3話 レグルス王子の憂鬱
サクライス王国第一王子。
それが俺の肩書きだ。
名前であるレグルスと言う個人名よりも、第一王位継承者の王子である事実が重視される。それに不満はない。父王は立派な王であり、俺がその座を継ぐと思えば、王子という肩書きが優先されるのも至極当然の事だろう。
ただ腹違いの兄弟達、特に妾の子である兄達から疎まれているのは苦痛ではある。しかしそれも彼らが王座を狙い立派に勉学に励み、若輩者である俺より真に王に相応しいと考えているならば仕方ない。兄弟に認められぬ未熟な我が身が悪いのだろう。
そんな兄弟達の態度よりも嫌な事がある。教師達や貴族達だ。
教師達は俺が明らかに間違えても指摘しない。それどころか自分から間違いを指摘すると褒めちぎるのだ。『さすがです。自らミスに気づくとは』と。酷い時は間違えた俺こそ正しいなどと言う者までいた。王族の機嫌を損ねたくないのは理解するが、度を過ぎれば不快だった。
貴族達は教師達よりは巧妙に、しかし意図はあからさまだった。
祝い事や記念日には贈り物をよこしたり、自分達の子供を紹介し俺と仲良くさせようとする。子息らもさすが貴族と言うべきか、出過ぎない程度に俺を持ち上げ自らをアピールする。時にはわざと俺に対して平民の使用人に粗相をさせ、処分する事で忠誠を示す輩もいた。自分で問題を起こした時点で忠臣ではない事実に気づかぬのか。
10歳の誕生日の祝宴で、俺の魔力がトリプルランクだと知れてからは一層酷くなった。教師達は俺を恐れますます授業が楽しくなくなる。貴族達は王位継承権は安泰だと、公の席で俺の後見人を請け負いたいと言う者も現れた。その度に兄弟達からにらまれる俺の身になって欲しいものだ。
父王の後を継ぐ為に日々努力していた俺だが、努力と比例して苛々した気持ちが募る。どいつもこいつも恐れるか取り入ろうとするばかりで。
そんな苛々する日々にも救いがあった。
歴史学者として有名なギシェルと言う名の教師と出会ったのだ。
10歳での公式の場へのデビューも果たし、うんざりする日々の中でそいつはやってきた。
「初めましてレグルス殿下。今日より王国史および大陸史の勉強を見ることになりました、ギシェルと申します」
新任の教師が来ると聞いていたが正直どうでも良かった。また同じ様な奴だろうと思っていたからだ。この目の前の白い髭を蓄えた老人も、第一王子の俺に対して卑屈な態度をとるのだろうと。
だが授業が始まってから驚いた。
「え~、光暦124年のサクライス王国の出兵に関しては、明らかに失敗です。隣国が飢饉に陥ったので侵略しようと派兵したのですが、それが飢饉が起きた隣国2国の結束を進める結果となり――」
「まて。それは俺も知っているが、飢饉で苦しむ隣国の民を助ける為だと聞いたぞ」
「事実は違いますな。これ幸いと侵略しようとしたのですよ。ですが戦に負け、逆に賠償で食料を大量に払うことになりました。まぁそういう意味では助けたと言えなくもないですが、時事としては侵略失敗して国力低下が事実です」
「なんと……」
前の教師に聞いた話と随分違う。
その事で興味が湧いたので少し質問してみる事にした。
「我が国の一番の失敗とはなんだ?」
「ふむ、一番ですか。それはまた中々に難しいですな。2代目国王の贅沢三昧は国を傾けたほどですし、5代目の弱腰外交での赤貧時代も酷い物ですし、9代目の狂王時代も――――」
「まてまてまて。そんなにあるのか!」
「おっと、一番の問題でしたな。どれをあげましょうか」
「先程の侵略失敗以上の失敗が、そんなに多数あるのか……」
代々の王は聡明で、失敗なく国を運営していたと思っていた。ギシェルの話を聞いて頭を殴られた思いだ。嘘を言っている様子もなく、ただただ事実を言ってるだけの口調に疑う事すら忘れてしまう。
だがここで大きな疑問が浮かぶ。
「サクライスの王子である俺に、そんな事を語って良いと思ったのか?」
「おぉ、これは失礼いたしました」
俺の質問に直ぐに頭を下げた老人に失望してしまう。
こいつも他の教師や貴族と同じか。そう思ったのだが。
「何か間違っていましたかな? いやいや、歴史を語るのが楽しくてついつい饒舌になってしまいましたが、失礼があったなら申し訳ありません。正しい歴史をお伝えしようと思っておりますが、何分年も年でしてな。間違える事もありましょう。いや失敬」
「く、くっくっ、あはははははっ」
ギシェルの言葉を聞いて思わず笑ってしまう。
国の王子に、その国の失敗談を複数語るのは失礼ではないのかと言う意図で言ったのだが、予想外の返答に笑いが止まらない。
「そうか、歴史を語るのが好きか。くくっ」
「ほほっ、様々な国の歴史を知ることは楽しいですぞ。人の営み、歩みを実感できます」
「そうかそうか。楽しいか。はははは」
これが俺と忠臣ギシェルとの出会いだった。
歴史学者ギシェルはとても博識であった。
元は他国の貴族であったらしいが、早々に当主を息子に引き継がせ引退後は各国を回り、大陸中の歴史を学んだそうだ。各地で歴史を調べる傍ら、遺跡などの実物を探したりもしていたと。その為歴史だけではなく、各国の情勢や特色、果ては旅する心得や野営の薀蓄、食事についてまでも詳しかった。
人の歴史を知りたい一心でそこまでする事に呆れたが、その事を楽しく語る姿には憧れた。歴史の探求にひたすらに打ち込み情熱を傾けるギシェルに、父王とは別の尊敬を抱いた。本人はただの歴史馬鹿ですなと笑っていたが、誇るべき馬鹿であろう。
さすが歴史馬鹿を自称するだけあるのか、授業で一切妥協をしなかった。俺が間違っていれば即指摘し、その時の出来事が何故起こったか分かり易く説明してくれた。俺がしっかり覚えるまでだ。王族に対してある種の強制をしているわけだが、その厳しさは心地よかった。
歴史学の授業を楽しみにするのに一月もかからなかった。
苛々が募り身が入らなかった勉学も、ギシェルを驚かせようと前もって勉強した。そしてその日の授業内容の歴史を語ると誉められる事が嬉しかった。
ギシェルが着て半年もした頃だろうか。授業以外の雑談も多くするようになっていた。父王に対する思いや兄弟の事。他の教師に思ってる不満や媚びてくる貴族達の態度への愚痴。それらを諭すでもなく同意するでもなく聞いてくれた。他の者には決して話せぬが、俺の話を授業と変わらぬ態度で飄々と聞くギシェルに、自然と話すようになったのだ。
そんな折にふと口から出た言葉があった。
「ギシェルは旅をしていたそうだが、旅費はどうしていたんだ?」
「旅費ですか。ふむ。今殿下に教えているように、貴族の子弟の家庭教師をして稼いでいましたな。最初は自分から尋ねていましたが、何時からか教えを請いたいと逆に呼ばれるようになりました」
「どんな所に呼ばれて、誰に教えていたんだ?」
「サクライスですとコルベール侯爵のご子息ですな。他にはヴァリス公爵の所などです」
コルベール侯の子息と言うと、将来は魔道騎士団の団長間違いなしと言われる傑物だ。ヴァリス公の所ならば、蒼月の姫巫女と言われる有名な方だろう。どちらも将来、我が国を代表する人物になるだろう。さすがギシェル。自身が優秀なだけではなく、教えてきた人物も優秀だ。
ギシェルの過去の生徒の事が出て気になった。気になってしまった。
俺はまだまだ未熟だという自覚はある。あるが、誰よりも勤勉に努力をし、それなりに優秀ではないかという自負もある。だからどうしても気になってしまったのだ。
「ギシェル、今まで教えてきた中で最も優秀な教え子は誰だ?」
王を目指し誰よりも努力している自分。ギシェルの授業でも間違いなく結果を出している。それにトリプルランクの魔道師(まだそれほどの技術はないが)である事が自信をより深めていた。つまり俺はギシェルの返事が「殿下です」だと勝手に思っていたのだ。
だが現実は違っていた。
「リートバイト伯爵のご息女ですな」
最初は理解できなかった。将来の騎士団長や姫巫女ならまだしも、名も知らぬ伯爵の娘だと言われた事が。聞き間違いかと思い問いただそうにも、直ぐに言葉が出なかった。
「……だ、誰だそれは?」
「ミリアリア・ルーデ・フェス・ラ・リートバイトと言う名前の少女です」
「ほ、ほう。ギシェルが一番と言うからには、相当勤勉に努力をして、才能豊かな偉人なのであろうな」
「勤勉ではありませんでしたな。勤勉さでは殿下の方が上でしょう。彼女は本を読むのは好きでしたが、主に読んでいたのは娯楽用の本でしたし」
……なんだと?
普段、娯楽本を読みふけるような奴に俺が劣ると言うのか。いや、そうではないか。凄まじい才能溢れる人物なのだろう、きっと。
「ならば才能溢れる人物だったのだな?」
「さて、私めは人の才能を測れるほど先見に優れてはおりません。しいて言うならば、私の授業を楽しみにし、教えた事は一度、多くとも二度教えれば納得してくれました。あれほど教え易い生徒はおりませんでしたな」
ギシェルの言を聞いて肩の力が抜ける。
それは優秀ではなく教え易いだけだろう。ギシェルにとっての優秀とは、歴史学をどれだけ前向きに楽しめるかだという事か。
理由に納得し、自分が一番では無い事にも納得をした。のだが、次のギシェルの言葉で再びショックを受ける。
「良い生徒であった彼女の事で、忘れられない事が一つありますな」
「どんな事だ?」
「ほほ、最初の授業の時、初めて歴史を学ぶ彼女がこう言ったのです。『この世界の文明発端も大河に沿って発生したんですか?』とね」
「なに?」
「その次の言葉が『血なまぐさい宗教戦争とかあるんでしたら、その辺はサラッと流してほしいです』でしたな」
古代の文明発端は大河の側だと言われている。そして大きな宗教間の戦争は、大陸の歴史の中では何度か起こっている。それを学ぶ前に知っていたとでも言うのか?
「前もって学んでいたのではないか?」
「歴史については、私が教えた時が初めてだそうです。2年ほど教鞭を取りましたが、彼女は嘘をつくような性格ではないので事実でしょう。何より『知らない事を聞くから楽しい』と言って、2年間で一度も殿下のように予習をした事はありません」
「し、信じられん。ギシェルを疑うわけではないが……」
「文明の起こりや歴史の流れを、ある程度予想できたのでしょう。何故出来たのかはわかりませんが」
もしやギシェルと同じような歴史馬鹿なのだろうか。だとしたら納得する。ギシェルからの評価を受ける異能とも言える才能があったとしてもだ。
「5歳だった彼女の口から出たときは驚きましたな」
「ふざけるな! 5歳だと!?」
「えぇ、文字を覚えてから、私が初めての先生だったらしいですぞ」
好々爺然として笑って言ってるが、もっと驚くべき事柄だろう。話を聞いて15歳くらいのイメージでいたが……。今の俺より6歳も年下の時に、そのような事を言う存在がいるとは。自分が持っていた自信を根こそぎもっていかれた気分だ。
「確か殿下とは1歳差ですな。今年で10歳になるはずです」
「……今年で10歳か」
だとすれば王城で開かれるパーティーに出席するだろう。10歳になる年に社交場へのお目見えが貴族の通例だ。まだ見ぬ怪物が王都へやってくるのか。そう考えて全身がゾクリと震える。
「ギシェル、改めて問う。そいつの名は?」
「リートバイト伯爵家の長女、ミリアリア・ルーデ・フェス・ラ・リートバイト様です」
恐るべき怪物、ミリアリアよ。
良いだろう。貴様が何者か俺が見定めてやる。本当に俺より優秀なのかをな! 来るがいい。王都へ。そして見せるがいい。お前の才能を!
「あの女、俺の誘いを断ったぞ!」
パーティーの翌日、ギシェルを呼び出し文句を言う。
知の怪物ミリアリア。奴をパーティーで発見したまでは良かった。
思ったより見た目が良いと言うか、思ってたような化け物ではなかった。どちらかと言うと地味だった。両親であるリートバイト伯爵夫妻に比べ、派手な赤いドレスの割に目立っていなかった。何故だ。
まぁ奴の見た目はどうでもいい。目が合った時はドキリとしたが。城によく来る貴族連中と違って、やる気のなさそうな目だったな。ニッコリ笑った顔は弱そうで、初めて見るタイプの貴族だ。もう少し見て居たかったが。
「ギシェル、お前が本を読む姿が絵になるなどと言うから少し期待したが、別に絵になってなかったぞ」
「そうですか。ふむ。窓辺で本を読む姿は、儚くも可憐な少女でしたが」
「記憶を美化したのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。それよりもあいつめ。俺のダンスの誘いを断りおった! 何と言う不敬な奴だ!」
普通王族の誘いを断るか? いつも誘いが多くて面倒だと感じても、俺は断らないんだぞ。だと言うのにあの女、にこやかに断わった。公の場で俺の誘いを断るとか何を考えてるのだ。他の貴族なら誰かと踊ってる最中だとしても俺の誘いに乗るかもしれんのに。
「あの女が誰からも誘われなくて残念そうだから誘ったと言うのに断られたんだぞ。どういう事だ! 王族に対する不敬罪だ!」
「ほほ、殿下にしては随分と楽しそうに文句をおっしゃる」
「楽しそう?」
「今の殿下は笑顔ですぞ」
ギシェルに言われ自分の顔を鏡で見る。確かに楽しそうに笑っていた。
おかしい。何故笑っている。誘いを断られ憤慨しているはずの俺が笑っているとは。自分の気持ちを真剣に考えてみる。するとやはり自分は喜んでいると分かる。笑いがこみ上げてくるからだ。
「断られたのが嬉しいのですかな?」
「そんなはずはなかろう」
とは言ったものの、考えるとそれ以外に理由がない。
日頃勉強のし過ぎでおかしくなってしまったか?
「殿下、良ければどのようにして断られたか、その時の状況をお教えください」
「うむ。よかろう」
ギシェルに嬉々として話す自分を自覚する。
昨日のパーティーでの状況、あの女の言葉、態度。思い出す毎に楽しくなる。なんて不敬な奴なのだと。
俺の話を聞き終えたギシェルは、髭を撫でて考える仕草をする。この賢人がどのような意見を言うのか。自分の事が自分で分からないので、期待を篭めて見守る。
髭を撫でながらギシェルがゆっくり口を開く。
「殿下には思いを全て話せる友は居りますかな?」
「む……。残念だが居ないな。思った事を話せる相手はギシェルが居るが、友ではあるまい」
「ですな。私はあくまで教師でしょう」
ふ~む。と再び考え込むギシェル。
何が言いたいのだろうか? 今のうちに友と呼べる忠義ある部下を作れと言う事だろうか。言われてみれば自己を高めることはしてきたが、腹心候補の発掘などはしてこなかった。なるほど。それは確かに問題かもしれんな。
「殿下、リートバイト領はサクライスの中でも優良な方でしょう。どうですかな、領地運営などの勉強にいってこられては。王城で篭り勉学に励むだけではなく、現場に行ってみるのも大事ですぞ」
ギシェルの言葉を一つ一つ考える。
つまりそうか! ミリアリアは腹心にするべき器であり、それを見つけた為に俺は喜んで笑っていたのか。ギシェルが認めるほどの人物だ。腹心にはうってつけか。
「わかった。お前の言うとおり、すぐにでもリートバイト領に向かうとしよう!」
「ほほ、その時に是非、ミリアリア様とお話なされるがよろしいかと」
「皆まで言うな。わかっている!」
リートバイトへ行く事を即断し、すぐに父王に申し入れ許可をとる。リートバイト伯はなにやら国でも有数の領地運営上手らしく、問題なく話は進む。リートバイト伯からの返答も了承だったので、俺はパーティーから10日もしないうちに城を発った。
ミリアリアよ。貴様の正体を今度こそ見定めてやる。
あの失礼な女の事を考えて、パーティーの時の奴の顔が思い浮かぶ。
浮かんだのは断られた時の笑顔だった。