの姿を取る許可を正式に出した。
エルフの存在は有益だが、真実の姿形があまりにも美しく眩いので、平凡な偽りの姿を取るのは正解だと溜息を吐いていた。
キアラは早々に慣れたが、それでも眩しいと目を細めることはしばしばある。あまりに輝くので、エルフは宝石の粉で作られているのではないかと勘違いしそうになるほどだ。
「フェルラへの恋は嘘じゃなかったけど、真実じゃなかったんだ。ユリンこそが僕の真実の相手だよ。これから敵をやっつけて、出来る魔法使いだってのを見せつけて、僕をどんどん好きになってもらうのが今回の目的だから頑張らないと」
ラシードの侍女をするような女性が、祖母を訪ねてやって来た若い男を忘れているとは思えない。
きっと覚えていないふりをしているのだろうが、キアラは敢えて口にせず、幸せそうなセオドリクに「一緒に頑張りましょう」と返して笑顔を作った。
セオドリクは身を滅ぼす恋に憧れて人の世界に足を踏み入れ、望むままに人の娘に恋をした。
最初の恋は彼がエルフであるという理由で叶わなかったが、時を経て心を癒し、恋した女性が幸せに暮らしているだろうかと訪ねた先で、恋した人の孫娘に新しい恋をしたのだ。
彼曰く「運命」と熱く語っていたが、実るかどうかは彼の努力にかかっているのだろう。
「七十年……」
それにしても七十年か――と、無意識に声が漏れる。
人とエルフ族の時の流れは異なる。
百年以上生きているらしいセオドリクは、キアラの目には二十代後半の美しい青年にしか見えない。
恐らくキアラが死ぬ頃にも同じ姿をしているのだろう。
エルフは人の十倍長く生き、成年に達するまでは人と変わらない成長をするが、その後は若い時間が非常に長く、ゆっくりと時が過ぎるのだという。
若い時間が長いから七十年が人の感じる時と同じでないのかも知れない。
けれど簡単に考えて十で割っても七年だ。キアラがカイザーを忘れ、新しい恋を始めるのに七年も時が必要になるのだろうか。
戦場でカイザーと引き合わされた時より十年、それとほぼ変わらない時が必要ではないか……と、溜息がもれる。
「ねぇキアラ。君はどうしてそんなに溜息ばかり吐いているの。人は短い時間しか生きられないんだから、裏切った恋人なんてさっさと忘れるべきだ。一通り泣いて悲しんだらお終いにして、次の相手を見つけた方がとても幸せなのに」
一つの恋を乗り越えたからこその言葉なのか。それとも元来の性格なのか。
人に恋をすると破滅するわりに、元気なセオドリクの様子に、キアラからは再び溜息が漏れてしまった。
「短い時しか生きられなくても、心を癒すのにはそれなりの時間が必要なんですよ」
泣いて終わりに出来るならどんなに楽だろう。
驚き過ぎて涙も出ない状況だというのに、目の前の美人は簡単に言いたい放題だ。
それよりもと、キアラは手綱を操りセオドリクから距離を取った。
「あまり近付くと魔法が解けてしまいますよ」
「そうなんだけどね、事情を知っているのは君と騎士団長だけだ。騎士団長にこんな話をしたら、浮かれるなって怒鳴られそうじゃないか」
話せるのはキアラだけなんだと眩い笑顔を向けられる。
セオドリクがヴァルヴェギアの味方になったのは、恋する女性がラシードの侍女だからだ。
それを知るのはラシードとキアラだけだから、話をするとなるとそのどちらかしかない。
セオドリクの様子から、彼がユリンに恋しているのは誰の目にも明らかなのだが、細かな事情を知っている者が他にいないせいで、雑談する相手がキアラになってしまうのは仕方のないことだった。
こんな話を進軍中の将に付き合わせては、怒鳴られるだけでは済まないかもしれない。
幸せそうなセオドリクを見ていると羨ましくて、心はじくじくと痛みを覚えてしまう。
そんなキアラに気付いているのかいないのか、セオドリクは構わず己を主張して話し続ける。
心が読めなくても顔色位は分かるだろうに、恋に浮かれたセオドリクはキアラの心情など無視して、ユリンとの将来を延々と妄想して語りつくしていた。