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6.お疲れ様です


 吸血鬼狩り。

 世に吸血鬼という存在が知られ、そして人に害をなすものとして認知された結果できた職業であり、吸血鬼の天敵である。人に似た異形を狩る為にその弱点を知り、そしてそこを突く為の装備を持って抹殺に望む。その仕事は害獣を仕留めに向かう狩人に似ているが、仕留める相手は獣ではなく、人間と同等の知性を持つ吸血鬼である。吸血鬼に出し抜かれ、命を落とす事も少なくない。しかしそれでも、数多くの吸血鬼が吸血鬼狩りに討たれて命を落としたのも事実だ。吸血鬼と吸血鬼狩りは、決して相容れない存在と言ってもいい。

「だというのにあの方は……!」

 ロジオンの募った苛立ちが、手にした高枝切りばさみに伝わり、チョキンと一際大きな音を立てた。切り取られた薔薇の枝が宙で傾ぎ、そして落下する。ロジオンは落ちた枝の長さを見て、長く切り過ぎた事に気付いて「しまった」と呟いた。

 外は快晴、雲はまばら。ロジオンの頭上、城の城壁の上では野鳥が数羽止まり、チチチと声を重ねてさえずっている。自分の胸中などどこ吹く風で呑気に歌われているようにも聞こえ、ロジオンは渋面を作って黙り込んだ。鳥に腹を立てる気も起きず、釈然としない気分で再び庭木の剪定に取り掛かる。背の高い脚立の上に乗っての作業だが、彼にとっては慣れたもので、バランスを崩す様子など微塵もない。しかし挙動に反して、彼の心中は依然として穏やかではなかった。

 吸血鬼狩りがこの城に来たのが昨晩の事。そしてその吸血鬼狩りに食事を振る舞ったのが今朝の事である。ロジオンは食事に毒でも入れようかとも考えたが、それこそ主人からの信用を失いかねなかったので、結局毒は使わなかった。

 食事が終わった後に改めて自己紹介を終えた際、ロジオンの主人は自分を吸血鬼だとは名乗らず、吸血鬼狩りはというと堂々と自分が吸血鬼狩りだと名乗った。そこで主人が怯めば話が違っていただろうが、実際には主人は感心する事しきりであり、まるで危機感のない対応に吸血鬼狩りはぽかんとし、ロジオンは主人の発言の数々に頭の痛い思いをしたのだった。

 吸血鬼狩りは吸血鬼を狙ってやってきた。しかし当の吸血鬼は、自分が吸血鬼だと分かってない。あろうことか、吸血鬼狩りが異性である事からすっかり気を許してしまっている。つまり、吸血鬼狩りからすれば、不意打ちし放題なのである。

「本当はこんな事をしている場合じゃないんだがなぁ……」

 呟きながら、ロジオンは再び意識を自分の仕事へと戻した。城壁の内側を囲うように植えられた薔薇の木々は方々に枝を伸ばし、張りのある緑色の葉や茎に付いた鋭い棘とを陽光の元で惜しげもなくさらしている。枝葉の影は濃く、地面に落ちた影を見れば枝が非常に不恰好な形に広がってしまっているのが分かる。だからこそ彼はこうして剪定に取り掛かっているのだが、実は他にも理由がある。

 ここ最近では説得の甲斐もあってか、主人もむやみに日向に出ようとしなくなった。色白の方が女性受けがいい、と言ったのが一番効いたらしく、ロジオンからすれば楽な殺し文句が見つかった事は僥倖と言えた。

 これだけならロジオンが屋外に出る理由にはならない。一番の理由は、吸血鬼狩りが庭にいたからである。

「ちょっと、その辺切り過ぎじゃない?」

 脚立の足元で、マシェッタが庭木の切り方に口を挟んできた。足元から上がる抗議の声に、ロジオンが忌々しげに口の端を歪める。

「……何でこちらにいるのです?」

「あら、客の動向にケチを付ける気?あなたの主人に言ってやろうかしら」

 ふふん、とマシェッタが勝ち誇ったように鼻で笑った。ロジオンに返す言葉はなく、憮然として自分の作業に戻った。彼女に言われた場所を整えるように、細かい枝葉を切り落としにかかる。

『……何が狙いだ?この女』

 怪訝な目でマシェッタを見るロジオン。その視線を背中で受けながら、マシェッタは内心でほくそ笑んでいた。

『あの吸血鬼は隙だらけ。だからあたしにとって一番の敵は、むしろこいつ。どうにかしてこいつを吸血鬼から引き離すか、あるいは始末するか。どっちにせよ、こいつからは目を離せないのよねぇ』

 彼女の手には、得物を収めたトランクが握られている。いざとなればすぐに開き、中の武器を取り出せるようになっていた。

『こいつから仕掛けてくれれば好都合なんだけど、そうもいかないでしょうね。こいつは妙に勘が良いみたいだし。しばらく様子を見ておかないと』

 マシェッタは再び横目でロジオンを見上げ、ロジオンもまた彼女の視線に気付いてわずかに目を細めた。

「何か?」

「いいえ、別に」

 そっけなく言って視線を逸らすマシェッタに、ロジオンは苛立ちを抑えて平静を保った。

『向こうは常に得物持ち、対してこちらはそうもいかん。こちらから仕掛けたいが、そうなるとあの方からの信用が無くなる。そうなれば向こうの思うツボだ。あの方の為、というよりは、私の知性の為にもそれは避けたい。……すまじきものは宮仕え、か。よく言ったものだ』

 チョキン、とまたもや鋏が大きな音を立てて枝を切り飛ばした。


 二人の様子を見ながら、主人はむう、と低く唸った。

 もちろん、窓を開けて外を見ているのではない。窓を塞ぐ板のわずかな隙間から、手鏡を通して二人の様子を伺っているのだ。日で肌が焼けるのを避ける為、このような手段に出たのである。鏡の角度を変えながら反射する光を抑え、外にいる二人の様子を手鏡に収める。

「何やら良い雰囲気に見えるな……」

 そう呟く主人の表情には、露骨に不満が表れていた。彼から見れば、二人は遠く離れた場所で談笑しているようにも見える。それが彼には面白くなかったのである。

「私でなくロジオンに興味が向くとはな……。予想外だ。私何かヘマでもしたか?」

 彼女と語らった内容を振り返ってみるが、彼には彼女の気を損ねるような覚えはなかった。かといって、ロジオンが彼女に好意的な態度を示していたのを見た覚えもない。

「あっれー、分かんないぞー?あいつがゾンビだって教えたからか?全然分かんない。分かんない、が……。実に面白くない。このままじゃロジオンに彼女を取られかねんぞ。何とかして二人を引き離さないと、私がロンリーだ。さてどうするか。……ん?待てよ」

 ふと主人は、今朝方にロジオンと交わした言葉を思い出した。

『手が足りないんですよ。あと一人くらい増やしてくれれば私も楽になるんですがね』

「そうだ、これだ!」

 主人は鏡を持った手で、もう片方の手をぽんと叩いた。

「奴がゾンビだなどと言ってしまったから彼女はあいつに興味を持ったんだ。ならば話は簡単だ、ゾンビを増やせばいい!」

 主人は自分の思いつきに胸を弾ませた。

「彼女の取り合いにならないように、女のゾンビにしよう。同性なら彼女も気構えしなくていい。どうせ私の従者になるんだから、ロジオンだって断らんだろう。いやあ、私って本当に冴えてるなぁ!」

 主人は揚々と窓から離れ、その場を後にした。

「さぁて、今晩は外に出るか!えーと、香とー、蝋燭とー、死者の書とー……」


 夜が訪れると、城の周辺の景観は大きく変わる。空や雲はおろか、山や森の木々までもが夜闇で塗りつぶされ、辺りの広さを表すように風が木々の葉をさざめかせている。針葉樹の細い葉の束がさわさわと鳴る音に混じって、昼間とは違う鳥の鳴き声がマシェッタの耳に響いた。ぎゃあぎゃあというその不快な声と、夜の大気と石との冷たさを運ぶ風に彼女は体を震わせる。

「さ、さぶいぃぃ……」

 自分に充てられた個室のベッドの上で、マシェッタは毛布にくるまって身を縮み込ませていた。ストーブもないこの部屋では、他に暖を取る手段がないのである。部屋の唯一の光源である燭台の先には炎が灯っていたが、その火は部屋を暖めるにはあまりに小さすぎた。骨に染みるような寒気のせいで、彼女は毛布から出られないでいた。

「何で昨日より寒いのよぅ……」

 恨み言のように言って、彼女は窓の外に目をやった。日没以来暗闇にいたせいか、彼女は幾分か夜目が利くようになっている。どうせ暖を取れないからと蝋燭の炎を吹き消せば、開け放したカーテンの間から遠くに見える山の頂や、山の麓に広がる針葉樹の森がさざめく様子を容易に見て取る事ができた。月の無い夜という事もあり、夜空に広がる星々が日中をゾンビへの警戒でささくれた彼女の心を癒した。何とはなしに星座を探す彼女の目が、ふと林の中に不自然な光があるのを捉えた。

「……ん?」

 茂みの中に見えるその光は、炎のものとは異なっていた。かといって、電気で付けられた照明のものでもない。揺らめく様は炎に似ていたが、その色は緑色から紫、青、橙色と様々に変わっている。城を囲む塀の外に見えるそれは、彼女にとって見覚えのないものだった。しかし、知識として知らないものではない。

「あれって、確か……!」

 気付いた瞬間、彼女はにわかに立ち上がった。寒さを忘れて毛布をほどき、窓に近づいて光を凝視する。そして踵を返すと、コートを羽織りトランクを掴んで部屋を飛び出した。


「本当にこの辺りでよろしいんですか?」

 ロジオンは足を止め、離れた位置にいる主人に尋ねた。そして長い柄のついた燭台を二本肩に立てかけ、自分の歩いた跡を見やる。林の拓かれた場所を囲むように三つ、ロジオンの持つのと同じ燭台が雑草の生い茂る地面に立てられていた。それらに灯された炎は、いずれもが様々な色に変わっている。

「良いんだってば、そう書いてる。それより騒ぐな、集中できん」

 主人が手にした本に目を落とし、少し前までそうしていたように、再び書面を読み上げ始めた。

「えーと、と。ああここだここだ。『来たれ夜闇に生きる者。現世からの声を聞き、眼に映りしものを見よ。世を隔てたるは炎の境。生に焦がれる者あらば、我が呼びかけに応じたまえ……』」

 主人が書面を読み上げるにつれ、並び立つ燭台の炎が全て、その勢いを増して大きくなる。そしてその全てが、一斉に青から薄緑色へと変わった。呪術が安定している証拠である。ロジオンはそれを見ながら、あらかじめ指示された場所へと燭台を置きにかかった。

 彼が茂みをかき分けて歩く音と、主人の唱える呪文とが夜の林に静かに混じって流れていく。炎は、徐々に大きくなっていった。

「『目覚めし者よ、汝は死者なり。生を得たくば死を想え。死は夢にして、重きもの。身に死の馴染む者あらば、炎によって生を知れ……』」

 そこまで読み上げられた時、ロジオンが四本目の燭台をその場に立てた。その直後、燭台の先に付けられた蝋燭に薄緑色の炎が灯る。ロジオンは驚いた風もなく、最後の一本を立てに移動を再開した。

 そんな二人の様子を、離れた樹の影から見ている者がいた。

「あれ、死者反魂の呪術じゃない……。やっぱりあいつ、本物の吸血鬼だったんだ」

 呟くマシェッタの声には、恐れがにじんでいた。しかし、そこで彼女は違和感に気付く。

「……あれ、死体が見当たらないんだけど?」

 マシェッタの視線に気付く様子もなく、二人は呪術を続けている。ロジオンが最後の燭台を立てた時、燭台の先に最後の炎が灯った。ロジオンが燭台から離れ、五つの薄緑色の炎から、真上に向かって煙が揺蕩いながら伸びていく。主人の詠唱は、なおも続いていた。

「『今開かれしは世の扉。行き着く先は、夢の果て。汝等、望む生を得よ!』」

 最後を高らかに叫び、主人は手にした本を掲げた。

 次の瞬間、呪術は発動した。

 主人を囲む五つの燭台の炎が一斉に大きく膨らみ、ボウ、と音を立てて吹き上がった。尾を引いて飛んだ火の粉が、主人の頭上で交差する。火の粉はその後、等間隔に立てられた五本の燭台の間へと落下した。ほぼ同時に地面に落ちた火の粉は消えず、そして火の粉の飛んだ軌跡も空中で煙の線となって残っていた。

 変化は更に続く。火の粉が配置された燭台の並びを追うように地を這い、円を描く。同時に、主人を囲む煙の線が、炎と同じ色に染まり光を帯びた。

 地に円を描き終わった火の粉は、燭台に絡みついて上へと登る。鳥かごを形作るように描かれた薄緑色の線から、今度は糸のように細い線が無数に伸びた。絡み合うその線達は、火の粉の軌跡で囲まれた空間の表面に根を這わすように広がっていく。やがてその線は、円の外から見ているロジオンやマシェッタから主人の姿を覆い隠さんばかりになった。

 線から発される燐光が、深夜の林をおぼろげに照らしている。幻想的にも見えるその光景に、マシェッタは息を呑んだ。きれいだ、とは思ったが、この後何が起こるかを知っていれば、呑気にそうは考えられない。吸血鬼狩りとして、吸血鬼の行う呪術をいくつか知っているからこその危惧が彼女にはあった。

 マシェッタとロジオンの見ている前で、更なる変化が起こる。網のように広がった光の下辺が地面から離れ、細かい線の模様は真上へと流れ始めた。しかし、鳥かごの頂点が持ち上がる様子はない。光が吸い上げられるようなその現象によって、二人の目に主人の姿が映った。

 光の網は、鳥かごの頂点の真下に立つ主人の掲げた本に流れ込んでいた。光を吸い込むにつれ、本が光を蓄えて強い輝きを帯びる。

 やがて光は完全に本へと吸い込まれた。まばゆいばかりに輝く本を主人が片手で畳み、視線を足元に落とした。

 そして、仕上げとばかりに彼は動いた。本を手にした手を大きく振りかぶり……

「つぇいっ!」

 勢いよく、本を地面に叩きつけた。ごん、と鈍い音が上がった。

 え、とマシェッタは目を丸くした。彼女の知る限りでは、死者反魂の呪術では本来ここで蘇らせたい死体の上に本を安置させる。そうすれば光が本から死体に移り、死体は仮初の生を受けるのである。

 本の落下の衝撃で、蓄えた光が大きく空中へと飛び散った。大小いくつもの光が空高く弧を描き、液体の飛沫のように飛んでいく。光はいずれもが木陰や茂みの陰へと姿を消し、三人から見えなくなった。辺りに再び闇が訪れ、マシェッタの視界は黒一色になった。

 主人は光が飛んでいくのを見届けた後、暗闇の中でふう、と息をついた。吸血鬼である彼の目が、近づいてくるロジオンの姿を捉える。

「お疲れ様です」

「うむ」

 主人は足元の本を拾い上げ、先ほど付いた汚れを手で払った。

「しかしご主人様、どういった風の吹き回しですか?急に人手を増やそうなどと……」

「あー、うむ。そのー、な。……、お前がさんざん手が足らないとぼやいていたからだ」

 主人はそう言って、ロジオンから目を逸らした。ロジオンはそれを見て、すぐに嘘だと見破ったが、あえて追及しなかった。真意はどうあれ、人数が増えるのは彼にとって望ましい事だ。特に、主人を狙う者がいる今ではなおさらである。

「……左様ですか。とにかく、すぐに火を起こしましょう。目覚めたゾンビへの目印になりますし、獣避けにもなります」

「おお、そうだな。すぐに頼む」

 主人の返事を聞き、ロジオンはその場に膝をついた。持ってきていた古紙と枯れ枝とを積み、マッチで火をつける。その火はすぐに古紙に燃え移り、辺りを炎の色で照らした。主人とロジオンは、たき火を挟むようにして座る。

 マシェッタはこれに焦った。少しでも炎に照らされれば隠れているのがばれてしまう。かといって深夜の林に火も起こさずにじっとしていれば、野生動物に遭遇した場合命が危うい。彼女は仕方なく、身を隠していた木を素早くよじ登り、太い枝の上に足を乗せて身を隠した。

 見下ろす彼女の視界の中で、主人がロジオンに口を開いた。

「これでちゃんと死体が蘇るといいんだがな」

「死体が残っていれば、ですがね。いつ見てもいい加減なやり方ですから」

 盗み聞きしていたマシェッタは、ロジオンのこの言葉に黙って頷いた。

「仕方ないだろ。昔はこの辺にいくらでも死体が埋まっていたんだ。一気に人数揃えたかったら、ああするのが一番なんだ」

 主人とロジオンとの住む城は、かつて存在していた国と国との境に位置している。なので領土争いの合戦で多くの兵士が倒れ、地に埋もれている。そうでなくとも森に迷い込み、遭難の果てに命を落とす者も決して少なくない。つまり死者を蘇らせ使役させる吸血鬼にとって、ここは都合の良い場所なのである。

「それも少し前までの話ですよ。この辺りの死体は、あらかたあなたが蘇らせたんですからね。一人でも蘇れば御の字ですよ」

「あんなにたくさんいたのにな。今ではお前一人とは。一体何が悪いんだろうな」

「ホントに何が悪いんでしょうね」

 ロジオンは知らないふりをしてそう答えた。たき火に枝を継ぎ足すと、炎がパチパチと枝を噛む音が響いた。

 しばらくの間、口を開く者はいなかった。沈黙を埋めるようにたき火の音が鳴り、炎は辺りを照らしながら静かに身をくねらせている。マシェッタは固唾を呑んで、炎に照らされてた二人の動向に目を光らせていた。

「……そういえば、だ」

 主人がロジオンに小声で囁いた。マシェッタに、この囁きは聞こえなかった。

「はい?」

「お前は昼間、あの客人とどんな話をしているんだ?」

 ロジオンには、すぐにマシェッタの事を聞いているのだと分かった。

 一方、マシェッタ当人は二人が顔を突き合わせて何事かを言っている様子を見て、彼女は彼等に対する警戒心をますます強めていた。

 ロジオンは主人がどういうつもりで聞いているのかもすぐに察し、主人の反応に呆れながらも、小声でこれに答えた。

「……別に、どうという事も。あなたについて、聞かれた事を答えた程度ですよ」

「本当か?お前だって、そのー、なんだ。恋人、とか、……な?欲しくなる時があるだろ?」

 照れのにじんだ、歳を疑いたくなるような聞き方にロジオンは渋面を作った。どう答えたものかと口をゆがませ、少し悩んだ後再び口を開く。

「……生前、女で痛い目を見ましてね。女はもうこりごりです」

「そう、か。なら安心だな」

「どういう意味ですか?」

 ロジオンがわざとそう聞くと、主人は「いや、別に?」と首を傾げてみせた。その反応は先ほどまでよりも明るく、ロジオンは余計な嫉妬を買わずにすんだと小さくため息をついた。

『あいつ等、何を話しているのかしら……?』

 マシェッタが耳を澄ませて聞こえたのは主人の最後の一言だけで、これだけでは会話の内容を判断できなかった。

 時間が流れるのを知らせるように、か細く風が吹く。肌を撫でる風の冷気に、主人は顔をしかめて風上の闇を睨んだ。

「……来ないな」

「来ませんね」

「何で来ないんだろうな」

「最初っからいないからかもしれませんね」

「だったら私、無駄な真似をしただけか?わざわざ死者の書まで持ってきて?」

「そうなりますね」

 主人が望む結果を懇願するようにロジオンに言うが、ロジオンからすればこれは当然の結果と言えた。

「そうなりますねってお前……。せっかく寝る時間を削ってここまで来たのにか?そりゃあんまりだぞ」

「私に言われても困ります。これ以上待つのが嫌なら、もう帰りましょう」

 主人はあっさりと折れた。

「そうするか。無駄足だったな」

 よっこらしょ、と主人は立ち上がり、ロジオンもそれに続いた。火の失せた燭台を回収する彼に、主人は声を投げかけた。

「また明日もやるからな、いいな」

 ロジオンは足を止め、うんざりした顔で「はい」と答えた。そして胸中でこう思う。

『妙に熱心だな……、まあいい。頭数が増えれば仕事が楽になるし、何よりあの女へのけん制になる。仕込みの時間も欲しいが、そこまでは贅沢か』

 再び歩みを進めるロジオンと、その背を見る主人。彼等を見下ろすマシェッタは、その動向を見下ろしながらこう思った。

『こりゃまずいかと思ってたけど、今日は安心していいか。あんな雑なやり方じゃ、せっかくの死者反魂の呪術も無駄になるでしょうし。……馬鹿な吸血鬼もいるのね』

 かたや、主人はこう思っていた。

『まだあきらめんぞ。一人でも増えれば彼女に付けて、ロジオンと引き離せる。そうすれば彼女の目は私に向くはずだ。現に彼女は、私をじっと見てるしな』

 彼はちらりと、木の枝に座って隠れているマシェッタの方を見た。

『っ!見られてる……!?』

マシェッタはその視線に気付いた。

 主人が我知らず微笑む。それは気安い者に向けるものだったが、マシェッタからすれば恐怖を煽るものだった、心のどこか、主人を侮っていた部分がぞわりと彼女の全身を総毛立たせる。

「行きますよ、ご主人様」

 すでに五本の燭台を肩にかけたロジオンが、主人を呼ぶ。彼の手にはすでにたき火から炎を移した松明が握られており、彼の足元を照らしていた。主人は「分かった分かった」とおざなりに言って、ロジオンを追ってその場を後にした。

 木の上で様子を伺っていたマシェッタは、黙って二人を見送る。暑くもないのに、汗が背中を濡らしているのが分かった。

「……アイツ、とんだ食わせ物かもね」

 二人の姿が見えなくなった後、彼女はそう一人ごちた。

「もう呑気する暇はないか。明日にでも仕留めないと」

 呟く声には、冷たい響きが宿っていた。


 主人の行った死者反魂の呪術の光は辺りに散らばり、夜の木立を抜けて林や茂みの中へと落ちた。落ちた光はいずれも地に染み、静かに地面に溶けていく。死体に活力を与えるはずのそれは、やがて役割を忘れ地中で消えてなくなった。呪術で生まれた全ての光は眠る死者には届かず、意味をなさなかったのである。

 ……ただ一つを覗いて、は。



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