ダメなやーつの七対子
七対子。それは、麻雀において特殊な役とされている。その名の通り、対子を七つ揃えることで成立する。点数計算もまた他の役と比べて独特であり、状況によっては高打点を叩き出すこともある。他者の待ち牌を予測、また、余剰牌を推測することで、受けと攻めが両立し、使い方によっては、相手の麻雀を壊すことが可能な役である。
「……あ、えー、いらっしゃいませ。相川さん。お久しぶりですね」
深夜。雀ボーイ浜松店に現れたその男を見て、店員は思わず挨拶が遅れてしまう。
見知ったはずの客なのだが、風貌が以前見かけたときと比べて豹変していたからだ。
頬骨が目立つ形相に、雑に染色された髪。いつも派手に整っていた身なりは、少し薄汚れていた。
相川と呼ばれた男は、店員のその反応が癪に触ったのか、差し出されたおしぼりを乱暴に受け取る。
「すぐに打てんのか?」
呟くような声だった。
「はい?」
「すぐに打てんのかって聞いてんだよ!」
途端、相川は急に声を荒げる。
突然の怒声に、店内の客は皆、ほんの一瞬だが沈黙する。異様な空気が流れたのも束の間だった。
場違いのような気の抜けた声が、店の隅から訪れる。
「いいよ。打とうか」
待ち席のソファーで横になっていた男が、むくりと起き上がった。
黒いワイシャツに、黒のスラックス。黒ずくめの青年は、明らかに寝起きらしく、あくびを噛み締めて虚ろな瞳をしていた。
その男は、相川も見たことがあった。周りから『クロ』と呼ばれていて、慕われてはいるが、麻雀の腕は大したことがないと評価されていたはずである。
相川は内心ほくそ笑む。
手持ちの金額を、およそ数時間後までに少なくとも数倍にしなくてはならない相川にとって、それは好機のように思えた。
ついに、『流れ』がきたに違いない。
相川。クロ。そしてスタッフが二人入り、対局が始まった。
「……おっと、満貫だ」
相川が手牌を倒す。
手替わり待ちのドラ単騎においての、ツモ和がり。序盤にして、予想外の収入だった。
やはり、来てる。『流れ』が来てる。
麻雀を打つ者において、人それぞれ、好調不調のサインは違うが、それはオーソドックスな好調者の手の進み方だ。
思えば、この数週間、不運の連続だった。
博打は裏目が続いて、借金ばかりが増えていった。
身の周りの人間とのトラブルが耐えず、既に音信不通になった仲間が何人もいた。
女たちとの相性も悪く、金づるがほとんどいなくなった。
そして今は、借金の利息であるほんの数万円のために、追い回されている始末だ。
だが、それもおそらくは今日までの話になるだろう。
経験上、ほんの少しのキッカケで、『流れ』は来始めることは知っていた。
親番を継続しての次の局に入った。
――――いとも簡単に、満貫のテンパイが入る。
「……くく」
笑いが堪えきれない。相川は、自身の好調を信じて疑っていなかった。これを和がることで、一着はほぼ当確といえた。これは正しく、復活の兆しである。
そう。兆しを、確かに感じていた。感じていたのだが、
「ロン。一六〇〇」
「……あ?」
相川のテンパイ打牌が、対面に座るクロへの放銃となる。
偶然仕上がったかのような、七対子のみの手役だった。
クソ手で邪魔しやがって。
相川は点棒を放り投げるようにして渡す。
ほんの一六〇〇点の支出。相川が有利な状況は、以前変わっていなかった。それがまた、自信を加速させる。
次の局。少し手は落ちたが、早い順目で満貫の牌姿になる。
そうそう。こうなることは知ってるんだよ。
本当に好調な人間であれば、そう簡単に不調へと落ちることはない。考える間もなく、相川はテンパイを取った。
「ロン。三二〇〇」
その声は、再び対面のクロからだった。タンヤオと七対子の複合形である。
かすかに、妙な違和感がまとわりつく。
いや、偶然だ。偶然に違いない。
俺は好調なんだ。『流れ』が来てるんだ。
次局、相川の親番。
まるでそれが当たり前かのように、三度、満貫のテンパイが入った。
しかし、ここで打牌の手が止まる。
まさか……な。
前局、前々局と偶然の放銃が続いた。そのイメージが、どうしても拭えなかった。
「どうした?」
声は、対面からだった。
不自然に動きが止まっている相川を、黒ずくめの男が冷めた目で見つめていた。
「偶然はそうも続かない。
贔屓にしている予想屋の当てが外れたり、
仲間から身に覚えのない因縁を吹っかけられたり、
ATM代わりにしている女たちと急に連絡が取れなくなったり、
さすがにそこまで不幸な偶然は、いくらなんでも重ならないさ」
まるで戯るかのように、男が語る内容が、相川の全身に怖気を走らせる。
一体、こいつは何を言っているんだ?
半ば思考が停止したまま切った打牌は、そのままテンパイを維持するための不要牌だった。
「だが、残念ながら、お前の偶然は、誰かが作った必然なんだ」
対面の牌が、音を立てて倒された。