そして彼女はフォーク片手に男の甲斐性を説いた。
インフルエンザに罹ったので柄にもないラブコメを書いてみました。
(旧姓)柏樹柚子さんは中学時代の先輩だ。
放送部と合唱部を掛け持ちしていた彼女は演劇の類に興味があったらしく、学校に演劇部が無い事を嘆いていた。
「脚本とか演出で食べていきたいけど、狭き門だよね」
「少なくとも柏樹先輩には無理でしょ」
そこらのアイドル顔負けの美貌に、中学卒業を前にGカップを越えた抜群のプロポーション。
さる大物俳優の私生児という噂もあったが、だからどうしたと言わんばかりの風格が彼女にはあった。少なくとも当時の在校生達は柏樹先輩の水着写真のお世話になっていたし、練習試合に来た他校の生徒に告白されたとか、教育実習生に口説かれたとか、そういう噂が絶えない人ではあった。
「売りさばいた側が言うのもアレですけど、先輩えげつないっすね」
「産んでくれた母親には感謝している。高校までは学費出してくれるって話だし」
春は清純そうな制服姿。
夏は背徳的なスクール水着。
秋は健康的な体操服。
冬は身体のラインがはっきり見えるセーターに地味眼鏡。
放送部の後輩だった僕は、従兄より貰った一眼レフカメラに増設するレンズ代を稼ぐため柏樹先輩の誘いに乗った。高山植物とか昆虫とかキノコを撮影するために揃えた機材は、スクール水着の股間から滴り落ちる液体とか、セーターを押し上げる膨らみの先端陰影を強調して印画紙に焼き付けるために使用された。
ネガは全て柏樹先輩に預けてあるので僕は悪くない。
売り上げの一割ほどが僕の取り分ではあったが、高校を卒業して働き始めた後、放送大学の諸費用になったので色々と感謝している。
◇◇◇
中学卒業後、(旧姓)柏樹柚子先輩とのつながりは綺麗に切れた。
首都圏の高校に通いつつモデルの仕事を始めたとか、アイドルの事務所に入ったとか、どこぞの偉い方の愛人をやっているとか、そういう根も葉もないけど信じてしまいそうな噂が同窓生の間で飛び交った。
つまり、それほど彼女は綺麗に痕跡を消した。
彼女と同窓生だったという女子達は「生意気なので囲んで一発殴ったら変形ツームストンドライバーからのジャイアントスイングで逆襲された」らしく、中学時代に陰湿ないじめは無かったが同時に彼女の友人と呼べる存在も皆無だったようだ。
あの人らしいエピソードではある。
実際彼女は人のつながりを学校の外に見出しており、それは彼女の人生設計において知識と教養は必要でも学校という枠組と学生という身分は最低限の価値しか見出されなかったということだ。画質よりも構図と流れを重視したいという彼女は普及品のビデオカメラで無声映画仕立ての短編動画を山ほど造り、その倍の数だけシナリオとコンテを切っては国内外の映像作家やプロデューサーに送り付けるのを趣味としていた。
「親元離れて自活できるようになったら自作映画の上映会とか即売会に出展するのが楽しみなの。その時は声かけるから売り子を手伝ってちょうだい」
中学卒業式の日、柏樹先輩は僕にその言葉と新しい携帯番号を伝えてくれた。
今までの番号は既に解約済みという事らしい。
僕の高校生活そのものについては、特筆するようなことはない。
世の不景気に飲み込まれた父の勤め先が不渡りを出して倒産してしまったが、比較的早い内に再就職先を見つけることが出来た。ただし収入が大きく減じてしまったため、大学生の姉を中退させるか僕が進学を断念するかという二択が突きつけられただけの話だ。
「姉ちゃん、いま四年生だろ。就活でそろそろ決まりそうなんだろ、なんでここで中退なんて選択肢が出てくるんだよ」
「丈、あんた」
「篤子姉ちゃん。通信大学ってヘタな学校よりレベル高いんだぜ?」
嘘は言ってはいない。
柏樹先輩と同じキャンパスに通えるならば大学生活も楽しかろうが、今のままならば社会に出て働く方がマシという思いの方が強い。アルバイト先のステーキハウスは老舗肉屋がオーナーをやっているFC店で、肉の買い付けや配達業務に尽いてくれる社員を探していた。学歴で弾かれるのは判っていたが、アルバイト先の田蔵店長が添えてくれた紹介状が効いたのか、高校卒業と同時に正式採用されてしまった。
不思議な話もあったものだと高校の担任は驚いていたけど、ここ最近雇った高学歴の新入社員が相次いで同業他社に引き抜かれ「学歴の高い奴は信用ならん」という鶴の一声があったようだ。
◇◇◇
と、まあ。そういう事情があった。
新入社員というのは覚えなきゃいけない仕事が山ほどある訳で、アルバイト上がりで多少の慣れはあったとしても社員になったことで初めて触れることを許される業務は山ほどある。そして食肉を扱う上で学ばなければいけない知識や取得必要な資格もたくさんある。
それでも客商売の一環なので最低限の外部情報は取り込んできたつもりだし、時事の話題にはついていけると思っていた。
「いや、めちゃめちゃ世間知らずだよ香住君。一時期ものすごーく話題になったよ、陰口とかもすごかったけどね」
「はあ」
赤身肉が最高にうまいという評判の牛を求め、社長のお供で北イタリアまで出張してきた翌日。
社員寮代わりにと会社が借りてくれた安アパートの部屋に柏樹柚子先輩がいた。なんか三日くらい部屋で生活していた痕跡があり、随分と片付いた食卓にはザ・和食なスパゲティナ・ポリタンが目玉焼き付きで用意されていた。
「ささ、召し上がれ」
「その前に色々と唐突すぎて警察に通報するタイミングを逸してしまったんですけど、とりあえず六年ぶりですね柏樹先輩」
「私としては君が六年前とまるで態度が変わらないことを喜ぶべきか嘆くべきかを悩みたいところなんだが──君はテレビとか映画などに興味はないのかな」
若干笑顔を強張らせながら質問してくる柏樹先輩に、そういえば進学を断念して今の仕事先でインターンっぽい事を始めてからそういう物とは縁遠い生活を送っているなと今更のように自覚した。
もちろん驚いているし警戒もしているけど、考えてみると柏樹先輩は中学時代も僕の部屋に勝手に入り浸るような人だった。両親に何度となく「丈のカノジョ」と誤解されたけど、都合がいいからと柏樹先輩が訂正してくれることはなかった。
六年ぶりに見た柏樹先輩は、相変わらず美人だった。
以前より身体を絞ったのか腰から脚にかけてのラインが細くなり、その分だけ胸元の凶悪さが一段と凄い事になっている。元のバイト先や肉の納入先でいかにもモデルや芸能人といった感じの女の人達を見かけることもあるけど、彼女たちと比べても決して劣ってはいないだろう。むしろソッチの業界が柏樹先輩を放置しているとは到底思えない。
「残念ながらグラビア業界とかセクシー業界には縁遠くて」
「はっはっは。香住君はナポリタンにはタバスコ一瓶ぶっかける人だったかなー、今すぐ用意してくるよ」
「ステイ、先輩、ステイです。マジな話、職場と出先の往復で、アパートで寝泊りできるようになったのも今年になってからなんですって」
「……ブラック企業?」
いやいやいや、とんでもない。
少々真顔で先輩が訊いてくるので、それについては否定した。
不健康な身体と舌で肉の味が分かる筈もない、というのが我が社の方針。もちろん健康を損ねた人のための優しくも滋養ある肉を用意することも決して怠らない。上質の蛋白質は万人の味方。
まあ、人生を全速力で生きてる上司は沢山いるのだけどね。
その辺を含めて僕は柏樹先輩に近況を報告した。
家庭の事情で大学進学を当面見合わせていること、当時のアルバイト先の伝手で今の会社を紹介して貰ったこと、覚えることや取得したい資格が割とたくさんあること。あとはプライベートの事を少々。合コンに行く暇があったら昆虫採集に走る上司とか、給料の半分以上を食べ歩きにつぎ込んだら顔を覚えられてしまい技術職なのに下手な営業よりも販路開拓に成功してしまった上司とか、柏樹先輩は楽しそうに聞いている。
「篤っちゃんに聞いてたけど香住君ほんと枯れた生活だったんだねー。中学の頃はセクシー三昧だったのにさー」
「桃色だったのは先輩の周辺だけですよ。先輩が卒業した後は、風景とか動物とかそんなのばっか撮ってましたし」
「うん。部屋にアルバムあったから見せてもらったよ」
姉と柏樹先輩は交友が続いていたらしく、僕の近況どころか現住所や部屋の鍵の隠し場所も姉を通じて知っていたようだ。
いちおう履歴書の趣味欄に写真の二文字を入れる程度には嗜んでいるつもりだけど、正式な部活動に所属したことはないし、被写体は神社の鳩とか半分廃墟と化した地元のアーケード街とか、社員価格で買った揚げたてコロッケを手に公園のベンチで黄昏れていると音楽隊を結成できそうなくらい集まってくる犬とかカラスとか猫の群れだ。
「とても愉快な写真だった。香住君らしい」
僕らしい写真と言われても。
「中学時代に撮ってたのは先輩のセクシー写真ばっかりでしたよ?」
「うん。私をイチバン美人に撮ってくれた写真だった」
日付も変わろうかという時間帯に、そういうのは卑怯ですよ柏樹先輩。
こっちはギリギリ未成年ですけど社会人なんですよ。僕の部屋に何泊してたか知らないけど、家主が戻ってきた以上は案件なんです。美人局だったとしても最後まで戦い抜くし、情夫がいても牛農家譲りのモーモー拳法奥義・延髄麻酔拳を炸裂させて柏樹先輩をまっとうな社会人に戻してやりたいとは思う。
「……仕事で色々と撮られたけどね、香住君と撮った写真がイチバン可愛かった。事務所の人も、本業の人も驚いてたくらい」
「恐縮、です?」
事務所とか本職とか、不穏な単語。
それを口にする柏樹先輩の表情は昔と変わらない。嫌な事されたら鉄条網デスマッチで相手をノーザンライトスープレックスでリング外の地雷原に放り投げるような性格は、六年程度では変わらないだろう。スカートの下を盗撮しようとした不埒物が「パンツと引き換えにヴァルハラ送り」というメッセージを残して再起不能に陥った伝説の持ち主だし。
「ああ、アコギ部の古山君ね。覚悟もなく淑女の下着を盗み見しようとするから」
「覚悟ですか」
「そう。責任を取る覚悟」
すいません共犯者とはいえ撮影でパンツとかパンツとかブラとか生乳とか見まくったんですけど僕は。そんな僕の思考を読んだのか、空になったナポリタンの皿を片付けつつ柏樹先輩は当時のように不敵な笑みを浮かべた。
「責任、とらなきゃね」
ちょうど日付の変わるタイミングだった。
その日が自分の二十歳の誕生日だと思い出したのは、接吻からはじまる言い逃れ出来ない行為を二時間ほど続けた後に最寄りの区役所に書類を提出した時で。柏樹先輩は(旧姓)柏樹先輩となり、これからは香住柚子でヨロシクぅ!と僕の姉や知り合いらしき人達にメールを送りまくっていた。
●登場人物紹介
・香住丈
本編主人公。19歳。高校時代にステーキハウスでアルバイトしていた縁で、中堅だが歴史ある精肉店で仕入れ担当として働いている。生真面目で融通が利かない。在学中の頃からTVをほぼ見ていなかった。中学時代から柏樹柚子に憧れていたが、高嶺の花であると思い込んでいた。20歳の誕生日を迎えたと同時に婚姻届けを提出する展開に困惑中。高度なドッキリ企画ではないかと思いつつ、それでも柚子相手に童貞捨てられたので残る人生に悔いはないと思っている。
・(旧姓)柏樹柚子
本編ヒロイン。21歳。父親は芸能界に影響ある人らしいが母子家庭だった。高校進学を前後して父親を脅迫して映像関係の会社で下働きをしていたが、抜群の美貌に卓越した演技力のため裏方の筈なのにグラビア出たり女優の真似事をしたりしていた。似非エコロジスト運動家崩れロリコン爺で有名な世界的アニメ監督の最新作でヒロイン役を何故か射止めてしまったため「こらあかん」とその作品を最後に業界を去る事を決意、色目を遣ってきた連中の股間にフライングニーキックを炸裂させてから香住丈の部屋に転がり込む。丈の姉である篤子とは中学時代からの先輩後輩で、その頃から丈に思いを寄せていた。中学卒業後も篤子経由で丈の情報は入手していたし、丈の両親には中学時代から挨拶済みだった。
本懐遂げた後はフォーク片手に男の甲斐性を説き、手配済みの婚姻届けにサインをさせてから一緒に区役所に提出する。
・香住篤子
丈の姉。25歳くらい? 公務員試験を受けて警察官となったらしい。柚子がギリギリ犯罪行為に走らなかったのは篤子が水際で説得(物理)していたため。