第22話 神と呼ばれたオーク
ヴィルグの号令と共に、オーク達はまさに獣のような雄たけびを上げ、一斉にこちらへ迫り来る。
俺はそれを眼前に捉えながら、真っ直ぐ剣を構えた。
「……ハァッ!!」
一瞬の剣閃がオーク達の間を縫う様に走り、その後に、魔力が僅かな光を残す。
オーク達は切り裂かれながら、ほんの一瞬鮮血を撒き散らし、消え去っていく。
「へ、へへへへ……!」
俺は、壁際で一瞬立ち止まると、切っ先を返し、再び駆ける。
……尚も立ちふさがるオーク達の中に、誰一人として退く者はなかった。血飛沫さえも掻き消しながら、閃光は彼らの身を貫いていく。
「おいおい、皆やられちまったのか? 剣持っただけで、こんなに変わるもんかね……?」
「ヴィルグ、もうよい。お前では勝てん。死ぬだけだぞ」
「ケッ……悲しいこと言うなよ、GOD」
目の前には、ただ独りのオークの姿だけが在った。
奴は全身を裂かれながらも、大斧を振るい、不敵に口元を歪ませる。
「そんな身体で、まだやるつもりなの?」
「まだもクソもねぇんだよ。悪いが、やられ役のつまんねぇ意地に付き合ってもらうぜ……!」
俺は剣を両手で持ち直し、全霊を込め、振りぬく。
その剣閃は、確かに奴の身を捉えたかのように思えた。だが……
「なっ……!?」
「グヘヘヘッ……!」
腕に圧し掛かる重苦しい感触と共に、刃が止まる。
視線の先では、巨大な斧がその行く手を阻んでいるようだ。
……ほんの一瞬、俺は、時間の流れが止まったかのような錯覚に陥ってしまう。
「へ……へへっ……こんなもんか……」
その僅かな空白の後……巨壁の様にも思えた大斧は、静かに振り落とされた。
ヴィルグの身体は音も無く崩れ去り、地面に転がり落ちた斧が、静寂の中、断末魔の代わりに重低音を響かせた。
「……やはり、奴らではこの程度が限界か」
サディウスは張り付いたような顔で、ただ平然と、無感情に言い放つ。
「あなたは、一体何者なのかしら? 一体……何が望みなんだ?」
「私はオーク。そう言った筈だ。お前が望むのなら、全てを教えてやろう」
サディウスはそう言うと、右手でセレスティーナが閉じ込められた魔石に触れる。
左手に握られたオークの魔石がその輝きに共鳴し、二つの石から放たれた光は、重なり合い、眩いばかりの光芒となって解き放たれる。
「誰一人として、無駄死にではない……全てはこの瞬間の為だ」
二つの魔石は同時に崩れ落ち、解放されたセレスティーナは地に転がり落ちる。
光の中から現れたその男は……先程までの老いた姿が幻だったと思わせるほど、若々しさに溢れ、筋骨隆々の肉体を取り戻していた。
肉体だけでは無い。その全身から滾る魔力も、奴がただその場に立っているだけで、はっきりとその光をを目視できるほどに漲っている。
「これが私の本来の力、いや……我らの、本来の力だ!」
初めて語気を昂ぶらせ、サディウスは鋭い視線で俺を突き刺す。
その瞳から憂いは消え去り、ただ一つ、なにか強い意志だけが感じ取れた。
奴はその感情を覆い隠すかのように、静かに語り始める……
「元来、我々オークとエルフはその起源を同じくする種だ。
尤も、それはお前達の知るオークとは姿が異なるがな」
つまり、その二つの種族はほぼ同じ外見を持っていたという事だろう。
だからこそ奴は、エルフとも思える容姿をしているのか。
「オークは伝統を重んじ、エルフは進歩を求めた。相反する二つの種族は、常に水面下での争いを続けてきたのだ。その小さな争いの火種が、やがて大いなる戦火へと発展するのに、そう時間はかからなかった。エルフ達はついに我らの領地に踏み入り、宣戦を布告したのだ」
「しかし、我々オーク族は、エルフよりも高い魔力を持ってはいたが、それを戦いに用いる事は不得手としていたのだ。対するエルフ達は、戦闘に特化した魔術だけではなく、高度な製造技術をも誇り……自ら創り出した幾つもの武器によって、次々とオークを打ち倒していった……」
「……最早オーク達は、誰もが敗北を予感していた。それでも、彼らは戦わねばならなかった。追い詰められたオーク達は、最後の手段を選び、自らに用いた。それは、自らの肉体をより強靭な物へと創り変える、神の業を真似た外法の術だ……」
まさか彼らは、神の力による転生を真似たというのだろうか?
だが、そんな事が可能だとは思えないが……
「……結果は、語るべくもあるまい。神を畏れぬ愚かな試みは、当然失敗に終わった。彼らは皆、醜い化け物の姿に変わり果て、魔力の大半を失った。
それから戦争は、エルフによる化け物退治に変わった。彼らに切り裂かれた化け物達の思念と、かつて彼らが持っていた魔力の名残は……後の世に蘇り、以前と変わらぬ醜い姿を持った下等な魔物、"オーク"となったのだ」
それが、現在オークと呼ばれる魔物達のルーツだということか。
彼らの身体は古代のオーク達が遺した魔力で形作られているからこそ、サディウスの魔力で蘇る事ができ、エルミードや俺の魔力によって完全に消滅させられた訳だ。
最早……オーク達は誰一人として、それを知る事はないだろう。
そして仮に、その事実を知ったところで……自らの在り方を変えようとは思わないだろう。
「だが、ただ一人、かつての古代オークの生き残りが居る。その男の名は、サディウス。わが身可愛さに同胞を捨て、戦を逃れた臆病者だ」
……サディウスは、自嘲するようにそう吐き捨てた。
奴の正体は、豚の怪物オークの起源となった種族、古代オークの生き残りという訳か。
ではその目的は……彼らの復讐だとでも言うのだろうか?
「初めの内、私の中にはただ後悔だけが残った。皆を捨て、一人生き残ったという後悔。
自らの臆病さを呪った。しかし、そんな事に意味は無かった。戦いに勝利したエルフ達は、新たな道を歩んでいく。敗れた者達は、次第に忘れ去られ、やがては勝者の心からも消えていく」
「それから……気が遠くなるほどに永い年月を、私はただ過ごした。自らの持つ魔力を生命力に変え、醜く老い果てながらも、ただ生き永らえ続けた。全ては、この時の為。彼らが成しえなかった事を、私が成す為に」
サディウスは眼を閉じ、拳を強く握り締める。
だがやはり、彼の声色に心は宿っていない。
「そして、完成した。エルフとオーク、二つの魔力から作り出された結晶を我が身に取り込み、肉体を創り変える、転生の術……今の私は、神の業をも支配したのだ」
「そんな事が、貴方のやりたかった事なの?」
俺の問い掛けに、サディウスはわざとらしい嘲りで返し、黒衣を翻す。
「愚問だな。私の意思などは既に死んでいる。今となっては……この私こそが、オークという種族そのものなのだから。さぁ、話は終わりだ。最早貴様と戦う必要は無い。私がやるべき事は一つ……奴らとの戦いを再開する事だけだ」
「そうはさせない」
こちらに背を見せるサディウスに向け、俺はただ一言だけ言い放つ。
「……何故だ?」
「貴方がやろうとしている事は、誰も望んではいない。
オーク達も……貴方自身でさえも。だから、止める」
俺は剣を真っ直ぐに構え、その瞳を見つめた。
そこに宿っていた熱は消え失せ、空虚な暗闇だけが広がっているようだ。
「なら死ね」
サディウスは猛進し、こちらへ拳を振るう。
魔力で創り出した刀身が大きく揺れながら、辛うじて衝撃を受け止める。
恐らく、あの拳自体に魔力を纏わせているようだ。
俺は背後に一度跳躍し、剣を地面に打ち付ける。
剣先から衝撃波が放たれ、サディウスの元へ真っ直ぐに走る。
「ふん……」
奴は事も無げに腕を振るい、それを掻き消した。
……が、その程度は予測済みだ。俺は衝撃波の裏側から姿を現し、奴の左側面へと素早く回り込む。
そのまま身体を半回転させ、一閃の光と共に刃を振り払った。
「無駄だ」
「えっ……!?」
刀身には、奴の拳があてがわれている。
ただそれだけなのに、まるで張り付いているかのように、剣を押す事も、引く事もできない。
――瞬間、凄まじい衝撃と共に、俺は後方へ吹き飛ばされた。
「ぐっ……」
「お前の動きなど、今の私には手に取るように分かる。そして、今の一撃を受けてみて分かった。貴様は、神によって力を与えられた者だな?」
サディウスは言葉を紡ぎながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
今のはかなり効いた……どうやら、左腕を激しく殴りつけられたようだ。
回復ポーションを飲みたいが、左手が思うように動かない以上、右手を開けるわけにはいかない。
「それはつまり、私は神を超えたという事だ。違うか?」
一瞬にして奴は俺の目の前に到達し、右拳を振り上げた。
それが振り下ろされるより僅かに早く、俺は地面を蹴り、その場から飛び退く。
「フッ、フフフフ……」
「…………貴様」
突然笑い始める俺を、サディウスは訝しむように見る。
俺にはその姿が、まるで何かに怯えているかのように思えた。
だが勿論、それは俺に対してではない。
「何が可笑しい? よもや、狂ったわけではあるまいな」
「フフッ、質問ばっかりね……自分に自信が無い証拠ではなくって?
まぁ、わたくしも、貴方の事はよく分かりましたわ。貴方は弱いって事がね……」
自らが背負った力、そして信念を否定されたように感じたのか、サディウスは今までに無いほどに不快感をあらわにし、その顔を歪ませる。
「私が、弱い……? ただ、神に力を与えられただけの貴様が……私の力を否定するのか?」
「……本当の貴方は、臆病者のままよ」
「――――ッ!!」
最早サディウスは怒りを隠さず、かつて無い程の勢いで拳を振るい上げる。
だが、俺はその動きをはっきりと眼で追いながら、振り下ろされようとする拳めがけ、自らの脚を振り上げ、思い切り蹴り飛ばす。
そして……がら空きになった胴を目掛け、剣を振り払った。
「ぐあぁッ……! 馬鹿な!?」
「貴方の野望、わたくし(俺)が粉砕して差し上げますわ!」




