第9話 ストリングプレイスパイダーベイビー
やたらと長い階段を下り、ようやくたどり着いた第3層は、先程までのような迷宮ではなく、異様に天井が高い大広間になっていた。
「なんか、さっきまでと雰囲気が違うね」
「ところで、ミールはどこじゃ?」
ミールは、長い階段でバテてしまい、少し休憩している。
……そう伝えておいて欲しいと本人は言っていたが、正確には、マントの中身を見られたくないからだろう。
それにしてもこの部屋……ただ広いだけではなく、妙な音が聞こえる。
カサカサとなにかが擦れるような音だ。
「フフフ……ようこそ……」
突然、頭上から謎の声が響いた。
声の主はゆっくりと降下し、わざわざこちらの目の前で留まる。
「げ、げぇっ!?」
「おほっ、これは……」
天井から伸びた糸を脚に絡ませ、逆さ吊りの姿勢で現れた謎の女は、俺たちを順に眺め、怪しく微笑んだ。
彼女の両腕と両脚は黒い甲殻に覆われ、その形はまるで、蜘蛛の節足や、猛獣の爪のようだ。
甲殻は身体にも纏っているが、密度は薄く、ほぼ裸身に近い。
案の定、その姿を見て爺が喜んでいる。
「ほほっ、これはええのう!」
「あらおじいちゃん、私と遊んでくれるの?」
「もちろんじゃ!」
待て。この女、明らかに普通じゃない。……恐らくモンスターだ。
怪しげな笑みを浮かべたまま、女は俺の目をじっと見つめている。
「あなた、随分冷静なのね?」
「……モンスター相手に油断はしませんわ」
「あっそう、バレてたのね」
当たり前だ。どこの世界に、天井から降りてくる人間の女がいると言うのか。
その時、背後から悲鳴が聞こえた。この声はミールだろう。
「きゃ、きゃああああ!! あ、貴女、なんて格好してるんですか!?」
お前が言うな。
「ウフフ……怖がらなくていいのよ? 折角遊びに来てくれたのだから……
たっぷり愉しんでいって頂戴?」
謎の女は逆さ吊りのまま、両手をミールに向けて突き出した。
すると、その指先から糸が勢いよく放たれていく。
「い、いやっ……」
「ウフ……捕まえた」
ミールはあっという間にがんじがらめにされ、部屋の奥に捕らわれてしまった。
やはり、こいつがゲラトーの言っていた恐ろしいモンスターか!?
「ウフフ、私はリラネラ。蜘蛛のモンスターなの。
それにしても、貴女、可愛いわね……」
……モンスターだというのなら、容赦する必要は無い!
俺は素早く剣を突き出す。だが、リラネラは糸を巻き寄せて身を逸らし、あっさりと回避されてしまう。
「乱暴ね……でも、そういうの嫌いじゃないわよ?」
この部屋、よく見ると蜘蛛の巣だらけだ……
壁には、大小様々なサイズの蜘蛛達が這い回っている。
恐らく、全てモンスターだろう。これが擦れるような音の正体……
この階層は、丸ごと奴のテリトリーだということだ。
「余所見しちゃだめよ?」
リラネラは地に足をつけると、背中から蜘蛛のような八本の節足を出す。
そして、その先端から糸を吐き出し、"人間の手"で絡め取る。
「私の糸は鉄より頑丈で、絹よりしなやかなの……試してみる?」
「ルドル爺さん! 魔法を!」
「すまんのう……あのような美人には攻撃できんわい……」
クソッ、こんな時に何を紳士ぶっているんだ……
爺さんが役に立たないのを察し、ルカは前に飛び出し、疾風のダガーで衝撃波を放つ。
「くらえ!」
「フフ、それじゃ駄目よ?」
リラネラはあやとりでもするように、糸で巨大な網を作り、衝撃波を受け止める。
そしてそのままそれを解くと、こちらへ向けて放つ。
「う、うわっ!!」
ルカは全身を縛られる事はなんとか避けるも、両脚を糸で縛られてしまった。
因みに、ジジイは既に、無抵抗で全身グルグル巻きにされている。
「ウフッ、後は貴女だけね?」
「わたくし一人で充分ですわ!」
俺はリラネラの放つ糸をかわし、距離を詰める。
だが、奴はこちらが近付くたびに跳躍し、糸で壁を伝って飛び去っていく。
これではキリが無い。
「フフフ、こんな事もできるのよ?」
そう言うと、リラネラは背中の節足から糸を出し、両手で絡めていく。
「こんな感じに糸を丸めて、ほらっ」
リラネラは集めた糸を球状に固め、こちらに向かって投げつけてきた。
俺はそれを横に飛んで避けるが、糸球は引き寄せられるように彼女の手元に戻り、再びこちらに飛んでくる。
なるほど、どうやらあの球は彼女の手と糸で繋がっているようだ。
どれだけ回避しても、リラネラは糸を素早く手繰り寄せ、再びこちらへ投げつけてくる。
蜘蛛糸ヨーヨーといった感じか……
「ほら、もう一回いくわよ?」
今度は横薙ぎに球が投げられた。糸で繋がった球は、慣性を持った動きで襲い掛かってくる。
だが、俺はそれを待っていた。剣を横に構え、バッティングのように球を打ち返す。
「……あら?」
吹き飛ばされた球に引っ張られ、リラネラはバランスを崩す。
俺はその期を逃さず、一気に彼女の元に駆け寄り、その眼前に刃を向けた。
そして、しばしの沈黙の後、俺は静かに剣を鞘に仕舞う。
「これで満足した?」
「……あらお嬢ちゃん、止めを刺さないの?」
「明らかに、わたくし達を殺す気の無い、遊びみたいな攻撃ばかりでしたからね」
その言葉に、リラネラは静かに笑みを浮かべ、先程までとは打って変わって穏やかな口調でこう返した。
「あら、それもバレてたのね……ごめんなさいね、あなたたちを試すような真似をして……
本当は私ね、この先に進む人間達に、資格があるかどうか試していたの」
そう言うと、彼女はルカと爺さんの拘束を解く。
「な、なんでそんなことしてたのさ?」
「この迷宮は、本当に危険だからよ。先へ進むにはまだ危なそうな人は、驚かせて追い返してたけど……あなた達なら大丈夫そうね」
「じゃあ、ゲラトーの言っていた危険なモンスターって言うのは……?」
「あら、ゲラトーちゃんのこと知ってるの? うふふ、あの子、人間相手に悪い事ばっかりやってるから、ちょっとお仕置きしてあげたのよ」
リラネラは口元を手で隠し、愉快そうに笑った。なるほど、あのトカゲの苦手そうなタイプだ……
「そういえば、あなた達の前にも、人間が来たのだけど、なんだかとても怖そうな人達だったわ。一応通してあげたんだけど、大丈夫かしら……?」
何、それはもしかして、あの酒場で会った男か? 奴は、黒い鎧を纏った、目つきの鋭い男だった。
彼女に話を聞いたところ、やはり間違いないようだ。
既に仲間は数人しか連れていなかったらしく、やはり捨て駒として使い、見捨てていったのだろう。
「ねぇ、この次の層は、ちょっとした休憩所になってるの。
お詫びってわけじゃないけど、少し休んでいかないかしら?」
「あの……そろそろ降ろしてください……!」
「あっ! ごめんなさいね」
そういえば、ミールの事を忘れていた。すごい状態になってしまっている彼女を救出し、リラネラの案内で、次の層へ向かう。
4層は非戦闘エリアであり、簡易ベッドやテーブルが用意され、休憩を取る事ができるようになっていた。
一体、誰がこんな空間を作ったのか? それは決まっている。あの神だろう。
……そして、4層の休憩所へ着いた俺は、何故かリラネラの膝の上に座らされていた。
「うふふ♪」
彼女は、先のスライムとの戦いで破れた服を縫ってくれたのだが、何故か縫い終わっても解放してくれない……
……柔らかい太股と胸の感触が服越しでも伝わってくる。それに、なんだか甘くていい匂いがする。
なんだこれは……なんなんだ……
「あ、あの……」
「なあに?」
「もう大丈夫ですから……」
「いいじゃない、もう少しだけ……ね?」
周囲には何人か冒険者の姿が見えたが、皆俺から目を逸らしている。
中には、寝ているふりをして、ちらちらとこちらを見てくる者もいるが……
彼は、時折逆の方向にも目をやる。そちらでは、ミールが休んでいるのだ。
彼女が寝返りを打つたび、マントが捲れ、白い肌があらわになる。
彼は恐らく、どちらに注目するかで必死に悩んでいるのだろう……
「うわー、お姉さん、おっぱいでかいね!」
「あらあら、もう、駄目よ?」
ルカは笑みを浮かべながら、リラネラの乳を鷲掴みした。こいつはやっぱりすごい。正直尊敬する。対して、ジジイは飢えた猛犬の様にハァハァ言っている。
「お、お姉さん……わしもなでなでしてくれんか?」
「うふふ、もう、しょうがないおじいちゃんね? よしよし」
「フォフォフォ、おっほほほほ……!」
ジジイは年甲斐も無く、頭を撫でられて喜んでいる。
その表情は、完全に変態のそれである。
……これ以上は、流石に不味いので、俺は先を急ぐから、と彼女に伝え、なんとか解放してもらった。




