10話 イザベラ・コルベール
「お前に頼みたいことがある。リートバイト伯爵家の娘と接触してもらいたい」
父に呼び出され開口一番にそう言われる。娘を呼び出して部下のように仕事を押し付ける父親をつい睨んでしまう。私の睨み程度では動じる筈がないとわかってはいるのだけど。
「理由は?」
「理由が必要か?」
「当然です。理由いかんによっては接触方法を考える必要があると思いますから」
「なるほど。良い答えだ」
私を見る視線の鋭さが若干和らぐ。理由も聞かずに了解していたら機嫌を損ねた事だろう。自分の父親ながら、コルベール侯爵家現当主グノーシスと言う男は油断が出来ない。
「簡単に言えば、第一王子のレグルス殿下が見初めた娘かもしれんのでな。今のうちに繋がりを作っておきたいのだ」
「あの天才って言われてる王子が?」
「優秀ではあるが天才ではあるまい。才能も確かにあるのだろうが何よりも努力をしている。コルベールに連なる者なら、お前も噂ではなく本質を見るようにしろ」
父が他人をここまで誉めるとは驚きだ。王族の地位に居て血筋の上に胡坐をかいているだけと思った王子が、それほどに評価されているとは。パーティーで挨拶した時は『お前の兄に負けぬよう俺も強くなるからな!』などと言われ、身のほど知らずのお子様かと思ったのに。
「繋がりを作りたければ、いっそ家ごと取り込めばよろしいのでは?」
「残念だがリートバイト卿は中立派でな。貴族派に取り込むのは難しかろう。その関係で私自身が接触するのも要らぬ誤解を受けかねん」
すでに取り込み失敗していたと言う事だろうか。だからこそ私にリートバイトの娘へ接触しろと。理由と状況は理解したけど、まだ確認する事があるわね。
「私がその娘と接触しても大丈夫なのですか?」
「私やグロームでは政治的意図があると思われるかもしれんが、お前ならば問題なかろう」
「そうですか」
国政に関わる父。魔道騎士団員である兄。二人は政治の表舞台に関わりがあり過ぎるか。その点、私なら問題なしと。貴族の女性達の繋がりは政治とはまた別の繋がりだものね。家の派閥とは違う派閥の相手とでも友誼を結ぶし。完全に無関係とはいかなくとも、政治とはあまり関連していない繋がりだからか。
「どこまでの関係を結べばよろしいですか? ただの知己程度? それとも身内扱いに?」
「それはお前の眼で見て判断しろ。手札が多い方が良いとは言え、実際に接触するのはお前なのだからな」
王子に近づく為か、それともその逆か。どちらにせよリートバイトの娘をコルベール家の手札の一つとしたいようだ。
「わかりました」
「朗報を期待する」
呼び出された用件が終わったようなので直ぐに部屋を出て行く。部屋を出て思わず溜息が漏れた。コルベール侯爵家の娘として家の為に働く事に不満は無いが、13歳の娘に接するには父の態度はどうかと思う。今更優しくされても違和感しか感じないとしてもだ。
「お母様は何が良くて結婚したのかしら?」
鉄面皮で朴念仁っぽい父のどこがよかったんだろうか? コルベール家の当主だから結婚した訳ではないらしいが、母に聞いても教えてくれない。いつかこっそり調べよう。
「それよりもまずは当面の問題を調べますか」
接触する前にリートバイト家の娘の事を詳しく調べなくては。父が誉めるほど優秀っぽい王子が見初めた相手だ。ただの娘と言う事はないわよね。父みたいな人だったらどうしよう。そうだったら少し嫌ね。
それなりの覚悟を決めて、リートバイトの娘と会わなきゃいけないわね。
見慣れぬ屋敷の中を案内人に先導されて進む。
リートバイトの娘が参加するという情報を知り、急遽参加する事にしたパーティー。招待状は無かったが、コルベール家の家紋が刻まれた装身具を見せて参加出来た。出来たは良いが、顔パス出来なかった事に不満を感じる。
多少不機嫌な自分を自覚しながら会場へと辿り着いた。さて、目的の人物を探さなくては。茶色の長髪で目尻が下がり気味の小柄な少女らしい。使用人に調べさせた情報だが、もうちょっと分かり易い特徴がなかったのか。茶髪な少女なんていくらでも居るでしょうに。
まぁパーティーに参加する茶髪の女性で、私の知らない相手を探せばいい。大抵の人はコルベール家出身という事で過去に私に挨拶している筈だ。見た事も無いリートバイトの娘を探すなら、見知らぬ茶髪の女性が高い確立でリートバイトの娘だろう。
そう考えて会場全体をさらっと見渡す。すると妙な娘を見つけた。所在なさげにうろうろ歩いていたかと思うと、急に止まってきょろきょろと周りを見渡す。そして再びうろうろする。その様子がまるで親鳥を探すひな鳥のようで気になってしまう。不安そうな表情が庇護欲を誘い可愛いかもしれない。
見た事もない茶髪の小柄な少女。そこでピンと来た。あれがきっとリートバイトの娘だ。見つけたら直ぐに声をかけようと考えていたが、何をしているのか気になり様子を見る事にした。
程なくして彼女がふと足を止め、目を見開き何かを見ていた。何かあったのかと視線の先を辿ると料理が置いてあるテーブルがあった。親鳥を探して彷徨ってたひな鳥が、疲れてお腹が減ったって訳ね。ちょっとだけ嬉しそうに料理を見る彼女が、これまた可愛い。と、いつまでも見守っている場合ではなかった。
「貴女がリートバイトの娘かしら?」
ひな鳥のごとき彼女をもっと見ていたかったが、やる事をやらねばと声をかけた。そうして声に反応して振り向いた彼女に微かな怯えが見て取れた。ひな鳥のイメージだったからか、私を怖がる姿を失礼と思うよりも守りたいと思った。
「私、今日のパーティーに急遽参加する事になったのよね。だからいつもみたいに一緒に居る人がいないのよ。良ければ今日は一緒に楽しまない?」
自己紹介の後に誘いをかけると怯えが消えて嬉しそうな顔をした。そんなに私は怖かったのかしらね? 彼女に比べたら確かに怖いかもしれないか。何故だか貴族が持っている筈の威厳がない彼女は、小柄さも相まって弱々しく見えてしまうのだから。
「私でよろしければ是非」
そう言った時のホッとした表情は柔らかで優しげだった。了承の返事を貰ったのと表情を見て釣られて笑顔になりそうになり、見られないように急いで顔を背けた。大貴族コルベール侯爵家の娘が初対面の相手にほだされては面目が立たない。
表情をきつく整えてパーティーの主催者に挨拶をしに向かう。リートバイトの娘と接触する為とは言えども、突然押しかけたのだからお詫びの一つも言わないといけない。
主催者のネルシュ子爵に挨拶を終え、リートバイトの娘のミリアリアに場を譲る。彼女も無難に挨拶を終えて、その後に会話を始めたのだが言葉に詰まったようだ。それを察して私は会話を打ち切る方向へともっていった。
主催者への挨拶が終わった次は、参加者達へと挨拶していく。普段は自分から挨拶にはいかないが、今日は正式な招待を受けてないので、私から挨拶するのが筋だろう。
その際に連れていたミリアリアの事も忘れてはいない。彼女が挨拶しやすいように場を整え、会話に混ざれる様に話を振り、失敗しそうな時は助けを入れた。共に居るのだから家格が上の者としては当然の行為だ。ただ多少、いつもより熱心にしていた。ひな鳥な彼女の親鳥のつもりで居たのかもしれない。
私の密かな熱意が悟られた訳でもないでしょうが、挨拶回りが終わったら彼女がお礼を言ってきた。
「今日はありがとうございました」
「うん? 私、貴女に何かした覚えは無いわよ」
「イザベラ様のおかげで参加者の方へご挨拶が出来ましたので」
「よくわからないけど、どういたしまして?」
「はい、大変助かりました」
お世辞でもなんでもなく、本当に助かったような雰囲気だった。たかが挨拶が出来た事くらいでお礼を言われたのは初めてだ。いつもパーティーで誰かのフォローを当然のようにしていたので、お礼を言われるような事でもなかったが。まぁ、悪い気はしなかったけど。
ミリアリアを見極める為に屋敷へ招待する事にした。パーティーのような場では話し難い事もあるからだ。第一王子が見初めたかどうかは特に確認したい。それ次第で付き合い方を考えなきゃいけないから。
「話の主導権を獲る為にはある程度の威圧が必要。とは言っても、う~ん」
最上級の客間の豪奢な家具。最高級の豪華な紅茶や菓子類。そして威圧感を出しやすい黒のドレス。家の格を示し、大抵の相手は緊張するであろう我が家お約束の準備ではあるけれど……。
「ダメね。あの娘じゃ逆に萎縮して話もままならないかもしれないわ。もっとこう、小鳥が休めそうな感じにしてちょうだい」
使用人達に指示を出して二人きりの茶会の場所を模索する。明るくて話しやすい雰囲気にしなければいけない。私の中のミリアリアはか弱い雛のイメージなのだから、怯えさせてはダメなのだ。
「そうね、日の光が当たるバルコニーにしましょう。テーブルや茶器も白で統一して明るくしましょうか。私も明るめのドレスにしたほうがいいかしら? でもそこまでするのはやりすぎかもしれないわね」
家の仕事とは言え気を使うのは面倒だ。しかし相手の事を知る為には相手に合わせるしかない。あのひな鳥には、舐められない程度に気持ちよく安心して貰おう。その後に私の知りたい事を可愛く鳴いて貰いましょう。
でも少しだけ考える。怯えるあの娘もそれはそれで見てみたい。不安で助けを求めるあの娘の姿は、想像するだけでうっとりしそう。今回は残念だけど、その楽しみは別の機会にとっておく事にしましょうか。
二人きりの茶会で話すミリアリアは饒舌だった。彼女向けに気安い雰囲気の場を整えたのが功を奏したのだろう。さらになんとなくだが、私に気を許してくれてる気がする。パーティーで気を使った意味はあったようだ。
レグルス王子との関係を問い質したら面白い事がたくさん聞けた。特に傑作なのが、王子に対する彼女の気持ちだ。
「それで最後の方は王子をどう思ってたかと言うと?」
「忌憚なく言わせていただくなら、わんぱくな弟でしょうか」
「貴女の方が年下なのに弟って、ぷっ、くっ、ふっ、あはははは」
年上の王子をわんぱくな弟と評した事に、堪えきれずに笑ってしまう。同じ様な感想を私も抱いているが、それを王子より年下のミリアリアが言うのだ。しかも思い出してか慈愛の表情すら浮かべて。これが笑わずに居られるだろうか。
一部で天才ともて囃されてる王子がわんぱくな弟! それに加え寝言が母上! 私がもっていたお子様の印象にぴったり嵌る。ミリアリアの冷静な語りが輪をかけて笑いを誘う。
「あの~、イザベラ様、このお話はここだけと言う事で。間違っても殿下のお耳に入らないようにして欲しいのですが」
「だ、大丈夫よ。今レグルス王子は国外に留学中だから。貴女の所の領地から戻って直ぐに、他国の王政を学ぶ為だとかで留学に出たのよ。何国か回ってくるみたいね」
さすがに笑いすぎたからかミリアリアがそう提案してきた。私としても大笑いした事を広められてはまずいので否は無い。心配そうにする彼女に、少なくとも直ぐには伝わらない事を教えた。しかし伝えたら何故か彼女が急に泣きそうな顔をした。
それにはさすがに驚いた。今日は微笑んで楽しそうに語っていたのに、不安を解消させようとした言葉の後に泣き顔をされたのだから。本人には自覚がないようだったけど。
ミリアリアの態度にもしやと思った。王子に見初められたかもしれない。それは否定された。けれど逆はどうだろう? 実はミリアリアは王子を好きなのでは? だから悲しそうにした。そう考えると最後に念押しで確認したくなる。
「ねぇ、最後に確認するけど、本当にレグルス王子とは恋仲じゃないのね?」
「もちろんでございます」
返事をした時の彼女はきっぱりと断言した。その言葉には恋慕の欠片も見出せない。私の予想が外れたようだ。ではなぜ先程は泣きそうな表情だったのだろうか? ミリアリアの気持ちがよくわからない。わからないからこそ思う。
「貴女って面白いわね。気に入ったわ」
小柄でひな鳥のようなか弱い少女かと思えば、父すら認める王子を弟扱いする。コルベール家の人間として人を見る目を養っているつもりだが、ミリアリアの事は上手く読めない。それが良い事か悪い事かはわからないが興味は出てきた。
この日から私の茶会のメンバーに一人の少女が加わった。貴族としては風変わりな、私にも思考が読めない少女が。捕まえた小鳥は今後どう鳴いてくれるのだろうか。愛でるべきか、それとも逆に……。
ミリアリア、貴女は私に何を見せてくれるのかしらね。




