13話
「ミリィ、無理せず頑張るのよ」
「はい、お母様もお気をつけて」
私とお母様は互いに言葉を交わし抱き着き抱擁します。生まれてからずっと一緒に過ごしたお母様と別れの時がやってきました。とうとう母と娘が別の家で過ごす事になったのです。
お母様が乗った去り行く馬車を見えなくなるまで見送ります。お母様、今までありがとうございました。不肖の身なれどこのミリアリア、お母様の訓示を糧に王都で立派に生活してみせます。そう嘯いていた私にスフィさんの冷静な言葉が突き刺さります。
「お嬢様は何故そのように感動的に? ご実家の問題が片付けば、奥様はすぐにお戻りになられるのですが」
スフィさんの言うとおり、お母様は数ヵ月後には王都に戻る予定です。リートバイト領にある屋敷に戻るのは、サージェの10歳の社交デビューが近いからです。領地の事はお父様のお仕事ですが、家と社交場たるパーティー関連の事はお母様の担当なのです。ですので一時実家に戻るだけなのですけど。
「雰囲気って大事だと思うんですよ」
「はぁ、雰囲気ですか」
スフィさんは溜息をついて呆れます。冗談半分ですよ~と言い訳したいですが、すると余計に呆れられる予感がします。でも本当は半分を冗談にしないと不安だったからなんですよ。
家や社交関連がお母様の担当と申しましたが、今回王都に私が一人残されたのは、そのお母様のお仕事を体験する為だったりします。お母様不在の間の使用人の取り纏めや繋がりがある貴族の方への挨拶諸々。将来の為の練習ですね。なんだか婚活からすでに別の道へシフトしている気がします。
予定ではリートバイト家は王都から撤退し、私も戻って実家暮らしをするはずでした。けれど王子様の紅茶を飲みに来る発言で王都に残る事になり、ついでとばかりに家を仕切るお仕事の実体験。
親元を離れたちょっとした一人暮らしと思えば良いのかもしれません。ですが屋敷と使用人多数をぽんと与えられた一人暮らし。初めての一人暮らしにしては壮大過ぎます。そもそも一人じゃないですし。
お母様が戻られるまでの数ヶ月、上手くやっていけるのでしょうか。
王都の屋敷の主となった私。仮がつくとは言え主は主。来るであろうお客様を迎える為に準備を指揮しなくてはなりません。
「紅茶は良いとして、お茶菓子なども用意しなくてはいけませんね」
イザベラ様の茶会に参加した経験が生きています。お茶にはお菓子が必須です。甘いお菓子は乙女の原動力。王子様は男の子ですけれど。
「お嬢様、それだけでは不足でございます」
どんなお菓子を食べようかな~と用意するお菓子を悩んでいた私に、スフィさんが鋭利な声で指摘します。それは予想内だったので動じる事はありません。私がうっかり何かを忘れるなんて、予想通りなのです。
「スフィさん、何が不足してますの?」
ですので余裕を持って貴婦人を気取って言いました。気取ったはいいですが、言ってから違和感が自分であるのはどういう事か。部屋の空気も心なしか寒々しい。慣れない貴婦人を気取ると余計な失敗をしそうなのでやめましょう。コホンと咳払いをしてスフィさんの言葉をまちます。
「お客様を歓待するには、まずお嬢様自身を輝かせなくてはなりません」
「どういう事ですか?」
「王族たる殿下は最上のお客様であらせられます。ですので、お嬢様も相応に見目麗しく着飾る必要がございます」
自宅に居るのに着飾る事に反射的に反対しかけましたが、確かに一理あります。大事な面接の時には正装に身を包み、自分をよく見せるのは基本です。人の印象は初対面の見た目が重要と聞いた事もありますし。面接ではないし、王子様とは初対面ではありませんが。
「わかりました。どんな格好がいいでしょう?」
「あまり派手ですと着飾っているのを見透かされてしまいます。色合いを控えめにしつつ、質が良い物で固めましょう」
「なるほど。スフィさん、頼りになります」
「控えめですがしっかり着飾っていることに気づくならば、お嬢様をお任せできます」
「えっと、それはどういう意味です?」
「さぁさぁ、いつ来ても良いように急ぎましょう」
王子様を迎える準備はスフィさん主体で進んでいきます。私が屋敷の女主人だったのは少しの間だけでした。頼りになるメイド長が居てくれて安心ですね。私の着付けが終わると、何故だか使用人を広場に集めるスフィさん。
「皆さん、お嬢様の御為にレグルス殿下に最上の持て成しをいたしましょう!」
真剣な顔で号令する我が家のメイド長。それに覚悟を決めた表情で頷き応える使用人の皆様。やる気に満ち満ちているのはわかるんですが、お客様を招くだけとは思えない怖いくらいの決意を感じます。
皆のやる気に当てられて、紅茶を飲みに来る王子様がちょっとだけ心配になりました。
紅茶を飲みに来ると告げた王子様。しかし何日の何時に来るとは言われてません。ですのでいつ来られても良いように毎日準備をしていたのです。していたのですが、告げた3日後に来たと思えば、それから毎日やってくるのは予想外。
「同盟国や友好的な国を回ったのだが実に面白かった。国が違えば王族の在り方も違ったからな。王族自ら農耕を行う国もあってな」
お茶をしに来た王子様は国外留学の内容を丁寧に話してくれます。約3年分の内容なので、毎日来ても同じ話はございません。本で知るのとは違って、体験した方から聞くお話は実感が篭っていて楽しいです。楽しいんですが。
「殿下、お忙しいのに私に留学中のお話をしてて宜しいのですか?」
毎日来て少しの時間で帰っていくのですから本当にお忙しいはず。だと言うのに私に留学中のお話をするのです。疲れてるご様子もありますし、ゆっくり紅茶を飲んでリラックスしたほうが良い気がします。
「む、つまならなかったか?」
「いえ、お話は楽しいですが、貴重な殿下のお時間を割いているのが申し訳ないです」
「ならば気にするな。お前に話すのは義務みたいなものだからな」
義務と言われて頭に浮かんだのは?マーク。王子様が私に話す義務って何でしょう? 悩んでいる私に、王子様が自信に溢れる笑顔と共に教えてくれます。
「そもそも他国に行って学ぼうと思ったのはリートバイト領での体験が理由だ。現地で学ぶ大切さと、自分の視野の狭さを知った故だ。師とも言える相手に報告に来るのは当然の事だろう」
「それでしたら父に報告するべきでは?」
「そうだな。リートバイト卿にもいつか話さねばならん。だがお前にも話す必要がある。俺の視野を広げてくれたのはミリアリア、お前だからな」
「私が、でございますか?」
はて? 私が王子様に何か啓蒙したでしょうか? 努力家で私よりも賢そうな王子様に教えられる事があるとは思えません。面白いお勧め本なら教えられますが。
「やはり自覚がないか。見た目も、どこか抜けてるのも変わらんな」
「殿下も中身はあまりお変わりになられてませんよね」
「少なくとも背丈はお前より高くなったので十分だろう」
私の反撃に胸を張り応える王子様。昔と違い私よりも背が高くなっているので弱点がありません。王子様の真っ直ぐさは好ましく思っているので、変わってない事はむしろ良い事だと思いますし。でも年頃の乙女に見た目の事を思ったとおりに言うのは減点です。
「もう少し話していたいのだが、今日はそろそろ戻らねばならん」
「そうですか。お気をつけてお帰りください」
見送りのご挨拶に少しだけ棘が出てしまいます。声音が低く冷たい言い方をしてしまいました。大人気ないとわかっていても心情が声に表れる素直な私。
「あ~、さっきは変わらぬと言ったが、昔よりは綺麗になったな」
声音で察したのか王子様がフォローを入れてくださいます。フォローを入れるなんて、見た目通りに少し大人になったのでしょうか。ですが昔より『は』の『は』は余計だと思うんです。微妙に許してあげる気になれず、最後まで適当な対応で見送りました。
王子様の乗った馬車が見えなくなるとスフィさんが声をかけてきます。スフィさんには珍しく、どこか楽しそうな雰囲気で。
「良かったですね。お嬢様」
「良い事なんてありませんでしたよ」
「そういう台詞は、顔を赤くして言っても説得力がございませんよ」
「赤くなんてしてません」
恥かしがって顔を赤くしてなんていませんとも。
王子様とのお茶会はいつも私が聞き役です。ですので楽しそうに話す王子様のお話を笑顔で聞いていれば良いのですが、この日は少し違いました。
「平民の日頃の努力を知った上で言うのだが、彼らに制限がありすぎると思わないか?」
「と言いますと?」
「領間の移動制限や移住制限、それに財産の所持制限などだな。もう少し緩和してもいいと考えているんだが、お前はどう思う?」
サクライスでは平民は勝手に領地を越えて他領に行くことができません。現在住む領地から、他の領地へ移住する事も許可が無ければできません。さらに職種や領地によって異なりますが、所得する財産の上限もあるのです。
サクライスは階級社会であり、貴族が支配者なら平民は被支配者。貴族と違い平民の方達には様々な制限があります。それについて意見を求められた訳ですが。
「もっと緩くても良いんじゃないでしょうか?」
「ほう、何故そう思う?」
にこにこ楽しそうな顔で見られてます。私の返答が気に入ったみたいですね。でも期待されても困ります。とある国の平民感覚で言っただけですので。法や政治の話はわかりませんので、さらなる返答もその感覚のままに答えます。
「領地を越えて観光とか出来たら楽しいでしょうし、観光地は今よりももっと栄えると思うんですよね。観光するにはお金もかかりますし、財産制限も緩和されたら嬉しい気がします」
「なるほど。観光で利益か。他国からも来る者が増えればさらに」
「それに職業選択の自由とかもあればもっと嬉しいかと。農民の子は農民と決まるのではなく、鍛冶師でも商人でも好きな職種につければ、やる気が出てもっと頑張れたりするかも?」
思い出した懐かしさから饒舌になり、聞かれていない事まで余計に喋ってしまいます。王子様が何か言ってたのを遮った気が。そのせいか驚いた顔をしてますね。王子様が毎日いらっしゃるせいか気安く接してしまいました。被り直そう貴族の仮面。
「出過ぎた発言、失礼いたしました」
「いや、うむ、なんだ、驚いた」
それきり黙る王子様。いつもの聞き役が饒舌に喋れば驚きますか。王子様の発言を遮ってまで喋った自分に私も驚きです。自覚はせずとも余程懐かしく思ったのでしょう。
その後、王子様は上の空でご帰宅されました。
今日も今日とていらっしゃった王子様。しかし残念な事に今日はお相手できません。
「どういう事だ?」
「本日は出かける用事がございますので」
「俺が来たのにか?」
「前々からの約束ですから」
毎日毎日来られても、構えない時だってございます。私にだって用事の一つや二つございますのよ。本当に一つや二つしかありませんけど。
「俺よりも大切な用事か?」
「殿下に対してはほぼ毎日お相手しております。たまの一日くらい我慢なさりませ」
明らかに私が上から申していますが、毎日いらっしゃるので心の中は3年前の弟に接する気分に戻ってまして、愛弟サージェに接する時のようにしています。見た目は年上美形な王子様ですが、弟扱いも当然の気がする我がまま発言が。
「なんとなく気に入らん。俺も付いて行く」
「本気ですか?」
「俺が付いて行くと困る用事か?」
「困りはしませんが」
「ならば決定だ」
急かす様に私を連れて馬車へと乗り込みます。王族専用馬車へ押し込まれ、緊張する間もなく御者の方へ行き先を告げるようにご命令が。御者の方は行き先を告げると迷う事なく進みます。さすが王族専用馬車の御者の方。
「楽しみだな」
馬車の中には私の用事を大変楽しみになさる王子様と苦笑する私。好奇心旺盛なのは全然変わっていませんね。私の用事だと言うのに、まるで王子様に連れていかれる気分です。
しかし先程は困らないと言いましたが、落ち着いて考えると困る事が一つだけ。どういう理由で王子様を連れて来た事にするべきか。どなたかへのご紹介と言う訳でもありませんし、何よりも1参加者の私が王族を連れて行く。これは主催者の面目を潰しかねない行為だと今更ながらに気づきます。
良い解決策が浮かばぬままに、馬車は目的地へとついてしまいます。我が国有数の貴族のお屋敷、コルベール侯爵邸に。
解決策を見出せぬまま、イザベラ様が主催する茶会に王子様とご一緒する事になりました。




