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【2話・止まない夕立(後編)】/あのにます


 足取り重く、行き先見えず、それでも私の家を後にした野乃花の背中を見送ってから私は自転車にまたがり家を出た。

 我が根城のオンボロアパートから最寄り駅まで自転車で5分程。

 乗り換え一回、乗車時間40分。

 それが私の通学時間だ。

 進学の為に上京してきて一人暮らし、にしては少々遠い立地ではある。

 しかし、家賃の安さと夜中にキーボードを弾いても苦情が出ない事が、利便性に勝った結果であった。

 オンボロアパートは私の母方の親戚が所有しているものだ。

 空き地だらけの一帯に一軒だけ残る廃墟のようなアパートには、言うのが少々憚られる事情があるわけである。

 故に格安で部屋を借りることが出来た次第である。

 駅前再開発に伴う大型分譲マンションの中吊り広告を電車内で眺めながら、そんなことを考えていた。

 その情緒溢れる煌びやかな写真と、一室幾らという現実的な数字が相並んでいる。

 何年働けば買えるだろうか、と私は電車を降りながら皮算用をする。

 改札を出ると、秋の少し肌寒い空気が肌を刺す。

 駅から大学までの道のりを、群れをなした大学生達が埋め尽くしていた。

 その中に私も紛れ込んで、彼らと歩調を合わせる。

 大学四年目の秋に、朝から好き好んで大学に行く同年生などいるはずもなく見知った顔は見つけられなかった。

 私だけがこんな時間に通学しているのには理由がある。

 決して無理な程でも無いのだが、哀しき事に卒業の為の単位が未だ足らぬのである。

 しかし講義室に着くと見知った顔があった。

 スマートフォンを真剣に睨んでいる彼女は、私が横に座るとはじめて顔を上げた。

 綺麗に巻いた栗毛色の長い髪、花柄のワンピース。

 女子大生というイメージ通りの姿の美人、「西河内 新菜-にしこうち にいな-」はスマートフォンにまた視線を落として挨拶の言葉を言う。

 新菜は大学一年目からの友人である。

 講義の席がたまたま隣だった時に、スマートフォンの充電が切れた彼女にモバイルバッテリーを貸してやったのが知り合った切っ掛けである。 

 ゲーム中毒である点を除けば性格、器量共に良く非の打ち所がない。

 彼女もまた四年目の秋にして、朝から大学に来る殊勝な心掛けを持つ学生である。

「杏-あんず-さー、明日提出のレポートって終わってるー?」

「いや、今夜やる予定」

 私の返事に新菜は少し残念そうな表情を見せた。

 写すつもりだったな、と私はその表情をそう解釈する。

 私の肩に手を置いて撫でながら、新菜は言う。

 彼女の癖だった。

 何かを人に提案する時に、甘えるように人の肩を触るのだ。

「じゃあ今夜、一緒にやろうよぉ」

「良いけど、珍しいね? いつも出してないじゃん」

「流石に卒業がかかってるしぃ」

「そうだね、内定貰っといて留年はマズいよなぁ」

「いわんといてー」

 新菜の就活は割と早く終わったように思う。

 黒髪に戻していたのは一瞬だった。

 新菜とは就活についての話を殆どしていなかったが、ある日突然内定を貰った、の一言の報告が来た。

 翌日顔を合わせた時には茶髪に染め直していた。

 中堅食品会社の事務職の内定を貰った彼女は、もうそれで就活を終えていた。

 もういいのか、とその時だけは聞いてみた。

 面倒になった、と彼女はそれだけ答えた。

「貰ったけどぉ、妥協して選んだ内定だし」

「あるだけいいじゃん」

「夢っていうかさぁ、きらきらが足りないんだよねぇ」

「所詮現実なんてそんなもんでしょ」

 私は頬杖を突いてそう答える。

 新菜が拗ねたのか、わざとらしく頬を膨らませた。

 その顔に私は少し笑う。

 私の事情を新菜は知っているからか、それ以上彼女は何も言わなかった。

 私は、卒業した後は長野の実家に戻る予定だった。家業の飲食店を継ぐのだ。

 大学に行かせてくれた事に感謝しないわけでもないが、実家に戻るというのが憂鬱であることも事実である。

 男を連れ帰って来い、という母の言葉が鬱陶しいのもある。

 別に実家の飲食店を継ぐ事にそこまで抵抗があるわけでもない。

 しかし、それでも、それをあまり快く思っていないのも事実だった。

 そんな事を一日の講義の間ずっと考えていて、何か新しい結論も出ずに終わった。

 新菜は横でずっと寝ていた。

「杏はさー、最近、ちょっと変わったよね」

 一日の講義が終わっての帰路の途中、新菜は突然そんな事を言った。

 私の家に泊まって明日提出のレポートをやっていくと言い出した新菜を連れ、私は夕食の買い出しに来ていた。

 新菜は東京出身で、多摩方面に住んでいる。

 私の家は決して大学から近いわけでもないが、彼女は時たま私の家に泊まりに来ることがあった。

 私の家に泊まる時には、新菜が必ず夕食を作る。

 彼女なりの礼儀か、まともな食生活を送っていない私へのお節介か。

 どちらにせよ、今のように最寄り駅前のスーパーで買い物をして帰るのが毎度の流れであった。

「変わったって、どの辺が?」

 レジ袋に買った食材を詰め込みながら、先程言われたことへの返事として新菜に問いかける。

 袋詰めしながら外の様子を見ると激しい夕立になっていた。

 店内の陽気な音楽のせいで気付かなかった。

 地面で跳ね返る雨粒に私はげんなりとする。

 そんな私に新菜は、笑顔で折り畳み傘と返事の言葉を渡してくる。

「うーん、ネガティブになった?」

「元からだと思うけど」

「そうかなぁ。前はもうちょっと前向きだったよ」

「ちょっとかい」

 新菜の評が悪口の類であると感じたわけでもないが。

 そもそも自分がそんなに前向きな性格であるとは思っていない。

 自分自身そう思うのであるから、間違いない。

 暗い性格とまでは言わないが、人より、少なくとも新菜と比較すれば、冷めた部分があるのは認める。

 新菜はそのまま言葉を続けたが、どうも要領の得ないあやふやな言葉ばかりだった。

 適当に言い合っている内に我が家のオンボロアパートが見えた。

 雨の勢いは未だ衰えず、新菜の持っていた折り畳み傘だけでは私の左半分と新菜の右半分しか守れていなかった。

 ケチらず傘を一つ買えば良かったと今更ながら後悔する。

 相合傘だ、と何故かはしゃいでいる新菜が羨ましく思えた。

 オンボロアパートの階段を上がる。

 雨音の中でも聞こえる程の悲鳴を上げる階段を踏みしめ二階へ。

 アパートの二階、廊下の一番奥の部屋。

 それが私の部屋であった。

 その部屋の前に誰かが居た。

 ドアを背に廊下に座り込んでいる。

 その誰かは制服姿で、私が唖然とした言葉を零すより先に彼女は言った。

「あ、アオトさん。おかえりなさい」

 知っている少女が、其処に。

 野乃花が、其処にいた。


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