エピローグ
カーテンの隙間から漏れる柔らかな日の光。楽しげに聞こえる小鳥達の鳴き声。朝の報せを感じて、私はゆっくりと瞼を開けた。
「ん……。おはようございます。スフィさん」
上半身を起こし、ベッドの上から部屋に居たスフィさんに挨拶をします。私の挨拶を聞くと、スフィさんは体をこちらに向けて恭しく礼をして、朝のお仕事へと戻りました。
視線をスフィさんから窓の外へと向けます。
開けられたカーテンから覗く景色は幼い頃から見知ったもの。実家であるリートバイト伯爵邸の自室から見る外の景色は、秋になり幾分弱くなった日の光と合わせて心を落ち着かせてくれます。
あの廃墟での王子様とグロームさんの決闘からもう一月も経つのですね。目覚めたら実家の自室のベッドの上だった私には、あれは夢幻だったのではと思えます。
でもあれは夢ではなかった。私が目覚めたのを喜んでくれた家族の反応やお父様の説明、それとある人から送られてきた手紙が実際にあった出来事だと教えてくれます。何よりも鏡を見る度に私が失くした物が見えて思い出させます。
私が意識を失った後、王子様やイザベラ様がどうなったのか私は知りません。
目覚めてからすぐは体を動かせなかった私に、お父様は優しく伝えてくれました。私が賊に誘拐されて傷ついた以上の説明はされていないらしく、近いうちに殿下直々に説明にいらっしゃるから、それまでしっかり療養してなさいと。
王子様とイザベラ様のことを一刻も早く知りたい気持ちはありました。けれど王子様が訪ねるとおっしゃったのなら待っていよう。そう思い、気づけば一月という時間が流れていました。
いつ来てくださるかわからない王子様。毎日起きれば彼のことを考えてしまう。まるで恋する乙女のような自分にびっくりです。自分で考えていた以上に王子様のことが好きだったらしく、凄く恥ずかしくなってしまいます。
そんな風に王子様に逢えなくて寂しい気持ちと、思い浮かべてドキドキする気持ちで悶々としていた私の部屋に来訪者がやってきます。
「姉様! おはようございます!」
挨拶して入ってきたのは愛弟のサージェンス。朝から元気いっぱいの大きな声で部屋に入り、ベッドの傍へとやってきました。
「おはようございます。サージェ」
10歳の少年らしく腕白なサージェに笑顔で挨拶を返します。元気な弟を見ると嬉しくなりますね。ですが、ここは姉として注意しなくてはいけません。
「サージェ、部屋に入る時はノックをしなきゃダメですよ」
「あ、はい。姉様に少しでも早く会いたくて忘れてしまいました。ごめんなさい」
頭を下げて素直に反省するのは素晴らしいです。頭を撫でてあげましょう。褒める気持ちと、弟を撫でたい私の気持ちを手に乗せて。
撫で終わるとサージェは嬉しそうに顔を上げます。
「姉様、何か困ってることはありませんか? 読みたい本とかがあれば、僕が取ってきます」
私が動けぬ体で実家へ戻ってからというもの、サージェは私の世話をしたがります。もう体も動くようになって大丈夫なのに、毎日私の部屋に来てくれます。
当然嬉しく思いますが、お姉ちゃんにべったりすぎる弟が少しだけ心配です。サージェの幼馴染のシャルロッテちゃんがやきもちを焼いてしまいますよ。
もうお姉ちゃんは元気ですよ~と言うことを伝えようとサージェと雑談していると、コンコンコンとノックの音が聞こえます。それに反応したスフィさんが扉を開けると。
「おや、サージェも居たのか。二人とも、おはよう」
「おはようございます。ミリアリア、サージェンス」
「おはようございます。お父様、お母様」
「おはようございます!」
扉の前で挨拶をしたお父様とお母様に私とサージェが挨拶を返すと、二人仲良く並んで部屋に入ってきます。
「ミリィ、体の調子はどうだい?」
「はい、もうすっかり元気です」
「無理はしなくていいのよ。辛かったら言いなさい」
「大丈夫です。お母様」
心配してくれる両親に、軽く両手を動かし元気ですとアピール。するとお父様とお母様は微笑んでくれます。
もう元気なのに未だに心配してくれる両親に弟。3人の優しい眼差しに家族の愛情を感じます。ミリアリアとしてこの世界に根を下ろした私も、同じ様に家族を大切にしていきたいと思います。
しかしそれとは別に思うことが一つあります。
あの時の決闘の場で王子様やイザベラ様に感じた眩しさ。彼等のように生きたいと思ったことは忘れていません。同じように真っ直ぐ立って進んで生きたいと思うなら、甘えてばかりではいけませんよね。
私はベッドからそっと立ち上がり、愛する家族にはっきり言います。
「お父様もお母様もサージェも、毎日毎朝私の部屋に来て世話を焼こうとしなくて大丈夫ですよ。もうちゃんと自分で動けるんですから」
「でもねぇ、ミリアリア、貴女は頑張り屋さんだから心配なのよ」
お母様がいの一番に言葉を返してくれました。教育に厳しいお母様ですが、厳しさに比例して愛情も深いようで、動けなかった私の世話をメイドさんと一緒に何度もしてくれたんですよね。
実の娘だからと言って直接世話をするのは貴族らしくない行動のはずですが、お母様にとって貴族で在ることよりも家族の愛情の方が大きかったようで、それ自体は嬉しいのですけれど。
なんとなくこのままお母様の優しさに甘えていては、箱入りとか世間知らずとかの枕詞を得てしまう予感がひしひしと。既に手遅れかもしれませんけど。
「お母様、大丈夫です。心配してくださるのは嬉しいですけど、体が動くようになったのですし、自分で出来ることは自分でやらないといけないと思うんです」
ですので心を鬼にして愛する家族を部屋の外へと押し出します。お父様は感心したようなお顔で、お母様とサージェは不満顔で押されていました。
私が笑顔で3人を押して部屋の外まで辿り着き扉を閉める直前に、お母様が軽い調子でおっしゃいます。
「あぁ、ミリィ、今日はレグルス殿下がお見えになるから、頑張りなさいね」
言い終わると同時にパタンと閉まる部屋のドア。閉めた私は言葉の意味を理解するにつれて、あわあわと慌て始めます。
「殿下がいらっしゃるなら紅茶の用意をしなくちゃ。それから、えっと、何をすれば良いんでしょうか」
お母様の突然の告知に自分でわかるくらいに混乱中。逢いたいと思っていたはずなのに、逢えるとわかると頭が真っ白になってしまいます。
とりあえず紅茶紅茶と部屋を右往左往する私に冷静な一言が届きます。
「お嬢様、紅茶よりもまずは身嗜みを整えましょう。寝癖のまま寝間着で慌てながら部屋をうろうろするお姿は、仕える者としては少々残念な気持ちになります」
「はぅ」
部屋の中で待機して居たスフィさんから的確なツッコミが。
そう言えば私は起きたばかりでしたね。寝癖はまずいですよね。寝癖でボサボサの頭を見られたら100年の恋も冷めちゃうかもしれません。
寝間着もまずいですか? まずいですね。フリルの付いた可愛らしい寝間着は好きですが、これを家族と家人ではない人に見られたら……。
今の私の姿を王子様に見られたら、とってもまずいに違いないです。
「お嬢様、ご自分で出来ることをするのは立派ですが、身支度をするのは私達メイドの仕事でございます。僭越ながらお手伝いさせていただいても?」
「は、はい。是非お願いします」
王子様に寝起きの姿を見られたらと考えて困っていた私に、救いの手を差し伸べてくれるスフィさん。彼女の力を借りて着々と準備を進めます。
「久しぶりに会うのですし、少し派手な物に……。いえ、殿下は意外と地味な、コホン、無駄のない感じを好みます。大人しい色合いにしておきましょう」
「頼りになります。スフィさん」
まだまだ独り立ちが出来ない私でした。
良く晴れた空の下で、私は久方ぶりに会えた大切な人達とテーブルを囲んでいます。
逢いたかった王子様と一緒にいらっしゃったイザベラ様。お二人に自らいれた紅茶をカップに注ぎお出ししました。上手とは言えないかもしれませんが、手馴れた作業は懐かしさが湧いてきます。
「ありがとう。ミリアリア」
にっこりと笑い御礼を言ってくださったイザベラ様に、私も笑顔をお返しします。
もう一人の王子様はと言うと、真剣な表情で私を見たまま微動だにしません。見られるのは嫌ではないですが、王子様らしくない反応に何かしちゃったかなと心配していると。
「ミリアリア、すまなかった。助けに行ったつもりが傷つけることになってしまった。未熟と言うにはあまりにも酷い目に遭わせてしまった」
頭を下げて謝罪を口にされました。
「私も貴女に謝らなければいけないわね。私のせいで貴女と殿下には苦しい思いをさせてしまったわ。ごめんなさい」
続けてイザベラ様も謝罪し頭を下げます。
私は二人の様子に驚き、急いで想いを伝えます。
「頭を上げてください。殿下もイザベラ様も悪くありません。私が怪我をしたのは自業自得ですし、殿下が魔法で治してくださったから傷も残ってません。目覚めてすぐは動けなかったけれど、もう前と同じ様に動けます。えっと、私はお二人に感謝していますし会えて嬉しいです」
上手く言えなかったけれど必死に言葉を紡ぎます。恨み言なんてありませんと。会えて嬉しいですと。あの時、助けに来てくださったお二人に感謝こそすれ、謝られるようなことはないのですから。
「しかし髪が……」
私の言葉を聞いて顔を上げてくれはしましたが、王子様は納得がいかないご様子です。私の腰まであった髪は燃えてしまい、肩までの長さになったことを言ってるのでしょう。
確かに長髪を失ったのは少し喪失感がありますが、私はそれ以上の物を王子様から貰っています。なので王子様が気にして落ち込んでるのは本意ではありません。
でも王子様は気にしないでと言っても気にするお方。ではどうしましょうかと考えて、ちょっとだけ悪戯心が。
「殿下がいらっしゃるのを知って一生懸命整えたのですが、似合いませんか? 自分では気に入っているのですが」
私がいじけたつもりで髪を触りながら言うと王子様はハッとしました。そして期待通りのお言葉を下さいます。
「似合っている! 前の長い髪も良かったが、今の髪型も似合っていると思う!」
「ありがとうございます」
にっこり笑顔でお礼を言うと王子様は頬を赤くします。見た目は貴公子のような王子様ですが、まだまだ純粋な所がありますね。などと表面は澄まして居ましたが、自分で会話を誘導したのに私も内心ではとても照れてしまいました。
王子様と私はお互いに照れて言葉が出ません。策士策に溺れると言いますが、こんなに見事に自爆するとは。
止まった会話を進めてくださったのは、いつも頼りになるイザベラ様でございました。
「殿下、イチャイチャなさるのはよろしいですが、先に事のあらましをミリアリアに教えてからになさっては?」
「そ、そうだな! 誘拐事件の詳細を伝えねばいかんな!」
「ハァ、ミリアリアが絡むと本当にダメ王子なんだから」
「ぐっ」
呆れた調子のイザベラ様の言葉は王子様に向けられた言葉でしたが、自分に言われたような気がして恥ずかしくなってしまいます。何故でしょうか。
仕切り直す為か王子様は紅茶を一口飲んでから私に顔を向けました。
「ではミリアリア、お前が攫われたあの出来事について、俺が知る限りを伝えようと思う」
王子様は教えてくれました。私が誘拐され、王子様が決闘をしたあの出来事が何故起こり、その後どうなったのかを。
サクライス王国の第一王位継承者になる予定のレグルス殿下には、とても優秀なお兄さんが居るそうです。妾の子でなければ、レグルス殿下が居なければ王位継承を周りから望まれるほどに優秀なお兄さん。
事件の根本は、その優秀な兄であるリヒト殿下がレグルス殿下のことを嫌っているのが原因だとか。
リヒト殿下は貴族や平民と言った身分を特に気にする方だそうです。その殿下に後見人であるコルベール侯爵から、平民が支配する身分差のない国の形を語る貴族の娘が居ることが伝わります。
貴族の癖に現状のサクライス王政を否定する考えを持っている。さらには目の敵にしている弟の恋人らしい。王族である弟が王に成るのはまだしも、下手をすれば王政を否定するような娘が王妃になる。それはリヒト殿下には許容出来なかったようでした。
リヒト殿下は自分の後見人であるコルベール侯爵に娘の処分を命じます。ついで恋人を誘拐され見捨てたと、レグルス殿下の評判が落ちるようなおまけ付きで。
その命令に従いコルベール侯爵が、息子でありリヒト殿下の選任騎士だったグロームさんに誘拐を実行させました。そうとは知らず雨の日に一人のこのこと出かけていた私は、見事に誘拐されたと言う訳です。
「ごめんなさい。謝って済む問題じゃないけれど、コルベール家が貴女を害したことを、改めて謝罪するわ」
「イザベラ様はコルベール家の意向に逆らい私を助けに来てくださったのですから、謝らないでください」
謝罪してきたイザベラ様に首を横に振ります。家の意向に逆らい、身の危険を顧みず助けに来てくださったことがどれだけ嬉しかったか。
優しいイザベラ様はまだ気にしてるようなので、もう少し言葉を重ねます。
「聞けばコルベール家は命令に従っただけのようですし、イザベラ様がそこまで気にせずとも」
そう言うとさらに申し訳なさそうな顔をするイザベラ様。あれ?
イザベラ様のお顔の理由は王子様が教えてくださいました。
「今の説明は、コルベール侯が教えてくれたリヒト兄上が起こした事件の概要でな。実際は違うのだ」
「はい? 特におかしな所はなかったと思うんですが」
「うむ。ミリアリアを誘拐して俺を罠に嵌めたように見せて評判を落す。それは事実どおりなのだが、裏がある」
何故コルベール侯爵が裏話を教えてくれたのか、裏とは何なのか、疑問いっぱいの私に王子様が続けて説明してくださいました。
コルベール侯爵は以前からリヒト殿下とレグルス殿下の仲を不安視しており、下手をすると将来国を割ると危惧していたようです。
そして出来ればレグルス殿下が15歳に成り正式に第一王子となる前に、両殿下の王としての器を見定めたいと考えていたとか。
そこに突然変わった貴族の娘が現れます。レグルス殿下の想い人にして、リヒト殿下が嫌悪しそうな王政と正反対の思想を語る少女。コルベール侯爵は都合よく現れたその少女を使い、両殿下の対応を試すことにしたそうです。
「コルベール侯はリヒト兄上の対応に否定的だったな。血統を重んじるのは良いし弟を憎く思うのも良いが、会ったこともない貴族の少女を消すことを選ばれるとは思わなかったと」
「はぁ、そうなんですか」
侯爵様の弟を憎く思うのも良いと言う辺りに、私とは世界が違うなぁと変な方向の感想が出てきます。
「息子のグローム殿に対しても辛辣だったな。主の行動が過ちだと思うなら、不興を買っても諌めるべきだと。忠義厚いのは良いが、ただ従うだけでは駄目だと言っていた」
思い返せばグロームさんは私には誠実な対応でした。体調に気を使ってくれたし、話せば答えてくれたし。あれは不本意な命令で誘拐した私への、せめてもの思いやりだったのでしょうか。
「実はグロームさんから謝罪のお手紙が届いたんです」
簡素ではありましたが、謝罪から始まり私が望むならどのような罰でも受けると言った内容のお手紙。その手紙を読んでグロームさんのことは許した。と言い切れるほど割り切れてはいませんが、恨む気持ちがあるかと言えばないような。グロームさんに対しては複雑な心境になっています。
グロームさんからの手紙の話をしたら、王子様が見るからに顔を顰めました。
「グローム殿からの手紙か。あの方は最初からそのつもりだったのだろうな」
「殿下?」
「ミリアリア、お前の怪我は回復魔法が得意ではない俺では治せないほど重症だった」
「ではどうして私は助かったのですか?」
「グローム殿が協力してくれたんだ。ミリアリアが目を閉じてすぐにな」
そう言えば私が最後に目に焼き付けた光景。イザベラ様が二人に見えていましたが、もしやもう一人のイザベラ様はグロームさんだった?
話を聞いてグロームさんに対して、もっとよくわからない気持ちになります。命の恩人ではあるのでしょうけど誘拐犯でもあります。どんな感情で居ればいいのかわりません。ですから今度お会いした時に決めましょう。結論の先延ばしとも言いますが。
「話が逸れたな。元に戻すが、コルベール侯は俺のことも色々と言ってくれた。もし殿下が単独で廃墟へ来なければ、コルベール家は殿下を次期国王に推していたと持ち上げから始まり、供も連れず来たことを叱られ、魔道騎士に正面から挑んだことを怒られ、勝ったことは褒められたがそれ以上に戦う事態が愚策だと説教された」
侯爵様に言われた時のことを思い出したのでしょうか、途中から凄い感情が篭っていました。言い返したいけど御自分でも納得してしまい言い返せなかった。そんな所でしょうか。
少し間を置いてから、王子様が口を開きます。
「決闘の翌日にはコルベール侯は父王に詳細を報告していたらしい。事件の責任は全て自分にあるとな。そのおかげでリヒト兄上も俺も立場や王位継承権についてはそのままだ。グローム殿も特に罰を受けたりはしていない」
「そうなのですか……。結局、今回の件はどういうことなのでしょうか?」
私の質問に王子様は腕を組み考えた後で、静かに結論を教えてくださいました。
「誰も彼もが試されていたのだろう。関わった全員がな」
事件の裏側のお話の次は、その後にどうなったかのお話です。
「コルベール侯はリヒト兄上の後見人なのは変わらないが、コルベール家当主の座と内務大臣の職からは降りた」
「と言うことは、グロームさんが当主になったのですね」
「いいえ、違うわよ。ミリアリア」
ここで黙っていたイザベラ様が会話に入ってきました。同時に王子様がイザベラ様を見てため息を吐きます。
「あ~、事が起こった理由は先ほど説明したが、あれがそのまま公表されてはいない。内乱の火種ありと公言するようなものだからな。一部の王族と貴族以外には別の話となっている」
なるほど、と頷くと王子様は続きを話し始めます。どうしてか凄く疲れた感じで。
「ハァ、俺が王位継承権一位なのに反対する勢力が婚約者のミリアリアを攫い、それを知ったコルベール家が俺と協力して無事奪還。しかし王都で貴族が誘拐されると言う治安に関しての異常事態と、俺とミリアリアが傷つき死に掛けた責任を取り、コルベール侯爵は当主と内務大臣の職を辞した。ということになっている」
しっかり真面目な顔で聴きつつ、婚約者という単語を聞いてこっそり喜んでいたのですが、話はまだ終わりではなかったようです。
「のだがな……。次期コルベール家当主のはずのグローム殿も責任を取って魔道騎士の職とリヒト兄上の選任騎士を辞め、当主の継承権も放棄した」
「え? ということは」
「ふふふ、私がコルベール家当主になったのよ」
楽しそうに言うイザベラ様に驚く私。イザベラ様は政治を嫌っており、当主の座など欲しくなかったはずです。今回の事件で王子様と私の為に望まぬ当主になってしまったのかと申し訳なく思ったのですが、イザベラ様の笑顔が腑に落ちません。
話には続きがあるようなので大人しく聞いていると、更に驚きが続きました。
「今王都の貴族の間では有名な話があってな。本来なら家を継げぬコルベール家の長女が、次期国王に最も近い王子に自分の手に在る貴族の少女を宛がい惚れさせ、その少女をわざと誘拐させコルベール侯爵と兄のグローム殿に救出させるように働きかけた」
「そして見事に王子が死に掛ける失態を犯させ、王の逆鱗に触れたコルベール家当主と次期当主の兄に責任を取らせて、コルベール家を乗っ取った。そんな風評があるのよ」
王子様の後を継いだイザベラ様の話に、そんな馬鹿な! と、真実を知る私は憤り怒りかけましたが。
「その風評を広めたのはイザベラなのだ。加えて俺はイザベラの傀儡で、ミリアリア共々イザベラの思うがままという噂だ」
王子様の言葉を聞いて固まります。何でそんなことになってるのでしょうか。あ、答えはイザベラ様が風評を広めたからですか。訳がわからない私を置いて、イザベラ様が楽しそうに語ってくれます。
「うふふ、当主になったから結婚次期や相手を自由に自分で決められるのよ。それに政治を嫌っていたけれど、男の意地とかで我侭を言う方々に道理を説くのは思ってたのと違いずっと楽しかったわ。コルベール家を乗っ取った魔女の評判で恐れ戦く貴族ばかり。風評のおかげで逆らう相手を悉く従わせられるのよ」
「ハァァ…………」
王子様が深い深いため息を。きっと事件後にイザベラ様とご一緒して色々と大変だったのでしょう。愉しそうに笑うイザベラ様は、雰囲気だけは出会った当初に感じた悪役令嬢そのものです。風評を信じた方にとっては恐怖の対象なのでしょう。
けれど私はなんとなく察しました。イザベラ様が風評を広めた理由を。それは他でもない私と王子様の為なのではないでしょうか。
シングルランクの私が王子様の隣に立てば、ただで済むはずがありません。様々な思惑の的になるはずです。イザベラ様はそういったものから私達を守る為に、自分を盾にしようとしているのでしょう。
優しいイザベラ様は、必ず守ると言った言葉を忘れていないのですね
話が一区切りつき紅茶を入れなおすと、唐突にイザベラ様がおっしゃいました。
「ねぇミリアリア、結局貴女が王政じゃない国を望んでた理由ってなんなの? お父様に聞いても教えてくれなかったのよね。自分の口から言うことではないって」
イザベラ様の質問にドキッと心臓が跳ね上がります。あの日の決闘を経て王子様への気持ちを捨てられないと自覚してから、自分が何故日本のような国を望む心があったのか、確かな理由を見つけています。ですが。
「別に王政じゃない国を望んでなんていませんよ」
「そう? でもお兄様が話した時に貴女否定しなかったじゃない」
「それは、え~と、私の話は殿下達を試す為にイザベラ様のお父様が誇張しておっしゃっただけで、私にそんな具体的な理想なんて」
「ん? あ、言い忘れていた」
私の言葉に被るように王子様が何かを思い出したようです。話題を逸らしたい私は、積極的に視線を王子様に向けます。
「コルベール侯、と言うか元侯爵か。前コルベール侯はミリアリアを殺す気はなかったそうだ。あの廃墟で死んだように見せかけ、自分の保護下で庶民として生きてもらおうと考えていたらしい」
「そうなんですか」
着替えさせられていた貴族らしくない洋服の理由がわかりました。庶民用にしては作りがしっかりしすぎていましたが。グロームさんが言っていた表舞台から消すと言うのは、貴族から庶民になってもらうと言う意味でしたか。
聞き役の多い私ですが、このまま話題を変える為に自分から発言しましょう。
「さすがイザベラ様のお父様ですね。根は優しい方なのですね」
「優しいのかも知れぬが、侯自らの言では『彼女の深い知識は非常に貴重だ。出来れば様々な話を彼女としてみたい』と言っていたからな。一番の理由は知識欲ではないか?」
「へぇ、あのお父様がそこまで言うような話をしたのねぇ。一体どんな理想国家を語ったのかしらねぇ」
墓穴を掘るとはまさにこのこと。軽い調子だったイザベラ様が強い興味を示しました。私が積極的に行動した場合、裏目に出ることが多いような。
「殿下も貴女が望むなら王政を廃止するでしょうし、今なら私達3人で国をミリアリアの理想通りに作り変えることも夢じゃないわよ」
「え? それは!?」
楽しそうに言うイザベラ様の掲げた右手に紫の雷光が。バチバチバチと激しく鳴る雷。グロームさんが使っていた雷の魔法にそっくりです。
「ふふふ、あれから魔法も勉強したのよ。どうかしら?」
「凄いです」
「ハァ……」
私が素直な感想を言うと王子様がまたもため息を。王子様のため息で、さすがに私でもイザベラ様が何かをやったと言うのはわかります。驚かないように覚悟を決めて王子様の言葉を待ちます。
「元々トリプルランクで資質があり、コルベール家の血筋で才能もあったのだろう。グローム殿に師事すれば結果もでるだろう。だがな」
一旦言葉を区切り溜めを作る王子様。それに合わせ私も手をぐっと握ります。
「修練場に居た騎士30人を打ち倒すのはやりすぎだろう!」
「あら? 心配する女の気持ちを蔑ろにして決闘を始める男達を、次こそは力尽くで止める為には必要なことですわ」
王子様の抗議をしれっとした態度でイザベラ様は受け流す。例え王子様とグロームさんが再び決闘を行ったとしても、本当に力尽くで止めてしまいそうな自信に溢れる表情です。
「で、どうするの? ミリアリア。サクライス王家を打倒する?」
「!?」
話題が変わり安心して紅茶を飲もうとした私は、イザベラ様の追及に思わず咽てしまいました。王政じゃない国を望む理由を言わないように誤魔化そうとしていましたが、イザベラ様は逃がす気がないようです。王子様も理由を知りたいのか私を見ていました。
逃げられぬと悟った私は、諦め理由を口にすることに。せめてもの抵抗と顔だけは逸らして。
「王族や貴族と言う身分がなければ、レグルス殿下と身分差を考えずに付き合えると思ったから、です」
最初だけ勢いで言えましたが、後半はごにょごにょと小声になっていきました。それでもお二人にはしっかり聞こえたようで。
「あ、あっははは、あ~、そうよね。うん、ミリアリアはそうよね。納得したわ。ええ」
理由を言ったら予想通りに笑われてしまいました。大きな大望でも野心でもなく、ただ好きな人と付き合いたい、デートしたいと言う気持ちこそが、私が日本を懐かしく思い望んだ理由です。
だって実際にサクライスに住むスフィさんを初めとした庶民の人達は、色々なことが日本とは違うけど幸せに暮らしています。そこに文句を言うつもりはありません。
「ふ~ん、つまり恋心からなのね。確かにそれを他人が言ったら野暮よねぇ。だからお父様は言わなかったのね」
私の答えに大変満足してらっしゃるイザベラ様を横目に、チラリと王子様を見てみます。王族の王子様が恋心で馬鹿なことを言った私に呆れたりしてないか気になったから。するとばっちり王子様と目が合いました。顔を赤くした王子様と。
目が合って恥ずかしくて目を逸らし、また気になって見て目を合わせて逸らす。そんなことを何回か繰り返していると、イザベラ様がとても優しいお顔で私達を見ているのに気づきました。
私が見ているのに気づくと、イザベラ様は立ち上がり私の前にやって来て、直後に膝をつきました。
「王太子妃である方を傷つけたコルベール家の所業、三度謝罪させて頂きます。貴女が望むなら如何様な処断も受け入れましょう」
貴族、と言うよりも騎士のような態度で別人のように畏まるイザベラ様。私はイザベラ様の態度に混乱していましたが、それでも彼女の友人として相応しいように、どのように対応するのが正しいか考えて、慎重に、けれど偽りない本心を伝えました。
「イザベラ様が良ければ、これからもずっと友人としてお付き合いしたいです」
3人での茶会を終えた王子様と私は馬車の中に居ました。王子様が連れて行きたい所があるとおっしゃるので、現在そこへ向かっています。
イザベラ様は私の両親に事の顛末を伝えると言い、リートバイト伯爵邸に残りました。王子様や私も居なくていいのですかと聞いたら、殿下がお父様達と話す前に伝えなくてはいけないことがあるから気にしないようにとのことでした。
ですので、今王子様と私は王家御用達の馬車の中で楽しく雑談をしています。王子様が色々なことを話してくださり、私がそれについて感想を言ったりと。
リートバイト領に勉学にいらした頃から変わらない私達の会話の仕方。そんな心地良い空気の中、ふと王子様が不満を零します。
「名だけで呼んではくれぬのだな」
「はい? レグルス殿下?」
「殿下、か。あの決闘の時のようにレグルスと呼ばれたい」
忘れもしない一言。立場も何もかも忘れ、王子様に想いを伝えようとした私の魂の叫び。
「でもそれは不敬では?」
「呼ばれる本人が許可している」
「しかし誰かに聞かれたらまずいのでは?」
「馬車の中には俺達だけだぞ」
王子様は名前呼びをご所望ですが、それって結構大変です。名前だけで呼べたのは必死だったあの時だけ。相手が王子様だと思うとつい付けてしまう殿下の敬称。自然と付くそれを意識して取り除くのは、存外恥ずかしいものでして。
呼びたくない訳ではありません。が、ジッと相手に待たれると余計に呼びづらくなるってものです。私は愛を囁くのが得意ではない元日本人。王子様やイザベラ様のように生きようと思っても、そんなにすぐには変われません。
なのに王子様からの優しい視線は止まりません。強制するような強い視線ではなく、呼ばれたいなとお願いする柔らかな眼差し。
意識すればするほど恥ずかしいですが、言いたくない訳でもありません。なので王子様の視線に負けて意を決して口を開いた、丁度その時。
「目的地に着いたようだな」
ガタンと馬車が止まり目的に着きました。王子様は諦めたのか早々にドアを開け降りていきます。
名前を言えなかったことを後悔しつつ私も馬車のドアをくぐると、王子様が手を差し伸べて待っててくださいました。大切な家族であるお父様達と同じ優しい笑顔で。
私はその手にそっと自分の手を重ねました。
馬車から降りて手を引かれ進むのは森の中。
私の歩く早さに合わせて、手を繋ぎ二人で歩いていく。とても懐かしい感覚。昔も同じ様に手を引かれて森を進んだことがありました。
森を少し進むと木々が開け、小高い丘に出ました。
一息入れてから王子様と一緒に丘を上がり頂上へと辿り着きます。
そして二人並んで見た景色は黄金の絨毯。実りで穂を垂れる見渡す限りの小麦畑。
目の前の光景を見て思い出します。昔この場所に連れて来られた時のことを。
「私が、黄金色に染まった小麦畑も見てみたいと言ったから、連れて来てくれたのですか?」
私の問い掛けに王子様は首を振ります。
「そうやって笑う君の笑顔を、また見たいと思ったから」
王子様の返答を聞いて顔が真っ赤になってしまいました。
恥ずかしくなって俯いた私の両肩に、王子様が優しく手を置いてきます。
それから緊張を含んだ声で王子様が言葉を紡ぎます。
「ミ、ミリアリア、私の妃になってくれないか」
もしまた王子様に求められたら、返事は「はい」と決めていました。言われた言葉はとても嬉しくて、すぐにでも返事をしたい気持ちはありました。
ですが王子としてのお言葉に、ほんのちょっぴり気持ちが満足出来ません。ただの我侭な気持ちだとはわかっていますが、私は自分の気持ちに素直になって、左手を上へと上げていきました。
王子様から頂いた青い指輪が見えるようにしながら、そっと王子様の唇に指を当てます。
「ダメですよ、レグルス殿下。私はレグルスの言葉が聞きたいです」
そう言ってゆっくり指を離しました。
私の行動に王子様は一瞬驚いたようですが、苦笑してすぐに言い直してくださいました。
「ミリアリア、ずっと俺と一緒に居て欲しい」
その言葉に、私は自分の想いをこめて返事をします。
「はい」
返事を聞いて顔を近づけてくる王子様に合わせ目を瞑ります。
次いで唇に感じる温かさで、胸の中が幸せで満たされます。
大切な人達がいるこの世界に生まれて良かった。
出会えて良かった。
私を好きになってくれた、私の王子様に。
お読みいただき、ありがとうございました。




