18話 コルベール侯爵グノーシス
屋敷の執務室で持ち込まれた書類に目を通す。先日帰国したレグルス殿下が陛下へ献上しようしている政策案。その草案を見終わり、持ち込んできた人物へ視線を向ける。
「リヒト様、これを私に見せてよろしかったのですか?」
「構わんさ。国の重鎮たるコルベール卿に、愚策か判断してもらう機会を得られて弟も嬉しかろうよ」
私の質問に、どこか斜に構えた印象を受ける青年が答える。彼は将来の我が国の宰相候補だ。優秀であると王に見込まれ私が教育を承っている。
「それでコルベール卿、弟の考えたそれを見てどう思う? 王になる為に国民の人気取りを行うかのような、平民の権利拡張の政策だが」
「平民の移住制限や財産制限の緩和ですか。反発は強いでしょうな」
「やはりそう思うか。確かに平民の権利を広げれば、平民達は喜び次期国王としてあいつを歓迎するだろうが、管理する手間が増える貴族連中には歓迎されまい。そもそも何故平民の権利を広げるのかが、貴族連中には納得できまい」
リヒト様は現国王陛下の妾の子だ。正妃の子ではないので王位継承権はないに等しい。その為か第一王位継承者のレグルス殿下を嫌っておられる。貴族派の私に献上前のこの政策案を手に入れ見せてきたのも、レグルス殿下に対する嫌がらせなのだろう。
しかし書かれている内容はそう悪いものではない。国の根幹たる平民が所持する財産を増やそうとすれば税収も増える。平民の権利拡張で国は活気づき潤うだろう。平民に対しての利が多いが悪い政策でもない。だが問題はある。
「貴族にとっての得があるとすれば、税収は増えるだろうが一時的な物だろう。平民の領地間移動の緩和を利用して自領の人口を増やし地力を上げようと、領地持ちの貴族達で争いが起こる可能性もある。得られる利よりも損が大きいと考えるが、どうだ?」
「正しい見識かと」
レグルス殿下が居られねば、妾の子であったとしても次期国王に選ばれたかもしれない器がリヒト様にはある。わざわざこの政策の欠点を教えずとも理解していたようだ。貴族から見れば利は薄いという事を。これの欠点を突いて私に潰せと言う意図を感じる。
「弟がこれを献上し公表されたらしっかりと指摘してくれよ。王になるには弟は未熟すぎるとわかるようにな」
優秀であるからこそ王になれぬ事が不満なのだろう。陛下の子の中では、王に相応しい器を持つのはレグルス殿下とリヒト様のみ。なればこそ、レグルス殿下を受け入れられない気持ちは理解できる。
「リヒト様の諫言、私がしかと殿下にお伝えしましょう」
王族でありながら私以外の貴族派の後ろ盾をも得ているリヒト様。将来、レグルス殿下を補佐する宰相になる予定の青年。その気質は宰相に納まるものだろうか。彼が目指すのは宰相の座か、或いは……。
「では聞かせてもらおうか」
魔道騎士に名を連ねる息子のグローム。彼に申し付けていたレグルス殿下に関する調査が終わったと言うので結果を聞く事になったのだが、さてどのような内容を聞かせてもらえるのか。
「殿下は留学中に剣や魔法の鍛錬を行い、実践では魔獣討伐を経験したようです。他にも遺跡の調査を行い数日現地で野営したらしいので、盗掘人や盗賊との対人の経験もありそうです」
「ふむ、政治面の勉学だけではなく、武に関しても学ばれてきたか」
殿下は政治面に関しては昔から関心が高かった。だが武の方面ではトリプルランクと言うだけで、どの程度の実力があるかは未知数だった。父である現国王陛下と同じく、文官寄りの方になるかと思っていたが。
「文武に優れた王子という訳か。将来の王としては頼もしい限りだな」
「貴族派としてはあまり優秀すぎては困るのでは?」
「確かにお前の言うとおり優秀すぎては困る。だが王とは国を導く者だ。それが無能では臣下が如何に有能だろうと国は荒れ最悪滅びる。文武に理解があるなら私としても歓迎する」
王が文武に優れる必要はない。だが臣下には文官、武官の両方が居る。国を維持するには政治力だけではなく、時に武力も必要だ。なれば王とは文武に優れずとも、文と武に優れた臣下を使う器が必要だ。レグルス殿下がそれを満たしているのなら、次の代も我が国は安泰だろう。
「しかし魔道騎士のお前から見ても優秀だと思えるか」
「政治に関してはわかりませんが、剣や魔法に関してならばまだ甘いところはありますが、魔道騎士にも迫るかと」
「それほどか」
殿下の護衛隊の隊長は、数少ない魔道騎士であるボレアリス伯だったか。武家として名高い家柄の彼に鍛えられているのだろう。学術面での師はギシェル老であるし、殿下は師に恵まれているな。
「殿下に負けぬよう、将来のコルベール家当主としてお前も励むように。その一環として殿下に関してさらに調査をしてみろ。王族派の妨害が良い練習になる事だろう」
「わかりました」
グロームにとって王族派の妨害などたいした障害にはなるまい。王族派の連中には精々息子の成長の糧となってくれる事を祈るばかりだ。
屋敷にいらしたレグルス殿下にご挨拶に行くとリートバイト家の息女と出会った。意図せぬ出会いではあったが折角の機会だ。どのような人物であるのか知る為に話をする事にしたのだが……。
息子と娘の伴侶に関する話で思わず笑ってしまう。貴族の間でリアリストと言われている私の言葉、その真意を見抜く者が妻以外に居るとは。
コルベール家の者は己の道を曲げぬ者が多い。コルベールを名乗る前の初代は王家の始祖に受けた恩を返す為に、どのような苦難を前にしても始祖を支えたと言う。最後は己が命を失うとわかっていても、自らの命と引き換えに始祖を守り通したと伝わっている。
その初代の血の影響か、グロームもイザベラも自分の芯たる部分は決して譲らない。望まぬ政略結婚なぞさせた所で将来破綻するだろう。ならば好きな者と婚姻を結べと迂遠に言ったのだ。それを息子も娘も見抜けずに居ると言うのに、まさか初めて話す少女に見抜かれていたとは。
妻と同じような事を言う彼女に対し私の気持ちは緩んでいた。彼女が話す趣味や失敗談に素直に笑ってしまう。見栄を常に気にするはずの貴族の娘に、自分の欠点を楽しそうに話されては気も緩むというものだ。
イザベラが茶会のメンバーに誘うのも頷けた。日頃政治の表舞台、騙し騙され相手を貶める事もある場所に身を置いている私が気づけば寛げるている。彼女の独特の人柄と居心地の良い雰囲気が気に入ったのだろう。
しかし殿下が毎日彼女の屋敷に通っている話には驚いた。殿下も同じように感じ気に入られたのだろうが、毎日通うと言うのは予想以上だ。これは彼女を伴侶にと考えていると見て間違いない。殿下の性格を考えるならおそらく正妃に迎えるおつもりなのだろう。
そう結論して興味本位に殿下との会話内容を質問してみた。きっと今のような気軽な雑談だろうと考えた気安い質問であった。だが答えは予想と違っていた。
「そうですね。民の事を考えた政策のお話なんかをしてますね」
それは意外な答えだった。レグルス殿下は場と相手を見て合わせる器量がある。それは相手により話すべき内容を選んで言う方だという事。その殿下が彼女に政治の話をするという意味は小さくない。
詳しく聞いてみると、先日リヒト様が持ち込んだ政策案の草案の事であった。陛下へ献上する政策について彼女に相談したようだ。殿下にとって留学の成果を示すのと、王位継承者である事を認めさせる大事であるにも関わらず相談したという事は、それだけ彼女の力を信頼しているという事に違いない。
殿下が相談した彼女自身の考えを知りたいと思い、政治や国についてどう考えているか質問してみる事にした。とは言え回答に何か期待していたかと言えば、それはなかった。優秀とは言え殿下はもちろん、兄君のリヒト様すら私から見れば子供であり未熟。殿下より年若い彼女には年相応の才能が見れれば十分だと思っていたのだが……。
「政治や国ですか。そうですね。サクライス王国は国王陛下を頂点にした立憲君主制度ですが、それ以外にも政治の形態は色々あると思います」
「王権が強い絶対君主制のことかね?」
「あ、はい。そういった独裁国もそうですが、議員内閣制や大統領制とか」
「それはどういう物かね?」
「えっと、確か選挙で選ばれた――――」
そこから詳しく話してくれた彼女の話を、私は半分も理解出来たであろうか? 理解しようと努めはしたが、どれほど理解できたかはわからなかった。懸命さを見せながら話す彼女の言葉は未知なる物であったが、研鑽を積まれ纏められた体系であると感じた。まるで何かしらの指南書の内容のような。
説明を行う途中に出た仮想国家の話は妙に具体的であった。全ての道はローマへ通ずと言った後の大帝国の内容は興味深かったし、人民の人民による人民の為の政治を謳う多民族国家の話は脅威を感じた。君臨すれども統治せずと言った、王を敬いながらも民が主導の国家の話をした時の彼女は楽しそうだった。
他にも様々な種類の社会のあり方の話に知らぬ間に聞き入っていた。他者の話をここまで真剣に聞いたのはいつ以来だろうか。この少女の姿をした存在に畏怖を感じ、口から勝手に言葉が出かけた時に第三者の入室があり会話は終わる事となる。
そしてお見えになった殿下にご挨拶したが、先の彼女の話を聞いた動揺を隠せた自信はない。このような状態で失礼があってはまずいと早々に部屋を後にしようとしたのだが、退出しようとする私の前に彼女が歩いてきた。
動揺させられた意趣返しと言う訳でもないが、目の前に来た彼女に問いをした。古い時代では明確に忌み嫌われ、現在でも忌避の感情が強く残るコルベール家初代と同じ黒髪黒目の見た目について。
言い淀む姿を想像し意地が悪かったと思い、すぐに問い掛けをなかった事にしようとしたのだが、彼女は私に笑顔を浮かべ返事をしてきた。その笑顔は自然と親近感が湧く優しげで柔らかな笑顔だった。
「とても親しみを感じました」
返事は予想もしなかった物だった。どこの国出身かもわからぬ、異端扱いされていた初代と同じ黒髪黒目の容姿を笑顔で受け入れる者がいるとは。
その後に部屋を出て目を閉じ心に刻む。リートバイト家の息女、レグルス殿下が見初めた深遠なる智謀を抱く少女の名を。
「やってくれたなレグルスめ!」
部屋に響く怒号。冷静沈着なリヒト様が声を荒げてレグルス殿下に対する憤りを露にしていた。それと言うのも陛下より公表された殿下の政策案が原因だ。
草案の時と同じ平民の移住及び移動制限、財産所持制限の緩和、それに職業選択の緩和が加わっている。これだけならば平民に対する人気取りに見えるが、公表された物にはさらに続きがあった。
「王都を中心とした国中を結ぶ街道整備。他国からの外貨を得る為の遺跡や名所の観光地化。平民に対する制限緩和は、これらを行う為の前提だったようですな」
「このままでは地方の貴族派の者が王族派につきかねんぞ、コルベール卿」
「かと言ってこの政策に参加するなと言う訳にもいきますまい」
平民の制限緩和は国全体の活性化に繋がる。国を挙げての街道整備は今よりも流通を捗らせる。他国からの旅人まで考えた地方の観光地化は、収入の乏しい領地救済になり歓迎される。
別々に見ても成果があるが、これらは全てが絡み合っている事が驚嘆に値する。
街道整備が進めば旅路での治安が上がり観光地への移動も楽になる。移動の安全が増せば商人らも利を求め地方まで足を伸ばすだろう。財の所持が増えた平民は流通する品物を買いやすくなり、移動制限が緩和され観光地へ行く事で地方活性化にもなり、財を増やすため余裕ある平民の次男三男が進んで街道整備の人員となる。職選びの緩和も人員確保に一役買うか。
「利権を求める地方貴族は率先して賛成しかねん。だが本当に恐ろしいのは、国の発展を願っているようなこの政策が全ての街道を王都中心に作る事だ。王権の強化は確実だろうな」
リヒト様の言うとおり王都を中心にする事で王威は今以上になるだろう。政治的なだけではなく経済的な中心が王都となるのだから。
しかしそれを拒否してこの政策に不参加と言う訳にもいかない。街道が延びた地には確実に利益が流れるが、逆にそうではない領地は現状以下になる可能性が高い。先を考えれば領主達は資金を出して参加せざるを得ない。
そして参加してからも油断はできない。王都から整備された道が繋がると言う事は、情報の伝わる早さも上がり問題があれば王家直属の軍の派兵も容易だと言う事だ。参加すれば王都から監視されているようなものだろう。
それだけではなく他国の侵略に対する派兵速度も増すだろう。街道を使い素早い兵の移動が可能になる。侵略に対しては関所や砦を用いれば良い。国防の利点を言われたとしたら、反対者は叛意ありとされかねない。
「この政策は王の権威を上げるだけではなく、まるで戦時の他国への派兵まで考えている気がするが、まさかな……。弟がこれほどの政策を考えるとはな。側近として連れてきたアルベルトと言う者がよほど優秀なのか?」
殿下が側近として連れてきた若者に会った事はあるが、彼がこれほどの大事業の政策を考え出せるかと言うと疑問が残る。
むしろこの政策は彼女の影響を受けているとしか思えない。先日出会い話した、私ですら底を計りかねる少女が語った内容が散見している。
リヒト様は口に出す事をしなかったが、将来的に大陸に覇を唱えるかの如きこの政策。レグルス殿下が覇王を目指しているのでなければ、根底には彼女の意思があるのだろう。だとすれば行き着く先は……。
「リヒト様、おそらくですが今回影に居るのは別の人物でしょう」
「別人?」
「はい。レグルス殿下が見初めたであろう少女こそが、立案の立役者かと」
「弟が見初めた? わかるように詳しく話してくれぬか」
彼女の話をするとリヒト様は驚きを隠さなかった。国の誰もが考えもしない内容に、その知識にリヒト様すらお認めになったと言う事だろう。普段からレグルス殿下以外の事では、存外率直な方ではあるのだが。
私の話が終わると考えを纏める為か目を瞑られた。常日頃は即断とも言えるほど思考が早い彼にはありえないほどの長考。それが終わると無表情で言葉を発する。
「やはり弟が王足るか、試す必要があるな」
静かで重い決意を感じさせる声が耳に届いた。




