居酒屋店主バルバレ
これで一体いくつの扉を開いたのだろうか。
実際に開いたのは目の前にあるこの扉一つだが、そこから開かれる世界はいくつもの光景を私に見せた。最初に開いた扉は荒廃したビル群でゾンビに襲われるような場所だった。その次は確か、どこか知らない町の小さな居酒屋に繋がった。
その居酒屋で、私はこの世界と、そしてこの扉の仕組みをなんとなく理解し始めることができた。
扉は居酒屋の入り口でも何でもないただの壁に発現していた。そこから恐る恐る出た私だったが、突然現れた私に店員は驚いていた。
「あんた! 一体どっから出てきたんだい?」
「いや、あの扉から……」
私は背後にある扉を指したが、店員には見えないようだった。
「なんだか不思議な恰好で不思議なことをいう人だけど、客は客だ。そこの席に座ってくれよ」
私が断ろうとする間もなく、椅子に座らされて冷水を出された。そしてメニューらしき木札が差し出された。しかし、その言語は私の知るものではなく、とても読めるようなものではなかった。
仕方がないので辺りを見回すと、カウンターの背後にいくつもの酒らしきものが並んでいた。
知らない言語で書かれた酒が売り出されているようだが、飛び交う言葉は私の知っている日本語だった。
「フンザ一つくれ! 生ドゥールもな」
「こっちには蒸かしポレトちょうだい!」
居並ぶ客たちは、どれも異様に薄汚れており現代日本のそれでないことははっきりと分かった。
私はあの扉でどこまで飛ばされたのだ?
以前は廃ビル……。あそこはそれでも私の知る文明があったはずだ。
いつまでも注文をしないで座っている私に気づいたのか、先ほどの店員が近づいてきた。
「なあ、あんたもしかして文無しかい?」
「え、ああ、まあそうです……。 それとこの木札も読めなくって……。 すみません」
その時、私の腹の音が鳴った。店内の喧騒の中だったが、店員にはどうやら聞こえていたようだ。
「しかたないねえ。私が席にすわらせちまったんだ。一つぐらいなら作ってやるよ。蒸かしポレトでいいかい?」
「あ、はい。ありがとうございます」
しばらくして差し出された料理は、とても美味しそうなにおいを漂わせていた。見た目は完全にじゃがバターだ。味は……。うん、じゃがバターだ。
私は店員に再度礼を言った後、店を出た。
もちろん正規の扉からだ。
扉を出ると、そこは砂が舞い上がるような荒野の町だった。まるでアメリカの映画でよく見た光景だ。居酒屋の正面には屋根付きの建物が横に並んで広がっており、中央道は馬車が通るためなのか広く作られていた。作られていたとは言ったが、ただ単に踏み固められた地面があるだけだが。
中央道を道なりに歩いていく。結構な広さがあるようで、様々な店が立ち並んでいた。靴屋、洋服屋、あとはなんだかよくわからないものまで。立て看板に絵が描かれた店はなんとなくわかるが、文字だけの店は読めないので店内を覗かないとどんな店かわからない。
私は一つの店に目をつけ、店内を覗いた。薬屋……だろうか。漢方に近い独特のにおいが鼻をつんと刺激した。
こういう店もあるのか。なんだか世界観とちぐはぐなイメージを抱かせる。
「やあにいちゃん」
私は駆けられた声に咄嗟に振り返る。すると二人組のいかにもいかつい男たちがそこに立っていた。
「どうにも不思議な恰好してるけどよお。あんた金持ちのぼっちゃんか? すまねえけどよ、俺らに金を少し恵んでくれねえか?」
カツアゲだああああああああああ。
モヒカンのように剃られた髪。眉は無く、服装もとんでもなくガシャガシャした感じになっている。
人の格好をバカにしてるけど、お前らも大概だよなあ!?
とりあえず逃げるしかない。肩さげリュックに仕込んでいたラッカー塗料を男たちに吹きかける。
「うがああ、なんだこれは!?」
慌てる男たちを尻目に私は全力でダッシュした。しかし男たちはすぐさま追いかけてくる。
やべえ、さっきの居酒屋とは反対方向に逃げちゃった!
扉がこっちにないぞ!
そう思って軽く絶望しながら走っていたが、不意に左手の建物に見知った扉を発見した。
私は無我夢中でその扉を開き中に入る。
追いかけてきた男の怒声はぱったりと消え、いつもの私の知る六畳一間に静寂が訪れた。
ああ、この扉。
どこにでも湧くんだなあ。
モヒカン兄ちゃんたちは兄弟で、お兄ちゃんの方はセッツァ、弟がムワンダ。セッツァは幼い頃から両親を亡くし、荒野の町一人でムワンダを支えてきた。時には万引き、時には窃盗。あらゆる手段を使ってでも食べ物を手に入れ、それを多めにムワンダに分け与えていた。しかし子供にとってはとても危険で、手痛い暴力にされされる日も少なくなかった。この荒野の町では、子供に対しても容赦はなく、人によっては刃物まで使う。
頭を切りつけられたときは、それを弟に隠すために髪の毛をモヒカン状にそり直した。
ムワンダはそれに気づいており、自身も兄セッツァの痛みを分かち合うためモヒカンに剃った。
こうして二人で生活していくうちに二人は強くなっていった。服装は、切りつけられても大丈夫なように革で加工し、少しでも威圧的になれるように眉も剃った。
街を巡回し、金目のありそうなやつにカツアゲをしていくうちに、この町一番のチンピラに成り上がった。だが二人は幼い頃の自身のつらさを知っている。それだけに稼いだ金を自身だけで使うことに抵抗を抱き始めていた。
セッツァは、町の中央から東に向かったところにある廃屋を陣取り、孤児院のようなものを作った。そこでは、荒野の町で野垂れ死んでいくしかない子供が集められ、共同生活を送る仕組みが作られていった。兄弟は自分たちの過去に救いを求めたのだ。
やがてそれを知る町民たちは増え、寄付金が寄せられるようにもなった。だが、兄弟は生き延びるために悪いことをたくさん行ってきた。それらは決して正当化していいものでもない。だから今でも兄弟はカツアゲ紛いの事をする。社会から爪弾きにされようと、この子らにそのような悪事をさせないために。
この荒野の町では、カツアゲは黙認されている。それは町民全員が幼い子供たちを守っていくための、一つの結束でもあった。