23話
――――夢を見ている。
アスファルトで舗装された道。
3色に輝く信号。
馬車よりも早く道を走る自動車。
立ち並ぶ巨大なビル群。
歩道を進む数え切れない大勢の人。
よく知っている別の世界の光景。郷愁の想いを感じる場所に私は立っていた。碧い瞳と茶色の髪にドレス姿で。今の自分、貴族の娘であるミリアリア・ルーデ・フェス・ラ・リートバイトとして。
しかし道行く人々は私には目もくれず、まるで居ないかのように通り過ぎる。懐かしいはずの日本の街中だと言うのに感じるのは孤独と寂しさ。その気持ちから誰か知り合いは居ないかと視線を彷徨わせると、歩く二人の男女が目に付いた。
年相応のラフな格好をした背の高い金髪碧眼の少年。楽しそうな笑顔は王子様と瓜二つ。いえ、レグルス王子その人としか思えない笑顔。その少年は優しい笑顔で隣の女性と話していた。黒髪の小柄な女性に向かって本当に楽しそうに。
誰よりも私が知っている隣の女性は楽しそうに少年の話を聞いていた。少年に対しての好意を隠さない、溢れんばかりの幸せそうな笑顔で。
仲良く話す二人は私の前を横切り、私に気づかぬままに道を進んで行く。人混みに紛れ見えなくなっていく二人の背中。それに不安を感じて急いで二人を追いかける。
人の波を掻き分け必死に追いかけるけど、徐々に見えなくなっていく二人の姿。もう追いかけても駄目かと立ち止まった時、女性が後ろを振り向いた。振り向いた女性は真っ直ぐ私を見つめる。
「――――――――――――――」
女性は私に向かって何かを言ってきた。でも何故か言葉を発してるのはわかるのに、何を言っているのかが聞き取れない。彼女が何を言ったのか気になった私は足を進めて近づこうとした。けれど女性は一言発して満足したのか、再び背を向け少年と仲良く歩いて行く。
近づいてるはずなのに急速に遠ざかる二人の背中。走っても手を伸ばしても届かぬ背中へ向かって私は叫んでいた。胸を締め付けるような感情のままに。
「待って、レグルス殿下、私を――――――――――――――――」
ガタン、と鳴る揺れを感じ夢から覚める。目覚めて目を開けすぐに上半身を起こします。夢の内容は思い出せないけど、胸に残る気持ちは消えていない。引き裂かれるような辛い気持ち。意識せずに胸を押さえたせいでしょうか、苦しそうに見えたであろう私を心配する言葉が飛んできます。
「胸が痛むのかな? 呼吸はちゃんと出来ているかい?」
声の方向に顔を向けると彫刻のように整ったお顔の男性が一人。窓から差し込む夜の月明かりに溶け込む雰囲気。とても見目麗しいお方ですが、何故に私の寝室に?
「雨に濡れて体が冷えていたし、少し乱暴に連れてきてしまったからね。もしかしたら調子が悪い所があるかもしれない。体に違和感があったら遠慮なく言ってほしい」
男性に言われて思い出します。そう言えば私はイザベラ様のお宅へ行こうとして、雨の中を一人歩いていたような。雨音だけの街中を歩いていたのは覚えていますが、それからどうしたのか思い出せません。
びしょ濡れだったのはしっかり記憶にあるのですが。と、ここで自分の服装が変わっているのに気づきます。貴族が着る絢爛な服ではなく平民の方が着るような衣服です。ただ見た目は簡素なのですが妙に作りが良いと言うか、生地は肌触りが良くしっかりしているし縫い目も丁寧ですし凄く良いお洋服です。
「服は濡れていたので替えさせてもらった。衣服が平民用なのは我慢してほしい。こちらにも色々と事情があるのでね」
「えっと」
「着替えは女性の使用人にやらせたので安心するといい」
「あ、覚えてなくて申し訳ないのですが、雨の中に居た私を助けてくださったのですね。ありがとうございます」
話の流れからどうやら私は雨の中全身びしょ濡れ状態だったのを、この方に保護されたようですね。女性の方に着替えさせたといって安心させる気遣いに、平民用と言うには上質すぎる服を貸して頂き、自然と頭を下げてお礼を言ったのですが、男性の口からは予想外の返答が。
「お礼を言われると複雑な気持ちになるね。レグルス王子を誘い出し罠に嵌める為の餌として君を誘拐した身としては」
男性がおっしゃった言葉は驚きの一言でした。王子様を罠に嵌めると言うことは、この方は王子様の政敵かそれに類する方なのでしょう。あの方の敵ならば私にとっても味方とはなりえません。
雨の中でびしょ濡れだったのを保護されたのではなく、気づかぬ内に誘拐されていた事実。憤りをもって男性に相対します。力強く睨みつけ、精一杯の抵抗を口にします。
「誘拐は良くないと思います」
「んっ、くっ、ふふふふふ」
憤りを表した私の言葉を聞くと男性は笑い出します。最初は堪えようと努力したようですが、我慢しきれずに噴出したご様子です。
「ん、すまないね。君があまりにも可愛らしく睨んできたかと思えば、誘拐は良くないと誘拐した相手に向かって言うのでね」
鋭くない視線だと自分でもわかっています。内容も精一杯考えて言ったにしては残念な一言だと自覚もあります。でも仕方ないじゃないですか。目の前のこの方が丁寧で紳士的な態度なので、いまいち敵対する気持ちを込められないのです。
もっとこう強面で乱暴でもされれば、誘拐された側らしい一言も言えたでしょうに。その場合は恐怖で身が竦んでいた気もしますけど。そう思えば誘拐したのがこの方で良かった気さえしてしまいます。
「君は変わっているね」
「割とよく言われます」
「なるほど、本当に変わっているね」
窓から入る月明かりに照らされた男性の顔は笑顔でした。ちょっと困ったような苦笑ではありましたが。その顔を見てある出来事を思い出します。王子様と一緒に王立図書館に行った時のことを。あの時に本を取って下さった方がいましたが、目の前の男性がその時の方ですね。ならばもう一度会えたら改めて言おうと思っていたことを言いましょう。
「図書館では手の届かなかった本を取って頂きありがとうございました」
状況的には言った自分でもどうかと思うお礼の言葉。それを聞いて今度は驚き顔をする男性。
「父から聞いたとおりだ。君はなんと言うか、底が知れないね」
なんでしょうか、敵対の言葉よりもお礼を言った時の方が不信な目で見られます。誘拐犯にお礼を言うのは確かに変かもしれませんが。
一矢報いた訳ではございませんが、男性を驚かせたことでようやく精神的な余裕が出てきました。ですので今の自分の状況を考えることに致しましょう。
目覚めた時のガタンと鳴った物音と、今も鳴り続けるガタガタと揺れる音。豪華な内装にベッドの如くふわりとした座席ですが、部屋にしては狭い空間。ここは移動中の馬車の中だと思われます。それもかなり高級な。
つまり現在進行形で誘拐され中のようです。私は王子様を罠に嵌める為の餌らしいので、脱出して自由な身になるべきと考えて、その必要がないことに気づきます。そのことを自嘲を篭めて男性に伝えます。
「私を誘拐してもレグルス殿下はやって来ませんよ。殿下のプロポーズを断ってしまいましたから」
言ってから自然と左手の指輪に目が行きます。王子様が下さった青い半透明な指輪。彼の瞳のように澄んだ綺麗な色合い。指輪を見ていると王子様が一緒にいるような気がして、嬉しさと苦しさが交じり合った感情が湧いてきます。
「だから私を使って殿下を誘い出すのは無理ですよ」
「まぁそれならそれで構わない。それが王子の決断であるならね」
今度は私が驚いてしまいます。王子様を罠に嵌めると言ったのに、その言い様はまるで王子様には興味がない風でした。
「さて、目的地に着いたようだ。色々と準備があるのでね。残念だけど話は一旦お仕舞いかな」
気づけば馬車は止まっていました。いくら目の前の男性が紳士的であろうとも、王子様を誘い出す為の道具である私。きっと相応の扱いが待っているのでしょう。
馬車の扉を開けて外へ出た男性は私に向けて手を差し出します。不本意ではあるけれど抵抗する術を持たない私はその手を取りました。手を引かれ踏み出す先は闇夜の世界。
先の見えない暗闇は、私の未来を暗示するかのようでした。
月明かりが灯る夜の廃墟。連れてこられたのは石の柱が建ち並ぶ夢幻の宮殿。過去に栄えた姿の想像すら難しい寂れた場所でした。
「ここはね、サクライス王国の王都があった場所だよ。狂気に囚われたと言われる王が成した結果がこの廃墟だ」
馬車の御者の方と話していた男性が、廃墟に転がる石の上に座っていた私の傍によって来て説明してくれました。その説明でここがどこだかわかります。ここは9代目国王の時の内乱で朽ちた過去の王都なのだと。
「歴史書では狂った王と記されていたが、果たして本当にそうだったのだろうか。例え本当にそうだったとしても最初からそうではなかったはずだ。でなければ王に選ばれるはずもない。君はどう思うかな?」
話す男性の横顔はどこか寂しげでした。廃墟を見て過去の人々を、当時の戦乱の当事者や巻き込まれた人々のことを思っているのでしょう。この人はきっと優しい人なのでしょうね。
思えば図書館で会った時も馬車の中で目覚めてからも、気遣いはもちろん話す時はちゃんと私に向き合っていました。誠実な人柄が嫌でもわかります。唯一悪い点を上げれば、私を誘拐し王子様に悪事をなそうとしていることでしょう。それが大問題なのですが。
この場所でされた質問。場所と内容を考えれば答えはおのずと出てきます。王子様の好意に気づいてから私も考えたことがありました。質問の答えとは違いますが、相手が望む答えはこちらでしょう。
「レグルス殿下も将来同じような王になるかもしれない。ですか?」
私の答えが正しかったのか男性は軽く頷きます。そして意外なことを話し始めました。
「第一王子レグルス殿下。彼は素晴らしい。文武の才がある。それに胡坐をかかず努力をする。自分が至らぬことがあれば認めさらなる研鑽を積む。人望もある。人を惹きつけ動かす魅力がある」
語られるのは王子様への賛辞。柔らかな口調は偽りではなく、本当にそう思っていると感じます。王子様へ対する賛美の歌は私も同意しますが、どうして男性がそれを言うのでしょう。虚を突かれた発言にキョトンとしていた私を見て軽く笑った後に続きを話してくれました。
「彼は周りの人にも恵まれている。教え導く師、真に忠義を捧げる部下、留学で友も得たようだし、何よりも君と言う愛する女性を見つけられた。だけどね、だからこそ問題だ。苦労はしただろうが本当の挫折を知らない。そんな人間が王となり師を、部下を、友を、愛する人を失えばどうなると思う? 天意ではなく人の手によってね」
とても優しい王子様。自分の身内が害されれば、優しいからこそ激情を出すかもしれません。
「その危惧を抱えたまま彼を王にする訳にはいかない。このことに関しては父や私も同意している。きっと今頃、君を助けたければ朝日が昇るまでに一人でここへ来るようにと王子には伝わっているはずだ。彼が護衛を連れてくるか、君を見捨てるか、君には残酷なことだろうけど次期国王としての決断が出来れば合格と言った所かな」
「あぁ、だから殿下が来なくても構わないと言ったのですね」
でしたら大丈夫でしょう。王子様はきっと来ないのですから。王子様の身が安全とわかってホッとします。自分の中にあるもう一つの感情には目を背けて無視します。ここへ来る事無く王子様が王となれば、私も嬉しいはずなのですから。
「では貴方が今していることは殿下を試す試練、ですか」
「そうだね。あの方はそう考えているだろうね」
「あの方? その人が黒幕ですか?」
私の質問に男性は少し考える素振りを見せ、それが終わると私の前に立って優雅に礼をし名乗ります。
「名乗らずに済まそうと思っていたけど、君が黒幕を知りたいなら名乗ろう。私の名前はグローム・ジル・フラム・エル・コルベール」
その名はコルベール家の嫡子の方の名前。魔道騎士として有名な美丈夫。イザベラ様のお兄様。顔つきは男女の差かあまり似てはいませんが、言われてみれば雰囲気は似てますし、紫の髪と瞳はイザベラ様と同じです。
「今回の件の黒幕はコルベール侯爵ですか? まさかイザベラ様も……」
「君とイザベラは仲が良いらしいね。妹から何度か聞いたよ。友人だってね。安心していい。イザベラは政治に関わらないようにしているからね。今回のことにも関わっていない」
それを聞いて安心します。友人と思っていた人は間違いなく友人であると知って。
「黒幕についてだが、君にとっては確かに父が黒幕だろうね」
「私にとっては?」
グロームさんの不思議な物言いに首を傾げます。王子様を試す為の事柄なのに私にとっての黒幕とはどういう意味でしょうか。
「ところで君は王子を罠にかけようとしている方は誰だと思う?」
質問の答えを返されずに質問を投げかけられます。王子様についてのことなので気になるから考えますが、おそらく政治的な関係なので正直わかりません。けれども何かしら答えないと話を進めてくれそうにありません。
ならばと前世の知識をフル稼働。ドラマやマンガで王子を罠に嵌める悪役と言えば誰でしょう? 覚えている限りの役所を言ってみます。
「玉座を狙う王族、国王陛下のご兄弟や殿下のご兄弟。クーデターを狙う大貴族。優秀な王子が王に成っては困る敵対国の謀略」
パっと思いついたことを言っただけなのですが、グロームさんの表情は一瞬険しくなります。すぐに元の表情に戻りましたが。そして彼は淡々と教えてくれました。
「父はね、今回の件がどのようになったとしても君を、ミリアリアと言う貴族の少女を表舞台から消そうとしている」
それはつまり私の命を絶つと言うこと。目覚めてからなんとなく身の危険を感じてはいましたが、明確な死の暗示を受けて恐怖します。穏やかなグロームさんの声が一層の恐怖を感じさせます。その恐怖から逃れる為か、動揺した私は意識せずに口を開き質問しました。
「な、何故ですか?」
「君を手に入れた者は大国の王にすら成れる。父はそう言っていた」
「私にそんな力はありません。無理です」
「君は自分を過小評価している。先程の質問にあんな短時間で、あれほどの数の可能性を挙げられる人がどれだけいるかな?」
「あれは思いついたのを言っただけで根拠も何も……」
「確信を得るには調査し証拠が必要だろうね。だけど調べる前提として、何を調べれば良いかを決めるのは上に立つ者の役目だ。道を作るのが臣下だとすれば、王とは道の先を示す標だよ。君の聡明さは王の助力としては素晴らしいものだ」
すぐに私が答えられたのは聡明だからはなく、前世での情報量の多さと種類の豊富さ故でしょう。サクライスでの生活とは比べ物にならないほどの情報過多だった日本での記憶があるからです。その記憶から該当する情報を取り出すだけの作業にしかすぎません。
「知識についても言っていたよ。可能ならば教えを請いたいとまでね。サクライス王国の内務卿である父がね。君のもっている深い知識を知った者が君を利用すれば、我が国だけではなく数多の国が滅びるだろうとも言っていた。レグルス王子とは関係なく、父は君を排除するつもりだ」
かつてないほどの評価を受けますが、それは全て私の評価としては分不相応。私の言ったことは前世での知識の流用でしかありません。私自身が評価を受ける価値があるとは思えません。ですが……初めて私は考えます。自分の持つ知識の危険性を。
例えば銃。もちろん作ろうと思っても私は作れません。しかし概要は知っています。筒状の金属に弾を篭めて撃ちだすということを。大体の形状や大雑把な仕組みを。このことを『作れる人』が知れば、この世界にも銃が生まれるのでしょう。ただの農民すら兵士へと変える兵器が。
侯爵様には政治の話を一度しただけですが、あの時に私の知識の危険性を感じたのかもしれません。問われて答えたそれはこの世界にはない知識。地球の人類史と政治について語った私の自業自得。
グロームさんは話は終わったとばかりにゆっくり離れていきました。気を使ってくれたのでしょう。どうなろうとも命は無いと告げられた私に。思わず体が震えてしまいます。生きて帰れないと知った恐怖で。
夏だと言うのに、廃墟の夜は真冬のような寒さを感じました。
死を宣告され膝を抱えて座っていた私の耳に、澄んだ風鈴のような音が届きました。考えることを放棄していた私は無意識に音のする方に顔を向けます。
向けた先には白く光る小鳥が一羽。その小鳥はリィンと音を奏でながら暗い夜空を飛んでいます。淡く光る神秘的な小鳥。上空を旋回していたその子はゆっくりと下に向かって降りてきて、離れて立っていたグロームさんの肩に止まりました。
小鳥を肩に乗せたグロームさんは、少しすると馬車の御者の方と何やら話し始めます。遠目からなので詳細はわかりませんが、慌てているような気配です。
その様子を見ていた私とグロームさんの目が合います。すると彼は私の方へと歩いてきました。私の前まで来た丁度その時、肩に乗っていた綺麗な小鳥がサラサラと粉雪のように溶けて消えていきます。
「あっ……」
「コレは父の魔法でね。連絡用の魔法の鳥さ。父は魔法と言えば戦う術という貴族の常識があまり好きではなくてね。だからこの魔法を作ったらしい」
「そうですか……」
消えた小鳥に驚いた私に丁寧に説明してくれます。
「とは言え上手くは行かなかった。魔法の鳥を飛ばしても、家族の居る場所にしか辿り着かないそうだ。誰かを害する魔法は作りやすく、他の魔法は難しい。それは父であっても変わらなかったようだ」
「他の魔法は難しい……?」
「例を挙げるなら他人を癒す魔法などだね。他人に対しては傷つける方がずっと簡単なんだよ。逆に最も楽なのは自分に対して効果を発揮する魔法かな」
私が興味を抱いたと思ったからかグロームさんは魔法の話をしてくれます。ですが実際は反射的に口にしただけ。シングルランクの私では魔法の講義を聴いても実現は難しいでしょうし、今の気分では楽しく聴く気にはなれません。
家族に思いを伝える素敵な小鳥の魔法。むしろそんな魔法を作った侯爵様に危険と思われてると考えるとさらに気分が沈みます。
「さて、私が言うのもおかしな話だけど父からの連絡で君に朗報が届いた」
「朗報?」
「父の意向を拒否して、イザベラが君を助ける為に動いているそうだ」
「イザベラ様が」
沈んでいた気持ちが少し楽になったのを感じます。私と仲良くしてくださり、いつも気にかけてくれたイザベラ様。家の当主の意向に逆らうのは貴族としては反逆にも等しく、勘当されても当然の行いです。それでもなお私を助けようとしてくださることが嬉しくて堪りません。
「おかげで予定も準備も台無しだよ。君としては王子がここへ来る可能性が上がったのは嬉しい知らせかもしれないけどね」
それはどうなのでしょうか。イザベラ様の行動は嬉しい。でも王子様がここに来るのはグロームさん達からすれば王としての決断では失格なはずです。たった一人の貴族の娘の為にその身を危険に晒す行為なのですから。
「もし殿下がお一人でここへ来たら、どうなさるおつもりですか?」
「愚者は君と共に始末しろ。それが私が受けた命だよ」
グロームさんは魔道騎士。サクライス最強の騎士団の一員です。その武力はまさに一騎当千。最強の騎士が相手では王子様とて敵うはずがありません。
質問に応えてくれた時のグロームさんの声色は、私に気を使って柔和に話していた方とは思えないほど冷たく低い声でした。本気の覚悟と決意。間違いなく王子様の敵と確信させます。だから私が願うことは決まっています。
「でしたら、私は殿下が来ないように祈ります」
プロポーズを断った私に出来るのは、彼の無事を祈ることくらいでしょうから。
夜が明ける前の赤みを帯びた地平線。刻の知らせを告げる光。
荒涼とした廃墟で明るくなっていく空を見て安心します。王子様が来なかったことに。寂しさや喪失感もありますが、何よりも安心感がありました。私を好きになってくれた、大好きな男の子が無事だと言う知らせなのですから。
そう安心していたのですが……。よく見ると遠くから光を背負うように何かの影がこちらへ向かってきます。立ち上がり凝視すると、近づくにつれて影の姿がはっきりとわかってきます。白馬に乗る黒いドレスを着た女性と馬を操る少年の姿が。
私なんかの為に来て欲しくない。プロポーズを断ったのだから当然そうするはず。断ってからは屋敷にお茶を飲みに来てくれなかったのですから来るはずがない。何度も何度も心の中で自分に言い聞かせていました。
見ている内に白馬はあっという間に廃墟の宮殿前へとやって来ます。そこで馬を降り後ろに乗っていた女性、イザベラ様に手を添えて降ろすと少年は真っ直ぐこちらに向かって歩いてきます。
突然現れた少年は私の願望が生み出した幻でしょうか。不安な目で見ていると、私の前で立ち止まった少年は幻ではないことを証明するかのように、はっきりと言葉をかけてくださいます。
「待たせたな。ミリアリア」
本当は願っていました。来て欲しいと。立場も何もかも捨てて私を選んで欲しいと。自分のことしか考えていない浅ましい願い。だから諦めたかったのに。
「黙ってどうした? 折角助けに来たんだ。何か言ってほしいんだが」
「ダメですよ、殿下。将来の国王陛下がたった一人の為に身を危険に晒しては」
笑顔で言った私の最後の強がり。
「そうだな。自分でも間違っていると思う」
間違っている。そう、間違っている。なのに王子様は。
「だが王に成るよりもお前と、ミリアリアと一緒に居たいと思ったのだから仕方ない」
年相応の少年らしく、少し照れながらの言葉を聞いて私の目からは涙が零れます。嬉しさか悲しさか、自分でもわからない複雑な感情で涙が零れ続けます。
黙ってしまった私を王子様はそっと抱きしめてきます。そして優しい口調で言ってきました。
「ずっと俺と一緒に居てくれ。ミリアリア」




