⑦
帰る途中で夕飯をすませ、スーパーでビールとつまみを買って帰った。まだこの辺の地理に慣れず途中迷いそうになった。時間が空いたら辺りを探索しよう。
なんとか 家に帰りついて、シャワーを浴びるためにユニットバスに入る。そういえば入るのは初めてだ。この前は結局入らずじまいだったからな。と、つい余計なことを思いだしてしまう。
中は特におかしなとこはなかったが、何となく心細くなってしまったので、脳内でハードなロックを流し、ヘドバンしながらシャワーを浴びた。壁がトイレ側までビショビショになった。なにやってんだ。
シャワーからあがり、パソコンを起動してビールとツマミを空ける。初・一人晩酌だ。実家でもやってはいたが、一人暮らし初夜となると、なんとなく感慨深い。
いつも見ているサイトを巡回し終え、ビールも7割がたなくなってきたところでふと気づく。気付いてしまう。
「静かだな」
大通りから少し離れている閑静な住宅街にあるため車のおとも聞こえず、風もないため、耳鳴りがするくらい静かだ。なにか物音がすれば絶対に聞き逃さないくらいに静かだ。
パソコンからイヤホンを抜き、近所迷惑にならない程度に音量を落として、動画サイトを立ち上げる。
「今日はもう寝よっかな、明日から仕事だし」
お気に入りの曲リストをループ設定にして、残ったビールをイッキに煽った。
布団を敷き、電灯はつけっぱなしで横になった。
今になって初めて気付いたことがある。幽霊を信じていないことと、怖くないということは別物だった。むしろ信じていないぶん「形のはっきりしない恐怖」になってしまい、余計にたちが悪い。最初に来たときは小林さんと一緒だったし、昼間だったのもあって余裕があったが……
頭から布団をかぶり、胎児のように体を丸めると、少し気持ちが落ち着いた。子供のころ怖い話を聞いた時もこうしてたな。
そんな懐かしいことを思い出していると、すこし微睡んできた……と、思った矢先だった。
脳みそが押し潰されるような不快感が襲いかかってきた。さらに
(体が動かない!)
指先ひとつ動かせず、まぶたも開かない。ピクリとも動かない体に半ばパニックになっていると、さらに
うぅ……くぅう……
あの時聞いた音が……いや、声が聞こえる。女性がすすり泣く声が聞こえる。
逃げないと、逃げなきゃ、逃げたい!
無理やり体をねじって金縛りから脱し、飛び上がるように起きると、つけっぱなしにしていたはずの電灯は消えている。紐を引いてもつく様子はない。
すすり泣く声はだんだんとはっきり聞こえるようになり、単に泣いているのではなく、泣きながら何か言葉を喋っているようだ。
……で……して……くるしい……もうい……
「苦しい」だけは聞き取れた。いや、「うらめしや」をリスニングしている場合ではない。とにかく全力で逃げないと。そう思った瞬間
音楽をリピートさせていたはずのパソコンが突然聞いたことのないビープ音が鳴り、
エラーが起きた時のように黒背景に白文字で意味不明のひらがなの羅列が表示される。
思考回路がショート寸前になりながら、玄関に向かって走る。とにかく外に出て、走れるところまで全力で走ろう。そう思いドアノブを掴む。いや、掴もうとした。そこでまた頭が真っ白になる。
ドアノブがない。
ただの1枚の板が行く手を阻んでいた。押しても叩いてもビクともしない。大声で叫んで助けを呼ぼうとしたが、息が漏れるばかりで、声帯が振動しない。
(だったら窓だ)
ここは 2階だから、飛び降りても大丈夫なはずだ。そう思い振り返ると
女と目が合った。
痩せぎすで、頬がこけ、目が落ち窪んでいる。
黒のセミロングの髪バサバサに広がり、左目の下に大きな泣きぼくろがある。
女が何か言いたげにこちらに一歩踏み出した。
僕はそこで意識を手放した。