②
「コーヒーお待たせしました。もう少々お待ちくださいね」
「あの……」
「はい?」
「この物件、都内で19,000円ってどういうことなんですか?しかも礼金なしって……」
タイミングよくコーヒーを持ってきてくれたお姉さんに聞いてみる。
この物件、間取りも普通の1Kでユニットバス付、築年数もそんなに古くないし、駅まで徒歩10分である。場所を考えると安くても5.6万する物件のはずだが。
「あー……それは、こういうことなんです」
お姉さんが資料の端のほうを指差す。そこには
『心理的瑕疵あり物件:説明義務有』とゴム印が打ってあった。
「心理的瑕疵?」
「はい……いわゆる事故物件ですね。興味がおありでしたら、担当から説明させますよ」
「なるほど分かりました。ありがとうございます」
今日の本命は別の物件だったのだが、あまりの賃料の安さにそっちの物件が気になりはじめた。事故物件というのは過去にその部屋で「普通ではない」理由で亡くなっているというものだ。理由次第ではこの物件でもいいかもしれない。そう思いはじめた。
しばらくして前の人の手続きが終わったようで、事務所の奥の応接用ソファに案内される。先に席にいた人がこちらに気づき立ち上がる。スラッとした体型の若い男性だ。
「今回担当させていただきます佐藤ですよろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします。」
軽く挨拶を交わしお互い席に着く。佐藤さんは一枚の資料を取り出し僕の前に置いた。
「こちらが山本様からお問い合わせいただいていた物件になります。今回はこちらの物件を実際にご覧になりたいということで……」
「はい、そのつもりで来たんですが……」
「ちょっと狭いんですけど駅も近いし、新しいし、一人暮らしの方にはオススメの物件ですよ」
「はい、それと実はもうひとつさっき見ていて気になったところがありまして」
「あ、そうなんですね。どの物件でしょう」
「このアパートの近くにある19,000円のとこなんですけど……」
と言った瞬間、それまでさわやか営業スマイルで応対していた佐藤さんの顔が曇る。
「あ……あの物件ですね。事情は小林のほうからありましたか?」
「事故物件ということですよね。詳しくは佐藤さんから聞こうと思っていました」
小林というのはさっきコーヒーを入れてくれたお姉さんのことだろう。佐藤さんはさらに顔を曇らせながら激安物件の「事故」について話し始めた。
「まあ、前に住んでた人がですね、あ、この人若い女性だったんですけど部屋で首吊って自殺しちゃったんですね。1年くらい前です。」
「なるほど、よくある話ですね」
「ええ、まあ……。実は亡くなった女性の担当も私だったんですよね……」
「それは……」
気の毒なことだ。お客と担当の関係とはいえ、面識のある人間が自殺で亡くなったとあっては気が重いことだろう。
「正直この物件はおすすめできないです。その後は人が入っていないので何かあったというわけではないんですが……お客様がどうしてもと言うのであれば手続きはやりますけど……」
「うーん……」
こちらとしては、亡くなった原因が「強盗殺人」や「感染症」だったら諦めるつもりでいた。「殺人」場合は周囲の治安が心配だし、感染症の場合は部屋にウイルスが残っている気がするからだ。周りの治安が悪いようなら最初に決めていた物件も諦めようと思っていた。幽霊よりも生きてる人間やウイルスのほうがよほどハッキリした脅威だからだ。
しかし、自殺となると……。
「あの……」
「はい」
「この二つの物件ってけっこう近いですよね。両方実際に見てみることってできますか」
「う……はい、可能です」
佐藤さんの目から光が消える。
あー、なんか悪いことしちゃったな……