12話
私の前に差し出された手。それがダンスのお誘いであるのは一目瞭然。言葉でも誘われたのでわかりきった事ではあります。ですが私の頭は大混乱。どうして良いのかわかりません。
とりあえず思い出しましょう。お母様との特訓の日々を。スフィさん相手にダンスの練習をしたのは伊達ではありません。誘われた時、OKだったら手を乗せるのです。断るのは失礼なので手を乗せましょう。あれ? 乗せるのは右と左どちらの手ですっけ?
自分で思ってた以上に予想外の事態に弱かった私。手を出しあぐねてる間もまってくださる笑顔の男性。罪悪感が沸々と湧いてきます。急いで手を乗せなくてはと焦って右手を伸ばします。
内心で慌てながら自嘲気味に笑ってしまいました。いくらダンスの誘いが初めてとは言っても――――あぁ、そう言えば初めてではなかったですね。懐かしい思い出が蘇り、伸ばした手を止め断りを入れようと思ったのですが。
「あっ」
乗せ掛けていた手を下から掴まれてしまいます。そしてそのまま軽く手を引かれてダンススペースへ連れられてしまいました。男性と私が開けたスペースに辿り着くと、見計らったかのように曲が流れ始めます。ここまで来て断れるほどの勇気はありません。ゆったりした曲に合わせ手を繋ぐ男性と踊り始めます。曲と状況に流されて、初の実戦ダンスでございます。
今まで誘われなかったダンスを美形の男性に誘われ踊る。嬉しい気持ちは当然あります。所詮私なんて~と思って居た私でも、心のどこかで少しは期待してたのでしょう。
ですが同時に残念な気持ちがあります。昔王子様がリートバイトの屋敷の部屋に来た時に、ダンスの誘いの事を根に持ってると思ったものですが、王子様以上に私が気にしていたようで。どうやら私は初めての公式の場でのダンスは、懐いてくれて仲良くなった王子様と踊りたかったみたいです。
「おや? 随分ダンスがお上手ですね」
「母の教育の賜物です」
私のダンスをにこりと笑い誉めてくださいます。地道に努力した事を誉められて嬉しいです。嬉しいのですが、素直に喜べない気持ちがあります。
誘われなくて諦めていた癖に、誘われたら誘われたで喜び半分。王族の王子様とは踊る機会なんてないでしょうに。こうやって貴公子然とした男性と踊っているというのに、割り切れない気持ちに自分がいかに凡人かを思い知ります。
ゆったりした曲に合わせて踊る私達。多数の方に見られながら踊る自分が主役と思うほど子供ではなく、色々忘れこの時を心から楽しめるほど大人でもない。初めての男性とのダンスは複雑な気持ちとなりました。その私の心情を反映したのか、足運びを間違え体勢を崩してしまい倒れかけたのですが。
「おっと」
「あ、申し訳ありません」
男性が私の背中に手を回し倒れぬように支えてくれます。背中を支えられ上を向いて男性の顔が見えるこの姿勢。踊ってる時と違って、止まってる今は男性の整いすぎた顔がよく見えます。それを見てまずいと心が警鐘を。
綺麗な碧い瞳にのぞかれて赤面しているのを自覚します。さっきまで考えていたあれこれが吹き飛んで、恥かしさで顔が火照っているのです。目を逸らせずに見ていると男性の顔が徐々に近づいてきました。この体勢になった瞬間に想像した事が現実に! そう思い目を閉じた私の耳元に吐息がかかって――。
「上手いと思ったが気のせいか。お前は相変わらず体を動かすのは苦手か? 本ばかり読んで部屋に篭ってるからそうなるんだ」
「え?」
「慌てず姿勢を整えろ」
「あ、ありがとうございます」
男性は私を起こして立たせてくださりました。勝手に想像したアレはなく、優しく立たせてくださった動作は貴公子のそれなのですが、何やら空耳が聞こえたような?
「何をボケっとしている。曲も終わったし戻るぞ」
「は、はい」
手を引っ張られてダンススペースから移動します。強引な感じと最初とは違う砕けた口調。男性の急な態度の変わり様に混乱してしまいます。でもなんだかとっても既視感が。
「どうした? 俺の顔を見て」
「え、えっと、その、失礼しました」
「ふむ。かまわんぞ。見たければ見ると良い」
人目を避けるかのようにメイン会場から死角になる柱の裏に来ると、優しげだった笑顔から一変、ニヤリと楽しげな顔で笑う男性。その顔を見て喉元まで出掛かっているのですが、言葉に出来ないもどかしさ。
許可を貰ったので男性の顔を見ているとイザベラ様がやってきました。珍しい事に感情がはっきりとしない表情です。妹分がダンスに誘われた事に対して喜びだけじゃなく、心配や困惑もあるからでしょうか。
「ミリアリア、そちらの男性を是非紹介して欲しいのだけど」
これは男性からのダンスの誘いの前に言った『私を誘う男性なら結婚も考える』発言から来た言葉ではありませんね。ニヤニヤ笑う男性を見てイザベラ様の表情が厳しくなりましたから。男性が私を誘ったのはからかいだと思ったのかもしれません。私の為に怒ってくださるなんて優しい方ですね。
「まだお名前を伺ってませんでしたね。良ければお名前を教えて頂いても宜しいでしょうか?」
「ふふふ、やはりミリアリアはわからなかったか。しかしコルベール家の者がわからないとは意外だったな。お前の父や兄はすぐにわかったのだが」
「父や兄とは面識があるようですが、私と貴方は初対面かと存じますが?」
「ミリアリアは抜けてるからわからんだろうと思っていたが、お前もか」
イザベラ様と一緒に男性の顔をジロジロ見ます。とても失礼な行為ですが、相手の男性も楽しそうに笑ってるので問題はありません。見れば見るほどイケメンさんで目の保養になりますが、やはりどなたかわかりません。でも何故か妙な懐かしさは感じます。
「ちょっとミリアリア、この変なの誰だかわかる?」
「イザベラ様、聞こえてますから」
変なのと言われても笑ったままの男性。失礼な事を言われ喜んでいるんでしょうか。この方はそっち系の方なのですか? そんな貴族が居るなんて、サクライス王国の未来が……前もこんな事を思った事があるような。
イザベラ様と二人で悩んで居ると、男性が時間切れとばかりに自己紹介を始めます。とても簡潔だけれど、何よりもわかりやすい自己紹介。
「俺の名はレグルス・アーデ・イル・リ・ファース・サクライスだ」
それはとても懐かしく、貴族として敬わなければならないお方のお名前です。我が国の第一王子、将来の国王陛下のお名前なのですから。イザベラ様共々頭を垂れて礼をするべきなのですが。
「「は?」」
私達の口から出たのは気の抜けた一言。でも仕方ないじゃないですか? 私の知っている王子様はもっと背が低くて声も高音だったのです。目の前の私よりも背の高い男性と、一月だけですが親しくしてくださったあの子とは繋がらなかったのです。それはイザベラ様も同じだったようで。
「くく、面白いな。3年ぶりに国に戻ってみれば、ほとんどの者が似たような反応をする。俺がレグルスだと知ると驚くが、そんなに変わったか?」
「はぁ、えぇ、まぁ」
「具体的に言うと?」
「背が高くなりましたね」
私よりも小さかった背は今は私よりも高いです。声も声変わりしたのでしょうね。背が高くなり声色も変わりましたが、言われてみれば王子様です。態度とか言葉使いとか、今みたいに楽しそうな笑顔はあの頃の王子様を思い出させてくれます。
「今日は内密でパーティーに参加したが、正式な帰国発表は後日なのであまり広めるなよ」
「現在ご自身で広められておりますが」
「お前をダンスに誘い、誘いに乗るか試したかったので仕方ない」
「では殿下は、ミリアリアを驚かす為だけにパーティーに参加なさったのですか?」
「うむ、そうなるな」
してやったりの表情が生き生きしてます。成長して大きくなったと思った王子様ですが、中身はまだまだ子供のようです。パッと見は貴公子そのものなんですけどね。
「3年前、お前に誘いを断られたが今日は断られなかったのですっきりした」
「そうですか。それはようございましたね」
「で、すっきりしたのでそろそろ帰ろうと思う。王子だとバレてはまずいのでな」
「そうなんですか。えーと、お気をつけて?」
別れの挨拶をすると颯爽とテラスの方へ向かい姿が見えなくなる王子様。やる事をやったとばかりの清々しい背中でした。3年前の事を気にしてたのは、やはり私より王子様だったようです。
「は? 何? 本当に帰った? ……昔誘いを断られたからって、意趣返しに正体を隠してミリアリアをダンスに誘うのが目的だったっての!?」
「そのようですね」
「こ、子供ね。成長したのは見た目だけじゃない」
さすがにイザベラ様が呆れるのも納得です。やってる事は子供っぽい悪戯ですよね。でも意外と王子としてのプライドなんかが理由だったりして? 断られたのが悔しかったとか。
「貴女ねぇ。騙されたようなものなのに、なんで笑ってるのよ」
「すいません。ちょっと可愛く思ってしまったもので」
「可愛いって、はぁ。レグルス王子も変だけど貴女もやっぱり変わってるわよね」
「ふふ、そうですか?」
自然と笑いがでるのは、3年経っても昔と変わらぬ王子様の態度に安心感があったのでしょう。そして何よりも、見知らぬ貴公子に誘われるよりずっと楽しい理由でしたし。誘われてドキドキしたり、ダンス中に悩んだりしたのも、なんだか可笑しくなってきます。
「貴女がいいならいいけどね。あ~、もうなんだか疲れたわ。私達も今日は帰りましょうか」
「はい」
思わぬ場所で懐かしい人と再会できた、楽しい夜でございました。
王子様と再会した夜から数日後に、正式なお触れとして第一王子帰国が発表されました。もちろん盛大なパーティーが開かれ多くの貴族が参加しました。私も伯爵家の娘として参加はしたのですが、王子様に挨拶するどころか側にも寄れず、遠くから見るだけでした。
様々な理由が重なり王子様と懇意にして頂いた時期もございますが、家も継がぬただの貴族の娘な私と王子様の距離は本来とても遠いのです。侯爵家のイザベラ様ならまだしも、私単独ではお声をかける事さえ憚れるはずなのです。
だと言うのに、実家に帰る準備をしていた王都の屋敷に何故か奇妙な来客が。奇妙と言うのは、相手が怪しいとか予定に無いではなく、来るはずがない来客だったからなのです。その方は現在私の部屋でお寛ぎ中でございます。
「リートバイトの屋敷に比べて、本が全然ないのだな」
「王都には王立図書館がありますから。とは言っても一度しか行ったことがないのですが」
「そうなのか」
領地運営の勉強はとっくの昔に終わっています。ダンスの誘いについての縁も先日に終わった気がしました。なのに何故居る王子様。
「ふぅ~、懐かしい味だな。この紅茶は」
カモミールティーをリラックスして飲んでおります。箱馬車で家に来たと思ったら、私の部屋に案内するように言われて案内し、椅子に座るとお茶をリクエストされました。乙女の部屋に直行とは、昔とまったく変わっていません。
王子様の来た理由が不明で我が家はこっそりパニック中。玄関で出迎えた時、突然の事でさすがのお母様でも笑顔が堅かったのです。昔取った杵柄とばかりに私が対応していますが、正直失礼な事をしない自信がございません。
「殿下、今日はどのようが御用でいらしたのでしょうか?」
「ん? あぁ、んん、そうだな。昔お前が用意してくれたこの紅茶が飲みたくてな」
「なるほど、そうですか」
懐かしい思い出の味と思ってくれてるのは嬉しいですね。殿下のお体を気遣って出していた紅茶ですしね。半分くらいは私の為でもありましたが。
「御満足頂けましたか?」
「ああ。お前の入れてくれるこの紅茶は美味いな」
「ありがとうございます」
「さて、実は時間がないのでな。そろそろ戻らねばならん」
「さようですか」
どうやら本当にお茶を飲みに来ただけのようです。その事に一安心。雲の上の王族様がいらっしゃるのは、理由が不明では嬉しい以上に緊張感がありすぎますので。
見送る為に部屋を出て馬車の前までお供します。そして馬車に乗り込む王子様ですが、乗り込む寸前に振り返り、言い忘れたのか気軽に言葉を残していきました。
「また紅茶を飲みに来るからな」
と、サラッと言って去っていきます。サラッと言われましたがそれはご下命でございますね? 私に紅茶を用意しとけと言うご命令が下りました。王子様に逆らう選択肢はございません。ですので心の中でだけ言っておきましょう。
王子様、うちは喫茶店ではございませんよ?




