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【8話・全て捨ててしまえたら(後編)】/あのにます


 新菜の言葉に、私は遅れて呆けた声を返す。

 彼女が言った言葉の意味を、遅れて理解する。

 何度もその言葉を咀嚼して、ようやっと自分の中で意味が繋がりかける。

 あの日、新菜は言っていた。

 水族館のチケットを貰ったあの日。

 新菜と交わしていた会話を思い出す。

 野乃花の話をぼかして、私は新菜に問いかけた。

 恋をしていけない相手に恋をしてしまったのなら、新菜はどうするのか、と。

 そんな趣旨の問いをした。

 新菜の答えは鮮明に覚えている。

『諦めるよ』

『好きって気持ちは消せないけど、でも諦めるよ。一番欲しい物が手に入らないなら、他の何かで妥協する』

『でも、もし杏がそういう事で悩んでるなら、諦めてほしくない。妥協なんてしてほしくない』

 あの言葉は私に向けて言っていた。

 諦めてほしくない、と。

 それを聞いた時に私は、新菜が何かを既に諦めた事がある故の発言だと思っていた。

 叶わぬ恋から逃げ出して妥協をした、というような経験があるのだと思った。

 それなのに、何故、今。

 新菜の口から諦めたという言葉が出てくるのだ。

 何を諦めたというのだ。

 自分の中で理解しかけているのに、それは真実から程遠い様な気がして、私は動揺を隠せぬまま新菜に聞く。

「新菜、ちょっと待って。それ、どういう意味」

 それは否応なしに進んでいく歯車の様で。

 進めばパズルのピースがハマってしまいそうで。

 新菜が此処にいる意味を、野乃花との関係に執着している意味を、その正解に気付きそうになってしまう。

 それでも。

 それでも、私は。

 聞かずにはいられなかった。

 確かめずにはいられなかった。

「新菜は、私の事が、……好きなの?」

 聞いてしまった。

 俯いた新菜から返事の言葉は無い。

 けれども確かに、下を向いたまま頷いた。

 友情なんて言葉で問い返す気概は無かった。

 そうでないという事は分かりきっていた。

 何という言葉で、どんな態度で、私はそれに応えるべきなのか分からなかった。

 そして新菜の言葉を改めて思い出す。

 新菜が諦めたのは麻希と同じ様な考え方をしていたからなのだろうか。

 新菜も異質である事を恐れたからなのだろうか。

 言葉に迷って、それでも私は正直に浮かんだ言葉を紡ぐ。

「あのさ、新菜。その気持ちは嬉しい。なんて言ったら良いのか分からないけど、少なくともネガティブな感情じゃない」

 麻希は野乃花に告白された時、どんな気持ちだったのだろうか。

 彼女は何を一番最初に思ったのだろうか。

 彼女が野乃花への答えを出すまでに何を思ったのだろうか。

 私は今、新菜の言葉によって、何を考えているのか上手く整理できなかった。

 新菜と交わしてきた会話や時間が頭の中で渦を巻いていて、そこから湧き出していた感情について、うまく説明が出来なかった。

 麻希も私と同じような気持ちだったのだろうか。

 私達二人の間を沈黙が支配して。

 新菜が立ち上がる。

 私から顔を背けたまま部屋を出ていく。

「ごめん、帰るね」

 そんな言葉だけを残して。

 私はまた置き去りにされた気分だった。

 家のドアが音を立てて閉まると同時に、私は呻き声と共に床に突っ伏した。

 言語化できない感情が私の中で一杯になって溢れ出したみたいだった。

 苦しいのに、息が詰まりそうなのに、決して嫌な感情ではなくて。

 私はきっと、新菜から向けられた好意が嬉しかったのだ。

 それだけなのだ。

 理屈じゃなくて、理性じゃなくて、それは確かな感情として存在していた。

「私は……」

 新菜に言われて、私は野乃花が好きなのだと気が付いた。

 新菜に言われて、新菜は私が好きなのだと初めて知った。

 言葉にしてしまえば、理解してしまえば、気恥ずかしいもので。

 きっと私の心の何処か、理性と呼ばれるような場所がそれを否定していたのだろう。

 理解できなかったのだろう。

 そんなことが自分に起こり得るとは思ってもいなかったから。

 そんな経験はない。

 そんな感性もない。

 初めての事で、私は理解出来ていなかったのだ。

 同性で年下の子供を好きになるなんて事を思ってもみなかったのだ。

「でも、そんな事、どうすれば良い」

 私は誰に向けてでもなくそう呟く。

 それを理解してしまえば、何が解決するわけでもない。

 むしろ、私もまた足を踏み出そうとしているのだ。

 彼女達と同じように迷い込もうとしているのだ。

 そうであるならば、気が付かなかった方が良かったのではないかと思ってしまう。

 全て捨ててしまえれば良かったのではなかろうか。

 そんな感情を抱えた私が、話をしたい相手は一人しかいなくて。

 私は鈴乃に対してメッセージを一通送った。


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