破滅の恋
「どうした、何かまずいことでも?」
顔色をなくしたキアラと、薄っすらと笑みを浮かべたセオドリクに、ラシードは交互に視線を向けた。
ラシードの存在が、見えない淵に落ちかけたキアラの意識を呼び戻す。
キアラは悟られないように、ゆっくり息を吐いてからラシードを見上げたが、そこにはカイザーと同じ緑の瞳が輝いていて、直視に耐えきれず、無礼にならないようゆっくりと俯いて視線を離した。
「彼のことで報告しておかなければならないことがあります」
「魔力なしとの相性が悪すぎるとでもいうのか?」
強い魔法使いほど己の力に絶対の自信を持っている。そのため、魔力を削ぐ性質を持った魔力なしと上手く行かないことが多いが、その時は離れて行動するのが常識だ。
己の力を脅かす魔力なしに特別な何かしらの感情を抱くにしても、出会ったその日では早すぎると感じたラシードは、他に何かあるのかとセオドリクに視線を移した。
「僕は知らせる必要はないと思っていたんだけどね」
「セオドリク?」
態度の変化に気付いたラシードが体を固くし、警戒の姿勢を取る。
セオドリクの素性は調べて完璧であったが、キアラが報告の必要を感じたというなら、ラシードの調べたことが全てではなかったのだろう。
セオドリクの変化に対してラシードの本能的な部分が反応した。
キアラだから気付けたとなれば、魔法を使って隠された何かがあったということだ。
ラシードはキアラを守ろうと、細い腕を掴んでキアラを後ろに匿う。
途端、セオドリクの失笑が漏れた。
「何が可笑しい?」
笑うような場面ではないとラシードが指摘すれば、意外にもセオドリクは「悪かったね」と即座に謝罪した。
「騎士団長が考えるようなことじゃない、違うから。そんなに警戒する必要ないよ。確かに秘密にしていたけど、君たちを陥れるような種族ではないのだから」
「種族?」
眉を寄せるラシードの腕をキアラがくいっと引っ張る。
「ラシード様、彼はエルフ族です」
「エルフだと!」
驚いたラシードは声を上げた。
驚くのも当然だ。
エルフ族は世界中の誰よりも強い魔力を有し、魔法を使う術に優れるだけでなく、自然と共に歩む膨大な時間の経験を利用して役立てるのが得意だ。視力や聴力を含む身体能力にも優れている。
故に人間に対して頭を下げる必要もない。
そんな彼らは、滅多に人の前に姿を現すことのない一族でもあった。
彼らは何ものにも支配されない独立した種族で、相手が王様だろうが乞食だろうが人間に対しては同じ「人」と認識するだけだ。
「本当にエルフだというのか?」
「僕たちは嘘をつかないよ」
嘘をつかないとの言葉に「え?」とキアラが疑問の声を漏らすと、セオドリクはばつが悪そうに肩をすくめた。
「経歴詐称は嘘じゃなくて必要なことだから許して。僕たちエルフは誰かを陥れるようなことはしないから、その点においての嘘は絶対にない。だって僕らにはその必要がないからね。僕たちには誰かを陥れようって気持ちがないんだ。だからこの国をどうにかしたくてここにいるわけじゃないと誓えるよ」
人の世界に身を置くために経歴は必要だから作り出したが、それで人に危害を加える訳ではないのだ。この場合、エルフは嘘をついている認識がない。
危害を加える気があるのかと問えば、セオドリクにその気があるなら正直にそうだと答えるだろう。エルフとして力を揮うセオドリクには、隠さずとも簡単にできてしまうことだからだ。
魔力なしがいても目の前の人間一人を殺すなんて、エルフには容易いことなのである。
「真にエルフならば、真実の姿を曝してみよ」
「ここではちょっとね。ここでなくても僕たちは美しすぎるから、興味本位にでもお勧めしないよ」
「彼女は見たのであろう?」
ラシードは視線をセオドリクに固定したまま、後ろに庇うキアラを示す。
キアラは深く頷くと、魔法に対しての恐怖がないせいで不用意に前に出ようとしてしまい、慌ててラシードに止めれた。
「本当にエルフなのか?」
「そうです。わたしには彼が偽っているという姿が初めから見えていません。伝え聞くのと同じで、銀色の長い髪に瑠璃色の瞳をした、とても背が高くて尖った耳を持つ、怖いくらいに美しい青年の姿に見えます」
「成程……」
ラシードには何処からどう見ても、中肉中背の平凡な容姿をした青年にしか見えていなかった。
茶色の髪と瞳で何処にでもいる、特に印象に残らない人の姿。
思えばキアラがセオドリクを見る視線が高いのは、魔力なしとして迷惑をかけるという魔法使いに対しての配慮ではなく、セオドリクの本来の背丈が高いせいなのだと気付かされる。
先入観から大切な物を見落としてしまった失態に、ラシードは自分に対しての苛立ちを感じた。
魔法を解かせ本当の姿を知るのは必要だが、本当にエルフなら人の目のある場所で不用意に姿を曝すのは良策ではない。
エルフを味方にしていることは魔力なしを何人有しているか以上に、今は切り札として敵には秘密にしておきたい事柄である。
「何故エルフともあろう存在が姿を偽り、人間ごときに力を貸そうとしている?」
「話すと長くなるから端的に言うと、君の侍女をしているユリンに恋をしているからだよ」
美の女神も斯くやあらん微笑みを浮かべたセオドリクが、明後日の方向へ蕩ける様な視線を向ける。
釣られるようにラシードとキアラも同じ方向に視線を向けたが、高い木々の向こうにはくすんだ灰色の石壁が見えるだけだ。
恐らく彼の恋する人がいるであろう方向なのだろうが、キアラにも、ユリンと呼ばれた侍女の主であるラシードにも果たして正解なのかは不明だ。
セオドリクの主張通り、このように美しい姿を見せられたら、同性であるラシードさえも魅了されてしまうのではないだろうか。
本当の姿を見せないのはセオドリクなりの経験から来た気遣いであり、しつこく姿を見せろと求めないラシードも悟っているのかもしれない。
キアラが一人で納得していると、蕩ける微笑みを浮かべて遠くを眺めたままのセオドリクに対し、ラシードがわざとらしく咳をしてから質問を始める。
「ユリンには何処で会った?」
ユリン=ロングはラシードの乳兄妹であり、城では彼の侍女として仕えている。
城の中にいる人間が外に出るのは珍しく、偶然というのはあまりないことだ。
エルフが偽りを言わないというのを知っていても疑いを抱いて問えば、ラシード視線で見えるセオドリクの平凡な茶色の瞳が恐ろしく輝いて、平凡顔を目にしているラシードですら思わず一歩後ずさる。
それ程であるからして、エルフ本来の姿を目にしているキアラは卒倒しかけ、ラシードに腰を支えられる始末だ。
「おや、大丈夫? 僕の恋心に当てられないでよ」
楽しそうに笑うセオドリクが、距離を取った二人に大股で身を寄せた。
「エルフが人に恋をすると破滅に進むって知ってる?」
「破滅?」
にこやかに不穏な言葉を発したセオドリクに、ラシードが同じ言葉で返す。
「そう、破滅。身を滅ぼす恋になるってこと。それがどんなものなのかと悩んだのが始まりなんだけど――」
こうしてセオドリクによる長い恋の話が始まった。