17話
コルベール侯爵様は私の返事を聞いてから使用人を呼び、手早くお茶の支度を整えて紅茶を用意してくださいます。指示を出す時の侯爵様の動作といったら、それはもう絵になっておりました。まるで映画のワンシーンを観ているかのごとく、とってもナイスミドルでございました。
「さて、何から話したものかな。イザベラから何か私のことを聞いているかね?」
落ち着いた低音の声が静かに私の内に入ってきます。侯爵様の雰囲気はお部屋の豪華さにも負けぬ存在感がございます。それに比べ私は浮いている気がするのですが、そのお声を聞くと不思議と心が落ち着きます。
紅茶を一口飲んで質問の答えを考えます。イザベラ様は基本的にご家族のことを話しません。ですので話してくれた数少ないことは印象に残っています。私の中で侯爵様と言えばあのお話を思い出します。
「お婿さんには好きな人を連れてくるように、とおっしゃったと聞いています」
「伴侶に関してならば私は確か、身分に囚われず自らの目に適う将来有望な者を連れてくるようにと言った筈だが」
「つまりそれって、イザベラ様の目に適えば平民の方でも貴族の方でも、好きな人と結婚していいってことですよね? 凄く素敵なことだと思います」
私が言うと侯爵様はこちらをじっと見てきました。鋭さや驚きがある訳でもなく、ただ見ているだけの視線です。それにちょっと気恥ずかしくなったので、なんですか? と言う意味を込めて笑顔で首を傾げます。
「ふ、ふふふふ」
真面目な顔をしていた侯爵様が思わずといった感じで笑います。すぐに笑いを抑えてしまいましたが、私は何か面白いことを言ったでしょうか? 笑わせる気がない私の話で笑う姿はご息女のイザベラ様と重なります。
「他人の言葉を聞いて笑うのは失礼だと理解しているのだが、堪えられなくてね」
「私は本心から言ったのですが」
「すまない。君のことを馬鹿にした訳ではないのだ。ただ妻と同じことを言うのでね」
「奥様とですか?」
「そうだ。イザベラや息子のグロームへ有望な伴侶を探すよう言った私の言葉を聞いて、妻も君と同じようなことを言ったのだよ。『地位や名誉より好きな気持ちを優先させるように言うなんて貴方らしいですね』とね。まさか私の言葉に同じような感想を持つ者がいるとは思わなくてね」
奥様を思い出されているのか侯爵様の顔は朗らかな笑顔です。そのお顔を拝見していると、奥様を大切に思っていることがわかります。きっとお互いに愛し合っているのでしょう。だから自分の子供達も同じように好きな人と結婚して欲しいと考えていらっしゃるのですね。
思ったとおりの素敵な方で親近感が湧いてきます。私はすっかり緊張が解けました。最初から学校の先生に対するくらいの緊張しかありませんでしたが。
それからは気軽な雑談が始まります。私が本を読むのが好きで実家には大量の蔵書があること、家では色々失敗して使用人の皆さんに怒られていること、パーティーでイザベラ様にフォローしていただいていること等を話しました。
聞き上手な侯爵様のおかげか王子様がうちに通っていることも言ってしまいます。さすがにそれには驚いたのか目を見開いておりました。しかしすぐに表情を戻し、ちょっと難しい質問を投げかけてきます。
「殿下と君はどんな話をするのかな?」
この質問にどうしたものかと悩みます。私の趣味や失敗談ならいくらでも話せますが、王子様のことはどうしましょうか。私から見たありのままの王子様とは、優しくてわんぱくで好奇心が強い頑張り屋さん。紅茶を飲みながら留学中のお話をする時は、新たな発見に自らの未熟さを認め楽しそうにする方です。
一人の少年としてなら努力していることを手放しで褒めてあげます。ですが王子様は次期国王陛下。そして侯爵様は国の重鎮でございます。二人の立場を考えると未熟な部分をお話をしてはまずい気が。どうせなら王子様の評価が上がるお話をしたい所です。
「そうですね。民のことを考えた政策のお話なんかをしてますね」
「ほう? 少し詳しく聞いても良いかね?」
政治っぽい話題になったせいか侯爵様の顔に真剣さが見て取れます。関心を引けたまでは計画通り。後は王子様が政を真剣に考えているのをアピールしましょう。政治の話は正直苦手ではございますが、先日図書館で読んでて良かった政治本。
平民の方への制限について話した時のことを詳しくお話いたします。王子様は国や民のことを思っているんですよ~とにこやかに語ります。
仲良くしてくださる大好きな王子様の為に、私らしくなく必死にアピールを致します。そのかいあってか途中から侯爵様は相槌すら打たなくなって、腕を組んで聞くだけになりました。
我が策成れりと軍師気分で自分に喝采を贈っていると、またまた侯爵様からご質問を受け取ります。アピールし過ぎだったのでしょうか、本来の私には決してされないであろう質問が。
「ふむ、殿下の御心はわかったが、君自身は政治とは、国とはどんな物だと考えているかね?」
普段の私ならよくわかりませんと答えた気がします。ですが王子様のアピールをした後に、話し相手だった私がよくわからないと答えたらまずいですよね。私の評価が下がるのは問題ないですが、王子様を道連れには出来ません。
政治の話を始めてから侯爵様は堅い雰囲気を漂わしてございます。その雰囲気に押されるように私は知っていることを話します。小中高で学んだ歴史の授業、世界史と日本史に政治・経済、TVで観たニュースやドラマに映画の話を混ぜ込んで。
王子様の為に頑張って思い出しては話します。古代ローマから近代日本まで色々と。知ってる政治の大体を。柄にもなく積極的に頑張った影響か、理路整然とはほど遠い感じで喋っている気がします。
止まりたいけど止まれない、面接試験の時の自己アピールをしてる気分でございます。何か言わなきゃと焦ってしまう小心者の私。
「――――と言うように、王を奉ずる王政以外にも」
「君は……む?」
自分でも何を話してるのかわからなくなってきましたら、部屋のドアからノックの音が聞こえます。音の後に開かれるドアから入室してくるのは美貌の麗人、続いて美形の王子様。
「お父様?」
「コルベール卿?」
「これは殿下、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。我が屋敷へお越しいただき感謝します。貴族としてこれほど名誉なことはありません」
「イザベラ殿に招かれ、王家の忠臣たるコルベールの家にこれたことは私こそ感謝しましょう」
王子様達が入室すると立ち上がり礼をする侯爵様。その動作は華麗ではありましたが、どこか不自然さを感じます。
侯爵様がご挨拶してる間に、王子様とイザベラ様が私の方へと目を向けます。何を言えば良いのかわからないので、とりあえず小さく手を振っておきましょう。
「コルベール卿、ミリアリアとこの部屋に居た様ですが、何か彼女が失礼なことをしましたか?」
手を振ったら王子様が侯爵様へ変な質問をいたします。私が失礼なことをした前提で質問したのが変な所でございます。失礼なことをしてないとは自分自身でも言い切れないですけれど。
「失礼なことなどとんでもございません。ミリアリア嬢を当主として持て成していましたが、彼女とは実に有意義な会話が出来ました。殿下が選ばれただけは―――」
「彼女が失礼をしていなくて良かった。見た目以上にうっかり者ですので」
侯爵様に被せる様におっしゃる王子様。うっかり者なのは良いとして、見た目以上とはどう言うことです。二人きりの時はもう少し優しい気がするんですが、第一王子の仮面を被った状態の王子様は私に対して厳しいですね。
「ミリアリア、髪が乱れてるわよ」
内心で王子様に怒っていたら、イザベラ様が近寄り髪を整えてくださいます。どうやら一生懸命侯爵様に話していた時に、髪の一部がおかしくなっていたようです。後で王子様に文句を言おうと思いましたが、止めてあげることに致しましょう。
王子様へのご挨拶が終わったのか侯爵様はドアに向かって歩きます。私を歓待してくださった侯爵様にお礼を言おうと立ち上がり近寄ると、くるっと振り向いた侯爵様と目が合います。
「殿下、私はこれで失礼致します」
あ、そうですよね。出る時に王子様に退出のご挨拶をしますよね。それに気づかず侯爵様の前に立ってしまい恥ずかしくなりました。王子様の言うとおり私はなんてうっかり者でございましょう。
羞恥で顔を赤くしていた私を何故か侯爵様が見つめます。何故かってそれは目の前に居るからですね。そそくさと横に退こうとしたら、侯爵様が私に声を掛けてくださいます。
「ありがとう。君と会話が出来て良かった」
「いえ、私の方こそありがとうございました」
「最後に質問なのだが、君は私を見てなんとも思わなかったのかね?」
「どういう意味でしょうか?」
「漆黒の黒髪黒目の私を見て何も思わなかったのかね? サクライスはもちろん、隣国でも珍しい見た目なのだが」
侯爵様に言われて気づきます。サクライス王国では黒髪の方は居ても、瞳まで黒い方には出会ったことがありません。黒髪黒目の方は初めて見ます。
そこで合点がいきます。私がお偉い侯爵様に緊張をあまりしなかったのは、見た目が日本人のようだったからですね。自分で気づかぬ内に懐かしさと親近感を感じて居たのでしょう。
言われるまで気づかないとは、うっかり者が板について居るような。いえ、ミリアリアとしての常識があるからでしょう。サクライス人としての常識故の失態でございますね。
内心の自己弁護の攻防は脇に置き、待ってくださる侯爵様に返事をしなくてはいけません。なんと答えようか考えましたが、思ったままの答えしか浮かびません。
「とても親しみを感じました」
歓待のお礼も込めて、素直な気持ちをお伝えしました。
王子様が家に来る日々は続き、様々な出来事がありました。
王子様の住居たる王宮を案内されたこともございます。その時に側近の方を紹介されました。側近のアルベルトさんと王子様は主従と言うよりも親友のようでしたね。私の家に居る時か私と2人きりの時、或いはイザベラ様を加えた3人の時だけにしか使わない砕けた口調で喋っていましたから。
その後もたまに王宮に連れて行かれると、ギシェル先生や護衛隊の方達と再会しました。
面白い話を一杯知っているギシェル先生とは、授業を受けてた頃の話をして懐かしかったです。今は王子様の相談役をしているそうで、王子様を努力家だと褒めてました。ギシェル先生の言葉に照れてる王子様が可愛かったです。
護衛隊の方達は昔と変わらず王子様をお守りしていて、隊長さんはやっぱりとっても熱かったです。何故か何度も何度も私に王子様をお頼みしてきましたが、私に王子様を守る力なんてないので困ります。むしろ魔道騎士らしい隊長さんの方に私が頼みたいのですけど。
ある時は二人で身分を隠して王都散策をしたこともございます。
民の生活を直に知りたいとおっしゃるので、じゃあ変装して街を散策してみれば良いのでは? とご提案すると採用されたのでございます。
平民の富裕層の子供に変装した王子様ですが、変装したのに佇まいや動作が優雅過ぎて違和感が凄かったです。スフィさんと一緒に笑ってしまいました。
対する私はあまりにも変装が似合いすぎて居た様で、王子様がしきりに褒めてくださいました。褒めてくださったのが嬉しくて、思わず王子様の頬っぺたを引っ張ってしまったくらいです。
王都を歩いて見て回ったのはとても新鮮で楽しかったです。市場で果物を買って食べてみたり、屋台のお店で串に刺さったお肉を買って一緒に食べたり、貴族であることも忘れ二人で歩き回りました。
二人歩く姿はデートのように見えるのかなぁと思いましたが、実際は大分違ったようです。街の方々は私達を兄妹だと思っていたようで、妹の私に色々おまけをくれました。背が高い王子様と低い私が並ぶと兄妹に見えるようです。兄妹扱いに気づいてから私が悪ノリして『お兄ちゃん』と言った時の王子様の顔は忘れられません。
他にも色々な出来事があり、それはそれは楽しい日々でした。そうして王子様と居るのが当たり前に感じ始めた頃に、とうとうその日がやってきます。
待ちわびていたはずの夢見た日が――――。
「ダンスの練習ですか?」
家に来た王子様が唐突におっしゃいます。ダンスの練習をしないかと。今日もお話をするか一緒に出かけるかだろうと思っていたのですが。
「殿下は既にお上手ですし、練習をしなくても大丈夫なのでは?」
「陛下が正式に後継と認めてくだされば、今年の俺の15歳のパーティーは盛大になるはずだ。その時に万が一にも失敗しない為に、密かに練習したいのだ」
上手だけど念の為に練習したいということでしょうか。頑張ってるのを側近の方等に知られたくないから密やかにと。そういう所は年頃の男の子らしいですね。少し疑問は残りますが協力することに致しましょう。
「ではスフィさんが上手なので、お相手はスフィさんにやってもらいましょうか」
「待て待て、あれだ、あ~、ん~」
「殿下の誕生パーティーは、今年は社交デビューのパーティーも兼ねております。弟君のサージェンス様と踊ることもあるでしょうから、お嬢様も練習の必要がございます」
「あ、そうですね。私も練習しなくちゃいけませんね」
「そういう訳でだな。ミリアリア、ダンスの練習をしよう」
スフィさんの指摘を受けて王子様とご一緒にダンスの練習をすることに。王子様は本格的な練習が御所望らしく、私はパーティー用のドレスへと着替えさせられます。着替え終わると待っていた王子様と合流し、スフィさんを先頭に移動する私達。そして移動した先の部屋には楽器を持った方々が。
「音楽を奏でた場での練習の方がよろしいかと思い、ご用意しておりました」
「うむ、気遣い感謝する」
二人の会話を聞いてる内に部屋の中を優雅な曲が満たします。曲が流れると王子様に手を引かれゆっくりと踊り始めます。私はダンスが得意とは言えませんが、上手な王子様が合わせてくださり不安なく踊れます。
心地よい曲と王子様に身を任せ、ドレスを着て踊るこの場はまるでパーティー会場その物のようでございます。
なんとなく嬉しくなり王子様のお顔を見ると、凄く真剣な表情をなさっておりました。そう言えばこれは練習でしたね。私だけ楽しんでしまっては申し訳ございません。私も表情を引き締め真剣に、と思ったら優しい笑顔で笑いかけられてしまいます。
王子様の笑顔を見て自然と笑顔を返してしまいます。笑顔の王子様と向き合えば、笑顔にならずに居られましょうか。真剣に練習しようと思ったのに笑顔をなさるなんてずるいです。
ドレスを着て王子様と踊っていると、お姫様になったみたいな楽しい気持ちになってきました。この気持ちのままずっと踊っていたいと思いましたが、部屋に流れる曲が静かに終わりを迎えます。
少し残念でしたが曲と共にダンスも終わったので、王子様から一歩離れようとしたのですが、優しく下から左手を掴まれ止められます。
「殿下?」
「これを君に贈りたい」
掴まれている私の左手の薬指、そこへ綺麗な青い指輪がつけられます。それを見てまさかという気持ちが私の心を満たします。
サクライス王国でも薬指の指輪は婚姻の証。ですがそれは必ずと言う訳ではございません。婚姻の証はネックレスだったり腕輪だったり、指輪とは限らないのです。だからただの贈り物だろうと考えたのですが、それは違うと王子様が教えてくれます。
私を真っ直ぐ見つめる力強い眼差しと共に。
「ミリアリア、私の妃になってくれ」




