寄り添ったあの日
炎が瞬く間に視界を覆い尽くした。
燃え盛る光景を目にし、額に焦りの粒を浮かべる少年は、片時も離れず側にいてくれる少女の手をぎゅっと握り締める。
「大丈夫だ、きっと何とかなる」
雨期で濡れた大地。
とめどなく雨が降り注いでるというのに、赤く燃え盛る炎が衰える気配はない。
雨でぬかるんだ地面から伸びる草木が、枯葉のように炎を抱いて燃え上がる。
濡れても強く燃える炎。
これがただの火ではなく魔法によるものだというのは明白で、少女を側に置く少年にも感覚的に理解できていた。
命を脅かす炎を前にして、少年はどうしたらいいのか分からない。
やるべきことは教えられていたが、実行できず、少女を守るように強く抱き寄せた。
少年は少女を安心させると同時に、自分自身にも言い聞かせる為、「大丈夫だ」と、幾度となく同じ言葉を繰り返し発している。
「カイザー様……」
恐怖に怯える少女もまた、不安に押し潰されそうになりながら少年に縋っていた。
少女は少年の腕を力いっぱい握りしめ、少年は少女の縋る手に己の手を重ねて恐怖と戦う。
けれどそれも長くは続かない。
少女は第三者の手により、少年から引き剥がされ悲鳴をあげた。
「キアラを何処へ連れて行く!?」
少女を己から引き剥がした騎士に少年が声を荒らげれば、騎士は奪い取った少女に手早く防具を付けながら、少年を諭すように答える。
「これからが彼女の仕事です」
「助けてカイザー様!」
「キアラ!」
伸ばした少年の手は複数の護衛に阻まれ、助けを求める少女は騎士に抱えられ炎に向かっていった。
「いやっ、怖い。助けて!」
遠ざかる少女から悲鳴が上がる。
恐怖に苛まれる少女の悲鳴は真っ赤な炎へとのまれて行く。
護衛の騎士に自由を奪われた少年は、必死になってもがき少女の名を叫んだ。
「キアラ、キアラっ!」
少年は少女が何なのか知っている。少女が何故このような戦場に置かれているのかも。
それでも怯える少女を行かせたくなかった。
少女が行かなければ自分を含め、この場にいる全ての味方が炎に焼き尽くされると分かっていても、少女だけを燃え盛る炎に投じることを恐れたのだ。
少女と少年は、幼い身を戦場に置いた時から、片時も離れずいつも一緒だった。
大人たちに囲まれた世界で常に寄り添い、互いに依存して、恐ろしい世界で懸命に正気を保ってきたのだ。
幼い少年は少女を失う恐怖に苛まれ、未熟故に現実について行くだけの思考を確立できていなかった。
生き残る為とはいえ、真っ先に傷つくのが心を寄せる存在であることを許容できるほど、心は成熟していない。
少女を追おうとする少年を大人の腕が引き止める。降り注ぐ雨の中、ひたすら少女の名を叫んだ。
炎が少女を呑みこみ悲鳴が上がると間もなく、世界を覆い尽くした炎が勢いを失って消失した。
護衛が力をゆるめると少年は走り出し、やがて地面に倒れた少女の元へとたどり着いた。
「キアラっ!」
少女は焦げた地面に転がっていた。
硬く瞼を閉じて身動き一つせず意識はない。
縋りつこうとしたが、少女を奪った騎士が少年を止めた。
少女が付けた防具の隙間に矢が刺さっている。
「敵はこちらに魔力なしがいるのを知っています。これでは彼女を使い続けることは困難です。殿下、退却のご命令を!」
こちらに魔力なしがいると分かった以上、敵は魔法ではなく、物理的な攻撃を軸に変えてくるだろう。
このままでは主である少年の命が危険と判断した騎士は、少年が取るべき選択を叫び、少女の腹に刺さる矢を折った。
騎士の腕は焼けたのか黒く焦げており、顔の半分も炎で皮膚を焼かれただれているではないか。
苦悶に顔を歪めているが、役目を果たすために全身から汗を吹き出し少年を睨む。
睨まれた少年は恐怖で思わず息を呑んだ。
「魔力なしには魔法が効かない。ここでは彼女の手当てができません。皆の命も危うい。殿下、どうかご決断を!」
唖然とした少年に騎士の声が届く。
騎士の言うように少女には魔法が効かない。
お陰で騎士とは異なり、少女が魔法で作り出された炎に飛び込んでも、体を焼かれることはなかった。
けれど矢を射られ、抜いて出血が始まれば死に至る危険がある。だから抜かずに邪魔な矢を折るにとどめたのだ。
魔法が効くならここで治療が可能だが、効かないとなると原始的な方法に頼るしかない。
騎士は酷い火傷を負っているとは思えない動きで素早く行動した。
少女の背と膝に腕を差し込むと「殿下!」と強く呼びかける。促された少年はようやく「退却」と声を上げるが、その声は震えてか細かった。
「殿下より退却のご命令が出た。敵が攻めてくる前に急げ!」
少女を抱いた騎士が代わりに声を上げる。魔力なしが深い傷を負ったと知られるのも不味い。
騎士は少女を抱いたまま少年を見下ろすと、少年の護衛達に視線で合図を送る。
唖然とする少年は少女と同じように護衛によって抱えられ、戦場から撤退させられた。