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ダメなやーつと情報屋

 現代社会において、漫画喫茶に行ったことがないという人は、おそらく少数派だろう。かつては漫画を読む場所でしかなかったその場所は、時代の流れに沿っていくうちに各席に一台パソコンが用意されるようになり、自由にインターネットも楽しめるようになった。

 今では、カラオケやビリヤード、ダーツなどの遊戯場も併設され、若者からは遊びに行く場所とされることも多くなった。

 だが、閉鎖空間である以上、特殊な場所であることは今も変わってはいない。

 個室であることを利用して、宿のない者が身を潜めていることがあれば、カップルシートをラブホテル代わりにする者がいたりする。都会では、援助交際の場されることもある。そもそも、室内で誰でも気軽にアダルト動画が観れたりする時点で、ある意味、普通ではない場所だったりする。

 かくいう普通ではない俺も、東京に居た頃、漫画喫茶をよく利用していた。

 浜松市中区・和合にある漫画喫茶『フレンドリー』は、こちらに住むようになってからの行き着けの店の一つであった。

 とはいえ、普通に漫画を楽しむために来るわけではない。

 カウンターで呼び鈴を押すと、やはり顔なじみの女店員が奥から現れる。

「あいつはいるか?」

 事前にアポはとっているものの、猫を思わせるほどの気まぐれな性格の持ち主だ。場所を移している可能性も十分にあった。だが、その心配は杞憂なようだった。

「いつもの場所におられます。インターフォンで貴方が来られたことを伝えます」

「いや、いい。突然、ドアを開けるのが面白いんじゃないか」

「趣味が悪いですね」

 女店員の蔑んだ視線を尻目に、俺は店の奥に足を進める。

 通常の客が利用している客席ブースに紛れて、その個室はあった。

 三三号室。シーツ席のゾーンだが、この場所を客が利用することは出来ない。受付のモニターでは、常に利用中と表示されているからだ。

 簡単に言うと、その部屋は、ただひとりの人間が使うためだけに存在する部屋なのである。

 俺はいつものように、三三号室の扉を無言で開けた。

 部屋の主は、それに驚く様子もなく、パソコンで何やら作業を続けていた。

 通常よりやや広めのマット席。ペンギンを模したクッションに座っているのは、学校指定のブレザーを身にまとった女子高生だ。前に何となく聞いたときには、二年生だと言っていた気がする。

 野々宮紫音ののみやしおん。幸か不幸か、俺が浜松に来て一番最初に知り合った人間である。

 紫音は、パソコンのキーボードを叩いていた手を止めると、こちらをぷいと向く。

「……ホンット、マナーのなってないクソニートね。ノックくらいしなさい」

「あいにくと、口の悪いクソガキに使えるようなマナーは持ってないな」

 扉を閉めると、俺は紫音の隣に座り、小型の冷蔵庫から缶ビールを取り出す。

「勝手に開けるな。勝手に飲むな」

「そっちが入れておいて、それは無いだろ」

 メールをもらって慌てて入れたんだろう。ビールはまだ生温かった。

「それにしても、この部屋、もう少し広くならないか?」

 野々宮紫音が漫画喫茶の一室を自由に使っていられる理由は至極単純で、彼女がオーナーだからである。

 三三号室は通常の個室より広めとはいえ、恋人同士ではない人間二人が居るにしては少し息苦しい。

「あんたの気がもう少し小さくなればちょうどいいの」

「そこはお前がもう少し器を大きくするところだろ」

 不毛な言い争い。相変わらずのやりとりが繰り広げられる。

「……はぁ。マスターにはもっとお説教してもらうように今度伝えておかなきゃ」

 紫音が言うマスターとは、原岡のおっちゃんのことだ。紫音もまた、『水月』の常連である。予測はしていたが、喫茶店でのことは彼女の耳に既に入っていたようだ。

「私にも飲み物とって」

「……はいはい。マムシドリンクでいいよな」

「社会的に殺されたい?」

 俺は黙って、ペットボトルのレモンティーを渡す。彼女からしてみれば、俺ごときの存在、冗談ではなく簡単に社会から抹殺できる。「悪戯いたずらされそうになった」の一言で速攻で警察行き。住所不定無職の身としては、一大事である。

 ……そもそも、冷蔵庫の中にマムシドリンクなんて入っていないんだが。

 一ヶ月ぶりの再会の、ちょっとした挨拶代わりのやり取りであった。

 紫音はパソコンを一度スタンバイモードにすると、俺と向かい合わせに座り直す。

「桐条祥子とはうまくいってるの?」

「どうかな。肯定や否定ができるほど、普段顔を合わせてないし。ま、特に問題は起きてないよ」

 同棲を始めて一年が経つが、実は、祥子のことは今も知らない事ばかりだった。お互い干渉しない。それが暗黙のルールであることも含めてだが、俺自身が干渉されたくない部分が強いため、余計に関係は変わらないままだった。

「ま、あんたがタダのダメ人間ってバレるのも時間の問題だけどね」

「……へぇ」

「何が言いたいの?」

「いやいや。タダのダメ人間って知っておいて、祥子のとこに行くまでずっと世話をしてくれたのは誰だったかなーってね」

 げほっと、紫音がレモンティーを喉に詰まらす。俺の前の飼い主は、今にも飛びかかりそうな勢いで睨みつけてくる。

「……あんたを拾ったの、私の人生で最大の汚点ね」

 ――――そう。俺は、野々宮紫音に拾われた。

 東京から逃げるように浜松へやってきて、一文無しで街を彷徨っていたところを、彼女に拾われた。拾われて、救われた。金も職も人脈もない俺が今まで生きてこられたのも、全ては彼女のおかげといっても過言ではない。

 そして今、拾ったことを後悔されているほどのダメ人間。それが俺である。

「それで? 今日は私にケンカを売りに来たわけ? それなら今すぐ全身全霊で喜んで買い取ってあげるけど」

「元カノが寂しがってるだろうかと思って会いに来たっていうのは?」

「ウザイ。っていうか、付き合ってた覚えなんてない」

「……今も忘れない。今まで抱いた女の子の中で、一番お前が良かったよ」

 人生で何度目かも忘れたフレーズを口にするが、紫音は相変わらず澄ました顔をしているだけだった。わずかに、苛立っているようにも見えた。

「抱かれた覚えもないから。ダメ人間のクソニートに抱かれるなんて人聞きが悪い」

「それじゃあ、俺が職を見つけたら抱いてもいいのか?」

 別に本気で抱きたいわけじゃないが、何となくこの話題に食いついてみる。

「私が売るのは体じゃなくて、情報だから」

 紫音は、スマートフォンを片手に掲げて誇らしげに言う。かわいい私を抱きたくなる気持ちはわかるけど、と余計な一言を付け加えて。

『情報屋SION』。

 これもまた、浜松の都市伝説の一つである。

 とはいえ、伝説の探偵ほどではなく、浜松のティーンエイジャーの間にだけ語られている限定的なものだが。

 誇張ではなく、浜松に関することで、彼女に知らないことは何もない。詳しいことは聞かされていないが、あらゆる情報網から、逐一、彼女へと報告が来るようになっているらしい。顧客も、俺以外にも何人かいるとのことだ。以前、彼女は自分のスマートフォンには数億円の価値があると言っていたが、あながち、冗談とも言い切れないから恐ろしい。

「じゃ、その自慢の情報を早速売ってもらいたいんだけど」

「……お金はあるの?」

「ツケでお願いします」

「……そう言って、今まで一回も支払ったことないし」

 文句を言いつつも、紫音はパソコンをスタンバイモードから通常モードに戻す。三三号室のデスクトップパソコンは他の部屋のパソコンとは違い、よりマニアック……もとい、ハイスペックなものになっている。

 また、紫音が開発したソフトが幾つも内蔵していることも相まって、調べたい情報が即座に手に入る環境が出来上がっていた。

「それで、欲しい情報は何?」

 まだあどけなさの残る女子高生の表情は、冷静沈着な情報屋のそれへと切り替わっている。

「七海香織の兄貴が通っている雀荘を知りたい」

 俺が言うと、情報屋は意外そうに眉をひそめる。

「そういうのは、あんたの範疇でしょ?」

「そりゃ、今までどっかで顔を合わせたことがあるかもしれないけど。でも、一々全員の名前を知ってるわけじゃないからな」

「……なるほどね」

 雀荘といえば、一昔ほどマシになったとはいえ、今でもダーティーなイメージは強い。

 雀荘通いを家族に隠している者もいれば、偽名で通している者だっている。それに、七海香織の兄が仲間内のセット打ちが基本だった場合、フリー打ち(ひとりうち)が専門の俺は顔なんて覚えてない可能性の方が高い。

「不思議と、探偵ごっこが似合ってるわね」

 かつて、探偵ごっこを勧めた張本人は、パソコンを操作しながら呟くように言った。

「どうかな。偶然、なんとか出来てることは多いけどさ」

 俺は、自他共に認める何もかもダメなやつだ。でも、何もかもダメなやつだからこそ、なんとか出来ることが多い。

 家族。恋人。現在と将来。その他諸々。人は、行動するときにおいて、色々なものが付きまとう。それは、しがらみとも呼ばれるものだ。だから、人は自由に行動することが難しい。だが、俺には何もない。何もないからこそ、自らの思うがまま行動できる。

 その結果、これまでの依頼の成功率は100%を維持キープ出来ていた。

「一個、気になってることがあるんだけど」

 いい機会だから、ずっと胸につかえていた疑問をぶつけてみる。

「伝説の探偵を名乗らせてもらってるけど、本人はどこにいるんだ?」

 気になって当然の事案だ。

 浜松に帰ってきてからずっと、『伝説の探偵クロ』と偽って仕事をしているが、数年もそれを続けていれば、本物の伝説の探偵クロの耳に入ってもおかしくはない。

 そのときは、どう思うだろう。決して、良い気持ちにはならないはずだ。自分の名を勝手に語られて、良い気がする人がいるわけがない。

 紫音も、いつかは聞かれるだろうとわかっていたのだろう。まるで用意していたかのようなセリフを、淡々と語りだした。

「本物はもう二度と現れない。あんたは、このまま探偵ごっこを続けていれば大丈夫」

 正真正銘、伝説の情報屋にそう言われてしまうと、ただのダメ人間に返す言葉はなかった。

「発見した」

 ブラインドタッチでキーボードを操作していた紫音の手が止まる。

「雀ボーイ浜松店。そこが、七海香織の兄、七海慎一の通っている雀荘」

「……おい。ここって」

 俺の反応に、紫音は口元で微かに弧を描く。そこに、どんな感情が秘められているのかは、見当がつかなかった。

「そう。あんたの行き着けの雀荘よ」

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