表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

2.放っといてください

 飛行機の搭乗口のゲートをくぐると、彼女は空港内が思いのほか暖かいのに驚いた。しかし寒風吹きすさぶ外の様子を思えば、それも当然と思えた。飛行場の様子を一望できる大きな窓を見れば、雲のせいで一層寒々しさを引き立てているように白んだ空を臨む事ができる。時折強風が窓を激しく揺らしてばりばりと音を立て、空港のロビーにいる何人もの観光客を驚かせた。例に漏れず、彼女も肝を冷やした。

「寒そうね……」

 一人呟き、一張羅である黒いコートを着たまま身を竦ませる。彼女の両手にはそれぞれトランクが一つずつ提げられていた。片方には着替えが、もう片方には吸血鬼狩りとしての彼女の得物がそれぞれに入っている。彼女は国際線のロビーの出口に並ぶ列の最後尾に続き、しばらく経った頃ついに彼女の順番が来る。

「渡航目的は?」

 入国管理官に尋ねられ、彼女はパスポートを差し出してこう言った。

「神より賜った使命を果たす為です」

「あ、教会の方でしたか。よい旅を」

 入国管理官の前を通り過ぎ、彼女はその場を後にした。

 空港を出て冷たい外気に触れ、彼女は震えあがる。寒さを堪えながらどうしたものか、と視線を巡らすと、すぐにレンタカーの看板が目に入った。空港の出口に並ぶタクシーの列は、最初から彼女の眼中にはない。

吸血鬼がいると思しき場所はいくつかあったが、そのどれもが車を長時間運転しなければ行けない程の距離にある。彼女は自分の懐具合を思い出し、陰鬱な気分になった。これから何日続くか分からない車中泊生活を想像すれば、嫌でもそうなる。

「……パンのなる木はないかしら」

 呟く声は、泣き言同然だった。


 顔を上げると外の景色を一望できた。城を囲む城壁の向こう側には針葉樹林の森が広がり、その果てに青みがかった山々を見る事が出来る。空は青いが、山の陰からは重い色をした雨雲がゆっくりとこちらへ移動してきている様子が見て取れる。雨雲が城の近くまで近づくには、まだまだ時間がかかりそうである。ロジオンはこれまでの経験から今夜雨が降るであろうと推察し、夕方には布団を取り込もうと決めた。

ロジオンは主人の布団を窓から干し終わると、窓を開けたままカーテンを閉めた。風は弱く、分厚いカーテンをわずかに揺らすにとどまっている。一仕事終えたロジオンは主人の部屋を出、合鍵で扉に鍵をかけた。自分の見ていない時に主人が日光を浴びないよう配慮しての事だ。

「さて、私の布団も干すとしようか」

 ロジオンは自分の部屋へ引き返し始めた。湿気を吸った布団は重い上、その水分でロジオンの体を蝕みかねない。ゾンビである彼の体は、湿気や水気、温度などとにかく気を使わねばならない点が多いのである。

 ロジオンは暗い廊下を歩きながら、ふとある事を思い出した。それはかつて主人がロジオンに隠れて外に出ようとした時に使った、物置の奥にある抜け道の事だ。彼はリズからその入口について聞かされた後、すぐに主人が立ち入れないようにその抜け道の扉を塞いでいる。それでも、ロジオンには主人が自分の見てないのを良い事にその扉を開きにかかっているような気がしてならなくなってきた。

「あの方はいらん事には全力注ぐからなぁ……」

 一度気になるとどうしても悪い予感がぬぐえなくなる。ロジオンは踵を返し、物置を見に行こうと来た道を戻り始めた。焦燥が募り、自然と早足になる。

 階段を降り、彼は物置の扉の前に行きついた。開かれた形跡がない事に安堵するが、そうなると次は塞いだ扉の具合が不安になってきた。彼は物置の扉を開き、部屋の様子を見て絶句した。

「前よりものが増えている……」

 元よりさほど整理された部屋ではなかったが、今はそれに輪をかけてひどいものになっていた。床に並びきらなかった机や椅子が鏡台や洋服ダンス等の家具の上に積まれており、もはやバリケードも同然だ。家具同士の隙間には穴のあいたビーチパラソルや熊のぬいぐるみ、表紙の破れた古い花の画集や糸車といった様々な道具がこれでもかと言う程詰め込まれており、そのせいで部屋のスペースはほぼ完全に埋められた状態だった。当然窓もふさがっているので部屋の空気はこもった湿気と埃とでむっと来るものとなっており、ロジオンはこのような空気が嫌いでたまらなかった。

「埃が肺に溜まるからなぁ……」

 言いながら、彼は目の前の扉をすぐに閉めた。非力な主人に、目の前に聳える道具の壁を崩しながら奥へ進む事ができるとは到底思えなかったからだ。

「ロジオン」

 ロジオンが自分を呼ぶ声に振り返ると、そこには主人がいた。

「あ、ご主人様、今までどちらに?」

「三番目の私の部屋で縫い物だ。しかしどうにもいいアイデアが降りなくてな。仕方ないからちょっとうろうろしてたんだ」

「屋内でですか?」

「屋内でだよ」

 そう聞いてロジオンは心底ほっとした。今の主人に、外に出る気がないと分かったからだ。

「自分の住まいでゆっくり過ごすのも良いものだな。どこに何があるかよく分かる」

「そうですね。世界中を回っていた頃は、何度もリズ様の持ち物を借りていましたからね。正直、借りを作るようで癪でした」

「癪ってお前、リズが嫌いか?」

「まさか。仮にもご主人様のご友人ですから。客分をもてなすのが私の仕事で、その道具を当人から逐一お借りするのが歯がゆかったのですよ」

 ふむ、と主人は納得したように頷いた。

「まあ、確かにな。私もあんな長旅になるとは思っていなかった」

「あの頃ほど、腹の空かぬ体であるのをありがたいと思えた事はありませんでした」

「私もだ。リズはしょっちゅう腹が空いたとぼやいていたがな」

 ロジオンは消化器がとうに機能を失っており、主人の体はというと、元からものを食べるための機能などあってないようなものだ。なので、リズだけが食事の心配をしなくてはならなかったのである。部屋探しの長い旅で、屋根のない場所で夜を過ごした事も一度や二度ではない。

「それは仕方ありませんよ。むしろ食事のいらない、私達が異常なんです」

「確かにな。どういう訳か、半年も腹が空かなかったしな。何も食べずにいられるって、何気に私すごいな」

 主人は胸を張り、ふふんと鼻を鳴らした。自分の言った事に、何ら疑問を持った様子はない。この言葉に、ロジオンは眩暈がした。

「……ええ、そうですね」

「何だ、淡泊な反応だな。もっと驚いたらどうだ」

 ロジオンはどう返すべきか少しの間悩み、そしてこう言った。

「驚いたと言えば、結局お嫁さんは無しですね。流石ご主人様です」

 主人はロジオンを見上げ、目を丸くした。やがてその眉が下がり、静かにうな垂れる。

「……そんな事、言うなよ……」

 本気で傷ついたらしく、彼はうずくまって膝を抱えた。半年もの旅の中え、嫁を望む主人が好みの女性に声をかけたのは一度や二度ではない。しかしその悉くが、残念な結果に終わっていた。

石になったように縮こまる主人に、ロジオンは面倒くさそうにため息をつく。ともかく、主人の意識が外に向かう事から逸れた事を良しとし、ロジオンは主人の肩を叩いた。

「謝りますから立ってください。仕事の邪魔です」

「お前は気遣いが足りんな」

「あなたは辛抱が足りません」

 ロジオンは子供にそうするように、主人の脇に手を入れて持ち上げた。主人は露骨に渋面を作っていたが、大人しくされるがままに立ちあがる。

「お嫁さんが欲しいのでしたら、もう少ししっかりしてください」

「体は丈夫なんだがなぁ」

「そういう意味ではありません」

 ううむ、と首を捻る主人に、ロジオンは再びため息をついた。

「ああそうそうロジオン、ワインの用意をしておけ」

 この言葉に、ロジオンは少なからず驚いた。

 二人の住む城の地下にはワインセラーの並ぶ大きなワインの貯蔵庫があり、そこには何年ものかも分からないワインがいくつも並んでいる。ロジオンがゾンビとして蘇るよりも昔からあるものも少なくなく、その為彼にも貯蔵されたワイン全てを把握できていない。彼が何より驚いたのは、主人がワインを開けようとする時は、決まって客が来る時と相場が決まっていたからである。

「……は?それはどういった……」

「遠くから誰かが来る。車の音が聞こえるんだ」

 ロジオンの表情が、途端に険しくなった。彼等のいる城は人里から山をいくつも隔てた、深い森の中にある。道路も敷かれておらず、景観も決してよい場所ではない。そんな場所にわざわざ来る者がいるとしたら、主人を知る者か、でなければ吸血鬼を探している者のどちらかだ。

「……確かですか?」

「私は耳が良いからな。お前もそれは知ってるだろう?」

 ロジオンはこれに首肯した。吸血鬼の聴覚は人並み外れており、城の中が静かならば遠方に聳える山で鳴く鳥の種類と正確な場所まで、外を見ずとも分かる程なのだ。

「それは認めますが、まさか迎え入れるおつもりで?」

「もしもここに来るのなら、な」

「私は反対です」

 ロジオンは強い口調でそう言った。

「なぜだ?ワインが惜しいのか?」

「生憎と、私は味が分かりません。何分死んでいますので」

 ロジオンは片目を細め、ずいと主人に顔を寄せた。

「いいですかご主人様、この城は人間が簡単に来られないような辺鄙な場所にあります。気まぐれで足を運んだとしても、森には猛獣が何頭も住み着いています。あなただったら、そんな場所に用もなく行こうと思いますか?」

「森にお嫁さんの候補がいればな」

「そうです、それですよ!今日は珍しく冴えてるじゃないですか!」

 しめたとばかりにロジオンは手を叩き、弾んだ声で主人を褒めた。主人はロジオンの喜びように目を瞬かせ、きょとんとする。そんな彼の前で、ロジオンは熱弁をふるった。

「どんなに危険な場所であろうと、そこに求めるものがあれば行きたくなるのが性です。皆そうなんです。だからですね、誰かがこの城に来るということはつまり、この城にその誰かが何かを求めて来てるという事です。それは何だと思います?」

「何だと聞かれてもな……。うーん、あ、お前か!」

 主人がぽんと手を叩き、ロジオンを指差した。途端にロジオンの眉根が寄る。

「何でそうなるんですか」

「だってお前、動く死体だぞ?見世物になるだろ」

「ああなるほど冴えてますね、って、違うでしょ!」

「だったら他に何がある?」

「あなたでしょ、あなた!」

 ロジオンはなかなか主題に入れない事に苛立ち、声を荒げてそう言った。主人は分かってない顔で首を捻り、その後自分を指差す。

「……私?」

「そうです、あなたですよ!あなたを追う連中は今も多いのですよ」

「そうなのか?いやあ、私もまだまだ捨てたものではないな」

 弾んだ声で言ってふふん、と得意げな顔になる主人。主人が楽天的な想像をしているのが容易に分かり、ロジオンは頭が痛くなってきて額を押さえた。

「ああ駄目だ、これ言っても聞かないな」

「ん、何か言ったか?」

「いえ、何も。とにかく、用心に越した事はないと言いたいのです」

 ロジオンは背筋を伸ばし、居住まいを正してん、ん、と咳払いをした。

「もちろんここを素通りするかもしれません。私としてはそれが理想ですが、もしあなたのおっしゃる客分がここに来るのだとしたら、私も相応の用意をさせていただきます」

 ロジオンが危惧していたのは、今晩来るというその何者かが吸血鬼の敵である可能性である。吸血鬼が人間を食い物とする存在である以上、これを良しとしないものは多い。

しかし、ロジオンの知る限り、主人が人間の血を吸った事はない。長命な上に飢餓に強い吸血鬼は何年も血を吸わずとも平気でいられるのだが、それでもかつて血を吸った者がいるとなれば、命を狙われるのに十分な理由となる。

主人はロジオンの危惧するものが分からず、彼の神妙な顔を見て首を捻っていた。

「……んー、まあ、いいか。お前に任せよう」

「ご理解いただきありがとうございます。では」

 ロジオンは礼をし、主人の隣を通り過ぎて早足でその場を離れようとした。その後ろ姿を見送る主人が、ふと思いついたように口を開いた。

「そうそう、お前について分かった事が一つある」

 ロジオンは足を止め、主人の方を振り返った。

「お前独り言多いのな」

「放っといてください」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ