2日目 接近
放置しててすっかり忘れてた(´・ω・)
とりあえず出来上がってる所まであっぷ
商店街の通りが見える。
人通りがまったくない。
店は全てシャッターが閉まっていた。
小川のせせらぎが聞こえてきそうなほど、シンと澄み切った静けさだ。
道のど真ん中を、前に向かって歩き始める。
自分の足音がはっきりと聞こえる。
風もない。
右を向くと路地裏が見えた。
猫が一匹、青いゴミ箱の上からじっと僕の方を見ている。
歩みを止めた。
黒猫だろうか?
毛並みが良く、艶やかとしている。
どこか大人びた色っぽさ、妖艶な印象を受けた。
ふと、視界の左端を何かが横切ったように見えた。
顔を向けたが、誰もいない。
さっきと同じ、誰もいない商店街の道が続いているだけだ。
気のせいかと思い視線を路地に戻すと、猫は姿を消していた。
右腕に圧迫感を覚えた。
驚くと同時に右を向く。
無数の赤い者たちが、僕のことを凝視していた。
僕の右手はその赤い者たちががっちりと、それも隙間なく掴んでいたのだ。
振り払おうとしても手がまったく動かない。
赤い者たちの内の一人が、涎を垂らしながら僕の右腕に顔を近づけた。
僕は恐怖した。
咬まれる!
赤い者はニヤリと笑って、僕の右手に咬みついた。
ハッと息をのんだ。
目の前にはオレンジ色にうっすら染まった弘一の部屋が広がっている。
右に顔を捻る。
姉、京子がだらしなく口から涎を垂らして寝ていた。
弘一の腕はすっぽり京子の体の下に入り込んでいた。
京子お得意の寝相の悪さで、弘一の右腕はすっかり麻痺していた。
弘一(ゆ、夢だったか……)
左の掌で顔を洗うように擦る。
一度深呼吸してから、京子の体の下から腕を引っ張り上げた。
京子は軽く呻いただけでまったく起きる気配がない。
右腕の感覚を取り戻そうと、手をグーパーさせて血の巡りを良くする。
目覚まし時計を見る。
夜の1時だった。
弘一「中途半端な時間に起きちまったな……。仕方ない……起きるか」
3時間ちょっとの睡眠だったが、丁度浅い眠りの時に起きたらしい。
最悪な起き方とはいえ、気分はスッキリしていた。
つけっ放しのラジオに耳を澄ます。
「かぐや姫で神田川でした。いやぁ、この曲も懐かしいですねー。僕もね、曲の中に出てくるようなとこに下宿した覚えがありますよ。四畳半でしたけどね。トイレは共同、風呂は近くの銭湯でね。あそこ今でもやってるかなぁ……。風呂の帰りにはいつも傍のタバコ屋でタバコ買ってね。おばちゃんに缶コーヒーご馳走になったこともありましたよ。あの頃はまだまだ子供だったから、ダチと良くバカもやらかしててね。例えば……」
ニュースはやっていないようだった。
被害地域はどこまで広がってるんだろうか?
八王子警察署はまだ持ちこたえているのだろうか?
次々と確認したい事柄が頭の中で増殖し始めた。
パソコンに向かおう。
ベッドから起き上がろうと上体を起こそうとした。
すると、京子が弘一の腕にしがみ付く。
弘一「ちょ、姉ちゃん……」
京子「……こういちぃ、……あ、……だめぇ」
弘一は目を丸くした。
ついでに心臓も止まりそうだった。
今京子は何を言ったんだ?
多分夢を見てるんだろうが、……だめ?
何がだめなんだ?
一体何の夢を見てるんだ?
止まりそうだった心臓が、今度は加速し始める。
弘一(え……いや……、いやいや、姉弟だし!姉ちゃんなんて夢を!そ、それは姉ちゃん綺麗だし、彼女にできたらすごいうれしい感じの人だけど、……でも姉弟だし!そ、そんな目でみ、見ちゃいけないし……、てか姉ちゃんが俺の事そんな風に思ってたなんて……、そんな……、これは……つまり……)
京子の顔を見つめている弘一の顔は耳まで赤く染まりそうだ。
京子がむにゃむにゃ言いながら、先ほどの夢の続きを話し始めた。
京子「だめだって……、そこ押したら親子丼6つ出てきちゃうから……。……私は5つでいいから……、弘一その1つ食べて……。…………やっぱり私が全部食べる」
弘一は何も言わず、京子のおでこにゲンコツをお見舞いした。
京子「ああ……、親子丼がおでこに…………、幸せ……」
弘一はため息を吐きながら京子の腕を振り払い、ベッドから降りて机のパソコンに歩み寄った。
電源はつけっ放しだ。
ディスプレイの電源ボタンを押してディスプレイを起動する。
ブラウザで開きっぱなしの2ちゃんねるが表示された。
すぐにマウスで更新をクリックする。
弘一「まったく……勘違いさせんなよ、食いしん坊バカニート……」
ブツブツと独り言を言いながら、スレッドを流し読みしていく。
……
【事件】日本でゾンビ発生か?八王子大規模暴動 Part32
【社会】アメリカで新型スーパーコンピュータ。日本の「京」危うし?
【社会】八王子暴動、官邸に対策委員会設置
【事件】暴動、九州でも?男数人が通行人に噛みつく Part2
……
色々と新しいスレッドがたち上がっていた。
興味を引くものだけピックアップして読み始める。
弘一(九州でも?日本全国でこの事件は起こりつつあるのか?)
スレッドを開いてみた。
【事件】暴動、九州でも?男数人が通行人に噛みつく Part2
干し柿の香りはラベンダーφ★:鹿児島県鹿屋市で男性数人が通行人に無差別に襲い掛かる事件が発生した。警察関係者の話では、通行人は殴る蹴るの暴行を受けたうえ、噛みつかれて負傷した者もいるようだ。この事件は八王子で起きている暴動事件と酷似している点があり、被害者は治療を受けつつ現在隔離されている。男たちは逮捕されたが、八王子暴動の被疑者たちとは違い、至って落ち着いて取り調べを受けている様子。加害者たちは、「八王子暴動に影響を受け、仲間数人を集めて同じことをしてやろうと思った」と供述しており、八王子暴動を模倣したようだ。また、男たちの所持品からは薬物のようなものが見つかったとの情報もある。
名無し:2get
名無し:九州でもか。日本終わりだな
名無し:こいつら単なる薬中じゃね?八王子の方と様子も違うし
名無し:被害者たちが同じように暴れ出したら完璧同じだな
名無し:福岡県警から応援呼んで来い
名無し:八王子の方はまともに話聞けない連中ばかりって話だけど、こっちは話せるのな、犯人
名無し:模倣犯ですた
名無し:これは無視していいのかな?八王子の方が気になる
名無し:真似するバカ全国に出てきたりすんのかな?
確かに似ている点はある。
しかし、スレに書き込みをしている人たちと同様、単なる模倣犯だと弘一は感じた。
だが、万が一ということもある。
続報を待つしかないだろう。
次のスレッドに目を移す。
【事件】日本でゾンビ発生か?八王子大規模暴動 Part32
北海道航空力学φ★:東京都八王子市暁町を中心とした大規模暴動が発生した。中野山王、富士見町、田町と広範囲に渡っており、現在も尚拡大を続けている。暴動の発信地は暁町にある八王子救急医療センターであるが、ことの発端は7月29日の正午、八王子市内の公園で起きた傷害事件であるとの情報もある。今回の暴動は奇妙な点が多く、特に暴行を受けた被害者が加害者になるという点だろう。また今回の暴動は何ら政治的、社会的メッセージを伴っておらず、これも相まってネットでは東京でゾンビが発生したのではないかと囁かれている。現在、対策本部が設置されている八王子警察署を起点に警察力による鎮圧作戦が行われているが、事態収拾の目途は立っていない。
前スレ 日本でゾンビ発生か?八王子大規模暴動 Part31
名無し:1乙
名無し:乙 これはおつじゃなくてポニーテールなんだからね!
名無し:追加情報。暴動発生地域が拡大。中野上町、石川町、大和田町、清川町、中野町で確認。ソースはNHK
名無し:八王子警察署付近は本部置いてあるだけあって進行が緩やかな気がするな
名無し:日野まで拡大するかなこれ?国分寺あたりまで来たらマジ絶望的
名無し:暁町から半径3キロの範囲で外出禁止令出てるんだってな
てかこれじゃ出たくても出れないだろ
名無し:よく八王子署もってるよな
そら警察署が落とされたとなりゃ警察の面子は丸つぶれだもんな
名無し:警察の警備はかなり手薄らしい。警察官かき集めてる最中らしいけど、追い付いてないみたい。これ収拾できんのかね?
名無し:高倉町とさくら町でも確認されてるっぽいよ
ソースはTBSだけど
名無し:さっきから外で悲鳴と奇声が聞こえる。マジ出れない。こんなことならカップめんもっと買いだめとくんだった。
名無し:あー、とうとう日野市に食い込んできたか
これはオワタだろ
名無し:立川まで広がったら自衛隊出てくるかな?立川って駐屯地あったろ
目の前で一般市民が襲われて、しかも暴徒がこっち向かってくるっていうのに指咥えてみてるバカいないよな?
名無し:俺の叔父さん襲われたけど、今のところ暴れてないぜ
どうやら噛みつかれたやつだけっぽいよ
名無し:こういう時ってやっぱりNHK安定だよな
名無し:これだけ拡大するスピードが速いってことはさ、八王子の警察官の人数少ないんじゃね?他の警察署とかからの応援はなにしてんの?機動隊ももっと数増やせよ
名無し:今日学校休みになんねーかなぁ。北海道じゃさすがに無理か
名無し:襲われた叔父さんとやら、隔離しろよ。知らぬ間にゾンビになったらどうするのよ
名無し:今日見たかったアニメ特番の所為で流れなかった
マジクソ
名無し:しかしなんで八王子で起きたんだろうな。おれここが気になって仕方がない。
名無し:噛みつかれ奴だけが暴れまわってるのか。こら完璧ゾンビやで
相変わらずだった。
暴動発生地域が拡大したのみで、その他有益な情報は何らわかっていない。
いや、八王子署がいまだに健在だという情報は有益だろう。
しかしだ、結局は好転せず変わらずじまい。
咬みつかれたやつが暴れている。
警察力でも抑えられていない。
弘一はため息をついた。
これは夜が明けない限り、新しい情報は入ってこないだろう。
もちろん、その確証はない。
午後になっても、最新の被害地域の情報しか入ってこないかもしれない。
理由もわからずただ拡がっていく事件をただ傍観し、それに恐怖することしか出来ないと考えると、弘一は歯がゆさを覚えた。
だが、よく考え直すとそうでもない。
被害地域の情報は確実に入ってくる。
これは有益だろう。
これからさらに被害が拡大し、さらなる混乱が起きればこの情報も手に入れられなくなるであろう不安はある。
でも今はまだその時でもないし、自分の身に危険が差し迫っているのか気づくことができ、避難ルートを決める際にも役立てるであろう情報が逐次入ってくるのだ。
これは良いことだ。
何も自分自身で事件の謎を解いてやろうといった、名探偵なんぞになる必要はない。
自分の身を守って、家族の身を案じて助言して、事の収束を国の、それこそ警察や自衛隊といった職についてる人たちに任せればいい。
事件の核心に迫ろうと、推理の材料となる情報を好んで集めようとするのは弘一の悪い癖だ。
彼の好きな小説は大概ヒーローが登場する。
冷静に状況を判断して決断し、事態の収拾を図り、最後には盛大に感謝されてハッピーエンド。
弘一は大抵ヒーローに自分を置き換えていた。
だからだろう、日常生活の中でもヒーローに成らんとばかりに物事を考える。
結局は考えるだけ考えて、行動に移さないのだが。
弘一(今は事件の真相を考えるのはよそう。漫画や小説、それこそ雑誌やテレビの向こうで起きてる事件じゃない。今まさに自分の家に近づいてきて、……安田。そうだ、安田の身に何かあったかもしれない事件。僕の身に係わりつつある事件なんだ。下手な推理をしてる場合じゃない。自分の身の、みんなの身の安全を守ることができる情報を集めなきゃ)
安田の安否が確認できないことが、弘一を現実的にさせた。
窮地に陥った時ほど冷静になれる人間というのは正に、弘一のことを言うのだろう。
弘一(よし、他の情報も集めつつ、避難ルート考えておかないとな)
―千代田区ビジネスホテル―
テレビのチラつきが、薄暗い部屋の中をカメラのフラッシュのように反射している。
机の上に置かれているスタンド照明の下で、男はノートPCを見つめている。
大野壮二郎。
フグ議員に今回の事件をいち早く報告した男。
彼は内閣情報調査室、内閣情報集約センターに所属している公務員だ。
内閣情報調査室はその名の通り内閣に属する情報機関であり、200人にも満たない小さな組織だが、国内外の情報を日々分析している。
その中の内閣情報集約センターは、国内の大災害や重大事件、事故の情報の集約・分析・連絡、その体制整備を行う部署である。
大野(まったくふざけてるよな。どうしたらこんな事態に陥るんだよまったく……)
タバコを銜えながら、ディスプレイに表示されている名簿に目を通す。
―R-277プロジェクト関係者一覧―
内閣総理大臣 飯野隆俊
文部科学大臣 中田洋子
国土交通大臣 三井浩二
防衛大臣 佐藤雄介
内閣官房長官 瀬田俊作
国家公安委員会委員長 中塚裕三
警察庁長官 白井孝輔
在日アメリカ軍司令官 アルバート・S・キング
…………
……
総勢500名。
大野(俺たちにこの情報を流したやつはこの中にいるはずだ。なんとか早急にそいつとコンタクトをとらないと……。だが、総当たりしている暇はないな……。俺たちがこの情報を握っていることは向こうは百も承知なはず。すでにアクションを起こしているはずだ。ちょいと工夫しないとアウトだな。しかし、サンプルを盗み出した盗人はどこのどいつなんだ?うちの連中ではないことは確かだ。あいつらの中で何か仲間割れを起こすような事が起きてるのか?それとも、俺たちと同じように情報を受け取った第三者がいるのだろうか?……考え出したらきりがないな。とりあえず今は情報源とコンタクトを取る事に専念しよう。)
部屋の天井を仰ぎ、タバコの煙を吹きつける。
微かに漂う煙を見つめながら、大野は独り言を漏らした。
大野「絶対星を上げてやるぞ。……仇うちだ」
時計は3:34を示している。
―八王子警察署―
飯島「……くぅ」
飯島がソファの上で毛布をかぶり、寝息を立てている。
吉田はそのすぐ隣にあるデスクに座り、官邸の対策委員会に提出する資料の下書きを、自身の手帳に書き記していた。
・現在の暴動発生地域、「中野山王、暁町、富士見町、田町、元横山町、元本郷町、平岡町、大谷町、尾崎町、みつい台、中野上野、石川町、大和田町、清川町、中野町、高倉町、さくら町」
この内、田町、元横山町、元本郷町、平岡町においては応援隊の協力によりある程度の
鎮圧に成功。
・現在の暴動における死者数(警官含む)、確認できるもので106名。
・負傷者数(警官含む)、確認できるもので823名。
・暴動参加者数、不明。
・拘束者数、238名。
・現在警備に当る警察官数、1078名。
内訳、513名(八王子署員)、324名(第四機動隊)、241名(他署等からの応援)
・現在の警察官の死傷者数、死者12名、負傷者157名。
その警察官負傷者のうち、暴動参加者と同じように暴れ出した者94名。
よって、警察署において他警察署、各関係機関と連絡を取り、前線からの情報を収集する対策本部付の八王子署警察官20名、及び応援などの警察署内待機中の警察官153名を除くと、前線で警備に当っている警察官数は736名。
警備に当る警察官はこれからも増員を予定。
・八王子署が危険なため、対策本部を八王子市の南にある南大沢署に7月30日正午をもって移動することを決定。
それに伴い、今後の応援は一時南大沢署に移動し、そこから八王子署へと移動することとなる。
・現在の警備状況については、河川にかかるすべての橋に検問所を設置、暴動参加者拡散を防止。
パトロール隊を組織し、市民に外出を禁止する旨を通告しつつ、町内を巡回、暴動参加者を見つけ次第拘束する。
八王子署の警備力では困難であると判断し、八王子に隣接する市、特にあきる野、昭島、立川、日野においてはそれぞれの警察署に警備を願い、八王子市から他市への拡散を防止してもらうことになった。
しかしながら現在、日野市さくら町への拡大が確認されている。
拳銃の使用許可が下されており、暴動参加者に対し、警告に従う意思を見せず、尚且つ拘束の際に警察官の生命に係わる状況であれば現場判断でこれを使用してよいことになった。
これにより既に発砲した警察官がいるが、脚部に弾を命中させたにも関わらず、襲い掛かってくることがあり、胴体に対して5発ほど撃ちこまない限りその行動を抑え込むことが出来ないとの事。
また、予備の弾丸についてはその補給の目途がたっておらず、しばらくは保管庫に保管してある弾薬だけで対応する事となった。
応援の機動隊もガス筒発射機を鎮圧に使用しているが、催涙ガス筒を撃ちこんでもあまり効果が見受けられない。
現在、暴動発生地域の詳細を把握するため、警視庁航空隊のヘリコプターによって上空から偵察を行うよう、出動要請を出している。
早ければ午前9時には出動できる見込みとの事。
警備を担当している警察官の休息については、新たな応援が到着次第、ローテーションを組み、交互に食事と睡眠をとるようにする。
食事は近隣の飲食店に協力を仰ぎ、いかなる場合に即時対応できるよう署内で済ませるようにする。
拘束した暴動参加者の処遇については、手錠をはめさせたうえで留置所に留置しているが、拘束した人数があまりに膨大なため、現在は鍵をかけることが出来る部屋等も利用している。
安全に、そして確実に留置できるよう対策を練る必要がある。
・今暴動は不審な点が多く、暴動参加者によって咬傷を負ったものは誰一人例外なく、その負傷から12時間のうちに暴動参加者と同じように暴れ出している。
前述のとおり、警察官の中にも暴れ出すものが出ており、現場の士気が低下している。
原因は分かっておらず、早急な原因の究明が求められる。
手帳とペンを机の上に放り出し、両目を閉じ、背もたれに体を預け天井を仰ぐ。
右手で両目を押す様にマッサージした。
吉田「はぁ……まったくなんてこった……」
吉田たちは昨日から一睡もしていなかった。
警備に当る警察官の人数が暴動参加者たちと比べ少ないため、現状ではローテーションを組むことが出来ないのだ。
前線では暴動参加者を見つけるために巡回し、警察署では連絡、情報の収集、負傷者の治療、拘束した暴動参加者の監視などをし、とても休める状況ではない。
飯島も吉田と一緒に資料を作成することを命じられていたが、吉田が強引に寝かせた。
これからもっと忙しくなる事を吉田は分っているのだろう。
だから無理をしてでも休める時に休む。
吉田(1時間したら起こして……、あとは任せて俺も少しだけ寝よう……)
腕時計に目をやる。
4時52分。
吉田「さぁて……もうひと踏ん張りだ」
1階ホールは未だに怒号が飛び交っている。
―中川家―
朝5時。
一階リビングは薄暗く、テレビの光で家具がぼんやりと照らされ、夜空よりも黒い影を壁に映し出している。
弘一は一人ソファに腰かけ、テレビモニターを凝視していた。
画面には上左右に青枠、中央にアナウンサーが報道用デスクに陣取り、これまでに判明した事象、それに割り込んでくる速報を淡々と、しかしどこか緊迫した雰囲気で読み上げてゆく。
「……暴動収束の目途は立っておりません。……先ほどからお伝えしています通り、八王子市で発生した大規模暴動について、今現在判明しています死傷者数の数は千名を超えており、暁町を中心とした半径3キロ以内の全域で外出禁止令が出ています。住民の皆さんは外出を避け、窓や玄関に鍵をかけ、警察の指示に従うようにしてください。これまでの所、警察は人員を増員して警備に当っていますが、暴動収拾の目途は立っておりません。ではここで八王子市役所生活安全部防犯課の柳敏郎さんにお話を伺いたいと思います……。柳さん?」
柳「……はい」
「あ、よろしくお願いします―」
柳「よろしくお願いします……」
「では早速なんですが、現在の八王子市はどういった状況なのでしょうか?」
柳「はい……、えー今現在ですね、暁町から半径3キロ以内を外出禁止区域、立ち入り禁止区域にして、警察の方にですね……えー、パトロールの方をしてもらっているという状況です」
「なるほど……、八王子市の方ではなにか対策というものは行っているんでしょうか?」
柳「はい、警察の方と情報収集について連携していまして、えー、住民の皆さんの安全を確保できるようにしています。また……、えー、地元の青年団といった方たちに協力してもらって、パトロール隊を結成いたしまして、こちらの方も警察の方と連携をとっています。市で保有していました青色パトロールカーを使用して、住民に外に出ないように勧告して回ってます。はい」
「よくわかりました。……負傷者数や被害状況というのは分ってきているんでしょうか?」
柳「あ、はい。えーっと……今の所わかっている情報ですと、……死傷者負傷者合わせて1534人の人が被害にあっていまして、暁町を中心とした半径1キロ以内では窓ガラスが割られたり、家屋の一部倒壊といった被害や、また多数の火災が発生しています。消防隊が出動してますけれども……、暴動の影響で消火活動に影響が出ています」
「なるほど、わかりました。えー、八王子市役所は元本郷町に在るわけですけれども……見える範囲での周りの状況ってどうなっていますでしょうか?」
柳「ああ……、はい……、市役所周辺は警察の方の尽力もあって多少落ち着いてきてはいるんですが、……その、……外から人のうめき声のようなものが断続的に聞こえてきまして、……警察の方と地域のパトロールの方とで警備してもらっているんですが、ちょっと不安になってしまうこ……」
「……?柳さんどうしました?」
電話越しの、荒れた音声の中で今、八王子市役所がどのような状況になっているのか、それを克明に伝える声が、響いてきた。
電話「おい!入ってきたぞ!……え?おいウソだろ!警察の人どうしたんだよ!?……うわ、来た!来たぞ!きやがった!!!…………うわ!やめ、」
電話「うわあああああああああああああああああああああああああ!!!」
「……柳さん?どうしました?大丈夫ですか!?柳さん!?」
スタジオ内にいるスタッフの声だろうか、小声、しかし興奮したとはっきりわかる声が言った。
「電話切って!電話切って!原稿!原稿読んで!」
「…………、お、お伝えしています通り、東京都八王子で大規模暴動が発生しました」
弘一の肌には金平糖の様な突起物が浮かび上がっていた。
なんと恐ろしい、今まさに人が襲われた、その音声をリアルタイムで聴いてしまったのだ。
自分たちには何もできない。
助けの手を差し伸べることが出来ず、ただ聴くことしか出来ない。
酷く恐ろしい体験だった。
「これはまずいな」
心臓が止まった。
時間にしてたった1秒ほどかもしれない。
だが確実に止まった。
弘一は驚きの硬直から回復したと同時に後ろを振り向く。
よっさんがいた。
弘一「よ、よっさん……」
よっさん「八王子市役所は警官が20人ぐらい、地元の青年団も含めれば少なくとも50人ぐらいで警備してたって飯時にニュースで言ってたからな。八王子署と同じような前哨基地だったわけだ。それがこんなあっさり落ちたとなりゃ相当だな」
弘一は黙ってよっさんの話に耳を傾ける。
よっさん「市役所の位置知ってるだろ?暁町とかの川一つ越えたこっち側だ。結局橋の検問所で抑えられないほど押し寄せてきたんだろう。それと元本郷町に前々から入り込んでた連中、それに襲われ……感染と言って良いだろうなぁ、感染した連中とが合わさって今の元本郷町は地獄絵図になってるだろうな。こりゃあ、八王子駅辺りまでワッと来るぞ。八王子署は側面を突かれた形だしな、対応間に合うのかねこれ。間に合わなかったら補給路絶たれて敵中孤立ってわけだ。万事休すだな」
弘一「…………よっさん」
よっさん「お前の言わんとしてることわかってるよ。家族みんなを説得させて避難するために協力してほしいってんだろ?」
弘一「うん……」
よっさん「…………任せとけ」
-八王子警察署-
5時20分、署内は狂乱ともいえる慌ただしさで埋め尽くされていた。
「応援はどうなってんだよ!持ちこたえられないぞ!」
「負傷者は医務室に運べ!咬まれたやつは会議室だ!」
「だから!八王子市役所がやられたんだって!橋の検問所とも連絡がとれん!」
「第三パトロール隊の連絡が途絶えたって本当か?どうすんだよ!西側無防備になっちまうぞ!」
「先生!こっちの人も看てください!」
「いやだ!あいつらみたいになりたくない!いやだあああ!!」
「四機も相当やられてるんだ!はやく七機を送ってくれ!その他の応援も早くだ!」
「暴れ出したぞ!取り押さえろ!」
吉田は眩暈が止まらなくなった。
八王子市役所陥落の報が入ってから次々と検問所、パトロール隊との連絡の不通、負傷者の増加、応援隊の到着の遅れといった脳の処理能力を遥かに超えた情報が舞い込み、とうとう視神経にまで影響を及ぼしてしまった。
吉田はある程度慌ただしくなる事を予想していた。
だが、それを超えた事態に軽いパニックを起こしていた。
吉田(連中はきっと西側からドッと押し寄せてくる。今の人員と武器だけじゃ絶対に抑えられない。一般人の被害も今まで以上に膨らんでしまうことになる。どうしよう。俺に何ができるだろうか。いや、出来ることなんてない。いっそ逃げてしまえば死なずに、もっと言えば赤い連中みたいにならなくて済む。そうだ、逃げてしまえばいいんだ。いや、しかしそれでは警察官として……)
飯島「吉田さん!」
飯島の一言で吉田は我に返った。
先ほどから吉田に対し声をかけ続けていたようだった。
すまんと一言、すぐに吉田は飯島の顔を注視する。
まだ少し眩暈で飯島の顔が歪んでいた。
飯島「……命令で八王子駅の警備担当になりました。吉田さんと一緒に直ちに現場に向かい警備隊と合流せよとの事です」
吉田「……そうか。俺とお前だけなのか?」
飯島「はい、ここの警備と……署の西側に防衛線を構築するための部隊を再編するので他の者は……。あ、官邸対策委員会に出す資料も現場でちゃっちゃと仕上げろってさっき署長と太田係長が言ってましたよ」
吉田「まったく……あいつら抜け目ないんだからなぁ……。この一大事だからチャラにしてくれるかと思ってたのに……」
飯島「……そういう悪態つける様なら大丈夫そうですね。さ、行きますよ!パトカーも融通させてもらいましたから」
吉田「おい、それってどういう意味だ?……あ、お前寝てたんだから続きお前書けよ、わかったな?」
飯島「……吉田さんも相当抜け目ないですね」
吉田と飯島はパトカーが停めてある駐車場まで我先にと駈け出した。
この時、吉田の眩暈はすっかり治まっていた。
その理由が、地獄のようなこの署から逃れられる口実が出来たからなのか、飯島からの他愛もない一言に目が覚めさせられたのか、わからない。
―千代田区ビジネスホテル―
大野の耳には携帯電話があてがわれている。
電話越しから聞こえる声はあのフグ議員だ。
フグ議員「……と言うことだ。きな臭くなってきたな」
大野「……はい」
フグ議員「こっちから伝えられる情報はこれだけだ。またなんかあったら連絡をよこしてくれ」
大野「かしこまりました」
電話の通話終了音が虚しく耳にこだまする。
今の大野にとっては歯がゆさを助長させる音だった。
大野「……これはまた被害が拡大するな」
大野が心配するのも無理はない。
フグ議員との会話の内容が次のようなものだったからだ。
つまり、八王子署が間もなく陥落し、指数関数的に被害地域が拡大すると思われる事態であるのに、政府は自衛隊に対し災害派遣命令を下令、自衛隊員に武器の携行を認めず現地に派遣することにしたのだ。
その理由として、総理大臣はじめ各閣僚が参加するR-277プロジェクトを隠匿するために用意したカバーストーリーにある。
すなわち、2~3か月前に確認されたばかりの奇病が今回の主原因であるというカバーストーリーでは、奇病に対する処置として治安出動や災害派遣時に武器を携行することは野党のみならず与党の事情を知らないもの達からも反発を受ける可能性があり、それによってR-277プロジェクトが表ざたになるのを避けたいがため、武器携行を認めない災害派遣とし、事を荒立てないようにしよう、というのだ。
大野にはその先の事が容易に想像できた。
大野「安直なカバーストーリー立てやがって……。その所為で自分たちの行動を制約するなんてバカもいいところだ……。貴重な制圧戦力がこれで一気に削がれる。下手をしたら日本の終わりだな……」