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月曜日は飛んでしまいたくなる。

作者: 岸本 源之助
掲載日:2026/04/15

 月曜日は飛んでしまいたくなる。


 ホームの端、白線の内側に立ちながら、彼はそう思った。


 朝の空気はまだ冷たく、コンクリートの匂いが靴底からじわりと伝わってくる。


 電車はまだ来ない。

 だが、人はすでに多い。


 同じ顔、同じ色のスーツ、同じ方向を向いた視線。

 ただ時間に押されている。


 ポケットの中のスマートフォンが震えた。


『今日の件、やり直しな』


 それだけの文面で、胸の奥に鈍いものが落ちた。


 理由は書かれていない。いつものことだ。


 彼は画面を閉じ、息を吐く。


(もういいか)


 白線の向こうに視線が落ちる。

 ただの線のはずなのに、やけに意味を持って見えた。


 電車の接近を告げる音が、遠くから響いてくる。


「すみません」


 横から声がした。


 振り向くと、彼女が立っていた。


 少し息を弾ませ、手には定期券。


「これ、落としましたよね」


 差し出されたそれを受け取り、彼は小さく頭を下げる。


「あ……ありがとうございます」


「よかったです。気づいてもらえなかったらどうしようかと」


 彼女はそう言って、ほんの少しだけ笑った。


 その表情は、朝の硬い空気に似合わないほど柔らかかった。


「よく落とすんですか?」


 不意にそう聞かれ、彼はわずかに戸惑う。


「いえ……たぶん、今日だけです」


「じゃあ、今日はちょっと疲れてる日ですね」


 軽く言われたその言葉に、思わず息が止まる。


 見抜かれていたのか。


「……そうかもしれません」


 答えると、彼女は納得したように頷いた。


「月曜日ですし」


 それだけで、会話は途切れる。


 けれど、気まずさはなかった。


 電車がホームに滑り込む。


 風が巻き上がり、二人の間を抜けていく。


「危ないですよ」


 彼女が、ふと足元を指さした。


 彼は気づく。


 自分のつま先が、白線をわずかに越えていたことに。


「あ……すみません」


 一歩下がると、彼女は安心したように小さく息を吐いた。


「……前に、落ちそうな人見たことあるので」


 言葉の最後は、少しだけ小さかった。


 彼は頷く。


「助かりました」


 そう言うと、彼女は笑った。

 扉が開き、人の流れが動き出す。

 押されるようにして車内へ入る。


 すぐ近く、同じ車両の中に彼女もいた。


 つり革に手を伸ばすタイミングが、わずかに重なる。


 互いに一瞬だけ譲り合い、どちらともなく手を引く。


「どうぞ」


「あ、いえ……」


 短い押し問答のあと、結局二人とも別の場所のつり革をつかんだ。


 そのやり取りが、少しだけ可笑しかった。


 電車が走り出す。


 揺れの中で、彼女が小さく言った。


「来週も、この時間ですか?」


 唐突な問いだったが、不思議と自然に聞こえた。


「……いつも同じです」


「じゃあ、また落としたら教えますね」


 冗談のように言って、視線を外す。


 彼は少しだけ笑う。


「気をつけます」


 それ以上は何も言わなかった。


 けれど、その沈黙はさっきまでのものとは違っていた。


 窓の外、ホームが遠ざかる。

 さっきまで立っていた、白線の際。


 あそこにあったものは、もう同じ形では残っていない。


 胸の奥に沈んでいた重さは、消えてはいない。


 ただ、ほんの少しだけ、位置を変えている。


 この時間に来よう。


 そう思う理由が、確かにそこにあった。


 次の週。


 彼は、ホームへ向かう前に、目を閉じた。


 月曜日は翔んでしまいたくなる。



お読みいただき、ありがとうございました。


人生でつらいことや黒い感情が湧いたとき、無理に乗り越えなくてもいい。ただ、ほんの少しだけ、見る場所を変えられたなら。


この物語が、ほんの少しだけでも月曜日の見え方を変えるものになれば幸いです。


『時の外側で、君を待つ』も、短編で同じ現代恋愛ですのでお読みいただけたら嬉しいです。

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