第40話 ジャックの恐るべき罠
アリッサも水から顔を出して自分の順位を確認する。ゴーグルを外して、ダイアナのいる方向を見る。対戦相手のダイアナは、怒りを堪えて震えていた。アリッサには、彼女がトイレを我慢しているかのように見える。
「あの、大丈夫ですか? トイレに行きたいのなら、あっちの方に。ビデオ判定した方が、私も納得できますから……。勝敗は、微妙なように感じましたが、どちらが勝ったか分かりますか?」
アリッサは不安げな表情で聞く。全力を出して負けたのなら納得もできるが、それでもグロリアスを失うのは苦しかった。今までずっと一緒にいれると感じていた男性が、他の女の物になるかもしれないのだ。アリッサは、呆然とした表情をする。負けたかもしれないのだ。
「ふん、アリッサさんの勝ちよ! 映像を確認するまでもないわ。ねえ、グロリアスのおっさん?」
ダイアナはそう言って、プールサイドへ上がる。そして、グロリアスの足を絡めて、事故に見せかけて突き落とした。当然だ。たとえ若く見えても40代、20年以上も告白らしいアプローチをし続けた上で振られたのだ。
この結末は、普通の40代ならば殺害しても同情されるほどのレベルだろう。なんとかグロリアスを許して、彼を諦める必要があるのだ。彼女は、グロリアスとアリッサの一緒にいる雰囲気を見て、ある程度覚悟していた。
いくらお金があり、女性としての美貌を磨いても、実らない恋はたくさんある。その為、キマイラ達を調教して、彼女の恋人になる人物を育成させていた。その彼らの姿と、最愛のロバートの姿を思い出し、彼女の悲しみを慰めていた。美しい顔に、数滴の雫が滴る。
「ふふ、失恋、しちゃった……。今まで、無数の男達をゴミのように振ってきたバチが当たったのかしら? 40代になる、このタイミングで振られるなんて最悪よ。グロリアス、アリッサにも同じ事をしたら許さないからね!」
ダイアナがそう言って、プールサイドから逃げて行く。すると、彼女の周りに数人の男達が待ち構えており、バスタオルで彼女の顔と体を包み込んでいた。彼女の悲しい顔を他人に見せたくないという事を考えての配慮だった。
バスタオルに包まれた彼女を抱きしめているのが、ダイアナが育成した中でも飛び切りのイケメン・ロバートだろう。グロリアスの方を見て、殺意の篭った目で睨み付けていた。ロバートが合図すると、数人のスーツを着た男達がプールへ飛び込んでいった。
グロリアスをボコボコにして、悲しんでいるダイアナの恨むを晴らすのが狙いだ。10人以上の男達が、無防備に倒れ込むグロリアスをボコボコにしようとしていた。それを見て、ダイアナは優雅に微笑んでいた。いつもの自信に満ちた笑顔だ。
「うふふ、殺しちゃダメよ?」
「ダイアナ様の気が済むまで、彼にはダメージを食らってもらいます。もう良いと思ったら、我々に指示を与えてください」
「ふん、1時間くらいボコボコにしてあげなさい。私は、もう休むわ。プールサイドに寝っ転がって、マッサージでもお願いしようかしら? ロバート、私の体をマッサージしてくださる?」
「精神誠意を持って、業務に当たらせてもらいます!」
ダイアナは、ビーチパラソルのあるプールサイドのイスにもたれ掛かり、うつ伏せになって無防備な背中を見せる。ブラジャーのフォックを外し、マッサージオイルを塗られ始めた。白い肌と彼女の火照る顔が合わさり、色っぽい表情を見せる。
「ああん、気持ち良いわ。変な声が出ちゃう……」
「ダイアナ様が気持ち良くなってくださり、このロバートも幸せです。全身隈無くマッサージさせていただきます!」
「あっ、ああっ、良い!」
ダイアナは、グロリアスに聞こえるくらいの大声で叫び始めた。どうやらグロリアスが悔しがるのを見ようとしているようだ。彼女は、グロリアスの表情をチラリと見る。最も効果的な攻撃は、彼女の色っぽい仕草であることを理解してほくそ笑んでいた。
(アリッサには負けたけど、グロリアスには勝ったわね!)
グロリアスは、執事と化したキマイラ達の攻撃を受け流していたが、ダイアナのセクシーな格好には耐えられなかったようだ。鼻から血を流し、気を失いかけていた。
グロリアスが苦しんでいるのを、プールサイドで嬉しそうに見ていたのはダイアナだけではなかった。彼らには気付かれない他の客に紛れ込んで、黒いビキニを付けた茶髪の女の子がイスに座ってくつろいでいたのだ。
見たところ私と同じ13歳くらいの年齢であり、バストはBカップほどありそうだった。私と比べれば、それなりにナイスバディーだ。その近くには、ガタイの良い男性が食事をして、グロリアス達を見守っていた。
「ぷぷっ、あのグロリアスとかいう男、女の子のセクシーな格好を見て悶えているよ。アイツさ、絶対に童貞だよね?」
「無責任に女の子を泣かせる男よりかは、童貞を守っている男の方が魅力的に見えるが? お前だって13歳で処女じゃないか。たかだかBカップくらいの体で粋がってんじゃないぞ」
「あん、キングが私を抱いてくれるのなら、すぐにでも処女を捨てられるのにな……。良いんだよ、キングの好きにしても……」
茶髪の少女は、黒いビキニを引っ張り、キングと呼ばれる男性を挑発する。少女の肌は白く、並みの男ならメロメロにされてしまうだろう。ちょっと生意気な態度をしているが、キングという30代の男性に惚れているようだ。
「ふん、ガキにしか見えんな。子供を産めるようになるまでは、後5年は成長が必要だ。若い時に性行為すると、生殖器付近が癌になりやすいと聞いたぜ。後5年くらい大切に取っておけよ。その後は、俺のマグナムでイカせてやるからよ。まあ、俺を惚れさせるくらいの器量が必要だけどな」
「やーん、私もキングのハートを撃ち砕いて、悩殺させてやるんだから!」
「ふん、俺が死ぬ時は、お前が俺にトドメを刺すんだぜ? 失敗るんじゃないぞ?」
「ふふ、キングのハートは私だけの物♡ 長生きさせて、死ぬ瞬間に私のショットで殺してあげる♡ 他の女になんて、絶対に渡さないわ!」
「くっくっく、お前はそれで良いんだよ! 俺以外の男なんて気にするな」
「はーい」
茶髪の少女は、無邪気に笑う。その笑顔は、私と同じ歳であるような子供の顔だった。彼から貰った赤いカーディガンを身にまとい、ふふっと少女の笑みを浮かべる時もある。まるで、夫婦のような関係の2人だった。
それとは対照的に、私の近くにいる同い歳くらいの2人は喧嘩が絶えなかった。私とハンナは、水泳の初心者という事でジャックから泳ぎ方を学んでいる。変態という認識をしていたが、泳ぎを教えるのはとても上手かった。
変なところを時々触ってくるが、事故として処理していた。ハンナ以外にはワザとではないのだろう。ハンナは、彼に触れられた場合、瞬間的に攻撃しているようだが、全て避けられていた。アレも賢者能力の一種なのだろうか?
「この、オッパイとお尻を触りやがって……。警察が生き残っていたら、今頃逮捕されているはずだぞ!」
「残念、事故だよ。仮に警察が生きていたとしても、ムリやりハンナちゃんを抱えて逃るだけの実力はあるつもりさ。僕がハンナちゃんに何もしないのは、焦る必要がないからだよ。警察がいたら、今頃は軟禁して同棲生活を送っているはずさ!」
「笑顔でとんでもない事を……」
ハンナは、完全にジャックに目を付けられていた。戦慄を覚えるほどの恐怖だが、何もして来ない以上は逃げ続けるしかない。泳ぎの技術を急速に学んで、数分後には2人とも泳げるようになっていた。ある意味、彼が泳ぎを教えるのは抜群に上手い。
「ほう、なかなか上手く泳げるようになったじゃないか。手取り足取り教えた甲斐があるね。この調子で、ハンナちゃんの生涯も僕が手取り足取り教えてあげるよ。どんな事も水泳のように僕がじっくりと教えてあげるからね。
ハンナちゃんの初めては、全て僕の物さ。ふふ、僕の腕の中で可愛く踠いていた頃が懐かしいよ。さて、次はどんな事を手取り足取り教えてあげようかな?」
「ふん、もう泳げるからジャックなんてどうでも良いよ! ローレン、早くあいつから逃げよう! もう奴は必要ない!」
「うん……、ありがとうございました!」
私とハンナは、ジャックから逃げるように泳ぎ始めた。遠くへ行き、彼と接触しないように努める。私は、感謝の言葉を述べてから、ハンナと同じように泳ぎ始めた。
私達が急速に遠のいていくが、ジャックは笑うような表情を見せていた。彼は、唇を触り、いやらしい表情でハンナを見守っていた。
(くっくっく、可愛いらしいハンナちゃんだ。僕が全てを教えていると勘違いしているね。だが、僕はまだ君達に息継ぎの仕方を指導していない。君が溺れて、人工呼吸をしてから、じっくりと教えてあげるからね)
ハンナは、かなり泳げるようになっていたが、彼の想像通りあまり息継ぎは得意ではなかった。水が鼻に入ったのか、ちょっと泳ぎが遅くなっていた。私も同じように、呼吸をする為に平泳ぎになる。呼吸を整えて、酸素を取り入れる。そこをジャックは見逃さなかった。
「むむ、ハンナちゃんが苦しそうだ。一刻も早く助けなければ!」
ジャックは、恐ろしいほど素早くハンナの元へ向かう。人間の動きではない。ジョーズに襲われるような緊迫した空気を感じ取っていた。私を一瞬で追い越し、彼女を優しく抱きかかえる。彼女は、口の中に水が入っており、上手く喋ることができない。
「うわ、大丈夫……」
「今、人工呼吸で助けてあげるからね!」
ジャックは目を閉じて、ハンナの唇に自分の口を近付ける。彼女の唇が触れようかという瞬間、重い衝撃を受ける。ハンナの攻撃がクリティカルヒットして、プールサイドまで一直線に吹っ飛んでいった。彼は、まるでモーターボートのように水上を駆け抜ける。
「はあ、はあ、はあ、油断できない……。あの距離を一瞬で移動して来るとは……」
私は、ハンナの攻撃を受けてジャックは死んだと思っていた。プールサイドに激突して、プールの壁が派手に抉れていたのだ。普通ならば、怪我をして入院といったレベルだろう。
彼はプールサイドまで吹っ飛んだが、ダメージは最小限で回避していた。スピードは一向に衰えておらず、彼女の攻撃を受けてもピンピンしていた。私は、「生きてる!」と呟いていた。
「やれやれ、ハンナちゃんの照れ屋には困ったものだ。王子様が助けてあげたのだから、素直にキスを受け入れれば良いものを……」
「アイツ、本当に強い! 身体能力と賢者能力を駆使しても、私では勝てないわ……」
「ええ……」
私とハンナは恐怖を感じていた。ジャックはその恐怖を助長するかのように、水面に直立して立ち、私達の前へゆっくりと近付いて来る。最初からコレをやられていたら、水中内では勝ち目がなかった。動く事もできず、彼が歩いて来るのを眺めているしかできない。




