実感させられる
ヴァルヴェギア王国騎士団を預かるラシードにとって、セオドリクがエルフ族であることは重要事項となる。限定的であってもエルフの力を味方にできるのは、多くの国を警戒する国において、非常に大きな意味を持つのだ。
エルフがいるというのは、魔力なしを保有している以上の効果を持つ。
魔力なしは魔法の力を無効にするだけだが、エルフの魔法は人の能力をはるかに超えるだけでなく、細くしなやかな肉体に似合わず武器を用いての戦闘能力も高いとされていた。
キアラは気乗りしないセオドリクを幾度となく振り返りながら歩みを促し、城を歩き回ってラシードを捜した。
セオドリクは事が露見して恋した相手の側にいられなくなるかもしれないと嘆くが、側にいられなくなるということがキアラには理解できない。
セオドリクにはエルフ族である特殊性があり、人を支配しない代わりに、支配もされない、どの国であっても権力者と同等の立場にある存在だからだ。
どんな人が恋の相手でも、身分と権力、そして主従関係が存在するキアラとカイザーとは根本的に異なる。
セオドリクの魔法使いとしての実力が如何ほどなのか分からないが、エルフというだけで能力は信用するに値するし、これだけ美しい姿をした男性に恋心を告白されて嫌な気分になる女性も珍しいだろう。エルフや人の間で恋愛は禁じられていないのだ。
エルフ族の存在は大きな戦力となる。ラシードが彼を側に置くのは明白だ。味方になってくれるなら、秘密にして欲しいとの願いは受け入れるだろう。何よりラシードは、人の恋心を茶化す人でもない。
キアラは気乗りしないセオドリクを勇気づけながら歩いたが、不意に視界の先に捉えた人物が誰なのか気付くと、唐突に足を止めた。
「うわっ、危ないな。急に止まらないでよ」
普通の魔法使いならキアラの側にいるだけで気分が悪くなるものだが、さすがエルフというべきなのか。セオドリクはキアラに触れそうになっても平気なようだ。
それでも触れると自分にかけた魔法が消失するのは免れない。
急に立ち止まったキアラに文句を言いつつ、彼女の視線の先に誰がいるのか気付いて綺麗な瑠璃色の細めた。
「おや、あれはカイザー殿下じゃないか。魔力なしを誑かして王位継承権の第一位を手に入れた途端、あっさり捨てたって噂になってるけど……それって君の事だったんだね」
「人間って酷いよね、軽蔑するよ」と、すぐ後ろから聞こえる声にキアラは己の立場を痛感させられる。
分かっている。自分の生まれも身分も、そして立場も何もかもが彼に不釣り合いであることは。
けれど戦場という危険な場所で命を危険にさらし、同じ存在だと錯覚してしまっていたのだ。
そのせいでマクベスの求めにも反発して、己の感情を貫き、第一王子であるマクベスを死なせてしまった。
マクベスは王子であると同時に、ヴァルヴェギアにとって最も必要な魔法使いでもあったのに、キアラは恋する人の身の安全を優先して離れなかった。
その結果がこれだ。
彼は同じ戦場に立って共に命をかけた相手とはいえ、ヴァルヴェギアの第三王子であり、次の国王になる人だ。
顔を合わせるのが嫌でも、気付いてしまっては逃げ出すことなど許されない。
臣下の礼を取ろうと唇を噛み、腰を落とそうとしたところで、視線の先にいたカイザーが踵を返し、背を向け立ち去って行く。側にいたラシードが何か声をかけたようだがキアラの耳には届かなかった。
顔も見たくないということだろう。
戦いの最前線に立たねばならない魔力なしと、大国カラガンダから妻を迎える第一王位継承権所有者。不要になった駒はラシードに下げ渡された。
「ねぇ君、今の聞こえた?」
「いいえ。セオドリクさんには何か聞こえたんですか?」
問われて首を振り、カイザーの姿が完全に消えてしまうまで見送る。
キアラが気付いたのだからカイザーも気付いたのだろう。視界に入れるのも不快なものをカイザーは避けたのだ。噂通り、本当に利用されたのだと実感して胸が痛む。
「二人の会話が聞こえたよ。エルフは耳が良いからね。教えてあげてもいいけど、君は知らない方がよさそうだから言うのは止めておくよ」
「お気遣いありがとうございます」
初対面とはいえ、気楽に話をするセオドリクが知らない方がいいと言うくらいだから、キアラが受け止めるには困難な酷い言葉だったのだろう。
落ち込み俯くキアラをセオドリクは黙って見下ろしていた。
セオドリクは「なんだか違うな」と感じて、違和感を覚え首を傾げる。
ラシードは「お前が望んだのだろう?」と、憐れむようにカイザーに声をかけたのだ。
これは何に対して望んだことなのか、噂でしか事情を知らないセオドリクには測り兼ねた。
苦く顔を歪めて背を向けたカイザーの様子と相まって、なんとなく事情は予想できたが、あえて口にするのは良くなさそうだ。
人間は面倒だなとセオドリクは感じた。
魔力なしと第三王子の間に起きたことは誰もが知っている。
他人に興味を抱きにくいエルフ族である、セオドリクでさえ知っているのだ。
戦場に同行していた騎士たちが吹聴したからではなく、城に戻ったカイザー自身の行いが噂を現実のものとして知らしめていた。
長く戦場で共に暮らしたキアラが、カイザーの恋人だったのは誰もが認める事実だ。
けれど城に戻ったカイザーは王位につく身であるのを理由に、相応しい立場や身分にないキアラを躊躇いなく切り捨てた。
これまで見守っていた側仕えの騎士たちは、支え合う二人の恋を応援していたが、マクベスの死によって生じた圧倒的な世界の違いはどうしようもない。互いが納得して別れた悲しい恋だと、誰もが憐れんで噂をしたものだ。
しかしカイザーはキアラと別れたその日に、自室へと女を連れ込んで一晩を共に過ごしたというのである。
恋人と別れた寂しさを埋める為――初めは囁かれた同情の声も、毎夜変わる相手に側近たちは眉を潜めた。
やがてカイザーは昼夜場所を問わず女たちと戯れ、王となるべき者の資質を問われるまでに至る。
その噂はキアラの耳にも早々に入っていたが、カイザーを知っているキアラは噂を信じることはなかった。
つい先日、あの光景を目の当たりにするまでは。
『魔力なしに本気で肩入れするとでも?』
キアラは魔力がないことで劣等感を持っていたが、愛する人の蔑みを含んだ声はこれまでに感じたことのない強烈な劣等感を再び植え付けた。
魔力なしであることを恥じる身であったが、大切な人を守る力であるからこそ恐怖や痛みに耐えることができたのだ。
それなのに『魔力なし』と蔑むカイザーの声が、彼のすぐ側で愛らしく笑う女性の声が、キアラの心を完膚なきまでに打ちのめしてくれた。
キアラにはない、王子に相応しい身分を持つ女性を抱いていたカイザーは、キアラの知らないカイザーだった。
過去に一度とて、あの貴族の娘のように口づけすらしてもらったことがないのだ。
戦場はそういう場所ではなかったが、それでも二人きりになれる時間もあったし、身の危険が付き纏う戦場であったからこそ、求めあう雰囲気に陥ったこともある。
けれどカイザーは常に誠実で、愛を囁いても決してキアラに手を出してこなかった。
『可哀想ですわ』と、嘲笑う彼女の声が木霊する。冷たくなった体から何かが抜け出しそうになった時、ラシードが目の前に立ち「キアラ」と名を呼んだ。