⑥ 3月31日
実家からついに引越してきた。引越しといっても実家から衣類や細々したものをダンボールに詰めて送ったくらいで、家電など大きなものはこちらで揃えることにした。母親は色々世話を焼こうとしていたが、せっかくの一人暮らしなので一から自分でやりたいと思った。シンプル、ミニマルかつモダンでオシャレな部屋にするのが目標だ。部屋は思いっきり和室だが……。
薄い布団と簡易ハンガーラックを買ってきて部屋に置いた。家電はリサイクルショップで冷蔵庫と電子レンジを買った。なるべく安くで済ませようと思ったら「昭和」といった風情になってしまった。実家から持ってきたノートパソコンは小さな折り畳みテーブルにおいてあり、小さくて薄い座布団がひいてある。モダンでオシャレへの道は遠い。
ライフラインの契約や役所での手続きも済ませ一応これで一人暮らしの準備が整った。要りそうなものはまだあるが、とりあえず今はこれだけあれば事足りる。あとは休日を利用してそろえていこう。目指せシンプルモダンオシャレ部屋(遠い)。
準備が済んだのでスーツに着替え明日から勤める東京支社に向かう。電話で挨拶は済ませてあるし、着任日は明日だが、まだ昼すぎだったので一度顔を出して挨拶だけでも済ませておこうと思ったのだ。東京支社は最寄の地下鉄駅から4駅先にある。
支社に着き、受付を済ませて自分が配属される総務部門に向かう。本社でも総務系の事務をやっていたため、やる仕事が変わらないのはある意味安心だ。受付で所属の課長に連絡を入れていたため事務室の前で課長が待ってくれていた。
「おー、山本君か」
「はい、明日からよろしくお願いします。お忙しいところ突然すいません。これつまらないものですが」
実家の地元名産を渡す。
「いやいや、ありがとう。着任前日に挨拶こようっのはなかなか殊勝だね。ま、楽にしててよ」
事務室に入り、総務課のまでやってきた。
「みんなー、堺さんの後任の山本君だ」
「本社から参りました、山本です。よろしくおねがいします」
総務課員の名前を課長が紹介してくれるが、流石にいっぺんには覚えられない。
「正式な挨拶は明日ほかの異動者と一緒やるから、今日はこんなもんでいいかな。あ、支社長にはあとで一応挨拶しとくかー」
「はい、ありがとうございます」
「ま、ま、あとはゆっくりしてってよ、明日からはいっぱいこき使うからさ」
冗談混じりに小会議スペースの椅子を勧められる。課長も対面に座り仕事の話や世間話をはじめた。すると二人の女性が近づいてくる。片方は僕の前任の堺さんだもう一人は……
「堺です。今回は私のせいで急な人事になっちゃったでしょう」
「いえいえ、東京支社にはいつか来てみたいと思っていましたので……」
「仕事はこっちの神田さんに引き継いでるから、分からないことはこの人に聞いてね」
言いながら堺さんは隣の女性を指す。小柄で、くせっ毛とちょっと野暮ったい黒縁眼鏡が特徴的な人だ。
「神田です」
「山本です、よろしくお願いします」
か細い声で挨拶される。なんとなく見た目のイメージどおりだ。
その後しばらく課長、堺さん、神田さんと世間話を交えながら仕事の話をして帰宅した。といっても、神田さんはほとんど喋っていなかったが。