19話
「ミリアリア、私の妃になってくれ」
私を見つめる碧い瞳。聞こえてきた王子様の言葉。状況を理解して胸の中に様々な感情が湧き起こり、私は動くことが出来ませんでした。
王子様は少し子供っぽい所もあってたまに私を驚かそうと悪戯をしてきますが、これは違うとわかります。一月以上も毎日顔を合わせているのですから、雰囲気から真剣だということは察せられます。
混乱と緊張で黙っていると王子様は私の背中に手を回し優しく抱き寄せました。近すぎて聞こえてしまうのではと考えて、さらに高鳴る胸の鼓動。
少しでも冷静に努めようとしていると王子様に軽く上へと向かせられます。言葉を頂いた時よりも近い距離で見つめ合い、ゆっくりと近づいてくる王子様。
10歳の時に出会った、子供らしく純粋な頑張り屋さんの男の子。13歳で再会してからは時々ドキリとする顔を見せてくれる。背が高くなり少し大人に近づいた彼は気遣いも覚え始めた素敵な男性。その王子様が何をしようとしているかわかって、恥ずかしさと嬉しさで一杯になる私の中身。
しかし私は別の感情で必死に体を動かします。嬉しさとは反対の感情で、そっと王子様の唇に指を当てます。それに驚いた王子様に昔と同じように告げましょう。昔のように笑顔では言えそうにありませんが、出来る限りの作り笑いで。
「ダメですよ。レグルス殿下」
自室で椅子に座っていた私のもとにスフィさんが報告にやってきます。部屋の窓から外を見ていたので知っている内容ではありましたが。
「殿下はお帰りになりました」
「そうですか。私の代わりにお見送りをさせてしまってごめんなさい」
「いえ、構いませんが……」
部屋の中に沈黙が訪れます。スフィさんは無駄話をあまりしない人ですし、私も普段は喋る方ではありません。ですから王子様が帰った後はいつも訪れる静けさなのですが、今日は特に静かな気がします。
「お嬢様、ご質問をしてもよろしいでしょうか?」
「はい? なんですか?」
「殿下のお気持ちに気づいてらしたのですか?」
「えぇ、なんとなくですが」
スフィさんやイザベラ様の態度、忙しいと言いつつも毎日来てくださる王子様。疑問に思うことは何度かありました。王子様が見た目を褒めてくださることもありましたし、外出する時も私に気を使って行く場所を決めてくださいました。何より二人きりになると凄く嬉しそうにしてくださる姿を見れば、特別に想ってくれてるのかなぁと私でも思います。
「失礼で申し訳ございませんが、お嬢様は気づいてないと思っておりました」
スフィさんの言葉に力なく苦笑を返します。私は人の感情の機微に聡いわけではありませんから、スフィさんがそう思うのもわかります。私が気づけたのも、それだけ王子様が真っ直ぐ気持ちを向けてくれていたからでしょう。
「お嬢様、もう一つご質問をしてよろしいですか?」
「いいですよ」
「殿下だけではなく、お嬢様も殿下のことを好いていると思ったのですが、何故プロポーズを断ったのですか?」
聞かれると思っていた質問ですが、すぐに返事はできませんでした。どうにも元気が出ないようです。もしもの時は断ろうと決めていたと言うのに、想像してた以上に落ち込んでいるようです。自分で決めた結果なのですから私に落ち込む権利はないでしょうに。
落ち込む気持ちの整理をする為に、自分の想いを反芻しながらスフィさんの質問に答えます。
「レグルス殿下のことは大好きですよ。色々頑張ってるのは好感が持てますし、一緒に居るのも話すのも楽しいです。ただ私の容姿に関して少しだけ口が悪いのは直して欲しいですね。あ、でもお互いに悪口を言い合うのも楽しかったから、直さなくてもいいのかもしれません」
言い合いをするのは楽しかったです。昔は背の高さのこと、最近は中身が子供っぽいと反論するのは楽しかった。それだけではなく、思い返せば全てが楽しいと感じます。初対面の時のことも馬で連れ出された時のことも当時は嫌だと思っていたけれど、今では楽しかった大切な思い出です。
「好ましく思っているのでしたら、何故断ったのです」
改めて断った理由を聞かれ思い出します。ギシェル先生から習った歴史のことを。昔読んだ王国史のことを。王子様の想いを感じ、私なりに調べた事実を。
「知っていますか? サクライス王国では過去にシングルランクの女性が王妃になったことは一度もないんですよ」
サクライス王国では過去にシングルの女性が王妃になったことは一度もありません。妾でさえシングルランクの女性は過去に居ないのです。正確には一度だけ、シングルランクの女性が王妃の候補に挙がったことはあるのですが、それは狂王と呼ばれる9代目の国王陛下の時代です。
「私はお嬢様ほど歴史に詳しくございません。ですからそれがどれほどの重大事か判断出来ません。それでもシングルランクのお嬢様が王妃になるのは茨の道だと言うのはわかります。ですが殿下ならばその茨からお嬢様をお守りしてくださる。そう思うからこそ殿下に協力したのです」
スフィさんの王子様を認める発言を聞いて嬉しくなります。男性の評価に厳しいスフィさんが認めるなら、王子様はやっぱり素敵な方なのでしょう。私もスフィさんと同じように茨から守ってくださると確信しています。
「スフィさん、殿下は立派な国王になると思いませんか?」
「思います」
間髪を容れずに同意されたことに驚きました。思った以上にスフィさんが王子様を評価しているようだったので。スフィさんと同じく私も王子様は立派な国王になるだろうと思います。だからこそ思うことが。
「もし私が殿下の伴侶になってしまえば、殿下は国王になれないかもしれません。国王になったとしても私を守る為に、きっと全力を尽くしてくださるでしょう。その時、優しいあの方は望まぬことをしなくてはならないはずです」
婚活をしていた約2年、婚約の話はもちろんダンスの誘いすら一度もなかった。短いとは言えない時間を貴族社会に身を置いて、私と言う存在がどういう認識をされているかは身に染みてわかっています。王子様やイザベラ様、それに茶会のメンバーの方達が特別なだけで、一般的な貴族ならシングルランクには忌避の感情すらあるのでしょう。
そしてサクライス王国の暗黒期に狂王と呼ばれた王が居ます。狂気に魅入られていたらしいので王子様とは違いますが、同じようにシングルランクの女性を王妃にしようとすれば再来と言われかねません。
「好ましく思うからこそ、殿下の足を引っ張りたくないのです」
「お嬢様はそれでよろしいのですか?」
自分の気持ちを問われ目を瞑り考えます。私が本当に13歳の夢見る少女だったら、または王子様が王族ではなくただの貴族であったなら違ったかもしれません。しかし前世の記憶がある私は見た以上に大人です。それに殿下は『私の妃になってくれ』とおっしゃいました。自分のことを『俺』ではなく『私』と。あの時向き合ったのはレグルスという少年個人ではなく、将来の国を背負う国王陛下に他なりません。
「王子として伴侶を求めたのなら、私もサクライス王家に仕える臣下として苦言を呈さなくてはいけませんよね。だからこれでいいんですよ」
「ですが……お嬢様? ……申し訳ございません。分を弁えず出すぎた発言でした」
納得してくれたのか礼をして下がるスフィさん。彼女と話して少しは気持ちの整理がつきました。スフィさんが納得してくれたなら間違っていないと思えるからです。
話が終わって椅子に座り直すと、何かの光が目に入ります。
「あぁ、指輪をお返しするのを忘れてましたね」
こぼした雫に濡れた指輪は、とても綺麗に輝いていました。
自室の窓から外を窺うのが習慣となっているのか、自然と私の目は窓の外へと向かいます。来るはずのない待ち人を望む視線が捕らえるのは、雨が降りそうな曇り空。
「今日もお越しになられないようですから、片付けましょうか」
用意していたティーセットをスフィさんと一緒に片付けます。昨日も一昨日も、いつもの時間になってもいらっしゃらなかった。まだ3回目だと言うのに、この時間に行う使われない茶器の片付けも手馴れてきた気がします。
片付ける茶器の音を聞いて出るのは自嘲の笑い。未練ですね。王子様の為を思い断ったのに紅茶の準備をしてしまう。それと自分で外す勇気が出ずに薬指に嵌ったままの青い指輪。
臣下としての行動を選択したと言うのに変わらず屋敷に来て欲しいと思っている。一人の女性として求められたことが嬉しかった。断った今でも嬉しく思い、尚も求められたいと縋るような自分の心が情けない。
臣下としても一人の女性としても割り切れない私は、やはり王子様には相応しくないでしょう。輝くような魅力に溢れる王子様の隣に立つには、どこまで行っても凡人な私では釣り合わないでしょうから。
「ふぅ……」
思わず出たため息と、後ろ向きな思考のループに理性がまずいと警鐘を。屋敷に篭って沈んでいてはいけませんね。出かける用事もないですが、少し無理して出かけることにしましょうか。
「スフィさん、ちょっと出かけようと思います」
「わかりました。すぐに馬車をご用意いたします」
「あ、出来れば一人で出かけたいです」
今は一人で歩きたい気分です。馬車だと御者さんが居るので一人という感じがしませんし。そう思っていますけど、一人で出かけたいなんて伯爵家の娘としてはただの我侭で、いつもならスフィさんは即却下するはずですが。
「行き先と道行きが治安の良い場所でしたら、今日だけは大目に見ましょう」
貴族の娘としてのマナーに厳しいスフィさんから許可が出ます。元気がない姿を見せてるせいで心配させてしまっているのでしょうね。心配してくれることが少し嬉しくて、その分頑張って元気にならなきゃと思います。
しかし許可が出たのは良いのですが、目的地なんてまったく思い浮かべていなかったことに気づきます。さすがに目的地も決めずにふらふら散歩するのはまずいですよね。
折角ですし好きな場所にでも行きましょう。そう思うと口から勝手に言葉が出ていました。
「王立図書館」
未練を忘れる為に気晴らしに出かけるはずが浮かんだのは思い出の場所。日頃外出しないので出歩く場所を知らないとは言え、無意識に王子様との思い出の場所を言う自分にがっくり来ます。聞いたスフィさんがさらに心配顔をしてしまったので慌てて行き先を変更します。
「少し遠いですが、イザベラ様の居るコルベール家の屋敷に行ってきます」
こういう時は友人に会いに行くのは定番ですよね。大切なお友達に会えば沈む気持ちも上向きになるはずです。イザベラ様と話すのは楽しいですし、出されるお菓子は美味しいですし。イザベラ様のことを思い出すだけでもなんとなく元気が出ます。
外出の準備をして、トコトコ歩いてイザベラ様のお宅へ向かうことに決めました。
普段は歩くことがない王都の道。そこを自らの足で進んでいきます。道はしっかり整備されてて歩き易く、街灯が等間隔にあって夜でも明るそうです。リートバイト領よりも都会だなぁと改めて思います。
一人で散歩するなんて滅多にない出来事だからか、歩くだけでもちょっと楽しくなってきます。馬車から見ていた家々もゆっくり歩いて見ると個性があって面白いです。
けれど全然人を見かけなくて寂しさを感じます。雨が降りそうな曇り空で皆さん外出を控えているのでしょうか? そう思ったのがいけなかったのか、ポツンポツンと小さな音が聞こえてきます。
「降ってきましたか」
立ち止まり見上げた空には黒い雲。降り始めた雨は止みそうにありません。このまま歩いていけば濡れるのは確実です。ですが帰る気にはなれず、濡れるのも構わずに足を前に出して進みます。
進む内にポツポツだった雨がザーザーと本降りに。当然私はびしょ濡れです。ですが雨で誰も居ない街中で、一人濡れる孤独感が心地よく感じます。
雨音だけが聞こえる中、一人俯き歩いていると前方から別の音が聞こえました。気になり顔を上げると、こちらへ向かってくる一台の黒い箱馬車が。
それを見て邪魔にならぬように道の端により、馬車が通り過ぎたのを見計らい再び歩き始めます。歩き始めて聞こえてくるのは雨音と自分の足音。そのことが妙に気になります。足を止めて考えてしまうほどに。
足を止めると世界は雨音だけになりました。そして気になった理由がわかります。すれ違い通り過ぎたはずの馬車の音が、何故歩き始めて直ぐに聞こえなくなったのでしょう?
疑問を解消しようと振り向いた瞬間、私の全身を痺れが襲い――――――――。




