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兵隊失格

無限列車編、たのしみ!(陽キャオタク並みの感想)



俺は、気づくとオレンヂに染まった汽車の中に居た。


車窓からは何も見えない。硝子が俺の間の抜けた顔を映している。

まったく此奴の顔ときたら、生気もなく、大海の真ん中で深海を覗き込んだ様な目をしている。そのくせ、気持ち悪い半端に小奇麗な顔をしている。

俺はこの顔を見ていると無性にむしゃくしゃとした気分になった。腹の底からふつふつと、熱した鉛のような感情が湧き上がってくる。そうした熱い感情が身体を駆け巡っていても此奴の顔は平然としていて、亡者のような目からは暗い冷たさしか感じないのだ。


なんで俺は何時までも此奴の顔なんぞ見ているのだろうか。

俺の周りには誰もいない。列車を繋ぐドアから進行方向の客車も見えたが同じように人の気はない。まったく不気味な汽車だ。


はて、俺は何時からこの汽車に乗っているのだろうか。

どこで乗ったのかすら皆目見当がつかない。

確か浦賀で復員船の帰りを待っていた。駆逐艦が南東から生き残りを乗せて昼過ぎに帰ってくる。俺はそれを見に行った。

アァ、そうだ。そこまでは覚えている。俺はその後、あの場の居心地の悪さに酒の一杯でも引っ掛けようと横浜まで行こうとしたのだ。


成程、そして俺は酒のせいで前後不覚になり、よく判らない汽車に乗ってしまったということだ。

辻褄は合う。だがそれにしては今の俺の頭は冴えているし、喉の渇きとか気分の悪さもない。


ならばこう云うのはどうだろうか。これは夢の中なのだ。

酒に溺れた俺は今頃何処かの路地裏で倒れ寝ているのだ。

そして、心だけは夢の中でこの不気味な汽車に乗っているというのならばまだわかる。

そうに違いない。にしては全く心地よくない夢である。


それにしてもこの汽車はどこへ向かっているのだろうか。

呑んでいたのが横浜なら東京行きか小田原行きか。まさか横須賀に戻っているのだろうか。他に路線はあっただろうか。どうもこの辺の路線は覚えきれない。

窓の外は何時までも変わらぬ。ただただ底知れぬ闇と硝子に反射した車内があるだけである。酩酊するほど飲んだのだから多分終電間近であろう。

いやいや、夢の中の汽車が果たして現実の時間に即しているのかは疑問が残る。向かう先もまた然りだ。


ともすれば夢の中の汽車は目的もなく走っているのだろうか。

それも違う。

俺には何となく目的地が分かる気がした。





「何故、お前は手紙なんぞ書いているのだ」


俺は深夜なのに蝋燭の明かりで必死に手紙を書いている友人に呆れていた。

明日が内地に向かう最後の船の出航だとは知っている。

だからといってわざわざ何を書くのだろうか。船は3日前にも出ていたし、友人はその時も手紙を出していた。


「お前は送る相手はいないのか?前の連絡船の時も送ってないじゃないか」


「俺には別に送る相手などいない」


「では、お前は何時も何の為に戦っているんだ?」


「何の為?」


俺は唖然とした。考えたことがなかったからだ。

人殺しに何らかの理由をつけたことなどなかった。命令されたから、それ以上の理由などない。


俺と違い、友人にはこの戦いで人を殺す理由があるのだと云う。

それは家族の為だと。国に残してきた思い人の為、戦えない友人の為だと。

人は皆、戦う意味を持っているという。

だから、残虐な行為と知りながら戦えるのだという。


全く驚いた。


俺は別に誰かの為などと思った事は無かったし、かといって殺しが生き甲斐でもない。

お国が俺に兵士になれというのだから兵士になった。

金も飯もくれる。不自由がないのならば断わることもない。死ねと謂われれば困るが、幸いにも俺には死ねと謂ってこなかった。


「答えられないのが、お前だ。半月ばかりの仲だが良く判る」


友人はそう言い笑った。

いまいち俺には分からなかった。


「送ったらどうだ。家族でも、親戚でも、友人でも、知り合いでもいい。お前とて一人で生きてきたわけではあるまい」


「いや、いい。別段、知らせることもない。手紙なんぞは己で完結できない者が心を満たす為の道具に過ぎないのさ」


「そうか?それは寂しくないのか?」


「ちっとも寂しいと思った事など無い……お前は寂しくないのか?」


その問いに友人は目を細め、口元にうっすらと笑みを浮かべたのみだった。


結局、俺は手紙なんぞは書かなかった。

送る相手がいないわけではないが、今更俺から手紙が送られてきたところで気味悪がられて仕舞だろう。


そもそも俺は手紙を送る理由も判らないのだ。

どうしてわざわざ近況を家族に伝えるのだろうか。元気ですと伝えて何になる。相手方にいつ途絶えるかもわからない近況報告を延々待ち続けさせるのも酷だと思わないだろうか。送り主が死んだ後に、未練たらしく、己の存在証明が残ることがそんなに大事だろうか?


しかし、友人は全く幸せそうな顔で、書いた手紙を持って兵舎を出て行った。

俺には分からないが、友人には大事なのだ。だから、俺はその無意味さをこれ以上、問い詰めることはしないのだ。


俺はただボンヤリと一人になった部屋で蝋燭の火を見つめていた。





ふと、俺は目が覚めた。

どうやら夢を見ていたようだ。

良い夢ではなかった。なんたってこんな夢を夢の中で見るのだろうか。

きっとあの時の記憶は俺の中で何か大きな痕になっているのだ。故に浅い夢の中で、更に深い夢としてあの日のことを思い出してしまうのだ。そうに違いない。

にしても汽車の夢は醒めぬものだ。


誰も乗っていない汽車は、何処に止まることもなく、走り続ける。

せめて窓から星空でも見れたら気が休まるのだが、一切の闇が広がるのみであった。


ふと、俺はもう一つの可能性に気付いた。


俺はもう死んでいるのではないのだろうか。

この汽車は、俺を地獄へと運ぶ為に走っているのではないだろうか。


そう思えば納得がいくのだ。

誰も乗っていないのも分かる。俺ほどの罪や咎を背負っている人間は他にはそう居ないだろう。


友人に出会って、そして彼が俺の目の前で自死した時、俺は世間との価値観の違いをまざまざと思い知らされた。

それは俺の人生が罪と恥で成り立っていたことを白日の下に晒したのだ。


俺は、俺が殺した数多の兵隊たちに、初めて同情と後悔の念を抱いたのだ。

その瞬間に、俺はなんと惨めな、矮小な人間であったかと思い知ったのだ。

俺はまるで道化であった。それも阿呆な道化である。自らが笑われていることにも気づかずに笑わせていると思い込んでいる間抜けな道化である。

友人はそれを見抜いていた。にも関わらず、友人はただの一度も俺を否定はしなかった。

それこそが『人間的』であり、俺以外の人間の持つ人間性というやつであった。



友人は、司令部が陥落した日に、自らの頭を撃ち抜いた。

皆、そうしていた。


俺はそうしなかった。

俺はそうできなかった。


俺は意地汚くとも生きたいと思ってしまった。




目を開けると、照る日が沁みた。

直ぐに人々の喜怒哀楽様々な音が俺の鼓膜を震わせた。


港には兵隊の帰りを待つ家族や近所の野次馬やらが集まり雑踏としている。

俺はその人込みを避けて、少し離れた喫茶店でぼんやりと人混みを見つめていた。

店内には、水兵が別の船から降りたのか、ワイワイと話しているのが見える。


暫くして船が港に入ってくる。手を振る兵隊たちに人々は歓声を上げて迎える。

俺はその耳障りな声が気に入らなかった。


船から兵隊が下りてくる。皆ボロボロで、中には包帯を巻いた者、松葉杖をつく者、腕や足がない者もいる。そんな彼らはいろいろな表情で家族や友人や親戚たちと出会う。

家族と会えて嬉しいか。思い人と死別して悲しいか。生きて帰ってこれて辛いか。戦いに負けて悔しいか。


何故、笑う。

何故、泣く。


俺たちは人殺しだ。人殺しなのだ。

俺だけがただ独り、このことに苦しみ生きているのか?

今でも他人を見るたびに、嫉妬が傷口を広げるのだ。塞がらぬ傷口が腐り膿み、蛆が沸いているのだ。

誰からも見向きもされぬ。独り十字架の前で己の掌の傷を見つめているのだ。

俺は皆んなが祈っていた時だって祈ることはしなかったが、今なら祈りが分かる気がする。


俺はあの日の友人を思い出した。

彼は何を書いたのだろう?誰に送ったのだろう?

それが彼の指を軽くしたのだろうか。



成程、戦う意味などはないのだ。ただ、ただただ己の傷口を縫うための針と糸が欲しかっただけなのだ。痛みを忘れることができる薬が欲しかっただけなのだ。安らかに、苦しまない為の麻酔のような死が欲しかったのだ。


俺はこの場の居心地の悪さに顔を顰めた。

戦いが終わり、兵士は兵士でなくなった。確かに元の生活に戻り平和に生きていけばいい。だがそれは簡単なことじゃない。少なくとも俺には簡単なことじゃなかった。



俺たちは兵士だった。




車窓に映る車内の向こうに、暗闇の奥に、俺が置いて行った数多の顔が映っている気がした。

友人が俺を観ている気がした。

汽車に揺られながら頭の中でぼんやりしていた思いが喉から出てきた。が、その言葉を俺は胃まで飲み込んだ。

大体のことは過ぎ去っていくのだ。何も言葉に出して残すことなどない。そう思った。

俺はただただ黙って友人を見つめていた。



硝子に映った俺は笑いかけた。



「貴様は、兵隊失格だな」




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