ゆれる
生まれも性別も異なる、同じ戦場で育った娘。
初めて出会った頃のキアラはカイザーよりも年下であるのに、攻撃に自ら飛び込むことを強要される身だった。
魔力なしの存在を知った敵は魔法の攻撃に加えて矢を放つ。
魔力なしが無効にできるのは魔法による攻撃だけで、物理的な攻撃に対しては無力だ。
カイザーは、飛び交う矢に震えながら飛び込んでいく幼い少女の背を幾度となく見送った。
自分よりも年下の幼い少女に命を庇われ、それが当たり前と受け取るほどカイザーは傲慢な王子ではなかった。
三人の王子の中で血筋では二番目でも、最も下層で打ち捨てられても仕方がない存在だったカイザーだが、腐ることなく、与えられた持てる力を最大限に引き出し生き残る術を身につけていく。
傍らには同じく生き残るのに必死な少女がいた。
彼女の背に庇われることを恥たカイザーは、弱い者を守るために大きく成長したのだ。
カイザーにキアラが与えられたのは、最も役に立たない魔力なしとみなされたから。
恐怖をごまかすため、幼さを理由に二人で抱き合い眠りにつく夜も少なくなかった。
いつ死ぬか解らない世界で、けれど最後に生き残ったのは第一王子に与えられた最も優秀な魔力なしではなく、一番下とみなされた魔力なしの娘。
そんな娘をマクベスがずっと前から欲しがっていたことにカイザーは気付いてた。
だから渡すのを拒絶し、そのせいでマクベスは命を失った。
結果カイザーは、どちらにしてもキアラを手放さなければならない運命にいたのだと気付かされたのだ。
「明後日だ」
過去に想いを馳せるカイザーはラシードの声で現実に引き戻される。
「明後日、西に向かう。以後キアラは戦場で生きることになる。側にいるのは軍部に所属する者ばかりだからな、良い相手を見つけたとしても魔力なしの定めからは逃れられまい」
失恋の傷を癒し新たな出会いをしたとしても、ラシードに託されたキアラの周りには軍人ばかりだ。
その中で新たな恋をして結婚し、家庭を持つことになっても、夫が戦いに向かうような立場にあるなら、愛する者を危険から守るために同じく戦場に立つ。
命じられなくてもキアラならそうするだろうことは、指摘されなくてもカイザーには理解できることだった。
「それでも私の側に置くよりはましでしょう」
いずれ王となるカイザーでは、キアラを正式な妻として迎えることはできない。
愛妾として側に置くにも、大国カラガンダより迎える王女が男子を生み、国が安定するのを待ってからになってしまう。
それがいったいいつになるのか分からないだけではなく、カイザーが王になれば、取引の場面で有力貴族の娘を愛人に迎えなければならなくなる場面が数多くやってくるだろう。
そんな世界に愛しい人を引き込む選択はカイザーにはできなかったし、多くの妻を持つ夫にキアラの心はどれ程の傷を負うだろう。
カイザーには、このような世界に大切な女性を引き込むことなどできる筈がなかった。
「兄上は彼女を気に入っている。酷い立場に置かないと信じています」
「私は根っからの軍人だ。有事があれば彼女の平穏よりも目の前を優先する」
恋人と別れただけでなく、信じた相手が私欲のために己を利用しただけだと知ったキアラを哀れに思うが、ラシードも多くの命を預かる身だ。可哀想だからと、魔法使い対策に外せない魔力なしを戦場で使わない手はない。
それでも軍人であるからこそ、自分たちよりはるかにか弱く、魔力もない女性を楯にすることに矛盾を感じているのも事実だ。
変えたいのなら自国を強くしなければならず、変えるためには周辺諸国に手出しをさせないために強国との結びつきを強め、目の前に立ち塞がる敵をなぎ倒さなければならない。
それには国を守るため、カイザーにはカラガンダ王女との婚姻を成功させてもらわなければならず、また戦いの場においては魔力なしは必要不可欠であった。
ヴァルヴェギアにおいて、キアラ以降の魔力なしの誕生がない現在、魔法使い対抗策の最たるはキアラただ一人だけなのである。
魔力なしは生きるために、人の手を借りなければならない厄介な存在と認識されていた。
そのせいで不当な扱いを受けるが、実際にはとても貴重で重要な、大切にしなければならない稀な存在だ。
魔法を無効化できる特異体質は戦場だけではなく、常に命の危険に曝される権力者や、重要な機密を守るためにも、これ以上ない効力を発揮する。
しかし魔力なしは滅多に生まれない稀な存在で、魔力なしの誘拐は国と国とで起きている事実でもある。
だからこそ魔力なしが生まれると国に取り上げられ、家族との繋がりはなかったものにされるのだ。
新たな名前を与えられ、教育される魔力なしは国の物であり、誰か特定の人間と繋がって許される存在ではない。
ラシードも、そしてカイザーも魔力なしが不当な扱いを受けているのを承知していた。
それでも自由を許し手放せば、国力の低下を王族自らが促すものとなる。だからこそせめて手の届く範囲で自由をとも思うが、表立って願うには許されない立場にあるのだ。
特にカイザーは、キアラを不幸にする未来しか持ち合わせていない。
カイザーが信じていると再び言いかけ顔をあげれば、視線の先に見慣れた女性の姿が映り込んだ。
漆黒の髪をゆるく編んで肩に流している姿は、どんなに離れていても誰なのか分かってしまう。
その人の側に男の姿を捉え、カイザーは大いに動揺してしまった。
彼女を傷つけるのが目的で公の場で若い娘たちと情交に耽ようと、心は冷たいまま少しも動かされなかったというのに、彼女の隣に立つ茶色の髪をした平凡な男を認めただけで、カイザーの心は酷く疼いて痛みを伴う。
その男が彼女にとっての特別であるとは限らないし、通りすがりに立ち話をしただけなのかもしれない。
それでも己に禁じたことを容易く許される立場にある存在が憎く、そして羨ましくて、カイザーはぐっと奥歯を噛んで拳を握りしめた。