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【1話・鏡の世界の交差点(後編)】/あのにます

 その言葉、その態度は、私の人間性を的確に捉えている気がした。

 少女を警察に連れて行くだとか、説教と共に自宅へ送り届けるだとか、そういった事をする人間じゃないということを。

 それは正しい。

 彼女がやっているような行為を、正義感にかられて止めにかかるような、そんな人間ではない。

 しかし、それでも。

 私が彼女のやっている行為に、何故こんなにも釈然としないのか、自分でも説明できそうに無かった。

 強いて理由を挙げるなら、彼女の容姿が、そういった「汚れ」とでも言うべき物からかけ離れているせいだ。

 勝手にも私は裏切られたと感じたのだ。

 何か綺麗なものが存在していることを期待していたのだ。

 そんな私に彼女は言う。

「やっぱり、私じゃ。気持ち悪いですか」

 それは、その言葉には。

 違和感があった。

 今までの声色と違った。

 奇妙な言葉の選択だと思った。

 私を掴んだままの彼女の手は震えていた。

 その手が制止ではなく、何かに縋っている様に感じてしまって。

 私はその手を振りほどけなくて。

「お金は出せないからね」

 応えは聞かなかった。

 私は無言で、その手を掴んで引く。

 駅前から早足で歩いて十五分。

 都市計画道路敷設の為に区画整理された空き地の中、ぽつりと立つ古いアパートがある。

 周辺の住宅は全て立ち退いている中、一軒だけ残っているアパート。

 大学の友人に幽霊アパートだと評されたそのオンボロアパートこそが、我が家であった。

 亀裂の入った白い壁や年季の入ったトタン屋根の雨避けだとか、ほぼ廃墟と呼んでも差し支えない。

 故に家賃は非常に安い。

 それと、騒音問題が起こらない点も私には都合が良かった。

 アパートには私以外誰も、というよりも周囲に人が住んでいないので、夜中に音を出しても問題にならない。

 踏むたびに軋む階段を上がった二階の部屋に私は住んでいる。

 少女の表情が気になって、階段を登る途中で振り向くも、アパートの廊下が暗すぎて何も見えなかった。

 部屋に入って灯りを点ける。

 私は少女に上がるように促した。

 そして最近掃除を怠っていたことに後悔もした。

「ここがアオトさんのお家ですか」

「ボロくて申し訳ないけど」

「いえ、全然。全然そんな事無いです」

「その分、夜中にキーボード弾いても文句を言われないんだよ」

 冗談めかして私は言った。

 事実でもあった。わざわざ、この部屋を選んだ理由だ。

 少女は私の部屋を興味深そうに、落ち着きなく首を動かして眺めている。

 狭いながらも1DKの私の部屋。

 寝室に無理やり押し込んだキーボードとベッドによって窮屈さはぬぐえない。

 私の部屋を眺める彼女の背中に、私は問いかける。

「あのさ、その、君はさ」

「野乃花-ののか-です」

「野乃花さんはさ、ああいう、その何て言うか。援交みたいな事、何度もやってるの?」

 問いかけの言葉に少しの配慮を混ぜた。

 私の問いに、野乃花は下を向いて首を横に振った。

 彼女の身体がわずかに震えている事に気付く。それは怯えとも緊張とも見て取れた。

 私は衣装ケースを積み重ねて作った洋服ダンスからTシャツ等を引っ張り出す。

「シャワー浴びてきなよ」

 私はそういって彼女の背中を浴室まで押していく。

 私が強く促して、ようやく彼女は着たままのトレンチコートのボタンに手をかけた。 

 上着を脱いで覗いたのは、やはり制服であった。

 セーラー服の紺色の襟に入っている赤い二本のラインに見覚えが無かった。

 近所の学校では無いのだろうか。

 彼女がセーラー服の裾に手をかけて脱ぎ出そうとしたので、私は慌てて寝室に戻る。

 暫くすると控えめなシャワーの水音が聞こえてきて、私はベッドに横たわった。

 充電しようとスマートフォンを見ると、通話アプリでチャットメッセージが届いていた。

 通知画面を確認すると「鈴乃音 鈴乃-すずのね すずの-」からのメッセージであった。

 鈴乃はネット上の知り合いであり、顔を合わせたことはあったが本名は知らなかった。

『春に次の作品を出そうと思っているのですが、一緒に作りませんか』

 鈴乃からのそのメッセージに、私は返事をせずにスマートフォンを見るのを止めた。

 ベッドに横向きになって目を閉じる。

 鈴乃とは曲を作った事が何度かあった。

 彼女には作曲と音楽制作のスキルがあり、彼女の楽曲に私が歌を入れた。

 私はキーボードが弾けるが楽曲の制作に関しては知識も技術も無く、鈴乃のおかげで本格的に活動できたと言ってもいい。

 そんな鈴乃からのメッセージを無視して強く目を瞑る。

 眠気が襲ってきて夢うつつになった頃。

 背後でベッドが軋む音がした。

 私の背中に、熱を感じる。

 シャワーを浴び終えた野乃花がベッドに入ってきたのだった。

 少し躊躇いがちである、というのはその動きで分かった。

 しかし見知らぬ誰かの家に泊めてもらい、その他人が寝ているベッドに入ってくる思い切りの良さは相反しているようにも思えた。

 私のTシャツを掴んだ彼女の手の感触が背中に伝わる。

 湯気とシャンプーの香りが伝わってくる。

 自分のである筈なのに、知らないシャンプーの香りである気がした。

 花を思わせる甘い香りでベッドがいっぱいになる。

「あの……、この後はどうすれば」

 野乃花は私の背中に囁く。

 その声はか細く、か弱く。

 声だけでなく、その身体自体も震えていた。

 それは決して寒さなんかではなく、恐れとも緊張とも取れぬ、動揺の所為であると私は気が付いた。

 彼女の言葉が、それが何を指すのか私は少し遅れてから理解する。

 私の家に、野乃花という少女が居る。

 彼女は同じベッドに寝ている。

 私にとっては同情というか、自棄というか、そういう気持ち故に彼女の手を引いてきた。

 そこには、それ以上の何かを考えているわけでもなく、少なくとも野乃花が今考えている様な事は一切無かった。

 野乃花が私に問うたのは、私が野乃花という少女を「買った」という前提故のものであり。

 その対価として野乃花が差し出すべきものを、その方法を彼女は聞いてきたのだと、私はようやっと理解したのだ。

 野乃花から感じる震えの意味も。

 私が彼女に抱いていたひどく勝手なイメージを変える必要があるとも思った。

 野乃花は、援助交際とそれによって身体を売る、という行為に慣れているわけではきっとなく。

 だから私に怖ず怖ずとその方法を聞いてきた。

 彼女は、私が今こうして家に招き入れ、シャワーを貸し、寝床を提供している事が、そういう対価を要求される事であると思っているのだ。

「おやすみ」

 私は、そう言った。

 ただその言葉だけで良いと思った。

 彼女に背を向けたまま、私は目を閉じた。


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