2話
日々勉強した所作を即面談で実践する自分磨きの中、数少ない疲れを癒す潤い。愛しいあの人が来てくれた。ただ今自宅でお客様を歓待中の私は、言葉にするだけでもちょっと素敵な状況です。
「殿下、お茶のおかわりはいかがですか?」
「あぁ、貰おう」
「ご用意したお菓子も美味しいですよ。どうですか?」
「そうか。では食べてみよう」
屋敷にきてくださった王子様を力一杯お持て成し。紅茶のおかわりをいつでも出せるように心構えをし、私推薦の焼き菓子をお薦めし、他にもご要望はないかと隣に座る王子様をにこにこしながら見ています。
キリリとしたお顔の王子様は見目麗しく、時折私を見てはにこやかに微笑んでくださったりして、お側に居るだけでドキドキしてしまいます。さすが我が国の第一王子様。見た目も雰囲気も性格も良くて素敵です。なんて自覚ある贔屓目で見ていると。
「あ、殿下、口元に欠片がついてますよ」
「む?」
「今お取りしますね」
唇についていた焼き菓子の欠片を指で摘みお取りしました。思わずサージェにするように自然と行ってしまいましたが、よく考えれば大胆な行為です。やってから恥ずかしくなり顔を赤らめると、王子様も恥ずかしくなったのかお顔が赤くなりました。
「コホンッ。あ~、二人とも会えて嬉しいのはわかるわよ。でもそういうのは二人きりの時にしなさい」
顔を赤らめていた私達に、王子様と共にいらっしゃったイザベラ様が苦言を呈してくださいます。王子様が来てくれて嬉しくて、ぽわぽわと浮かれて少々羽目を外してしまったようです。
「イザベラ様、すいません」
「謝らなくていいわよ。ミリアリアは献身的で見てて微笑ましいもの。問題は殿下の方よ」
語尾で若干声音を低くしたイザベラ様。私に話しかけた時よりも鋭い眼差しで王子様を見て……あら? これは鋭いと言うか呆れた目でしょうか?
どうして呆れているのかわからずに居た私に、イザベラ様はそれはもうはっきりと呆れを隠さないお言葉で教えてくださいました。
「政務をしてる時は有能なのに、ミリアリアが関わった途端にダメ王子になるのよね」
「そうなのですか?」
今現在私の前で凛々しく格好良くしていらっしゃる。と言うのは盲目過ぎでしょうか。イザベラ様と私の会話を黙って聞くお姿は貴公子のそれなのですが、どこがダメなのでしょう?
「信じてないわね。私がコルベール家の当主になって、お父様がやっていた内務大臣の仕事を引き継いでる関係で殿下と仕事でご一緒することもあるのだけど、その時の殿下は凄いわよ。一挙一動に至るまで計算してるのか、発言する度に自然と周りの目を集めるもの。それに比べ今は……」
胡乱な目で王子様を見るイザベラ様に合わせ、私も視線を王子様へと向けました。私達が見ていると王子様はニヤリと笑い、自信満々に仰られます。
「あれは王子としての俺だからな。だが今はただのレグルスとしてここに居る」
言い終わると、とても優しい笑顔で私を見てくださいました。その笑顔の中のキラキラ光る瞳を見て直感します。これは期待されています。どういう風に返せばベストかわかりませんが、期待されてる内容だけはわかります。
期待されて待たれると恥ずかしいですが、勇気を振り絞り言いましょう。王子様が求めているであろうワードを、恥ずかしさと嬉しさを混ぜた気持ちと一緒に口にします。
「嬉しいです。レグルス……様」
言ってる途中から呼び捨ては無理と思い、様をつけた訳ですが。なんでしょう、これは。自分で言ったくせに、まるで高貴な王子様に恋する少女のような物言いにぽんっと頭が瞬間沸騰してしまいます。
傍目から見れば恋する少女そのものなので問題はない気もしますが、私は前世の記憶があるのです。少女と言うには大人な気がします。でも大人と言うには子供っぽい気もいたします。
決闘の時に王子様への想いを叫んで前世の『私』と今世の私が重なってから、十四歳の年相応に精神も引っ張られているような。
元々あやふやな記憶だけに、自分で思うほど影響がないのか前世の『私』。まぁたとえしっかり影響があったとしても、前の『私』も恋なんて手馴れていなかったので経験値は最底辺。顔が熱くなるばかりでフォローの仕方は行方不明。
恋に恋して舞い上がっていると言うのが適切な状態。ブレーキをかけ損ね絶賛発熱中の私とにっこにこの笑顔の王子様。そこに冷や水の一撃が加わります。
「うふふふ。貴方達、あんまり他人にそういうのを見せない方がいいわよ。余計な敵を作るから。あぁ~でもそうねぇ。わざと公の場で今の二人の姿を見せるのもいいかもしれないわねぇ。微笑ましく見守らずに顔を顰めた人はきっと敵でしょうから、敵対者を見つけるのには打って付けかしらねぇ」
笑顔なのに黒い禍々しいオーラを立ち昇らせたイザベラ様を見て、急速に熱が冷めていきます。冗談を装っていますが、このままの状況が続けば割と本気で先程のようなやり取りを、パーティ等でやらされる未来が見えています。窮地を感じた私の口は考える前に開いていました。
「それにしても凄いですね。イザベラ様の若さで内務大臣のお仕事ですか」
これは話を逸らす為だけではなくて、イザベラ様が今さっきさらっと言った台詞の感想です。イザベラ様が才女なのはわかりますが、十六歳の若さで国家の重職におつきになるとは。尊敬を込めた言葉だったのですが、イザベラ様は困ったような表情を浮かべます。
「残念ながら私一人でやってる訳じゃないのよ。リヒト殿下と半々でやってるのよね」
予想外のリヒト殿下の名を聞いて、勝手に体が緊張して堅くなってしまいました。王子様の兄にして将来の宰相候補。優秀だと有名な方ではあるのですが、私を誘拐し王子様を貶めようとした首謀者でもあります。あまり夜会等に出る方ではないのでお会いしたことはありませんが、私にとってはゲームのラスボス魔王様なイメージです。
私の緊張を見て取ったのでしょう。イザベラ様はすぐに明るい調子で話し掛けてくださいました。仰った内容は中々に過激でしたが。
「安心してミリアリア、もう二度とリヒト殿下に貴女をどうこうさせないわよ。それと私と貴女の分、ちゃんと二回引っ叩いておいたから」
「あの、それは本当に大丈夫なんですか?」
誘拐事件の落とし前的にビンタをしたのでしょうか。王族の方をビンタする。考えただけでまずい気分に。安心よりも心配になったのですが、イザベラ様は世間話でもするかのように続きを話してくださいました。
「リヒト殿下の後見人がお父様だったのは知ってるわよね? その関係でリヒト殿下とは小さい頃からの知り合いなの。一緒に遊んだこともあるくらい親しいから大丈夫よ」
なんならもう二、三発叩いておきましょうか? と、笑って言うイザベラ様に首を横に振って応えます。思わぬ人間関係を知ってはぁと溜息一つ。
つまりイザベラ様とリヒト殿下は幼馴染なのですね。そういえばお兄様のグロームさんはリヒト殿下の選任騎士――――王族が自ら選び命を預ける直臣――――でしたし、コルベール家とは近しい関係にあるのでしょう。だからと言って王族をビンタして良いのかはわかりませんが。
十六にして既に王族の方と国家レベルのお仕事をしている社交界の華イザベラ様。友人として立派な彼女のように頑張ろうと、ひっそり心の中で自分にエールを贈っていると突然王子様が。
「うむ、イザベラの提案は中々妙案かもしれないな。今度どこかのパーティーに二人で一緒に参加してやってみるか」
仰った内容に場が一瞬ピキリと凍ります。リヒト殿下を叩いた分に当事者だったのに王子様はカウントされていませんでしたが、気にせず黙っていてさすが私の王子様。なんてこっそり思っていたのですけれど、黙っていたのは聞いてなかったからと言う可能性が。
そしてイザベラ様と私の会話中に考えていたのが、冗談で言ったイザベラ様の罰ゲームなご提案。公の場で王子様と私の仲を見せ付けるのは、いくらなんでも……。あ、イザベラ様が目で訴えてきます。ね、ダメ王子でしょ? って。
「レグルス殿下、ミリアリアが大好きなのはわかりますが、ちゃんと理解してますか? 殿下とミリアリアの交際は正式なものではありませんのよ」
「む? どういうことだ?」
「先の誘拐事件の結果、ミリアリアと付き合っているのが公になりましたわね。ですがそれは、国王陛下から認められた訳ではありません。場合によっては陛下の一存で別れさせられます」
王子様の恋人と言えば国家の問題。将来の王妃の可能性があれば、それはもう国を挙げての重大事。王子様と私は恋仲ではありますが、国王陛下に会ってお付き合いの許可を貰った覚えは無し。当人同士で勝手に思っているだけと言われればその通り。
自分の現状を知ってドキリした私。そんな私に向かってイザベラ様は笑顔でウィンクをくれました。イザベラ様は王子様と私の仲を応援してくれています。陰で賛同者を集めたりと。だから私の不安を煽るようなことを本気で言うはずがありません。
ならばわざわざ危機感を煽るような物言いとウィンクの意味は、と。王子様に危機感を持たせ、イザベラ様が言うダメ王子状態を解消させようと言う所ですか。たぶんですけど。
イザベラ様の企てに対して王子様は。
「確かに父王に許可を取った訳ではないが、大丈夫ではないか? 父王もミリアリアに会えば良さがわかるだろう。わざわざ反対などするまい」
恋は盲目と言いますが、優しくて努力家な王子様にこんなに過大評価されているなんて。恋人としては嬉しいやら恥ずかしいやら、実体が伴ってなさそうなのは申し訳ないやら。私にとって王子様のお言葉は嬉しかったのですが、当然イザベラ様はそうでもなかったらしく眉間に皺を寄せています。
「殿下、そのように楽天的で大丈夫ですか? 同盟国からの反対の可能性もありますのよ。特に軍事同盟まで結んでいる東のシュヴァイム王国、海を挟んだ西のアルグレート帝国。この二国は殿下の王位継承権にすら口を挟んでくるかもしれませんわ」
「それはわかっているが」
「本当にわかってるんですか? 殿下の生誕祭に、両国は次期国主に最も近い王子と皇女を派遣してくるとの情報を得ていますが、その対策はしてらっしゃいます?」
「いや、していないが」
話して行く内に王子様とイザベラ様の雰囲気が変わっていきます。もうすぐ開催される王子様の生誕祭に誰が来る等の情報は、間違いなく国家レベルの機密情報なので真剣にもなるのでしょう。
それだけではなく、王子様の返答に段々とイザベラ様がお怒りになっているような。美人なイザベラ様の怒り顔は美しさを損なうことなく、怒ってらっしゃるのに見続けて居たくなります。自分に怒りが向けられてたら無理でしょうけど。
「シュヴァイム王国からくる予定のグランド王子をご存知ありませんの? 政務を放り出し好き放題遊びまわる放蕩王子と有名ですわ。人心を掴む術は上手いのか、自国内の貴族達から支持はされてるようですけどね。生誕祭にまともに参加するかも怪しい人物ですわ」
「ん? グランド殿には会ったが遊びまわってる訳ではないぞ。民と共に農業や畜産をしていたな。飢饉であっても飢える者がいないようにと、新たな農法を考えたりしてらした。いつも城や宮殿に居ないので、他国から来た貴族からは遊びまわってると見えるかもしれんな」
「……どこでその情報を?」
「留学中に直接会ったのだ。実に立派な御仁だった」
「なるほど」
熱が入るお二人のお話。それを横目に私は冷えて残り僅かになった紅茶を、全員分新しく注ぎなおします。
「ではアルグレート帝国の人形姫はどうですか? あそこの皇族は祖先が悪竜を倒した勇者と謳っていて、力こそ正義の軍事大国。現皇帝の後継者と目されるラナ皇女は、自らの力を過信し近衛すら側に置かない我侭姫と噂されてますわ。それに加え人嫌いで自室を人形で埋めつくしているとも。狂気の歌姫とも呼ばれている危険人物ですわ」
アルグレート帝国の皇族のご先祖様は、私が好きな『剣の勇者』の物語のモデルになった人物ですね。本には人を喰らう悪竜を倒したと書いてありました。フィクション的に読んでいましたが、数百年前の話とは言え伝記なので事実竜は居たのかもしれません。
この世界では秘境と言われる奥地では、魔獣と言われる何かが今でも居るらしいのです。けれど人が住む地域はそういった生物は居ないので見たことがありません。居たら人が住めないし見たら無事では済まないでしょう。でもちょっと竜とか見てみたいなぁと、自分で入れた紅茶を飲ながら思いました。
「ラナ皇女か。近衛を側に置かないのは彼女の特殊な魔法の為だな。人形に命を与える不思議な魔法だった。どこで得た話か知らんが、彼女の身の回りの世話は命を与えられた人形達が行っていたから人嫌いと思われたのかもしれんな」
「それも留学中に?」
「うむ。彼女の護衛担当の人形には特に世話になった。あの容赦のない攻めは訓練にもってこいだった。力を心棒する国柄なので、相手にならなかった当初は色々言われたな。懐かしい」
「そうですか。お知り合いでしたか。くっ」
さすが王子様。イザベラ様の攻めを見事にクリアしていきます。留学は確実に王子様の力になっていたようです。ここで一旦イザベラ様は紅茶を一口飲み呼吸を整え、表情を戻して話し始めます。
「では国内はどうですか? 王族派は問題ないでしょう。貴族派は私がなんとかいたします。問題は中立派です。筆頭のヴァリス公爵家は態度を決めていませんが、殿下でしたら既に手を打ってそうですわね」
気落ちした、とは違うのでしょうがイザベラ様は力なく仰います。同盟国の王族、皇族に関して大丈夫そうだとわかって気が抜けたご様子です。ダメに見えた王子様が大丈夫で安心したのかもしれませんね。私もイザベラ様と同じように、安心してお菓子を食べながら会話に耳を傾けていたのですが。
「もちろんしっかり考えている。でだなミリアリア、あちらには話を通してあるので明日ヴァリス公を二人で訪ねに行こう」
「あ、明日ですか?」
いきなり公爵様のお宅訪問のご連絡。ヴァリス公爵家と言えば中立派の筆頭で、公爵家を取り纏める大公とも呼ばれる大貴族。うちのリートバイト家は中立派所属で、お父様が王都の屋敷を買う時にお世話になったと聞き及んでます。
公爵様等と言う大貴族の方に会いに行くのは、できればご遠慮したいくらいに腰が引けてしまいます。おまけに私個人の後見人、と言うよりも保護者は貴族派コルベール家のイザベラ様。実家が中立派所属だからこそ問題がありそうな。 一般人思考では偉いと言うだけでも訪ねたくない公爵様。
しかし、しかしです。告白されてから初めての王子様からのデートのお誘い。いえ、ヴァリス公爵領に行くならプチ旅行かもしれません。現実問題として、そう言った意図ではないのは理解しておりますが、不安よりもドキドキが溢れてしまう胸の内。
王子様と一緒ならどこまでも。物語の恋する乙女が行動的な訳がよくわかります。好きな人が隣に居れば、どんな困難にだって向かっていけるのでございますね。いざ行きましょう、公爵家。
半ば意図的に恋の熱に浮かれ、公爵様のお宅に王子様と交際しているご報告に行くと言う、かなりの試練を勢いで乗り切る為に頑張らなくては。と、その前に確認しなくてはいけないことが。
「スフィさん、私の予定はどうなっていますか?」
訪ねに来る予定の方にお断りをお伝えしなくてはと、静かに部屋に佇む家令兼執事であるスフィさんに質問したのですが。
「明日は予定している面会希望の方は居りませんね。予定していた方も明日以降は取り止めたいとご連絡がありました。連日誰かしら訪ねに来ていたのに、明日からは予定が空いております」
「ほう、不思議な偶然もあるのだな。ではミリアリア、明日は二人で公爵に会いに行こう」
スフィさんの言葉を聞いて王子様は頷き、イザベラ様は額に手を当て俯きます。明暗分かれる反応をするお二人。暗の方だったイザベラ様が心配になり、王子様に「はい」と返事をしてから椅子をちょっと動かし近づくと。
「殿下の予定だだ漏れじゃない。どうせミリアリアの話を誰かとしてる内にうっかり言ったんでしょうね。ミリアリアと両思いになれてから浮かれ過ぎでしょ」
ぼそぼそと仰るのが耳に入り、どうしてよいかわからずに困ってしまいました。情報漏洩したっぽい王子様は問題だと思いますが、両思いになれて浮かれているらしいのは嬉しく思ってしまったので。
頬を赤くして困った表情で見ていたら、イザベラ様ががばっと顔を上げ私の肩に手を置き、真剣なお顔で仰います。
「ミリアリア、殿下が一緒ならヴァリス公爵の所へ行っても大丈夫って思ってるわね?」
「は、はい。思っています」
「その考えは捨てなさい。いい? 貴女が手綱を握るの。殿下が余計なことを言わないように、しっかり見張りなさい」
「が、頑張ります」
王子様がご一緒ならどこに行っても大丈夫。それだけの信頼が私の中にはあります。誘拐された私を、身分も危険も省みずに助けに来てくださったお姿を忘れたことはございません。
けれどほんの少しだけ。イザベラ様の真剣なアドバイスで微かによぎる不安の影。イザベラ様のお言葉を聞いても、泰然となさって紅茶を飲んでいらっしゃる王子様に視線をチラリ。見たらにこりと笑顔になる王子様に、私も笑顔を返します。
公爵様の所へ行くのはやっぱり少し不安ですけど、信じていますからね? 王子様。




