5話
ミケーレ村に昼食の習慣はない。村人は皆、夜明けとともに起きだして、職にもよるがひと仕事してからしっかりとした朝食をとる。そして一日しっかり働いてから、その日一日無事に過ごせたことの感謝とともに夕食をとる。
村の暮らしは厳しいうえに、あらゆる国々から魔境扱いされ、まさか人が住む村があるとは、事情を知る者以外思われていない危険な森の中にもかかわらず、今まで食うに困ったことはない。森の外の世界にある、『冒険者キルド』なるものの基準によれば、”Aランク”に該当する魔物・魔獣がそこかしこで闊歩し、運が悪いと”SSSランク”の災害級のバケモノに出くわすような環境は、間違っても恵まれているとは言えないが、この小さな村で生まれ育った彼らにとって、それは不幸でもなんでもない、ごく普通の常識であった。
ミケーレの子供たちは、よほどおとなしい子でもない限り、どこかの段階で大人の目を盗み、まだ見ぬ世界を求めて村を根け出して森に入る。そして”Aランク”以上の怪物に遭遇して『死の国』という世界に片足を突っ込む。そして目を盗まれたふりをしてこっそり後をつけていた大人たちに助け出されて森の恐ろしさを学ぶ。危険な森ではあるが、その中で生きていくなら、切っても切り離せない環境にいる以上、当たり前のように繰り返されてきた習慣であり、死地から生還した子供たちは、徐々に大人として扱われ、森で生きるための知識を教えられるようになる。因みに、彼らにとって知る由もないことだが、外の世界ではベテランと呼ばれる冒険者であっても、”C~C+ランク”の魔物によって命を落とすことはざらである。
話はそれたが、そんな環境で育った少年少女たちにとって、午前中から日が傾きだすまでの間、(休憩を入れつつ)働き続けるという行為は、よくある事ではないが決して珍しいことではない。が、彼らは疲労困憊という言葉がふさわしい有様であった。
単純に、中に物が沢山ある倉庫部屋の整理位にしか考えていなかった。だが、蓋を開けてみればまさかの(異次元空間にあるとしか思えない)3階建の、中に物がこれでもかという程にギッシリ詰まった”蔵”の大掃除であった。しばしの間、3人そろって放心状態になってしまっても無理はなかろう。
時間にしておよそ8時間。片づいた区画の片隅に、いつの間にか置かれた絶品のサンドウィッチを貪るように食べた時を除いて、彼らは一心不乱に働いた。もともとこの店の弟子兼従業員のアルトは生真面目な性質である。そのうえ、これから待ち受けているであろう仕事の量に絶望を覚えはしたものの、初めて目にする物がこれでもかと詰まっている蔵での作業は、アルトにとって心躍るものでもあった。また、最初同様にこれからの仕事量に絶望していた親友2人も、今日中にこの大仕事が完遂とまではいかずともある程度まで片づけなければ、明日以降アルトが一人でこんなカオス空間でポツンと作業することになることが容易に想像できたため、馬車馬も怖気ずくような勢いで作業をこなしていた。
激闘、であった。
戦闘中、クラトがハタキで叩いた謎の銅像が放電しだしたり(布をかぶせたら止んだ)、リティーヤが何気なく開いた本の中から絵のウサギが飛び出してきて、蔵中を逃げ回るのを追い掛け回したり(クラトが持ち前の野生の運動神経でもって捕獲した)、クラトが壁に飾られていた仮面をふざけてかぶった途端、謎の踊りを踊りだしたり(顔にへばりついて外れなくなってしまったので、仕方なくリティーヤが殴って気絶させたところ、あっさり外すことができた)、「汗かいた―!」と言って近くにあった扇を使ったクラトが突風を起こしたり(いい加減にしろ)、様々なトラブルが発生したが、なんとか日があるうちに作業を終えることができた。だが、
「もうだめ、もう動けない。明日筋肉痛確定だよ。」
「・・・たぶん俺も明日筋肉痛だろうけど、お前もうちょっと体力と筋力つけろ。」
「確かに。私がいっぺんに5つ持てる物なのに、いっこ持つだけでへっぴり腰になるんじゃ、ダメダメだね。」
「(・・・アルトは確かにモヤシっ子だけど、この場合どう考えてもリティーヤの方がおかしいだろ)」
「なんか言った、クラト。」
「イイエ、ナンデモゴザイマセン。にしても疲れたー。家にたどり着く前に力尽きそう。」
「・・・・・。確かにね。夕食食べないと夜中にヒモジイ思いしそうだけど、帰ったらそのまま寝ちゃいたいよ。」
「俺、このまま朝まで起きられないかも。」
「「風邪ひくからヤメロ(止めなさい)。このモヤシ。」」
掃除したてとはいえ、絨毯もクッションも何もない状態で床に倒れこんだ少年少女は気力体力尽き果てて起き上がることが出来ないでいた。初夏の気配がしだした今日この頃だが、夜になればやはり冷えてくる。このままでは軟弱なアルトは風邪をひくし、ほか2人は早く家路につかないと、夕飯の時間に間に合わない。
しっかり整理するようには言われたが、どの程度までやれとは言われていない。はっきり言えば、程々にやるだけで本来ならよかったのだ。サラの予想を上回る成果を上げて、いつも涼しげな表情を浮かべる顔を唖然とさせてやるのだ、と3人で声に出さずに誓い合ってしまったがためのこの現状のため、完全に自業自得である。
「マジで疲れて動けねぇ。念じただけで行きたいトコに一瞬で移動出来る魔法とか有れば良いのに。」
「誰もが憧れる魔法だね、それ。」
「ありますよ。・・・とは言っても、ものの限度も計れないような未熟者には扱えませんが、ね。」
「在るんですか。流石魔法、色んな事が出来るんですね。いつか俺も使えるようにな・・・師匠?!」
軽く現実逃避的なボヤきに、辛辣な言葉込みの返事が返ってきてしまった。もう動かないと半ば本気で思っていた体は、有る意味本能的に状況を理解して跳ね起きた。
声がした方を見れば、見慣れた無駄に麗しい顔で呆れた顔をする師の姿が。
「ハイハイ、アルト君の師匠、サラですよ~。」
「い、いつからそこに居たんですか?」
「気配、しなかったよ。最近、ハンスさんより上手に気配を読めるようになったのに。どういうこと??」
「リティーヤ、お前の突っ込みどころはソコなのか?」
何処からともなく現れた、アルトの師匠でこの店の主な悪魔は、この大仕事を簡単な罰則か何かのように命じた時と同じ顔でこう言った。
「筋肉痛は、痛む筋肉を使い続けることで早く治るそうですよ。取り敢えず、明日から力仕事を増やす事にしましょうか。」