12.やられた!
「時々自分が嫌になる」
暗い廊下を進みながら、ロジオンはタウにそう零した。時折立ち止まっては、壁にかかった燭台の蝋燭の先に自分の持つ燭台の火を灯し、廊下に光源を増やしながらの独り言である。
「ゾンビとして蘇った私をいっぱしの、まともな人間に更生してくれたのはゴルドンさんだ。あの方への義理を通す為、私は他の者が全員城を出てもここに残った。仕事は増えて苦労も増えた。見返りは……、殆どなかったな」
ロジオンは遠い目をしてため息をついた。それきり何も言わなくなったロジオンに、タウがスケッチブックを見せる。
『ロジオンさんは面倒見が良いんですね』
「引き際を誤っただけだ。お前もじきに思い知る」
ロジオンは再び、手近な燭台に火を灯した。
「あの方は人使いが荒い。しょっちゅうわがままを言う訳ではないが、たまに思い出したようにとんでもない要求をしてくるから、気持ちの準備だけはしておけよ」
タウは黙って頷いた。
「……それにしても、あの女はどういうつもりだ」
ロジオンの言葉に、タウは首を傾げた。
「あの吸血鬼狩りだ。ご主人様も話す事があるからと我々を離してしまった。まあ今のあいつに武器はないから心配はないだろうが、二人になって何を話す事があるのか……」
ロジオンは舌打ちし、未だ釈然としないながらも、当面の問題へと意識を切り替えた。
「とにかく、スパイをいぶり出すぞ。私に案がある」
主人はマシェッタを前にしていささか緊張していた。深夜に、女性と二人きりでいる事は彼にとって初めての経験で、下心を抜きにしても彼は舞い上がっていたのである。そしてだからこそ、彼は彼女に良い印象を持ってもらおうと必死に言葉を選んでいた。
なので、別室から持ってきた椅子に彼女を座らせたは良いものの、主人には振るべき話題を思いつけないでいた。マシェッタはと言えば、椅子に座ったままで隣にいる主人の方を見ようともせず、深刻な表情を浮かべたまま黙りこくっていた。彼女が退屈しているのではと考えた主人は、思いついたようにサイドテーブルの引き出しを開けた。
「実は私、刺繍が趣味でして。自慢ではないですが、一通りのものは縫えます。もしリクエストがあれば……」
「ねえ」
主人の早口は、不意に遮られた。
「はい何でしょう?」
マシェッタは主人を見ず、思い出を振り返るように話し始めた。
「あたしは欲しいものがある。お金と、名誉。だってお金さえあれば食う寝る所に住む所、も一つおまけに遊ぶトコ、何にも困る事ないし、名誉があれば誰に何と言われたって背筋をしゃんと伸ばして生きてける。あなたの占い通り、あたしはスケールの小さい貧乏人なのよ」
「そ、そんな事はありません。仮にそうだったとしても……」
「大きな困難のせい、でしょ?そうよ。あたしの家は長年貧乏で、周りからも白い眼で見られるような仕事を代々続けているの。どんな仕事だと思う?」
そう言って、マシェッタは主人を見た。何だったかと考える主人の脳裏に、ロジオンの言葉が蘇る。
『この方は吸血鬼狩りです。あなたの命を狙っています』
「吸血鬼狩り……」
「そうよ。何年も、何十年以上も吸血鬼は現れなかったから今や落ち目もいいトコ。落ちるとこまで落ちたら這い上がるのは楽だ、なんて言うのはアホな部外者だけね。どん底っていうのは果てが無いし、背負わされる荷物はどんどん重くなっていくのよ」
そう言って、マシェッタはちらりと主人を見た。主人はその目を見て、どきりとする。彼女の目は優しく、口元には微笑みを浮かべている。しかしその笑顔はどこか薄っぺらく、むしろ対峙する相手を憐れんでいるような印象も見受けられた。単純に好意を持つ者に向ける顔にしては、背筋の冷えるものを感じさせる表情だ。彼女の真意を測りかねた主人だったが、すぐに気付く。
ああ、これは自分よりも弱いものを見る目だ、と。
マシェッタの指が素早く上着のポケットに滑り込み、すぐに光るものと共に引き上げられる。彼女の手はその勢いのまま、持ったものの切っ先を主人の首筋へと突き付けた。軽く冷たいその感触に、主人はそれがナイフなのだと分かった。
「あなたが協力してくれれば、あたしはすぐに楽になれるの」
そう言って、マシェッタは銀のナイフの切っ先をじっと見つめた。
銀のナイフは、エリックが来た時にロジオンから素早くくすねられていたものだ。マシェッタ自前の杭打機が城では使えない今、吸血鬼に対して唯一この場でとどめを刺せる有効な武器と言えた。
「大きな獲物が一つから二つに増えて、あたし今ちょっと冷静でいられないの。ここでする事済ませて、とっとと次に行きたいの。分かる?」
酷薄な笑みを浮かべるマシェッタ。笑ってしまうくらい軽い首筋の感触に、顔を引きつらせる主人。主人にはなぜマシェッタがこのような真似に出たのか、彼女が何を言っているのか、まるで理解できないでいた。
それでも、主人は自分が直面している危機は理解できた。下手に彼女を刺激すれば、ナイフの刃に皮を引き裂かれ、肉の切れ目を割って血が噴き出るだろう。実際に吸血鬼が銀のナイフで切られたならば、銀の力により傷は癒えぬものとなり、血の一滴まで噴き出しきった後ミイラのように干からびて絶命するのだが、自分を吸血鬼と思っていない主人にはそこまでの想像はできなかった。それでも、彼の抱く危機感が大きなものであるのには変わりない。
主人の喉から言葉が出かける度に、いや違うと彼は言葉を呑み込む。自分からの質問がかえって相手の気を損ねるのでは、と思うと、迂闊に質問もできなかった。
そんな彼を見るマシェッタの顔から、次第に笑みが消える。
「……ねぇ」
「は、はい?」
思わず声の裏返った主人。そんな彼に、マシェッタは呆れたように呟いた。
「何で抵抗しないのよ?」
「え?」
「言っちゃなんだけど、所詮人間でしょ?吸血鬼からすれば簡単にいなせる相手なのに、何で何にもしないのよ」
マシェッタの言葉は主人の動揺を誘うようなものではなく、本心から尋ねているのだと主人には分かった。この言葉から、主人はこの事態を招いた理由を察した。
『ははあ、読めたぞ。私を本当に吸血鬼だと思っているんだな。あんな奴の言う事を真に受けるなんて、やはりかわいい方だ』
そう考えた主人は、ナイフを突きつけられたままでいながら余裕を得、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「あなたの事情は曖昧にしか理解できていません。ですが、私にはあなたと争う理由がない」
「今この状況こそ争う理由になると思うんだけど」
「こんなもの、恐ろしくなどありません。本当に怖いのは、心が傷つく事ですよ」
マシェッタが、怪訝そうに眉根をひそめた。主人は彼女を見つめたまま話を続ける。
「私は大昔、度の過ぎるわがまま坊主でしてね。そのせいで、父上から譲られたたくさんのゾンビ達に逃げられてしまいました。ドン・キホーテごっこがしたいから風車を作れだとか、ミノタウルスのゾンビが欲しいから作れだとか、神の写真を撮って来いだとか。今思えば取るに足らない事ばかりしていました」
「……スケールが大き過ぎてぴんと来ないんだけど」
「そう、大き過ぎたんです。使用人のゾンビがロジオン一人になって初めて私はそれに気付きました。だからもっとささやかな、普遍的な願望だけを持つ事にしました」
「へーえ、いい心がけね。で、今はとりあえず私に見逃してほしいとでも思っているの?」
マシェッタはナイフを持つ手を下げず、変わらずナイフの刃を主人の首筋に当てたままだ。だのに、主人は落ち着いた様子を崩さなかった。
「それもありますが、そんな小さな願望だけではありません。多くの人々が共通して持つ、もしくは持っていた、当人にとっては大きな願望もあります」
そこで初めて主人が動いた。彼はさりげなくナイフの峰を手でつまみ、それを見たマシェッタがナイフを持つ手に力を込める。
「離しなさい、ホントに切るよ」
「ちょっとやそっとの傷など、すぐに癒えます」
「これ銀よ?意味分かってる?」
「だからなんです?金の方がよほど高価です」
「いやそうじゃなくて」
まるで危機感のない主人に、マシェッタは次第に腹が立ち始めた。脅しがまるで脅しになっておらず、馬鹿にされてるようにしか思えなくなる。
「あなたホントに分かってないの?命の危機よ?もっと本気になりなさいよ」
「私はいつでも本気です。もちろん、あなたに対しても」
「あたしも本気よ。あなたが思っているよりも、お金の問題はシビアなの」
「金銭など問題ではありません。あなたは本当に大事なものを忘れてしまっています」
「何だって言うのよ、ふざけているの!?」
知ったような口を利くな、と言いかけた彼女の言葉を、主人が強引に遮った。
「心です。心の支えが何なのかは、人によって違います。金銭が支えになるなら、それでも良い。ですが私は、あなたにはそんなさもしい方にはなってほしくありません」
「アンタ何を言ってるの?あたしの人生に口を挟む義理がないでしょ、なんであれこれ言ってくるのよ!」
マシェッタの苛立ちが最高潮に達し、そのナイフが主人の首筋に傷を付けようとしたその時だった。
「愛ですよ」
マシェッタは耳を疑った。これ以上なくこの場にふさわしくない言葉に、思考が止まる。
「……、はい?」
「もう一度言います、愛です。そして私は、出来る事ならあなたを支える者になりたい」
主人は、じっとマシェッタの目を見てそう言った。青く、底の底まで見通せそうな澄んだ目に、マシェッタの姿が映る。彼女は主人のその目に、心臓がはね上がるのが分かった。
「え、え?それってつまり、……え?」
「言葉通りの意味ですよ。愛してる、と言えば伝わりますか?」
「ば、馬鹿じゃないの!?あなたは吸血鬼で、あたしは……」
「そんなのはどうでも良い事です。今の生き方が苦痛なら、別の生き方をすればいい。私と一緒になれば、程度はともかく生き方を変えられます」
主人の顔は真面目そのもので、嘘がない。
何よりマシェッタを動揺させたのは、致命傷を与える銀のナイフを突きつけられて動じない主人の物腰だった。身構えたり、何かを隠すような素振りは一切なく、落ち着き払った様子なのである。だからこそ、彼女は彼の発言にただならぬほどの真実味を感じられた。
「あ、あ、あのね、そ、そんなの、言うだけならタダよ……」
先ほどまでの勢いは消え失せ、震える声で拒むマシェッタ。だが、主人は譲らない。
「タダほど高いものはない、と聞きます」
「詭弁よそれは。大体、あなたあたしのどこを好きだって言うのよ?」
「あなたは一人で生きていけるほどのタフさと、貪欲さを持っています。それにひきかえ、私は従者のいない生活が想像できない有様です。だからこそ、あなたが輝いて見えるのですよ。あなたは生命力に満ちている」
最初こそマシェッタの目は動揺で丸く見開かれていたが、主人のこの言葉に、みるみるうちにその眉根が寄せられた。
「……口説き文句にしちゃ、ずいぶん色気のないものね」
「え、そうですか?精一杯褒めたつもりだったんですが……」
「雌ライオンに言うんだったら、これ以上はないでしょうね」
「そ、そんなつもりは……」
主人は本心からそう言っていたらしく、気まずそうに視線をそらした。頬を掻く彼に、マシェッタは先ほどまで彼に対して感じていたものが失せていくのが分かった。
「……まあ、いいか」
マシェッタはナイフを主人の首筋から離すように引いた。主人がそれに気付き、ナイフから指を離す。マシェッタはナイフをしまい、上着のポケットに入れた。
「今日のあたしはどうかしてたみたいね。忘れて頂戴」
「私としては忘れられない夜でした」
「気を害したならごめんなさい。じゃあね」
そう言うと、彼女は席から立ち上がった。立ち去ろうとする彼女を、主人が呼び止める。
「あ、待ってください。あなたに贈り物をしたいんです。好きなものや欲しいものを言っていただければ……」
マシェッタは足を止めたが、主人の方は見なかった。少しの沈黙の後、彼女はこう答える。
「……好きなものも、欲しいものも、お金と名誉。それだけよ」
それだけ言って、彼女は部屋の扉を開けた。
「じゃあ、おやすみ。ウィルスンさん」
マシェッタは部屋を出た。遠ざかる彼女の足音を聞きながら、やがて主人はふう、とため息をついた。
「ふられたか」
自嘲し、眠るように目を閉じる。
「……それにしても今夜は騒がしい。傷心に浸らせても良いものを」
「タウ、いたか?」
鉢合わせて早々の問いに、タウは首を横に振った。
「こっちもだ。甘く見ていた訳ではないが、流石に見つからんか。しかし向こうはこちらの様子に気付いているはずだ。めげずに続けるぞ」
そう言って、彼は自分が持つものを軽く持ち上げてみせた。
左手で持っているのは逆さにした寸胴鍋、右手にはくすんだ表面の、調理器具のおたまが握られている。タウもまた、使い古した鉄製のフライパンとくすんだ表面のスプーンとを握り締めていた。
「夜中に騒ぐなど、死んだ後にやっても妙に興奮するな。そうは思わんか?」
幾分か興奮した様子のロジオンに、タウは静かに首を横に振った。
「……まあいい。とにかく、お前がいるからこそできる手段だ。目いっぱい騒いで回るぞ。そーれ!」
ロジオンの合いの手で、二人は同時に手にしたものを叩き始めた。寸胴鍋の底をおたまで、フライパンの底をスプーンの柄で何度も激しく叩かれ、その音が石造りの廊下に反響する。
ぐわんぐわん、がんがん、ぐわんぐわん、がんがん。
二人は本人達から聞いてもうるさいくらいに音を上げて、元来た道を戻り始めていった。
「遮二無二叩いて、叩きまくれ!」
音に負けないよう、ロジオンが声を張り上げてタウに言う。彼は今から、先ほど合流するまでずっとしていた事を再びやるつもりだった。
こんな真似をしていれば、何事かと誰かが寄ってくるだろう。こちらの内情を知りたがるスパイならなおさらで、それこそがロジオンの狙いだった。 長命ゆえ、退屈を嫌う吸血鬼が何より求めるのは娯楽であり、ロジオンの知る限り、彼の主人の無軌道な挙動はこの城の中に限って言えばこれ以上ない話のタネだ。そこへ従者まで騒ぎ出したとあっては、食いつかないはずがない。
やかましく打ち鳴らされ続ける調理器具。やがてその音に混ざって、ざり、という靴が石の床を滑る音が上がった。同時に、二人はそこへ振り返る。
いた。蝋の節約の為にまばらにしか灯されていない明かりを受けて、人影が確かにあった。二人に見られたと気付き、人影はすぐに廊下の角に隠れる。走って遠ざかるその音に、ロジオンもしめたとばかりに走りだした。タウもすぐに彼に倣う。
「待て、狼藉者め!」
ロジオンの張り上げる声に、先を行く何者かは更に足を速めたようだ。足音がますます遠ざかり、ロジオンが曲がり角を曲がった頃には廊下の奥の暗闇に隠れ、足音の主の姿は完全に見えなくなった。ロジオンとタウは足を止め、天井を見る。天井から垂れた、何本もの糸が廊下の奥へとまっすぐ伸びているのが燭台の炎に照らされておぼろげに見えた。
全ての糸がぴんと張り、わずかに震える。その直後、糸は大きく引き戻され先端についたものを天井付近まで大きく揺らした。人影が宙を舞い、耳慣れぬ悲鳴が二人の耳に入る。
「やったな」
ロジオンが頭上で揺れる人影を見上げ呟く。タウも黙って頷いた。
これで一つの問題が解決した。その安堵から、ロジオンは我知らず上着のポケットに手を伸ばした。ちょうどそこに、彼女の部屋から持ってきた銀のナイフがしまってあるからだ。
その手先が、柔い布地の感触だけを伝える。ロジオンの背筋を、ぞくりとするものが走った。
「やられた!」
ロジオンはすぐに反転した。
「すまん、任せた!」
戸惑うタウを置き去りに、ロジオンは一目散に主人の部屋へと向かった。息が切れるほどの全力で彼は走り、主人の部屋の前まで来るとドアを開けて室内へ飛び出す。
「無事ですか!?」
叫ぶ彼の目が、すぐに主人を見つける。主人は目を閉じ、いつものようにロッキングチェアを前後にゆらしていた。無事を確認したロジオンは安堵する事なく、すぐに油断なく周囲を見回し、主人の傍へ大股で寄る。
「あの女は!?」
駆け寄るロジオンがかがみ込み、主人の顔を覗く。ロジオンの心配とは裏腹に、主人の表情は非常に安らいだものだった。ロジオンの様子に動じた気配もない。
「……?どうされたのです?」
未だ気を揉むロジオンに、主人が薄く目を開く。遠い目をして、彼はぽつりと呟いた。
「ふられたよ」
ロジオンは最初その言葉の意図をはかりかねたが、理解するとようやく安心して深く、そして呆れたように息をついた。すると安心が、すぐに苛立ちに塗り替えられる。
「奴はどこに行きました?」
「自室だろ。おやすみと言っていた」
ロジオンはすぐに部屋を飛び出した。
マシェッタの泊まる部屋へと駆け、ノックもせずにその戸を開ける。マシェッタの姿はない。
「手癖の悪い女め!どこだ!どこにいる!」
早足で歩きながらカーテンを強く払い、かけ布団を掴み引きずる。どこにも彼女の姿を見受けられずに焦れる彼の目が、ふと机の上にとまる。
そこには小さな紙切れが一つあり、紙面にはこう書かれていた。
『お世話になりました マシェッタ・ホプキンズ』




