7話
王都に住む様になって早幾年。
気づけば13歳になっていた私です。
王都での自室の窓辺に座ると、故郷であるリートバイト領とは違う王都の風を感じます。大好きな読書をせずに、言葉なく窓からの景色を見るだけの時間。憂う心情と相まって、きっと今の私は影が差した薄幸の令嬢に見えるでしょう。
どこともなく外を見ていると、黒塗りの豪奢な箱馬車がやってくるのが目に映ります。それを見て心はさらに沈みこみます。あぁ、今日も始まってしまうのですね。
「ミリアリア様、イザベラ様がいらっしゃいました」
「わかりました。ありがとう」
メイドさんの言葉を聞いて立ち上がり、少し早足で外へと向かう。屋敷の中を進み行き、玄関を出て目に入るのは扉が開いて止まっている黒い馬車。
「ミリアリア、行くわよ」
「はい、イザベラ様」
扉の奥に座るお方に招かれて、馬車の中へと入っていきます。私と違い、中に座る方は正真正銘のご令嬢。我が国でも有数の大貴族、コルベール侯爵のご息女イザベラ様でございます。リートバイト伯爵家より格上の大貴族のご令嬢に迎えられ、目指す先はと言えば、優雅なる貴族の茶会ですのよ。
「今日はリーブラ子爵家とフォフナン男爵家のご子息も参加するらしいわ」
「まぁそれは、大変でございますねぇ」
イザベラ様の言葉につい溜息交じりの返答を返してしまう。本来なら格上の家の方に対して無作法な事なのですが、怒る事無くイザベラ様も同意するように溜息をおつきになる。
13歳となった私の王都での日々。それは実に優雅な生活です。昼は茶会で夜は夜会。物語に出てくるような貴族らしい日常です。それはもう、優雅すぎてげんなりするような日常です。
割と自分は庶民派だと自覚している私。本を読んで弟と遊んで美味しいご飯が食べられたら幸せです。本質がなんちゃって貴族の令嬢だと言うのに、似合わぬ茶会に夜会の贅沢三昧の生活。現実逃避にも似た思いで、馬車に揺られながら思い返してしまいます。
王子様が去って行った後の事を。
王子殿下のホームステイが終わると同時に、重要なお知らせをしてくれたお父様。次の日からお母様と私の王都への引越しに向けて、我が家は動き出しました。
お父様は王都で住む為の物件探し。たまに政務や所用で王都に行くだけならば、王家が用意している貴族用の期間限定賃貸物件があるのですが、在住するとなれば話は別です。しっかりとした自家の屋敷を持たねばいけません。
貴族ですし、お金を出せば簡単に家くらい決まるよね。大学入学時に物件探しした私はそう思っていたのですが、そう簡単ではないようでした。リートバイト領から馬車なら5日、早馬でも2日はかかる王都へ暇があれば物件探しに行くお父様。ですがその成果は芳しくなかったようです。
王都と言えば王族のお膝元。王城に勤める、領地を持たない国政に携わるお役人の貴族の方が多数います。さらに領地を持っているけど国政にも携わる大貴族、その大貴族に仕える貴族の方々もいらっしゃいます。そうした方々の了承を取らねば、家を購入する事が出来ない様です。有体に言えば派閥争い。リートバイト伯はどこの派閥に入るのか? と言う事ですね。
主立った派閥は3派閥。王族に忠誠を誓う王族派。貴族の利権を今よりも増やそうとする貴族派。どちらにも属さない中立派。それぞれの派閥に分かれていても、特別争ったりはしてないようです。日々賄賂や謀略、暗殺騒動があるんですね? そうお父様に言ったら心底驚かれましたし。そして懇々と諭されました。安易な発言にちょっと反省。
サクライスにおいてはただの仲良しグループ別けっぽいイメージの派閥ですが、それでも立派な大人の世界の話な訳でして。結果的に王都の屋敷を購入出来たのは冬が明けて私が11歳になった後でした。我が家は中立派扱いになったそうです。購入が決まった話をした時のお父様は、折角の美形が曇るほどお疲れでした。都会って怖いですね。
お父様が物件探しをしてる最中、お母様も頑張っておられました。
自ら茶会を開いていたお母様。自分と娘が引っ越す事を、参加してくださっていた奥様方へお手紙でご連絡。さらにはお別れ会のようなパーティーも自己開催。普通は送る側が主催するのでは? と思ったのですが、聞いたら逆にお母様に首を傾げられました。あれ? 私の常識がおかしいですか?
私命名のお別れ会。それは思った以上に盛大でした。お世話した事がある子供達が沢山のプレゼントをくれまして。殆どが装飾品だったのですが、中には宝石が散りばめられた眩いドレスをくれた子もいました。いつも憎まれ口を言っていたあの子が涙ぐむ姿には思わず貰い泣き。小学校の卒業式な気分で感激しました。一生の別れでもなく、もうすぐ10才になる子は王都で直ぐにばったり会いそうな気はしましたが。
つつがなくお別れ会を終えた主催者のお母様。その次なる行動はアルバイト募集を始める事。王都に住む家の使用人を探す事です。これがまた大変みたいで。それなりの人数が必要な上に、自分と娘の世話をさせるのですから誰でも良いと言う訳にはまいりません。
知り合いの貴族の奥様に良い人材の紹介をしてもらったり、お触れを出した領内で応募してきた人の面接をしたり、時にはお父様を使い王都で人材を探させたり。領地の政務はお父様のお仕事ですが、家の仕切りはお母様のお仕事です。内助の功とばかりに頑張っておられました。お父様ですら使う姿は、領主でもやっていけそうなほど頼もしかったです。
そうやって両親が頑張ってる間、私が何をしていたかと言うとですね。先に謝りましょう、すいません。変わらず読書をしつつ、乗馬の重要性を知ったので弟サージェとお馬さんごっこをしてました。6歳のサージェは少し重かったですが楽しかったです。でもサージェ、お姉ちゃんのお尻を叩いちゃダメですよ?
引越しの準備が着々と整い、年を越えて季節は夏となる頃。
予定より遅れてしまいましたが、私とお母様は王都へと引っ越したのです。
王都へ住居を移したお母様と私。
王都へ来たのは私の勉学の為なのだろうと思っておりました。家庭教師をつけてくれたり、多数の本を購入してくれたりと教育熱心な両親。その一環だろうと思っていたのです。リートバイト領にはありませんが、貴族の学校にでも入れてくれるのかなと。
しかしそれが大間違い。この世界には知識人が開く少人数を教える私塾はあれど、私の考えているような学校はなかったのです。将来騎士や従士となる人向けの訓練学校はあるようですが、それは職業訓練であって私の想像していた一般的な学校ではありません。
学校が当然あると思っていた私は、お母様に子供達が大勢一緒に学ぶ場所はないかと聞くと、家庭教師じゃ不満なの? と返されました。そうではない事を説明し、それからさらに学校の説明をすると。
「ミリィ、護衛も付けずに年端もいかない子供を預ける親はいませんよ」
何故か頭を撫でられ優しい言葉を投げかけられ抱きしめられました。
言われて考えてみると、学校があったとしても格の高い貴族ほど我が子に多くの護衛をつけるでしょう。武装した護衛だらけの中で授業をする教師と受ける生徒。もう私の知っている学校ではありません。
実は若干楽しみにしていた学校が無いのは諦めましょう。では何故王都に来たのか。それを考えて珍しく閃いてしまいました。
「魔法を学ぶ為に王都へ来たのですね?」
そう、魔法です。10歳の魔力測定を終えてから、今日まで一切魔法関連の勉強はしていないのです。王都には宮廷魔術師様や国の虎の子の魔道騎士様達が居ります。言わば魔法のメッカ。魔法を学ぶなら王都に限る。魔力測定結果がシングルで落ち込んで居ましたが、学べるならばと前向きな気持ちになったのですが。
「ミリィ、良いのよ。貴女が賢くて頑張り屋さんなのはよく知っているわ」
「お母様?」
「大丈夫。無理して魔法の勉強なんてしなくて良いの」
先ほど以上に強く強く抱きしめられます。目の錯覚ではなく、いつも厳しいお母様が涙を浮かべて抱きしめてきましたよ。そんなお母様の様子に何となく悟ってしまいました。シングルはそれほどですか。そうですか。お母様の優しさが嬉しいやら悲しいやら。
「率先して勉強をしたがるミリィを誇りに思います。愛しいミリィの為に、この私が全力で! 誰もが認める淑女にしてあげますわ!」
抱きしめるのをやめたお母様が、貴族らしくない熱血っぷりで声を荒げて宣言してます。学校と魔法の事で何かまずいフラグを立てた気がしてなりません。あ、やっちゃった~と内心で焦ります。その予感は間違いではない事が後日わかるのですが……。
結局、王都へ来た理由はわかりませんでした。
王都での生活がとりあえず安定してきた頃に、それは始まりました。
「く、苦しいです。スフィさん、苦しいです」
「我慢してください、お嬢様。これもお嬢様の為でございます」
「限界、限界です。ぎぶぅ」
思わずギブアップと助けを求めても止まらない使用人のスフィさん。彼女が何をしているかと言えば、私の胴体に巻かれたコルセットを締めてるのです。体のラインをよく見せる為に着ける事になったのですが、着ける作業で体が軋む。
「許して、許してください」
「あと少しの我慢です。お嬢様、耐えてください」
「ミリィ、我慢なさい」
冷静に、凄く冷静に背中の紐を引っ張るスフィさん。この人はお母様の実家のコネで雇った人らしく、お母様にとても忠実です。ですので私の何かへの許しも完全スルーでございます。
「ミリアリア様、終わりました。次はドレスの着付けをさせて頂きます」
「そ、そうですか……」
力なく項垂れる私に手際よくドレスを着せていきます。それはもう慣れた物で、私が11歳で小柄だとしても実に上手に着させていきます。あっという間にドレスを着た私は、尊敬と感謝と若干の恨めしさを篭めてスフィさんにお礼を言います。
「用意が出来ましたね。では行きますよ、ミリィ」
どこへとは聞きません。知っていますから。これからドレスを着た状態で色々な事を学ぶのです。様々なダンスの練習。形式が違うパーティー毎のマナーの勉強。人前での美しい仕草や挨拶の練習。さらには茶会の招待状の出し方や返事の書き方。参加した場合のマナーに常識。好まれる会話。果ては貴族間での流行物の学習。
どれから始まるのかは存じませんが、お母様が王都に私を連れて来たのは、本当に私を貴族の淑女に仕立てる為でした。実家に居た時は家庭教師をつけるばかりでしたが、今日からは教師と一緒にお母様が教えてくださいます。貴族然とした厳しいお母様直々のご指導。愛のあるスパルタ教育。
「ミリィ! そこはゆっくり相手の殿方を待つのです。先に回ってはいけません!」
「はい、お母様」
「足運びが違います! それでは相手の方の足を踏んでしまいます!」
「はい、お母様」
貴族の女子は優雅に煌びやかに、蝶よ華よと美しさだけを磨いていれば良いと思っていました。ですがダンスの練習一つでわかります。実は体育会系だったのですね。姿勢正しくドレスで踊る。これって凄いつらいですのよ。
「ミリィは挨拶の基本は出来ていますからね。それについては後にします。ですがダンスは即席では美しく踊れませんわ。今日からみっちり教えてあげます。はい、そこで回って!」
ダンスの練習を開始して、いっぱい回る私の視界。回るは世界か私自身か。慣れぬ運動に底つく体力。優雅に見えたパーティーでのダンスは、こんな努力で支えられていたのですね。
「デビューの時は初々しさが必要でしたが、これからは美しさが必要ですのよ」
なるほどなるほど。だから10才に成るまではマナーやダンスの勉強は、私がこなせる位に少なかった訳なのですね。完成された子供より、初々しい子供の方を見たいのは同意します。守ってあげたり、色々教えてあげたくなりますものね。ですけどお母様。
「そろそろ、休憩を……」
「まだ始まって少ししか経ってないわよ? ……そうね。無理しても仕方ないわね。でも頑張るのよ、ミリィ」
「はい、お母様……」
お母様の愛に応えられない私の体。か弱い乙女でごめんなさい。そんな感じに内心で悲劇の乙女を気取ってみても、ただの運動不足の読書好きな文科系だとツッコム自分がいますけど。
風下方面には立っているけれど、私だって立派な貴族の娘です。愛する家族が望むなら、可能な限りは目指すぞ淑女。休憩中に椅子に座り頑張って自分を盛り立てます。心の内の宣言だけでは不安なので、愛するお母様にもアピールしましょう。
「王都に来たのは淑女教育の為だったのですね。自信はありませんが、頑張ってお母様のような淑女を目指します」
「ミリィ、それは違うわ」
輝く美貌を振りまきながら首を横に振るお母様。挫けそうな私の決意に予想外な返答をしてくれます。ではこの苦労は何故なのかと眼で問うと、私の肩に両手を置いて、真っ直ぐ顔を見つめて応えてくれます。
「貴女の結婚相手を見つける為よ」
「……はい?」
お母様は真剣な眼で私の顔を見つめ続けます。冗談でも嘘でもなく、本気の本気だとわかります。つまり王都へ来たのは本当に私の結婚相手を探す為だと。ダンス等の貴族的淑女教育も、その為に行う過程であって目的ではないと。
ミリアリア・ルーデ・フェス・ラ・リートバイト、11歳。
知らぬ間に、婚活が始まっていました。