8話
ミケーレ村の一日は、日の出と共に始まる。これを早いと見るか遅いと見るかは判断が別れるところであろう。
一般的な農村なら日が昇るより前に起き出して農作業を始める事も有ると言うし、腕に覚えのある者は希少な獲物を求めて夜通し狩りを続け、日の出を合図に帰途につくということもあるらしい。
だがしかし、ここはミケーレ大深林地帯のど真ん中だ。只でさえ他所で出たなら10年に一度、100年に一度の大災害と称されるような魔物・怪物がそこかしこでウロウロしている危険地帯なのに、見通しの悪い夜に出歩こうものなら、自殺願望者の烙印が押される・・・よりも先に死体すら残さずこの世から去っているのは間違いない。
このため村の住人たちは、明るくなるまでは決して村の中心部以外では活動を開始しないし、日が落ちるより前に帰途につく。村人たちが自由に活動できる時間はあまり長くないので結果的に総じて時間に細かく、キビキビ行動する事が当然とされる。寝起きも大層宜しい。夜が明けても寝ていられるのは病人だけ、と言うより布団に未練を残すという感覚を彼らは持っていない。
前日、疲れ切っていたのになかなか眠れなかったアルトとクラトの二人も、村の住人らしく夜明けきっかりに起きだして活動を開始していた。
もっとも、昨日のことなど微塵も感じさせずいつも通り元気いっぱいのクラトに対して、アルトの足取りは少々危なっかしくはあったが。
自他共に認める品行方正な少女であるリティーアは、魔法使いの忠告に従ってさっさと布団(クイーンサイズのベットにシルク製の羽毛布団)にもぐりこんで翌日に備えたため、家主よりも早く起き出して朝の鍛練に勤しんでいた。本音としては朝食の用意を手伝いたかったのだが、慣れない調理場でごそごそとしている内に手料理をふるまいたかった張本人が起き出してしまったので、朝の手伝いは井戸からの水汲みのみになってしまった。その水汲みも、気合いをいれて大きな龜を二つ抱えて村中心にある共同の井戸へ出陣しようとした矢先に、店の裏手に個人用の井戸が有ることを告げられ、結局大した仕事ではなかったのだ。気合いが空回りに終わってしまった彼女の鍛練は、毎朝行っているものよりもハードなものとなった。途中から付き合わされたクラトの朝食をフォークでつつく姿は、一日が始まったばかりだと言うのに草臥れきっている。
因みに、なぜリティーヤが手作り朝食作戦を断念せねばならなかったのかと言うと、彼女よりも魔法使い師弟の方が料理(だけでなく家事全般の)スキルが遥かな高みに居たからである。
母親を早くに亡くした父子家庭育ち(弟二人有り)の彼女は、その環境のためにしっかり者に成長できたのだが、男の手料理・男の家事で今日まで育ってきたため、家事のスキルは一通り身に付けてはいるものの、大味・大雑把がデフォルト設定されている。幸いなことに、気が回る性質ではあるお陰で彼女の家の文化的生活レベルは村の他の家庭と同等に保たれてはいるのだが、そこには4m以上はある魔獣の首を素手でへし折る父親とその血を引いた子供たちの人並外れたパワーがあるのは間違いない。
何はともあれ、舌が肥えている上に確かな技量を持っている魔法使い・・・・に毎日しごかれているアルトが作った朝食は皆の腹を満足させた。(約一名の心をへし折ったが。) 普段であれば、子供である彼らは午前中いっぱい大人たちの仕事の手伝いをし、午後から村の中心にある集会場をかねた学舎で森で生きていくための知識と技術を学びに行く。自由に遊び回れるのはその後だ。
手伝いの内容はその日によりけりである。学舎の前に立てられた掲示板に仕事内容と募集人数、難易度、それに指導してくれる大人の名前などが書かれた貼り紙が張り付けてあるので、それを剥がして掲示板の隣で折り畳みの椅子と机に座った受付嬢(第一線を退いたおばあちゃん)に渡す。OKが貰えたら、村民すべてが持っている個人証に依頼を受けた事を示す印を入れて貰い、手伝い先に赴く。手伝いが無事に終わったら、出来映えに応じた印を再び個人証に入れて貰って無事手伝い完了だ。これらの仕組みは森の外にある冒険者ギルドなるものを模しているらしい。
その運用の中核を担う個人証は、村長・医薬所長・長老の3人のみが所有している大皿程の水晶板と連動している魔道具で、水晶板からは全ての個人証に記録された内容を見ることができる優れものだ。これらの情報は、子供たちの手伝い達成情報だけでなく、学舎での学習態度までも記録される為、成人を迎えた子供たちの道を決めるための重要な資料とされる。因みに成人後もこの魔道具は総ての村人の健康状態や仕事ぶりなどを記録し続け、村の運営に役立てられている。
それなのに何故昨日、少年たちはそれらを無視して魔窟の大掃除をすることが出来たのか。当然の事ながらあの掃除は突発的に決まった事であり日課の手伝いではない。
彼らに自由な時間が有ったのは、村の決まりにより、とある条件を満たした日は、老若男女関係なく室内でおとなしく過ごすべしと定められていたためだ。
・・・昨日の少年たちは間違ってもおとなしく過ごしていたとは言えないが、この辺りは自由裁量で、肉体を酷使する仕事を担っている者は静養に充てるため文字通りおとなしく過ごしているが、気力体力共に充実している者は、普段はなかなか時間をとれない室内でできる作業をここぞとばかりにこなす者もいる。というか結構多い。基本的に村の住人は限られた時間を最大限有効活用すべく生活しているせいで、何もせずにゆっくりしようにも逆に持て余してしまう者が多いのだ。更に言うなら、例外もいるが子供たちに室内で大人しく過ごせと言うのは無理な相談であり、大抵誰かの家に集まっての大騒ぎになる。大人もそれがわかっているからうるさいことを言わない。悪ふざけが過ぎなければ、の注釈が入るが。実を言うと、昨日のクラト達のように子供が休養日に誰かの家に留まることとなるのは割りとよくあることだ。たまにしかない丸一日遊び回れる休みにテンションが上がりすぎて帰りの時間にクタクタになって帰れない子供は毎回現れる。
閑話休題、朝食の後片付けも恙無く終わり、本来なら子供達はおのおの手伝いに出掛ける準備をせねばならない時間となった。アルトは師の営む雑貨屋・・・もとい魔法具店(残念ながら、世界でも数少ない魔法具の専門店に対する村人達の認識は、変なものだらけの雑貨屋である。・・・実際間違っていない。)の店番を、クラトとリティーヤは、掲示板を見つつ力仕事や、前日に大人達が森から得た成果の後処理(解体・仕分け・加工その他etc)を請け負うべく、毎朝恒例のお手伝い争奪戦に遅れをとらぬよう、朝食後は後片付けもそこそこに家を飛び出しているのだが、今日は魔導師が淹れてくれた食後のお茶を大人しく飲んでいる。
因みに、茶葉は村の数少ない農作物だ。といっても畑で管理しているわけではなく、村のあちらこちらに植えられたお茶の樹を各家庭で加工したものなので、家によって味や風味が微妙に違い、凝った家では森から採れる野草を使ったオリジナルブレンドを作り出し楽しんでいる。
来客に振る舞った結果評判になったのものの中には、村全体に作り方が広まったものもあり、その中の一番人気は疲労回復に抜群の効果のあるブレンドティーで、今魔導師が振る舞ったものも、そこに独自に風味付けの香草を配合したものだ。口には出さないが、若さゆえに昨日の今日で早速訪れた筋肉痛で朝からしかめっ面の弟子や、体力オバケと陰で称されるリティーヤに付き合わせれ、既にヘトヘト状態のクラトを気遣ってくれたのだろう。
その魔導師のスペシャルブレンドは、初めて飲んだ時アルトがあまりにも大絶賛をしたため試しに店に置いたところ、多くの固定客を持つ人気商品となってしまった。あまりの人気に茶葉の作成に時間を奪われた魔導師は、本業であるはずの魔法具作りの時間がなくなってしまったため、ある日突然爆発した。
数日間自分の工房に閉じ籠ったと思ったら、未加工であっても材料さえ用意すれば全て自動で茶葉を作成してしまう魔法具を作り上げたという事件があったのもいい思い出だある。発酵や乾燥が必要なため、作成には最低でも数週間は必要なはずなのだが、材料をセットした1時間後には風味豊かな茶葉が完成している点を考えると色々とおかしいのだが、アルトは「師匠だから」で考えることを諦めている。その師の言は「時の概念をコスパのいい材料製の媒介に刻み込むのには苦労しましたが、おかげで「魔法具店」に茶葉が並んでいてもなんら問題は無くなりました。なにせ魔導の力によって作られた茶葉なのですから。そうですよね、アルト君」であった。問われたアルトがどう返答したのかは、想像にお任せする。
話は大いに逸れたが、本来活動を開始すべき時間を過ぎたのにも関わらず、彼らがのんびりと過ごしているのは、本日もまた昨日同様とくていの条件を満たした日であったからに他ならない。
昨日アルトが店番をしていたのは、唐突に決まる休養日に対応して店が休むと困る村民が出るため、商店に限り午前中のみ開ける決まりになっているからだ。つまり必要な物があった者は、昨日のうちに全て買いに来ている筈なので、休養日が二日以上続いた場合、翌日は商店も休みになる。そんな日は滅多に来ないが。
「それにしても、二日連続で休養日になるなんて年に何度もないようなこと、よく昨日の段階で判りましたね。ずっと降っていたならまだしも、昨日は夕方には晴れていたのに。今日になったら、クラトが居眠りするかも知れないような話をするっていってましたけど、要は長くなる話をするつもりだったってことでしょう?だとしたら手伝いもあるのだから普段より早く起きるよう言う筈なのにそれが無かったってことは、昨日のうちから今日も雨が降るって知っていたってことです。俺の推測、間違ってませんよね。師匠」
世界屈指の危険地帯、ミケーレ大森林地帯の中で逞しく生活を営むミケーレ村は、村の発足から本日まで、雨の日は村の外に出てはいけない。村の中でも、できれば大人しくしていなければならない。それが村の掟である。