1話 観測者
ルミエリア・ブランシュは、入学式を終え、入学前最後の自室にベッドで寝そべっていた。
ルミエリアが入学する王立アストレア学園は、王国最高峰の貴族学園だ。二年次から騎士科・薬学科・文官科・商業科に分かれ、専門的に学ぶ専攻制が大きな特徴となっている。
明日からは初めての寮生活。明日には家を離れ、家族以外の人間と過ごすことになるのだ。ルミエリアは、そんな生活を想像しては胸を躍らせていた。
少し浮かれた気分で天井を眺めていたその時、突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。――入学式で疲れたのかな、頭が痛くなってきた……。眉をひそめ、額に手を当てる。痛みは短く鋭く、だが確かに彼女の意識を揺さぶった。
その瞬間、視界の端にかすかな光が走るような感覚と共に、記憶が雪崩のように押し寄せた。どこかで見た景色、知っているはずのない言葉、人物の顔……すべてが頭の中で絡まり、混乱の渦に飲み込まれる。ルミエリアは呼吸を整えようとしたが、心は制御不能に近かった。
「……っ、これは、何……?」
自分の名前も、生まれた家も、世界の仕組みも、すべてが揺らぎ始める。思い出されるのは、前世の自分が、確かに――乙女ゲームの世界に入り込んでいたこと。彼女――ルミエリアはそこで、名もなきモブキャラだった。
ゲームの世界で、自分はだれとも特別な関係を持たず、ただ物語の背景として存在していた。だけど、今ここにいる自分は――確かに、息をし、心を持ち、この世界に生きている。
――この世界が……ゲーム……?
頭の中で響く違和感がさらに増幅する。ルミエリアはベッドの上で膝を抱え、目を閉じた。心の奥で、理性が混乱を整理しようとするが、感覚はそれに追いつかない。紙に書き出せば、整理できるかもしれない――そう考え、痛みが続く頭を押さえながら、ゆっくりとベッドを離れる。
机の引き出しから、何も書かれていない真っ白なノートとペンを取り出した。椅子に腰を掛け、思考の断片を拾い集めるように、ゆっくりと記憶をつなぎ合わせる。
前世の記憶によれば、ここは『星辰のアストレア』という
乙女ゲームの世界だった。
テーマは――「星に選ばれた運命の恋」。
発売当時はとにかく話題作だった。SNSで毎日のように名前を見かけたのを覚えている。何より、私自身がこのゲームを熱心にプレイしていたのだ。人気の理由は明確だった。
まず、異様なほど多いイベント数。季節イベント、街での遭遇イベント、専攻別の分岐イベント。選択肢の差分も細かく、何周しても新しい発見があった。
そして、甘いだけでは終わらないルート分岐。幸せな結末だけでなく、ほろ苦い展開もある。隠しルートの存在が噂され、考察勢が盛り上がっていた。
攻略対象は6人。
ゲームの顔の王子枠、輝きの北極星アルベルト。
理知的なお兄さん枠、魅惑の金星セオドール。
皮肉屋なインテリ眼鏡枠、知性の水星クロード。
研究熱心な天才枠、影と光の月ミハイル。
掴みどころのない情報枠、掴めない流れ星アドリアン。
そして、甘え上手な後輩枠、表と裏の双子星ルカ。
星に例えられた六人は、それぞれ強烈な個性を持っていた。
登場人物の顔、台詞、イベントの順序……前世の知識は断片的で、完全ではない。だが、確かに自分がモブであること、そしてこの世界の「物語の軌道」が決まっていることだけは間違いなかった。
「……どうすればいいの……」
簡単には受け入れられない現実に、ルミエリアは思わず頭を抱える。そして次第に、静かな決意が芽生えた。
混乱している自分を認め、少しずつ、この世界で自分の意思を取り戻すしかない。名もなき存在だとしても、システムの強制力に巻き込まれないとは限らない。――想像以上に、忙しない学園生活になるかも。
目を開けると、部屋の明かりがいつもより温かく見えた。明日からの寮生活も、友人やクラスメイトとの日々も、すべてが新しい挑戦になる。ルミエリアは、覚醒した記憶と新しい決意を胸に、明日を迎える準備を始めた。




